捻れは楽し
月子と川津の捻れた関係について書いているのであった。さて、では相方となる川津のスケッチ。
後々シナリオ上で、川津の役柄等は伝わると思いますが、川津はいわば「目」を象徴しています。世間の下世話な目、好奇の目といったイメージです。なので、
キャラクターデザイン的にも、ギョロッとした目玉で、「川津」の名の通り、カエルみたいな造形がよいかと思います。こいつは見かけから不快な感じでもいい
かと思われます。
こいつが目玉の川津。
これは見たままのキャラクターである。
少し補足すれば、川津のイメージである「世間の下世話な目、好奇の目」はすなわちメディアの下世話な在り方のことだろうから、ここには「見る」という役
割だけではなく、「見せる」という機能も付随してくる。なのでAパート後半、電器屋店頭で小学生たちにアダルト画像を「見せる」というエピソードを挟むこ
とにした。
川津はこうした機能としてのキャラクターを主にして考えたのだが、描いているうちに味のあるキャラクターになってくれた。1話Aパートで川津の芝居を担
当してくれた江口寿志さんに触発された面も大きいし、内海賢二さんの声と芝居がさらに奥行きを与えてくれていると思う。私は割と川津というキャラクターが
好きだ。そばにいたらかなり嫌だけど。
ついでなので1話登場人物についてのスケッチを以下に引用しておく。
この(惚け老人の)息子の設定は年齢が53、4。会社で「苦情係」を担当しており、普段はお客様の無理難題をさんざん聞かされている。なので川津に対してここぞとばかりに言いたいことをぶつけている、という感じです。
亀井は「見るからにオタク」然としている風体が良いかと思われます。美少女フィギュアなどを偏愛するモデラー。こいつは後々の話でも登場する予定です。
とまぁ、この程度には考えていたらしい。
えーと、何のために引用したんだっけ。あれ、どこまで書いたんだっけ。「○○○○○」の1話は白箱で見たがさっぱり意味が分からなくて度が過ぎるほどつまらないって話だったっけ。そんな話はしてないか。
月子と川津の関係が捻れていて私にはとても面白かったという話。
二人の関係が捻れている、と聞いて賢明な読者諸氏はいかなるイメージを持たれるであろうか。
「二人はまるで恋人同士として描かれていた」
全然違います。
説明してもしょうがないか。そんな気がしてきた。やめるか。やめよやめよ。説明は蛇足ってものだと自分でも書いたんだし。
ということで、これは謎のままにしておく。
ウソウソ。不親切にもほどがあるので、ちゃんと書いてみる。
まず視聴者にとって月子は見かけ上の主人公である。実際には主人公とは呼びがたいが、視聴者から見れば月子に付いて見て行くことになるわけだし、私もそ
ういうつもりでシナリオ・コンテを作っている。月子視点、という意味で月子は1話の主人公である。なのだが実際は視聴者の視点はほぼ川津にある。これが私
が面白みを感じた捻れである。
これだけで分かりますね。え?もう少し説明しろ?
