Interview 04
1998年1月ドイツから「パーフェクトブルー」に関するインタビュー

1)どのようにしてPBが制作されたか

 4年前、1994年の秋に「パーフェクトブルー」という小説を原作にしたアニメーション映画の監督を頼まれたのが、私がこの作品に関わったきっかけです。
 原作小説は完成したフィルムよりも、もっとストレートなアクション/サイコホラーとも言うべき内容でしたが、そういった作品は様々なジャンルで既に取り 上げられており、更にアニメーションで描くには不得手な分野でもありますので、原作に登場する、日本特有の存在とも言うべき“アイドル”、それを取り巻く ファン“オタク”とそれが先鋭化していった形のストーカー、といった要素を取り出し、映像化するに当たって脚本家の村井氏と私が中心になって様々なアイ ディアを出していきました。
 そうして原作よりも一捻りも二捻りも加えられた脚本を元に全カットのコンテを私が描き起こし、作画作業も並行して進めていきました。作画作業に要した期間は1年弱だったかと思います。
 
2)PBのストーリーの裏にある監督のアイデアは?

 前述しましたが、原作小説を映像化するにあたって、ストーリーに大きな改訂を加えたのですが、まず中核となるモチーフを見つける必要がありました。その 部分は脚本家に依頼するわけにはいきませんし、やはり監督の私が自分で見つけなければならず、いたく苦労いたしました。
 当時私は漫画の連載を持っており、その合間を縫ってアイディアを捻り出し、更には過去に漫画用に考えていた様々なアイディアを引っぱり出して形作ってい きました。そうする内に「周りの人間にとって“私”よりも“私”らしい存在」が主人公の知らぬうちにネット上で生み出されている、というアイディアが出て きました。その存在は主人公にとって「過去の私」であり、ネット上にしか存在しなかったはずのその「もう一人の私」が、外的な因子(それを望むファンの意 識)やまた主人公自身の内的な因子(過去の方が居心地の良かったかもしれないと思う後悔の念)によって、その「過去の私-もう一人の私」というものが実体 化し、それと主人公自身が対決するという構図が生まれ、そこで初めてこの作品が「映像作品」として成立するという確信を得ました。
 この作品では日本の芸能人やそれを取り巻く業界人、あるいはファンという特殊な人間たち、またストーカーや殺人といった極端な事件なども扱っております が、テーマとしていることは、そのレベルの大小はあれ、誰にでもある成長に伴う「心の揺らぎ」であると思っています。
 新しい状況に立たされたとき人は少なからぬ不安を抱きますし、更にストレスが加わっていくと仕事や対人関係、日常生活すらも思うに任せなくなることがあ ると思います。そんな「心の揺らぎ」といったものを描くために物語の前半で「確固とした日常」を描き、そして事件・事態の進行に伴いその確固だった筈の 「日常が壊れていく」というプロセスを描く事で彼女を表現したつもりです。
 壊れていく彼女の日常の、目眩にも似た「酩酊感」を味わっていただければ、この作品を作った者として大変嬉しく思います。

3)日本のアニメ映画のトレンド

 日本の映画産業がテレビの隆盛に押され、またハリウッドの大資本による大作の魅力に対抗する術もなく、その活性を失って久しくたちます。
 そんな中、低予算ながら自由な発想の元にアクションやスペクタクルやロボットを描け、セットも組まずにいかなる世界でも描けるアニメーションという分野 が、豊富な漫画作品などを背景に台頭してきました。アメリカならば実写で取れるような素材も日本ではアニメーション以外に作れる分野はありません。とは言 えディズニーのようなフルアニメーションによる「アニメーションのためのアニメーション」(アニメーションそのものに魅力を持たせるという意味です)を作 るほどの予算はありません。
 そこで日本のアニメーションは、物語や世界観、あるいは構図の取り方やカメラワーク、リミテッドアニメーションならではの独特のタイミングの取り方を生 み出すことにより、「Made in U.S.A」の物真似ではない独自のアニメーション文化を形成してきました。
 しかし同時にその特性を自ら狭めるかのように日本のアニメーション業界は「ロボット・美少女・SF」という三種の神器を掲げ、似たような作品群を濫造してきました。
 アニメはいわゆる子供向けという既成概念が原因であり、また制作者も受け手と同じ「子供的」なレベルで作品を作る馴れ合いにも問題があります。更にその安直さが日本では実写に比べアニメが低い文化に見られる原因でもあります。
 こうした状況が最近では少しばかり改善され、アニメに対する偏見も以前よりは減ってきたこともあり、多少ではありますが作られる作品の裾野も広がったよ うな気がします。この「パーフェクトブルー」のようなおよそ子供が見ても理解できないような作品が作られるのがよい証拠です。
 また最近ではアニメーションへのデジタル技術の積極的な導入が始まっており、新たな表現も広がってくると思いますし、願わくはその技術的な進歩とともに扱う内容も既成概念にとらわれない新しい物であって欲しいと思います。
 現在日本のアニメーションは、その制作本数や生み出す経済効果から言っても大変な隆盛期であり、ここ数年がこの業界が更に確固とした独自の文化を形成・発展出来うるかが試される時期なのかもしれません。