Interview 11
2004年 アメリカから、主に日本のアニメーションについてのインタビュー
1)
ここ数年、アメリカで特に30才以下の年齢層の間でアニメは急にポピュラーな存在になりつつあります。10年前には無視されていた作品が今では映画館やテ
レビ、DVDで見られるようになりました。このように海外で最近、日本のアニメに対する関心が高くなってきている理由は何だと思いますか?
正直に言って、私にはよく分かりません。
第一、日本のアニメが特筆するほど海外で注目されているという気がしません。もちろん宮崎監督の「千と千尋の神隠し」がアカデミー賞アニメ部門を獲得し
たり、「ポケモン」などの子供向けアニメが大きな経済効果をもたらしていることは知識として知ってはいます。
子供向けの日本アニメはさながら「駄菓子」のような存在だと思います。甘味と刺激に溢れた駄菓子は、日本の子供たちに限らず、世界中の子供たちが好きな
ものでしょう。それはもしかしたら親たちが子供にはあまり与えたくないと思うようなものであっても、子供たちは着色料や合成甘味料や刺激の強い駄菓子だか
らこそ欲しくなるのだと思います。
私の監督作品はそうした子供向けのアニメと同じには括れないと思います。十代後半からそれ以上の年齢層を対象にして私は作品を考えています。
「パーフェクトブルー」「千年女優」「東京ゴッドファーザーズ」そして「妄想代理人」も海外でリリースされていますが、これらの作品が注目されているのか
どうか、またどのように受け取られているのか、私にはよく分からないのです。ビデオやDVDがどのくらいの数リリースされたのか私は全く聞かされておりま
せんし、注目されたり関心が集まっているのかどうかも分かりません。
もちろん、こうしてインタビューの依頼があるということは、私の監督作品に関心を持たれる方がおられる証だとは思うのですが、それがイコール関心の高さ
だとは思いません。どんな作品にも必ずファンはいるものでしょう。私としてはむしろ逆に海外の方に日本のアニメーションに何故関心が集まるのかを聞きたい
と思うのです。
日本のアニメ業界にいる他の制作者たちと私はほとんど交流がないので分からないのですが、少なくとも私は海外に向けて作品を作っているつもりはありません。また国内に向けてだけ作っているわけでもありません。
日本人の私が日本の東京に住んでいて、日々感じることをなるべく素直に作品に反映させて行こうと思っていますし、それが結果的に国内外を問わず楽しんでもらえると信じています。私はそれ以外に作る方法論を持っていないのです。
そうした個人的なことは別にして考えますと、現在の日本製アニメーションが海外で注目されるとしたら、そこには他ならぬ日本のアニメの特異性がきっとあ
るのだと思います。海外のアニメーション作品の多くは子供だけを対象にしたものかアーティスティックに偏った作品が多いと思いますが、日本のアニメはアー
ト性を備えた娯楽作品が多いと思います。そして何より観客として想定される年齢層が十代後半から二十代にかけての人たちではないかと思います。
また日本にはアニメの背景として、コミック文化があると思います。長年かけて培われてきたこのコミック文化はアメリカのコミックの在り方とは全く違うも
のだと思います。日本では大人に向けて描かれた漫画がたくさんありますし、アメリカンコミックとは違って内容も複雑で多様性に富んでおり、ストーリーを語
る手法も登場人物の内面を描写する方法も高度にして多様であり、洗練もされている。日本独自の文化として熟成してきていると思います。日本のアニメーショ
ンはこのコミック文化から派生したと言っても良いと思いますし、だからこそ海外では見られないような独自のスタイルのアニメーションになっているのだと思
います。
そうした他に類を見ない文化なら、誰だって見たくなると思いませんか? もし海外で日本のアニメーションが関心を集めているとしたら、そうした背景が大きく関与していると思います。
しかし、アメリカでもし日本のアニメーションが注目されていて、その需要があるとしたら、実際にアメリカで日本のようなスタイルや方向性でアニメが作ら
れてもいいような気がしますが、これまでにそうした作品は生まれていないようですし、これからもそういう可能性は低いように思われます。逆に日本でアメリ
カのアニメーションのような方向でアニメが作られることもないと思います。そうした明確な違いがあるから棲み分けも生まれるでしょうし、異なった文化であ
るからこそ相互に刺激や影響が生まれるのだと思います。
2)
多くのアニメ作品では架空の地が舞台でアジアと西洋がミックスされた設定の中、日本語を話す非日本人的な風貌をした登場人物が出てきます。ある意味で時間
と空間を自由に飛べる「千年女優」もそのひとつの例と言えます。私にとってこれは現在、世界が向かっているマルチ文化の現れではないかと思います。もしか
してこの事はアニメが人気だという理由のひとつでしょうか?なぜこのようなスタイルをとるようになったのか教えていただけますか?
