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いつもの風景

前回は私個人の身の回りについて紹介させてもらいましたので、今回は少し他のスタッフがいかなる具合に遊んでいるか、いや仕事に精を出しているか紹介させてもらうことにしましょうか。嫌だといっても紹介します。

我々「千年女優」スタッフは、JR阿佐ヶ谷駅からほど近い、地下鉄丸の内線からならなお近い、とあるビルの一室で作業を続けております。一室といってもビ ルのワンフロアの半分ほどしめる広い場所で、元々はこのフロアが制作会社マッドハウスの「本社」でした。この「本社」は現在一つ上に引っ越しまして、ワン フロアいっぱいを占有、内装の配色も目に鮮やかな、あたかも幼稚園を彷彿とさせるような「夢の工房」になっております。我々「千年女優」班は「分室」と なったその下のフロアにいることになります。

さて、私は午後もずいぶん遅くなってから仕事場に入るというだらしのない毎日なのですが、駅に降り立ち、まだ勢いの衰えきらない夏の暑さに閉口しながら 10分ほど歩き、ビルのエレベーターに乗り、仕事場のあるフロアで降りますと、外気の熱さなどと比べものにならない熱風が迎えてくれます。さながら温水 プール施設に入ったくらいの熱さです。
実はエアコンの室外機の吐き出す熱風が廊下に逆流してきているのです。……意味無え。後付の空調だそうですが、明らかに欠陥です。
ともかくその熱気をかき分けるようにして仕事場のドアを開けると一転、冷えすぎるほどにキンキンに冷えた室内になります。何やら現代の都市生活の矛盾が象徴的に感じられる瞬間でもあります。
このフロアの広さを表現するべき具体的な数字はわかりませんが、ここは以前ボーリング場として使われていたということで、概ね7〜8レーン程の面積を想像 していただけるとよろしいでしょうか。縦に長い部屋になっております。大変広い場所ですが、勿論「千年女優」班が占有しているわけではありません。

出入り口を入って右手には、撮影室と撮出し場所が隣接しており、左手にはマッドハウス内に間借りしているらしい「ビーダマン」の制作・作画スタッフが十数 人いらっしゃいます。その反対側にはマッドハウスの過去の作品の物置、その隣に美術背景のスタッフ、特効の方が計数人、青梅街道側に開けた窓に向かって左 側にマッドハウス看板テレビシリーズ「カードキャプターさくら」班の方々が真面目に作業をされておりまして、その反対側で我々「千年女優」班がこそこそ作 業しております。
現在「千年女優」班には私を含めて8人のスタッフしかおりません。寂しい限りです。我々の専有面積は20畳よりも広いくらいでしょうか、十分なスペースが 確保されており、恵まれた環境といえるでしょう。もっともこれは後々入るであろうスタッフのために確保されたスペースでもあり、現状での活気の無さの裏返 しといえるかもしれません。ちょっと寂しい。

studio

雑然としているでしょう?

監 督の私の席は「千年女優」班ブースの中央に位置し、ここから右回りに紹介いたしますと、机を並べるようにして隣に演出の松尾氏、通路を挟んで窓際に鈴木美 千代さん、その隣に窓に向かうようにして美術監督の池 信孝氏、壁側に回って、壁に向かう形で濱洲英喜氏、並んで中山勝一氏ということになります。さらにその隣りに天下の朝日新聞に「世紀末天才アニメーター」 として紹介された、我が「千年女優」班の大黒柱、本田雄師匠の席です。9月に入ると同時に師匠も時々こちらのスタジオで作業しはじめてくれたようで、一安 心です。
作画関係のスタッフからちょっと離れた席で、私の席から見ますと左手に、制作にしてウェブマスターの豊田君がおります。豊田君は仕事上よく電話をあちこち にかけておりますが、受話器を握ったまま1時間も2時間も無言で座っているということは無いようです。その一点だけをとってももしかしたら私にとっては大 きな進歩と言えるかもしれません。私が何を言っているか分からない人は、捨て置け。

豊田君の机の上では彼の私物であるノート型パソコンがカット表やら書籍資料の管理を担当しております。その隣の机では、掲示板やら日々記録でも話題になっ ておりましたAppleマークとボンダイブルーも目に痛いほど鮮やかな「MacintoshG3/400Mhz/Zip」が鎮座しており、そのモニタの上 にはタレパンダもだらしなく居座っていやがります。
このモニタに向かってタレパンダに正面から見られながら、テキスト打ちやお絵描きをしたりしていると、タレパンダが何事か語りかけてくるような妙な想像に駆られます。
「……楽シイ?」
「ああ、楽しいさ」
「……少シハユックリ休メバイイノニ……」
「パソコンに向かって休息しているのだ。それに休みは酒で十分だ」
「……良クナイヨ、体ニ……海トカ山トカ外国ニ行クトカサ……仕事ノシスギハ体ニ毒ダヨ……」
「楽しい時間をわざわざ捨て去る必要がどこにある」
「ソノ仕事トヤラノタメニモサァ休メバァ……?頭モ身ノ内ッテ言ウシサ……ダラダラシテルト気持チイイヨォ……僕ミタイニサァ……ネェ……シヨウヨォ……思イ切リぐてっトサァ……」
「お前だな!!日本を悪くしてる元凶は!!」
それにしてもタレパンダとやらのフォルムがあまりに卑猥な気がするのは私だけか。ふぐりに目玉を付けたようにしか見えないぞ。

