Interview 07
2004年6月 アメリカから、監督作品全般に関するインタビュー

ご自分の作品群をリアルアニメーションと言われることについてはどう思われますか?

 特別な感想はありません。アニメーションには実写映像や絵画、音楽、小説などと同様に、様々な表現の可能性があり得ると思いますし、またそうあって欲し いと思っています。なので漫画的な表現ばかりではなくリアルに見えるアニメーションがあっても当然かまわないと思いますし、その多様性をこそお客さんは楽 しむべきだと思います。
 また、私が監督する作品がリアルかそうではないかは、作り手側ではなく見る側の判断にゆだねられると思います。見た方がリアルだと思えばそれもよし、そうでなくても私はかまわないです。
 私は作品内にリアリティを求めてはいますが、それが機能しうるのは見たお客さんの体験や実感を喚起し得たときだと思います。私はそうした瞬間をより多く与えるような表現を目指しているつもりです。

アニメ的でない作品といわれる事が今までに幾度かおありだったと思います。アニメーション的でないと一般的に思われる素材をアニメで扱うことが多いのは何故なのでしょう?または、監督自身がそうした素材をアニメ作品として制作することに自覚的なのでしょうか。

 私は常に「一般的」という基準を疑う目を持つよう心がけています。私の価値観が常に「一般的」であるなら、作品を作って人前に出す必要がありません。一 般的ではないからこそ作る意味があると思います。一般的な素材で一般的なアニメを作る一般的な同業者はたくさんいると思いますので私がそこに参加する必要 は感じません。
 私は他の同業者が見向きもしないようなアイディアをこそ好みます。
「東京ゴッドファーザーズ」の物語そのものがよくそれを表してくれていると思います。「東京ゴッドファーザーズ」のストーリーが動き出すきっかけは、「ゴ ミ置き場で赤ん坊を見つける」ことです。「ゴミ」はいわばアニメーションの同業他者が不要として捨てたアイディアであり、私はそうしたアイディアのゴミ置 き場から私がすばらしいと思うアイディアを拾ってくる、といえると思います。

私 見ですが、今監督の作品の重要なテーマに「虚実の曖昧な世界に突如として突きつけられる現実」というものが挙げられると思います。「現実」が「虚構世界」 の「虚を突く」といったアンビバレンツなカタルシスが魅力となっているとでもいいましょうか、非常にひねくれた多重構造は他のクリエーターと明確な違いと して今監督の存在を印象つけていると思います。ご自分で自分の事を天の邪鬼だと思われますか?

 世の中はいつでもどこでもアンビバレンスに溢れています。私はそうした矛盾に溢れた有様が大好きですし、そうした中でバランスをとり続けることが大切だ と思っています。矛盾を無理に割り切ったり解決したりするのは賢者がすることではないでしょう。
「虚実の曖昧な世界に突如として突きつけられる現実」というご指摘は非常に光栄ですし、嬉しいと思いますが、しかし私は最近「現実」と「虚構世界」という 二元的な捉え方さえ疑っています。我々の現実とは多重構造であり「虚構世界」を含んだものだと考えています。これはひねくれた考えだとは思いません。世の 中をシンプルに割り切って考えようとする頭の悪さよりはよほど健全だと思っています。
 他のクリエーターの方々との明確な違いがどういうものなのか、他の方の作品はほとんど見ないので私には分かりませんが、我々が作ってきた作品たちはずいぶんとユニークな存在になってしまっているとは思います。

「虚」を作り上げる媒体としてアニメーションを選ばれたのは何故でしょう?実写という選択は考えられましたか?

 その選択は最初からありませんでした。私にとっての主な表現手段は「絵」であり、私が日本語を使うのと同じように、意図を伝える上で絵による表現に慣れているのです。絵が私の言葉なんです。
 私は実写を撮りたいと思ったことはありませんし、撮ることに憧れてもいません。アニメがもっとも気に入った表現方法です。絵描きの私にとって、アニメーションはコントロールもしやすいですし、私の意図も表現しやすい。
 私は実写という表現手段を使ったことがないのでよく分からないですし、よく知りもしない表現手段を自分の思うようになるまで修得する時間が勿体ないとい うこともあります。何しろ私がいまの絵を描けるようになるまで30年以上かかっているのですからね。私はその技術に自信とプライドを持っていますし、その 技術があるからこそアニメーションを作っているのです。

初監督アニメ作品「パーフェクトブルー」が海外で絶賛されたときはどのように思われましたか?