「千年女優」を「架空の地が舞台でアジアと西洋がミックスされた設定の中、日本語を話す非日本人的な風貌をした登場人物が出て」くるような作品群と一緒に
されては甚だ迷惑です。私はそうした「作り手と関係が薄く曖昧な世界観」が好きではありません。私はアジアと西洋がミックスされた架空の舞台に何の国際性
も普遍性も感じません。「誰でもない人」が作った「どこにもない」世界にしか見えないからです。
「時間と空間を自由に飛べる」という意味では間違いなく「千年女優」はそうした想像力の豊かさを目指した作品だと言えますが、むしろ私は「架空の地が舞台
で…」といった曖昧な匿名性を排除するために、他ならぬ日本とその歴史や文化を材にした「千年女優」を作ったつもりです。
質問中にある「マルチ文化」という言葉の定義がどういうものなのか明確に分からないのですが、多様な文化が同時に存在することが許容された社会といった
意味ならば私も賛同します。しかし単純に、ある地域において支配的な文化が異なる文化の上面だけをすくって取り入れたような、安直な合成文化という意味で
なら拒否したいものです。
「架空の地が舞台で…」といった世界観はこの最たるものだと私は思っています。異文化交流はそれほど単純で簡単なわけがありませんし、そこに生まれる不快
や理不尽や不公平といったものを同時に描けなければ、多様性を持った多文化的な社会を設定することは出来ないと思います。
3) 多くのアニメ作品がテクノロジーにまつわる話を取り上げていますが、ハリウッド映画では比較的に珍しい事です。これは日本人の技術に対する考え方から来るのでしょうか?又はアニメ特有のことなのでしょうか?
他の方のアニメ作品をあまり見ないので、テクノロジーにまつわる話を扱った日本のアニメがどれほど多いのかよく分かりませんが、興味深い指摘ですね。私が
これまで監督してきた作品では特にテクノロジーにまつわる話を扱ってきたわけではありませんし、そういう考えを持ったことがありませんでした。
テクノロジーとは「力」と言えるでしょうね。日本のアニメで題材として頻繁に使われるメカやロボットにしろサイバーなイメージにしろ、どれも「力」で
す。単に「腕力」や「知力」の延長といえるものから「権力」「武力」を表すものまで、テクノロジーは様々な形で描かれていると思います。
ご指摘の通り、日本人の技術に対する考え方に由来する面も多いと思います。日本人は技術や技術者、特に職人と呼ばれる人たちに対する深い敬意を持っていると言われますし、私もその通りだと思います。心地の良い文化だと思います。
また、技術の賜物にはある種の精神、魂が宿るという考え方も根付いている。たとえば、刀鍛冶が精魂込めて鍛えた刀には、単なる“物”以上の価値があり、
そこには人知の及ばない“魂”が宿っている、というような考え方です。自然物である木や森や川や湖などは無論のことです。一神教の方には理解しにくい考え
方かとは思いますが、日本の伝統である「神道」は汎神論であり、万物に魂が宿るといった考え方です。
なので、アニメに登場するテクノロジーにはある種の魂や人格が与えられやすいのかもしれません。
テクノロジーにまつわる話はハリウッド映画では比較的に珍しい、とのことですが、その替わりハリウッドでは「軍隊」や「武力」を直接扱った多くの映画が
作られていると思います。アメリカにとっての“力”は何より軍隊でしょう。テクノロジーは“力”だと書きましたが、日本では歴史的な経緯もあって軍隊を正
面から扱うことがほとんどありませんので、その替わりにテクノロジーが多く扱われていると言えるかもしれません。
4)
押井守監督によれば、彼自身を含め数多くの重要なアニメ監督は最近、伝統的な家族が崩壊する中で新しい自分の家族をつくろうと模索している人々についての
作品を作っているということです。「東京ゴッドファーザーズ」をひとつの例にも挙げていました。この作品を作っているときにこのようなテーマを考えていた
のですか?
