妄想の八「妄想文化祭」
-その1-

生まない家族計画

 第8話は全話中全話中、もっともシナリオの出来は良い話数であろう。「明るい家族計画」というタイトルも秀逸。しかしこのサブタイトルの意味を把握するのは困難かもしれない。
 サブタイの意味は後に触れるとするが、出来がもっとも良かったにもかかわらず、シナリオから本篇になる過程でもっとも改変された話数でもある。
 シナリオからの改変で私がもっとも残念に思ったのは「実は三人が死んでいた」ということが「オチ」になってしまったことである。これは私の主観である が、こうしたはっきりとオチが付くような「落とし話」は話の構造が単純すぎるように思えるし、シンプルというより作品がオチにフォーカスしてしまうと「そ れだけ」の話になってしまいがちになる。たとえば「シックスセンス」みたいに。
 8話のアイディアが出た最初の打ち合わせで「“シックスセンス”みたいなものだけは避ける。“死んでいたこと”はオチにしない」という前提からプロット・シナリオを進めていたので、結果的に「シックスセンス」みたいになったことは至極残念ではあった。
 ではシナリオが一体どうだったかというと、極端にいえば三人が死んでいたことは、それを匂わす伏線のみで語られている。「かもめの携帯電話が常に“圏 外”」「冬蜂の“最後の一錠”が何度か繰り返される」「ゼブラの髭が伸びていない」「三人の影がない」といった形で提示されるに過ぎない。作者側の態度と しては「三人が死んでいたことは視聴者だけが知ればよいことで三人がそれに気づいているかどうかも明示しない」というもので、同時に「よほど鈍い方には三 人がすでに死んでいたことはお分かりいただかないかもしれないがそれでもけっこう」というものであった。
 さてサブタイトルの意味だが、「明るい家族計画」というのは避妊具(コンドーム)の有名なキャッチコピー。この器具と登場する三人の関係を重ね合わせる とだいたい意味は分かる筈だが、聞くところによると話数担当者もサブタイトルの意味を知らなかったそうなので、視聴者には尚のこと意味がよく分からないタ イトルに思えたろう。補完しつつ解説しておく。
 本来「かもめ」という子は初潮すら来ていないような少女であり、「冬蜂」は智恵はあるが生殖能力を完全に失ったような老人であり、「ゼブラ」は生殖能力 が横溢するような健全きわまりない男性に見える外見だが皮肉にも「ホモ」である、というイメージであった。
 上記の組み合わせでは子供を作ることが出来ない(別にこの組み合わせに限定されるわけではないが)。換言すれば「生めない関係」である。つまり一見、円 満で楽しそうな関係でありながら、ここからは「何も生まれない」という皮肉が込められたタイトルであった。

最後のエトセトラ

 私は9話「ETC」は大好きである。

11/5(水) 11時起床。晴天。15時、シナリオ打ち合わせ。10話、12話。穴が開いた9話は「短編集」という形で乗り越えることにする。アイディアの馬力が戻りつつある、のか(笑