絶賛されたという実感が私にはまずありません。
「パーフェクトブルー」は元来「ビデオアニメーション」という枠で作られた作品で、ビデオアニメーションという狭いマーケットの中で一時話題になって消え て行くはずだった作品が、劇場映画として扱われ世界の映画祭などに招待され、各国でパッケージとして発売されることになるとは夢にも思っていませんでし た。なので自分が意図したよりは遙かに大きな反響があったことに単純に驚きました。
好意的な批評ということに関しても同様です。
日本国内だけでなく海外の批評家の方からも多くの好評をいただきました。
国内でいえば、アニメーション雑誌にはほとんど取り上げられることはありませんでしたが、アニメーション作品としては珍しいことに大手の新聞各社や普段アニメーションを取り上げないようなファッション雑誌などで取り上げていただきました。
海外の事情は、よく分からないのですが、映画祭などのインタビューを聞く限り、作品そのものに対する好評もさることながら、「アニメで扱うには珍しい内容」という側面も大きかったようです。
これは国内の反応でも同じことが言えます。物珍しさは所詮一時的なものだと思いますし、それを作品内容の質と履き違えないように心がけております。

「パーフェクトブルー」はいわゆる「アニメらしいアニメ」ではないと思うのですが、そうした作品を作る上で最も困難だったのは?

 私の初監督作品ということもあって、「アニメらしいアニメ」に慣れたスタッフに私の意図を伝えることに最も苦労したといえるかもしれません。

「パーフェクトブルー」の後に期待されていたのは多分サイコサスペンスタッチの作品だったのではないかと思うのですが、その次にがらりとタッチを変え、ヒロインの回想による女優一代記「千年女優」を持ってきたのはどうしてでしょう?発想の源泉は?

 周囲からサイコサスペンスタッチの作品を期待された覚えはありませんし、ましてや私自身が自分にそうしたことを期待することもありません。一度やったこ とを同じような形で繰り返すことに私はまったく興味を持てません。ただ、「パーフェクトブルー」と「千年女優」は私にとっては裏表の関係にある双子ともい うべき作品です。どちらも「虚実を曖昧にする」という方法論は共通しています。同じ方法論で、人間のネガティブな面とポジティブな面それぞれにスポットを 当てたつもりです。
 なのでなぜ「ヒロインの回想による女優一代記「千年女優」を持ってきた」という問いの立て方は原因と結果を取り違えている感じがします。「千年女優」は 「パーフェクトブルー」で試みた「虚実を曖昧にする」という方法論を発展させる、というところからスタートしてそれを表現するにはどういう内容が相応しい か、という形で考えられたものだからです。
 またがらりとタッチを変えということですが、タッチは語るべき内容によって変化するものですから、私はことさら特定のタッチにこだわりません。

「千年女優」の千代子は原節子に田中絹代と高峯秀子を足したようなキャラクターで、千代子の出演した活動写真は古き良き日本映画の黄金時代に制作された数多の名作を思い起こさせます。そうした過去の日本映画がお好きなのでしょうか?

 特に過去の日本映画が好きというわけではありません。もちろん黒澤明や小津安二郎、溝口健二を初めとした優れた監督の作品など、好きなものがあります が、それは過去の日本映画だから好きなのではなく面白いから好きなのです。つまらない過去の日本映画は掃いて捨てるほどあることでしょう。
 このご質問も原因と結果を取り違えている感じです。過去の日本映画が好きだから「千年女優」を制作したわけではなく、物語を作っていくうちに数々の日本映画の名作や一世を風靡した女優さんたちのイメージが必要になったということです。
 先にもお答えしたとおり、「千年女優」はまず方法論ありきで企画がスタートした作品なのです。

「パー フェクトブルー」「千年女優」と芸能界が舞台である作品が続きましたが、これは「芸能」というものが虚構の世界であるために虚実の交錯する舞台としていじ りやすいという事なのでしょうか?それとも「芸能」というものに特別な思い入れ等があるのでしょうか?または別の理由で?

「芸能」と呼ばれる世界に特別な思い入れはありません。
「パーフェクトブルー」は私の企画ではありませんし、主人公が「B級アイドル」という設定は原作小説に則ったものです。またホラーであること、彼女を狙う ストーカー的な変態が登場するということも私に与えられた条件でした。そして私は請け負ったこの原作小説を私が面白いと思える内容に翻案したものです。そ の中で「虚実を曖昧にする」という方法論が出てきた。そして「千年女優」はその方法論を発展させるわけですが、なぜ女優というモチーフを選んだのかはご質 問にある「虚構の世界であるために虚実の交錯する舞台としていじりやすい」というご指摘の通りです。観客にも分かりやすい形の虚構世界「映画」を持ってい る女優という設定が相応しいと考えたのです。

「東 京ゴッドファーザーズ」制作のきっかけについてお聞かせ下さい。「パーフェクトブルー」、「千年女優」とタイプの違うものの、主人公の独白にカメラが密接 に結びついた作品を制作された後で、客観的なショットを多用したアンサンブル劇「東京ゴッドファーザーズ」に着手されたのは?