そうですね。先ほども書きましたように私は積極的に他の方のアニメ作品を見ないので「数多くの重要なアニメ監督」が「新しい自分の家族をつくろうと模索している人々についての作品」を作っているのかどうか、私は知りません。
ご指摘通り日本でも伝統的な家族という形態が崩壊しつつあると言われます。そういう現状で家族を題材にする以上、これからの家族の在り方といった考えを持たないわけがありません。
日本の伝統的な家族の在り方は、核家族が中心となってしまった頃、もう随分前からから崩壊していると思いますが、しかしだからといってこれからの家族の
在り方を昔の形そのままに求めるのはあまり意味はないと思います。何しろ必要があったからこそ現在のように変化してきたわけですから。もちろん、かつての
家族に参考を求めることは出来るでしょうし、あるいはそこに「昔は良かった」というファンタジーを見つけることは出来るでしょう。
私は「東京ゴッドファーザーズ」を作りながら「これからの新しい家族像」を模索したかというと、それほど大袈裟に構えてはいませんでした。私はギン、ハ
ナ、ミユキという三人の関係に、せめて「こんな感じの繋がり方の家族があってもいいんじゃない?」という程度の思いを託していただけだと思います。
「これからの家族は〜である」「〜べきだ」といった打ち出し方は私は好みませんし、そうしたモデルを提案出来るとも思っていません。あえて言うならそうし
た定型のモデルを持たずにそれぞれなりの家族の在り方を模索することが必要なのではないか、といった提案が私の考えるところでした。
そしてそれにはまず家族との関係を回復することが必要だと思います。それがどんな関係の仕方であれ、関係が切れてしまっては何も生まれないですからね。
「東京ゴッドファーザーズ」の主人公3人はホームレスという設定ですが、ホームレスは言葉通り、家がないということです。そしてこの作品においては単に
“家”を失った人というだけではなく“家族”を失った人、という意味で捉えています。ですから「東京ゴッドファーザーズ」は失った家族との関係を回復する
物語といって良いです。
5) 大友克洋監督とよくお仕事されていますが、彼と仕事するのはどんな感じですか?大友監督はすさまじく仕事に精力的で厳密だとよく言われていますが。
「すさまじく仕事に精力的で厳密」なのは別に大友氏に限ったことでもありません。
私は氏の近頃の仕事は何も見ておりませんし、私が大友氏について語るべきことは何もありません。
6) 「妄想代理人」がアメリカで公開される予定はありますか?もともと海外で公開する予定があったのですか?もしあったとすれば、シリーズの中身やスタイルに影響を与えていたのでしょうか?
「妄想代理人」のスポンサーの一社として最初から「GENEON
U.S.A」(日本のGENEONではありません)が入っていましたので、アメリカでのリリースは当初から予定されていました。「妄想代理人」
DVD/U.S.A版のサンプルジャケットを見たので年内にリリースされると思います。
しかし海外リリースが予定されていたからと言って、そのことがシリーズの中身やスタイルに影響を与えたということはありません。「妄想代理人」の内容は
確かに現在の日本の状況を色濃く反映していると思いますし、日本語が分からないと伝わらない部分も多いと思います。しかし、だからといってそうした部分を
薄めて海外の人にも単純に分かりやすくしたとしたら、その方が却って不親切だと私は思います。なぜなら海外にいる人は「日本のアニメーション」を見たいと
思っている、私はそう思うからです。日本の風土と文化に根ざした作品だからこそ他の国の人も興味を持てるのではないでしょうか。
私がアメリカ製にしろフランス製、イギリス製、韓国製など海外の映画を楽しんで見るのは、他ならぬその国で作られているからです。日常的に私たち日本人
は海外の映画を見ますし、もちろんどの国の映画であっても共感出来る部分がたくさんありますが、しかし同時にその映画にはその国の人でなければ分からない
要素は多分に含まれていると思います。それでいいのだと私は思います。
海外の人にも分かりやすいように、というもっともらしい配慮によって、実は文化というものが薄められ失われて行くのではないかと思います。世界を一元化に向かわせるような動きに私は反対の立場を取って行こうと思っています。