 9話が可愛いのには大きな理由がある。まずこの話数、出自がまことに気の毒なのである。
 シナリオ制作順でいうと、9話は一番最後であった。13話も終わって、「妄想代理人」という作品全体のイメージが把握出来た上でシナリオが書かれた、と いう意味ではもっとも「妄想代理人」のイメージを体現しているとも言えるかもしれないが、そういう順番になったのは意図してのことではない。なっちゃった だけである。
 9話は「某話数」演出担当者が当初から「シナリオから自分で書いてコンテ・演出する」と豪語していた話数であった。実はその実現性のほどをあまり信用し ていたわけではないが、御本人が「やります」という以上、一応こちらとしても心配しないことにして空けておいた話数であった。ところが、というか案の定と いうか、先に制作にかかっていた「某話数」で手一杯になったためであろう、「出来ない」と言い出した。その頃までにすでに“某話数”の在り方に甚だ懐疑的 であった我々は、「そうですか。仕方ありませんね。では“某話数”の方のみ何とかしてください」という言葉を返す一方で胸をなで下ろしてもいた。シナリオ さえ満足に読めない人がシナリオを一から書くなど賽の河原の石積みになることが目に見えていたからだ。素人が気軽にシナリオをいじってはいけないと思う。
 よって急遽、穴の空いた9話を埋めるべく、水上さん、吉野さん、プロデューサー豊田君、そして私という「妄想」中核スタッフが「どうすんだよ9話」とか言いつつ再びゲラゲラ笑いながらテーブルを囲んだ。まず話を考える前に与えられていた条件はこうだ。
「スタッフもいなけりゃ時間もない」
 前の方の話数で手が空いたスタッフを投入するにしても、すでにそういった人たちはさらに後の話数が決まっており、手が空いたスタッフの中にはもう投入し たくない人たちも少なからずいるし、新規に人を連れてくることも難しい。すでに時期は12月。ネタには困らないにしても、他と同じように正攻法で行くには シナリオにしても資料収集にしてもコンテにしても時間がない。そのとき私に天啓が閃いた!
「あ。短編集ってのはどうだ」
 さすが総監督にして原作者。貧乏くさい智恵ならいくらでも出すぞ。
 短編集という形にすれば、他話数のスタッフが少しずつ手伝うことで何とか埋まるのではないか、という制作事情によって考え出された苦肉の策が「短編集」であった。
 さて短編集に何を盛るか。
「美術背景が楽なのが良い」
 といったのはプロデューサーであったか。当時すでに「妄想代理人」全体の背景制作事情がかなり苦しくなっていたのか、ひどく苦しくなることが予想された のか。そうしたリクエストも盛り込まれるべきだ(しかし実際には9話の背景はたいへん手間暇のかかった良いものになっているが)。
「背景が楽っていうと……砂漠だな。あと、山ね。それと海」
 こういう無責任なことを言い出すのはたいてい私である。
「砂漠にさ、こう、東洋人の兵隊さんが3人並んで立ち小便をしているんだ。それで小便で砂漠に字を書いてるんだよ。俯瞰すると3人の小便の軌跡が“かえりたい”とかなっててさ。遠くの空じゃヘリコプターが撃墜されてたりとかね(笑)」
 無思慮なこと言うもんだよ、まったく。
「“怪我の一つもすれば帰れるかなぁ、故郷に”かなんか言ってるとさ、砂漠の彼方から少年バットの影が……な」
 当時、イラクに自衛隊を派兵するかどうかで紛糾していたか派兵にほぼ傾いていた頃だったろうか。「東洋人の兵隊さん」という時点でOUTなのだが、水上さんがすかさず代案。
「じゃあ、人種が分からないようにしてすべて英語、それもかなりいい加減な英語で通すってどうですかね。輸送トラックが敵襲にあって囲まれる。上官が叫ぶ。“ホワットエネミーズウェポン!?”“バット”“ホワット!?”“ゴールデンバット!!”みたいな」
 まったく非常識な人たちだな(笑)
 しかし「妄想代理人」のネタ出し、シナリオ打ち合わせは概ね上のような調子で行われていた。この「砂漠の兵隊さん」ネタは「PKO」というタイトルで実際シナリオまでになり、他のネタと合わせてすべて決定稿となりかけた。が。
「オンエアの頃にはイラクであんなことやこんなことがあるかもしれない、というよりきっとなってるだろうから放映出来ないのではないか」
 という賢明なスポンサーサイドの世論に従って脚本家、総監督とも納得して速やかに撤兵することにした。我々は無意味な戦争はしない。
 その替わりに穴の空いた「PKO」を埋めるために(9話自体が穴埋めでスタートしているのに何たる皮肉。まるで入れ子構造というよりマトリョーシカ状 態)水上さんは相当頭を悩めたようで、ある日、疲れた様子でスタジオに現れ援軍を要請。かくして再浮上したのが「ダイエットネタ」で、最終的に「TKO」 というボクサーのネタに変じた。「PKO」から「TKO」へという素速い変身である。
「ダイエットネタ」が「再」浮上、というのはかつて水上さんが加わる以前から考えてあったネタなのであった。
「減量に苦しんでいる女の子を解放してあげるべく現れる少年バット。しかし少年バットはバットで殴るわけではなく、彼女の行く先々にそっとケーキやお菓子を置いて行くという、余計意地悪な在り方」
 といったイメージだった。少年バットがいつも人を殴ってばかりいるのは飽きるだろうから、こういう切実な笑いを伴ったネタも入れようという狙いだったの だが、立ち消えになっていた。他にも「受験家族(仮)」という、資格を取るというポジティブな意欲が、いつの間にか反転してプレッシャーとなって家族数人 がこぞって少年バットを呼んでしまう、という話を家の中という密室だけで描こう、というネタもあったが、こちらは短編集には収まりきらないボリュームなの で却下された。「健康マニア」を題材にジョギングをやめられない男を主人公にするネタもあったが、走り続けられるとFOLLOWのためのBGがあまりに長 くて大変になるのでこれも却下。
 さてその「ダイエットネタ」。短編に収めるあたってネックになっていたのがタイムリミットみたいな部分であったろうか。つまり「いついつまでにこれだけ の量を痩せないと大変なことになる」といった負荷がかかった状態でなければ、なかなか少年バットを呼ぶには至らない。この仕掛けがなかなか決まらず困って いたのではなかろうか。しかし、またしても私に天啓が閃いた。
「苦しい減量-タイムリミット」といえば「あしたのジョー」をおいて他にないではないか!
「じゃボクサーだ」
 安直だな、私。しかし何せタイムリミットをあえて設定しなくても、「お約束」としてボクサーには減量の苦しみが付き物であるという便利な記号になってい る。利用しない手はない。この一言だけでおそらくは水上さんも掴んだのではないだろうか。翌日くらいには速攻で「TKO」がシナリオとして上がってきたよ うに記憶している。
 色々な短編をただ並べても仕方ない。何かで綴じねばなるまい。実にオーソドックスな発想である。最終的にはご覧いただいたように「主婦たちの噂話」に落 ち着き、その軸となる話の中でもさらに追いつめられる主婦が出て来るという素晴らしい構成になっている。水上さんの手腕、大である。「主婦たちの噂話」に 決まるまでには、他に「執筆に苦しむシナリオライターがあれこれと考えるストーリー」という形で各話を綴じようかという考えも出してみたが、そうなるとす べてが作り話ということで語られるために避けたのだと思われる。
 9話の短編を順に上げると「IQ」「LDK」「EBM」「OH」「HR」「TKO」「UMA」「SOS」「HH」そして軸となる主婦たちの「ETC」。 すべてをアルファベットの頭文字でタイトルにしたのは水上さんの楽しくも秀逸なアイディア。シナリオに限らず、絵コンテを描くのも、アフレコも私は実に楽 しかった。もっとも編集の当日まで徹夜して絵コンテを描かねばならなかったのは堪えたが。
「LDK」「EBM」「OH」「HR」「SOS」あたりはほとんど水上さんのアイディアによるもの。特にこだわっていたのが「純愛物」だったようで、何と かしてベタベタな純愛物風のイメージを作って少年バットで台無しにしてやろうとしてくれたらしい。私はこういう冗談が好きである。