 次の作品を作るにあたって明確なきっかけなどありません。有り体にいえば「その時面白いと感じた」私自身を信用するしかない。作品制作を通じて、なぜそ の作品だったのかという私の内的な必然性に思い至ることは多々ありますが、それはあくまで事後的なものです。
「東京ゴッドファーザーズ」の場合、身も蓋もない言い方になりますが前二作の方法論に飽きたといえると思います。

「東 京ゴッドファーザーズ」は一見すると過去の2作品とは毛色が違うように思えますが、「ありえねー」と思われる話を、さもあるように見せた作品と言うことで は全ての作品が繋がっていると思います。ありえなさそうな話をリアリティを持って語るために特に気を使うのはどういった箇所でしょう?

 アニメーションにしろ実写にしろCGにしろスクリーンに映されるのはすべて作り物です。先にも言いましたが、そうしたものにリアリティを感じ得るのはス クリーンに描かれた内容だけにその根拠があるわけではなく、映像や音響によって見る側の内面にある体験や実感といったものが喚起されるからだと思います し、ありえなさそうな話をリアリティを持って語るためには、自分が作っている作品、そのシーンやカットが観客にどう影響するか、観客の何を引き出せるかと いった、いわば観客との対話が大切だと思っています。

「東京ゴッドファーザーズ」は日本初かつ最高水準のクリスマスムービーだと思います。監督の考える「奇跡」「寓話」とはどういったものでしょう?

「奇跡」「寓話」と並列して聞かれても困りますが、どちらも耳を済まし目を凝らせばいつだって身の回りに見つけられるものだと思います。出会う人、出会う 物はすべて当たり前に見えるかもしれませんが、心の持ち方次第でそれらは「他ならぬその人」「他ならぬその物」になるものでしょうし、それらによって思わ ぬ人生の展望を得ることがあります。奇跡や偶然はいつだってある、そうしたことにセンシティブでありたいと思いますし、日常に起こる些細な出来事に寓話の 叡知を見つけだしたいと考えています。だいたい自分がこの世に生を受けたこと自体が大きな奇跡であると感じます。

最新作、「妄想代理人」の制作のきっかけについてお聞かせ下さい。

 13本のTVシリーズ「妄想代理人」を企画したのは表現したいアイディアが沢山溜まっていたこともありますが、劇場作品では不可能な連続物の面白さを 狙ったためです。次回が待ち遠しくなるような物語を作りたかったわけです。また13本それぞれを異なったテイストでシナリオをまとめ、複数の演出家で担当 することにより、多様性を実現したいという狙いもありました。どの話数をとっても間違いなく「妄想代理人」という作品でありながら、同時にまるで別な作品 のような味わいを持っている、そんなシリーズを目指していました。

「妄想代理人」は、現在日本で社会問題となっている事柄を上手くフィクションの世界に組み込んだした社会派のエンターテイメントとなっていると思います。作品のテイストがパーフェクトブルーに近い印象を与えますが、ご自分でその当たりは意識されましたか?

 もちろんです。最初から「パーフェクトブルー」テイストを狙っていました。リアリティのある世界観の中で、大人も楽しめるような刺激のあるアニメーションを目指していました。
「妄想代理人」企画の意図は色々ありますが、その一つはこれまでの監督3作品で排出されたアイディアの再利用です。作品を一本作るには非常に多くのアイ ディアが必要ですし、それらをさらに絞り込んで形にして行きます。その時、惜しくも取り入れれることが出来なかったアイディアやイメージなどが過去三作分 溜まっていた。つまらないから捨てたアイディアではありません。それらを再利用しつつ、新しいアイディアも加えて作ろうとしたわけですが、多くの断片的な アイディアを貫く縦軸としてまず少年バットによる連続通り魔事件を考えました。
「いるはずがなかった通り魔が実体化する」というアイディアは「パーフェクトブルー」でも同じように使っていますが、どこにでも現れうる少年バットは作劇 上たいへん便利な設定です。社会問題をからめてキャラクターたちも個性豊かにして、各話数にバリエーションを与えたかった。そうした多様な出来事や人物を 貫く仕掛けとして、また現代人が抱える問題に切り込む手段として少年バットは相応しい存在だったと思います。

「妄想代理人」は大変秀逸なプロットをミステリ作品風に仕上げてあり、悪意の連鎖が元の立ち位置に戻り全貌が解明するまでの構成は作話術の手本とでも言うべき鮮やかさでした。物語の骨子を組み立てる上で一番注意をされるのはどういう部分でしょう?