G3は「千年女優」班における唯一のオフィシャルマシンで、他は前回紹介させていただいた私のPowerBook2400も松尾氏の机のPowerBookG3も私物。
私も私物の周辺機器を持ち込んでおりますが、松尾氏はさらにその上を行くようにMO、DVD-RAM、フィルムスキャナ、プリンタといった具合に机の上に高額商品を並べております。
作っている作品がデジタルとは無縁な作品にかかわらず、スタッフのデジタル装備は日を追って充実していくのは皮肉なものですが、単にお金使いたい病に犯されているのかもしれません。
通常、作画・背景のスタッフはそれほど私物が多いわけではありませんが、同じ場所にいる年月を重ねるほどに何かとモノが増えるようです。「千年女優」班はまだ日も浅いこともあり、私以外のスタッフは私物が少ないですね。
特に目を惹くものといえば、中山勝一氏の机の上の食べかけの「コアラのマーチB&W」でしょうか。甘い物を手放せない勝一さんであります。濱洲さんの机も綺麗ですね。唯一テレビ代わりに使われている、ハンディカムが印象的です。
こうして見渡してみると、何というか私の公私の危機的曖昧さだけが際だってくるようで、少し反省します。

一般的に机周りを占拠しているもので仕事に直接関係のないモノといえば、やはり仕事中の耳の友というべきステレオやラジオの類、小型のテレビやビデオを持 ち込んでいる人もよく見かけます。その他、やはり個人所有の書籍や漫画やオモチャなどもよく見られるアイテムでしょうか。最近ではやはりノート型のパソコ ンなども増えてきているようです。マッドハウス内で見かける光景を例に上げていけば、ハムスターなどという生ものを所有している人も多いようですし、自転 車好きの方は通勤にも使う高額な愛車を盗まれないように仕事場まで引き上げたりしているようです。
スタッフが仕事場で一日の大半を過ごすことが多いアニメーション業界では、一般の会社に比べてそのあたりはルーズというか、大目に見られているところであ りましょうか。出社時間もそれぞれバラバラで、夜時間の人もいれば昼時間の人もいるし、変則的にずれて行く人もいるし、といった案配で、気楽な面もある業 界です。

自転車好きの方がいる、という話が出ましたが、実はアニメーション業界にはちょっとした「自転車ブーム」が巻き起こっているようです。自転車といっても、 もちろん「オバチャリ」をこよなく愛するとか、薄給の業界から抜け出すべく競輪選手を目指しているとかいう種類のものではありません。高級自転車の趣味で すね。
一台数十万円もするような自転車を買うような人が結構な数いるようです。無論眺めて楽しむだけ、というわけもなくかなりハードな長距離を走り込む人も多いようで、実際その成果は「ツール・ド・信州」というアニメ業界内の自転車レースで披露されるようです。
私も以前、吉祥寺のとあるスタジオでアニメ監督のりんたろうさんから自転車仲間に誘われたことがあります。りんさんは年季の入った自転車数寄のようで、その時も大友克洋氏の元に自転車を自慢しに来ていたようです。その大友氏も今ではすっかり自転車の虜のようです。
私はといえば、楽しそうに自転車の話題を展開するそうした人たちを少しばかり羨ましく思いながら見ておりますが、高価な自転車に手を出そうなど夢にも思い ません。大体、乗り物に興味のあったためしがない。私が大枚をはたいてまで手に入れようと思う乗り物といえばパソコンくらいでしょうか。電子の海をこぎ行 く船であり、拙い発想に羽をもたらし、遠くまで連れていってくれるパーソナルコンピュータは、しかしどちらかといえば立派な仕事道具であります。私が見つ けてくる小さな趣味など、すぐに仕事に呑み込まれるようです。
私には趣味と呼べるものはありません。少し大人びていえば道楽ですか。無いですね。あえていえばこうして駄文を書き連ねることくらいで、趣味や道楽、数寄 といった粋なものに使うエネルギーも関わる縁もないようで、どうにも趣味が高じて仕事にしてしまった弊害が続いているようです。
少しばかり自嘲気味に「弊害」などと書いてしまいましたが、実はどこにも害などはありません。一から九まで仕事ですが、何も不満に思ったことはありませ ん。ただ、そのことで迷惑が及ぶ人間が私のそばにいることは間違いないでしょうが。申し訳ないな、と思いつつも他にはやりようがない、そんなふうに思って おります。
よくイメージすることがあります。その人が持つ能力や才能を100としてバランス良く配分し、7割りの70を仕事に当て、残りの30を私生活に当てたとし ましょう。もうお分かりになる方も多いかと思いますが、50の才能と能力のを持つ人間がその9割りの45を仕事に割り当てて懸命に頑張ったところで、どう しようもなく届かない。逆に元が200の人間が楽な気持ちで4割り80を割り当てるだけで、7割り頑張っている人間を軽々と凌駕して行きます。世の中はそ うしたものです。文部省の中途半端な「平等」という概念は念仏よりもたちが悪い。才能のない人間は努力するしかない、というような意見もよく耳にします が、現状認識が甘いというか、糖分の高い安直な希望を植え付ける言葉に過ぎないという気がしますね。努力しても通用しない人間がいることも認識しなくては なりません。勿論、だからと言って「自分が才能を発揮できる場所がきっとどこかにある」などというさらに甘ったれた妄想を抱いていても何も始まりません。 とにかく足りないことに対して努力するぐらいの常識を持ち合わせたいものです。
ともかく才能とエネルギーに欠ける私はそれらを、少しでも多く仕事に割り当てないことには人並みな仕事すら出来ないのです。趣味だの「家に仕事は持ち込まない大人」だのには縁がないわけです。余裕のない人間ですな。致し方ありません。
思わぬ方に話がそれました。
話題にして語るべき程の中身も持ち合わせておりませんが、ご容赦の程。