 受験生が覚えた知識を吐き出してしまう「IQ」。作画は「妄想」7話演出の浜崎博嗣氏と、スーパー原画マン井上俊之氏で安定した画面が魅力だと思う。
 このお話は私が十数年前に短編マンガとして考えていたネタが元になっている。受験戦争真っ直中にある予備校生を主人公にした、24枚くらいの短編でタイ トルは「ドーピングヘッズ」。途中までネームにまでしていた気はするが完成はしていない。私の20代には、かような作品の残骸が点在している。今となって はたいへんな財産である。
 数学の公式や英単語、歴史の年号といった折角覚えた知識が頭からこぼれ落ちる、というアイディアはこの「ドーピングヘッズ」から拝借して、そこに水上さんが上手いこと少年バットを絡めてくれている。
 コンテ・演出は高橋敦史氏だが、色々と事情があって私がほぼコンテを描き直している。比較的早めにコンテを上げてもらったいたにもかかわらず、原画マン が決まらず放置されてしまい、制作期間が極端に圧迫されてしまった。高橋氏のコンテは時間に余裕があれば制作も可能だったと思うのだが、圧縮された時間で 作るには作画内容CG処理が大変だったので、高橋氏のコンテを元にして私が作業量を間引きつつコンテを起こし直した。申し訳ない。
 申し訳なく思ったので、ささやかなお詫びと思って私が描き直した部分はコンテを拡大すればそのままレイアウト、もしくは下書きとなるくらいには底上げしている。またコンテで編集しなければならなかったので、芝居もこまめに絵を起こした。
 コンテで編集、とはどういうことか多少説明する。先に少し書いたが編集の当日までコンテを描いていたのはこの「IQ」である。
 本来、編集作業はすべてのカットが本撮されてから行われる。すべてのカットに色が着いてOKになった状態である。それらすべてのカットを繋いで各カット間の「間」を調整する、というのは先にも紹介したとおり。
 過酷なテレビシーズではそうした「本来の編集」が行われるのは極めて稀である。アフレコは編集の次に来るプロセスだが、このアフレコが線画で行われるな どというケースを耳にされた方も多かろう。スケジュールの遅れによってカットが間に合わないので、編集は本撮以前、途中の段階で行われることになる。編集 は基本的に「時間」を扱うものなので、動くべきものが動いている状態であれば編集作業自体はそれほど問題なく行える。
 本撮に近い状態から順に紹介すると次の通り。