「東京ゴッドファーザーズ」あたりから、事前に物語の骨子を組み立てるような方法論を採らなくなってきました。成り行きに任せて順番に考える。その場その 場でどうしたら面白くなるかを積み重ねて、結果的に浮かび上がってきた物語を大事にしています。もちろん物語の形が見えてきた後でフィードバックして構成 を手直ししたりしますが、予定調和を避けるためにも、また自分でも先が見えない面白さを楽しむために成り行きに任せて話を考えています。
「妄想代理人」の場合、最初にあったアイディアは発端となる具体的な事件といるはずがなかった犯人によって連続事件へと発展し、世間の噂によって犯人像が 育って行き、そして最終的に犯人がその生みの親のところに戻ってくる、という程度のものでした。後は実際のエピソードを一つずつ、成り行きに任せながらそ の場その場でもっとも面白いと思われる物を選択してお話を作って行きました。

作 品中、主題でありキイワードとなる「少年バット」。彼は人々が「焦燥」から逃れる為に生み出す「妄想」が「虚無」へと繋がって行く時に現れるのだと解釈し ました。そこで疑問に思ったのですが、「妄想」が逞しいのは良いことではないのでしょうか?場合によって妄想は人を幸せにする事もあるかと思いますが、今 監督の作品の中で妄想という行為は割とネガティブな印象を与えます。それは「想像力」と「妄想」の間には明確な線引きがあり、つまり妄想とは「負」の情念 であるという事なのでしょうか?

 想像力の延長上に妄想はあるように思いますし、その明確な境界があるとは思いません。何が「正」であり何が「負」であるか、その判断はケースバイケースであり、誰がどういう立場で見るかによって常に変化するものだと思います。
「少年バット」も「マロミ」というキャラクター、どちらも妄想の産物として描かれておりますが、妄想がどの程度働くのかによってそれらは「正」にも「負」 にもなり得る、ということです。「少年バット」は一見邪悪な存在として描かれますが、しかし被害者にとって少年バットは救いをもたらす存在であり、マロミ は癒しを与えてくれる優しい存在として描かれますが、マロミに接する人間たちの成長を著しく阻害するものでもあります。物事には常に二面性、多面性があ る、というのが重要なテーマの一つです。。

とてつもないセルフパロディの回がありましたが、あの話を作ることにより(自浄作用とでも言いますか…)その、「パーフェクトブルー」のカタはついたのでしょうか?

 質問の意味がよく分かりません。「パーフェクトブルーのカタ」なんてとっくの昔に付いていますので。
「妄想代理人」の3話は「パーフェクトブルー」の焼き直しと言ってもよく、5話は「千年女優」のパロディになっています。これらは私のこれまでの監督作品を見てきた方に対するサービスみたいなものです。

表面上どんなに作風を変えて見せてもクリエーターには常にある一つのテーマがあり、自覚的であれ無自覚であれ、その命題を突き詰めてゆく行為が創作活動の源であると思います。今監督のライトモチーフはどういったものでしょう?

「常にある一つのテーマがあり、自覚的であれ無自覚であれ、その命題を突き詰めてゆく」のはクリエーター特有の行為なんでしょうか。私は人間すべてがそう したものであると思います。ある人が生きる、という行為はいわば作家のクリエーションと同じものだと思いますし、逆にいえば作家は自分が生きる行為を作品 という形で表しているだけだと思っています。作家でなくてもそうしたことに自覚的な人は多いでしょう。
 また「その命題を突き詰めてゆく行為が創作活動の源」という指摘は半分正しい気もしますが、創作活動を通じて自分がどういう人間なのか、つまり自分の テーマは何なのかを探って行くものだと私は思います。自分のテーマを把握してそれを突き詰める、というと聞こえはいいのですが、自分と作品は相互干渉しあ いながら互いに育って行くというもっと不可分の関係にあると思います。

創作の源は?

 先の答えにあるとおり、生きることです。日々、自分と自分を取りまく状況に鋭敏であることだと思います。

影響を受けたアーティスト、芸術家、文人等をお教え下さい。

 あまりにたくさんの方に大なり小なり影響を受けていますが、特に上げるとしたら「千年女優」「妄想代理人」の音楽を担当していただいた平沢進さんです。 氏の音楽や制作態度には多く学んでいますし、私の作る物語や発想は氏の影響に負うところが大きいです

最近面白いと思ったものはなんでしょう?

 新作はまだ見ていませんが、マイケル・ムーア監督は今一番注目している存在です。

今後の予定、または手がけたい作品の構想についてお聞かせ下さい。

 現在、劇場用アニメーションの新作に着手したばかりです。内容についてはまだお知らせできませんが、再来年には公開になると思います。楽しみにしていて下さい。