捻れの大元はやはり月子の人物像に起因する。月子のような人物が現実にいた場合、あなたはどのように思うだろうか。好ましいと思う奇特な人も多いかもしれないが、私ならきっと疑ってかかる。
「妙なリアクションは自分が特別な人間だと見せかけたい、自分でもそう思いたいというポーズの現れである」
私はまずそう思うだろうし、そう思う方が普通ではないか。月子の場合、著しく社会性に欠けていようとも(その実、会社員になって社会生活を送っているの
だから、自分にとって有利な社会性だけは選択的に発揮出来ている)、周囲がそれを許容するのはひとえに月子の才能に金銭的価値を置いているからである。
「ゲーノージン」や「あーちすと」周辺によく見られる構図だろう。
「妄想代理人」最終話において月子は制服を着た姿でエピローグに登場するが、これは「普通」(みんなと同じ)になったという象徴的な表現のつもりであった
し、マロミと少年バットという本来は同時に抱えているべきものが回復されたことによって、その特異な才能は消失したという意味でもある。
「最終回。」コンテよりC.322。エピローグで登場する月子。 |
「私は特別なの」という子供じみたポーズはお見通しの上で、それでもそうした人物を可愛がれるのは想像上の平面キャラクターに親和性の高いオタクさんか、立派なオッサンというものである。私は「不思議ちゃん」も面白がって見られる方だと思うが、無論後者の理由による。
ともかく通常と違うリアクションをする人には疑ってかかるのがスタンダードだと思うし、ネガティブな反応が多いと思う。月子のリアクションに苛立つ猪狩はその典型であろう。
「なに不思議ちゃん気取ってんだ、このたわけ」
これが普通の反応だと思うのだが、これとよく似たセリフを聞いたことがある。1話のセリフから引用する。
川津「ちょっと不思議ちゃん入ってますって、男がシッポ振って
くるの知っててさあ!」
月子「篠原さん」
川津が喋っているが、月子の同僚・篠原さんが言ったであろうセリフだ。篠原さんの言っていることはとても正しい反応だと思う。同時に、才能がない人の僻みも正しく併せ持っている。この直前には安田さんの言葉として次のような言葉も出てくる。
川津「人気キャラクターデザイナーだかなんだか知らないけどさ
あ! 自分のキャラ作る方が断然うまいじゃん!」
キョトンと見ている月子。ヘラッと笑って、
月子「…安田さん。似てる」
安田さんも全くもって正しいと思う。その妬み僻み具合も同時に。
ここで紹介される月子の同僚たちも基本的には川津と同じ機能に属していると考えてもらいたい。川津にしても同僚の安田さん篠原さん三井さん山城さんも、
主人公・月子の視点から見ると「嫌な人たち」という属性にある。しかしこの嫌に見える人たちこそが実際の視聴者の視点である、と考えると捻れが見えてく
る。
そうは思わないか? 私は強く思う。私が面白がった捻れがこれである。
視聴者的には(もし身の回りにいたら)実際は不快や反発を感じるはずの月子の目を通して、視聴者そのものの視点であろう川津や同僚たちを「嫌な人たち」
として見ているところに捻れの面白さがあるのだが、いかがであろう。まぁ、月子を疑いもせず「好ましい」と思える人もいるだろうが、そうした方に対しての
方が捻れの効果は大きいかもしれない。
月子を好ましいと思うかどうかは別にして、演出としては視聴者が月子側に立ってしまうように視点を誘導しておいて、視聴者を本当の意味で代表する視点を
川津に置く。単に月子側に視点を置くだけでなく、出来れば月子を好ましく思ってくれれば尚のこと良い。好ましいと思っている人物を圧迫するのは実はあんた
自身の視点なんだよ、といったことを突きつけられるのではないか、という狙いがあった。だが、これはもしかしたら事後的に考えたことかもしれない。多分そ
うだ。
何か作者の方が画策して客を陥れようとしているように見えるかもしれないが、その通りだ。ウソウソ、半分だけ。実はこの視聴者という言葉を「私」に置き換えても何ら不都合はない。
こういう言い方も出来ようか。
「一見好ましいと思えるものには罠がある」
そういう意味ではマロミの存在も全く同じであろう。月子にとって心地いいことだけを言い続けるマロミが実は月子の成長にとってはもっともネガティブな存在であったのも同じパターンではないか。これも捻れというキーワードでくくりたい。
「妄想代理人」という作品全体でこうした捻れを私は面白がっていたのだが、だからといってそれがイコール作品の直接的な面白みとして伝わるものだとは思っ
ていなかった。作る側の私の楽しみと思うようにしていた。特に1話における捻れなどは作品の面白さとしてどの程度貢献しているのか、私ははなはだ疑問であ
る。
だいたい私は1話については次のようなイメージを理想としていた。
「何が面白いのかよく分からない面白さ」
別に1話をちっとも面白くないという人もいるだろうが、私は十分に楽しんだ。
また1話の機能は単体としての面白さでは考えていなかったし、もっとも肝心なのは「次が気になる」と思ってもらうことにあった。なので何が面白いかベタに分かってしまうのはつまらないであろうという心配りで、なんだか分からなくしておきたかったのである。
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