 1・本撮(セルも背景も揃って撮影された完成の状態のカット)
 2・リテイク(本撮としてはNGカットだが編集作業には問題がない)
 3・タイミング撮(セルには色が着いているが本番の色ではない)
 4・動撮(動画で撮影された状態。線画だが動きとしては本番と同じ)
 5・原撮・ラフ原撮(原画の状態で撮影されたもの。動画に比べると動きが間引かれている)
 6・レイアウト撮(レイアウト素材を撮影した状態。動きのラフが分かる程度)
 7・コンテ撮(コンテの絵をばらして撮影した状態)
 8・真白(絵が何もない状態だがアフレコのためにセリフ用のボードのみが撮影された状態)

 いかにスケジュールが圧縮された「妄想代理人」でもさすがに「8」はなかった。「8」はお話にならない。
 つまり最悪な状態が「コンテ撮」ということになる。コンテ撮はコンテに描かれた絵をばらして一枚ずつ撮影する。その絵がどういうタイミングで出てくるの か、そしてセリフはどこからどこまでなのかというタイミングはシートという撮影のための指示書きに書かれる。これは原画でも同じこと。
 編集は時間を扱うわけだから、動くポイントやセリフのタイミングが分からなければ「間」の調整は出来ない。なのでせめて編集に最低限必要な絵の枚数が描 かれてあれば望ましいのだが、コンテの描き方は人それぞれだし、文字や矢印だけで芝居を指示している場合もある。これで編集するのはさすがにつらい、とい うよりよく分からない。しかもコンテはあくまでカット内の段取りを示す程度のラフな絵が普通である。私が描いたコンテを見たことがある人もいるだろうが、 あんなに丁寧に描かれているコンテなど滅多にあるものではない。わっはっは、さすが私だ。私のコンテは拡大すればレイアウトの下描きになるし、場合によっ ては拡大したものをそのままレイアウトにしているケースも多い。「妄想」だけでなく劇場作品の「東京ゴッド〜」だって随分コンテ拡大をそのまま使用してい る。自慢話はともかく。
 コンテで編集するには絵が足りなかったり、絵が粗すぎて何だか分からないというケースもあって、とにかく支障が多い。なので「IQ」や「LDK」などは 編集に何とか耐えうるように私がコンテを描き直したのだが、下手なレイアウト撮より私のコンテ撮の方が遙かに分かりやすかったし、カットによってはラフ原 画程度に絵を入れたと思う。実際何とかなった……と思う。
 苦肉の策だったが、これは非常にいい勉強になった。それまでの話数で編集に立ち会って多少経験を積んだおかげで、編集に必要なものが何か少し分かっても きていた。なのでコンテで入れておかなくてはならない絵、考えておかなくてはならないことをフィードバックさせてコンテを描けた気がする。

 嫁と姑の争いを描く「LDK」は 高橋敦史氏のコンテ・演出だが、「IQ」同様諸々事情があって私が描き直している。原画はすべて板津君という若い原画マン。24歳だったと思うが、「妄 想」原画スタッフでは最年少ではなかろうか。9話の軸となる「ETC」部分の作監も担当している。向上心があり非常に働き者で「妄想代理人」というシリー ズの中核を担ってくれたのだが、彼は「妄想代理人」制作が本格的に始まる前から自ら手を挙げて参加してくれた奇特な存在。近頃では珍しいと思われる。また 彼は「妄想」に参加する際、以前所属していた会社を辞めている。しかしこれは若い年ゆえの我慢の無さに起因するものではなく、一定以上の基礎訓練を積んだ という自信から来る「腕を試してみたい」という自然な動機によるものであろう。というのも彼は中学を出てすぐにアニメ業界に入ったため、キャリアとしては 同じ年のアニメーターとは比べられないのである。板津君は「妄想代理人」制作を通じて出会った、数少ない有能な若者といえる。

 不妊治療を材にした「EBM」は「Evidence-Based Medicine」の略だそうで、日本語に訳すと「科学的根拠に基づく治療」ということだそうだ。
 コンテ担当は私。原画は川名久美子さん一人。演出は遠藤卓司氏。
 当初、9話に関しては短編一本くらいコンテを描けばよいと思っていたのだが、人材不足から結局4本を担当、大幅な直し分まで含めると6本描いたことになる。その分だけ13話が圧迫されてしまうのだが、それはまた後にでも。