さてさて、いつもの風景、でした。
仕事中のアニメ制作現場は静かなものです。大抵の人はヘッドフォンをして音楽なりラジオなりテレビの音声を聞きながら鉛筆を走らせています。美術監督が時 折たてるエアブラシの音や内線電話の呼び出し音、エアコンの運転音、遠くで聞こえる雑談の声、外を走る青梅街道の車の音……仕事場の日常的な音風景です。

仕事場には時折来訪者もあります。スタッフの誰かを個人的に訪ねてきたり、何となく他の班を覗きに来るお客人です。来訪者があると嬉しいものです。仕事に 余程集中しているときや、アップ間際の時にはそれどころではありませんが、そうした雰囲気はお互い分かるものですから、それ程仕事に差し障ることもありま せん。
こうした来訪者との会話が業界の噂や最新情報の伝播経路です。噂のシルクロードといったところでしょうか。
「おはようございます」などと定番の挨拶から会話は始まります。昼でも夜でもいつでも挨拶は「おはようございます」。もっとも、そうはっきり発音する人は少なく、だらしなく「っざいまぁす」「おぅいーっす」といったあんばいです。「ちぃーす」なんてのもあります。
「どう?進んでる○○」
○○は相手が関わっている作品名で、現在で言えば「メトロポリス」であったり「ああ女神様」、「スチームボーイ」であったりします。
「どう?“メトロポリス”」
「ぼちぼちですかねぇ」
「いつまでって言われてるの?作画」
「制作は年内って言ってるけど……」
「じゃあ早くて3月かな」
「……で終わればいいけど」
というような会話になるわけです。「メトロポリス」は「千年女優」と同じくマッドハウスで制作されている、劇場超大作です。脚本が大友克洋氏、監督はりん たろうさん。手塚治虫氏の原作をブローアップした内容らしく、パイロットフィルムを見せてもらいましたが、デジタルもふんだんに使われた大変綺麗な画面で した。公開は来年だそうです。多分。噂によると。あくまで予定なのかな。

アニメ業界人の雑談において、これが当人たちが関わっている作品についてだけの会話なら、それほど大きな嘘や誤解が生じることはないのですが、これが他の作品のスタッフから聞きかじった噂話が展開し出すと、それはもう……実に面白い。
無責任な噂ほど楽しいものはありません。
「まだやってるらしいねぇ、“ブラッド”」
「いつものことでしょ。でもぼちぼち終わるって聞いたけど」
「同じ台詞を半年前から聞いてるよ。そういやあれの公開決まったのかな、“人狼”。年内、秋って言ってたっけ」
「いや、来年だって。フランスでは年内の公開だって言うけど、国内は来年の4月か5月だって」
「出来てから1年半たって公開ってのもしんどいねぇ」
「作ってて3年以上たってるのはもっとしんどいかもね」
「ああ、あれ。コンテがそろそろ終わったとかって」
「ラフだって聞いたけど?本人が“エライ大変な内容になった”って言ってたらしいから、フィルム上がるのは早くて2年後じゃないの」
「見たいなぁ、早く。やるのは遠慮するけど。ピエールのはどうなったのかな?」
「来年3月アップって言ってたけど」
「作画?」
「いや、フィルムが。凄いスケジュールだね。やっちゃうんだろうけどさ。コンテちらっと見た限りじゃ、そんなに簡単な内容には見えなかったけどなぁ」
「ところで、どうなんすか?“千年女優”は」
「え……?」

今はまだ言えない。(1999.9.3)