妄想の八「妄想文化祭」
-その2-

昔取った杵柄だったのに

 少女漫画風の画面の「OH」は話を見れば一目瞭然「O・ヘンリ」の略。しかし、もしかして「最後の一葉」を知らない人もいるのかもしれない。知らない人は自分でお調べ下さい。
 このコンテも私の担当で、演出・作画は鈴木さん。6話の原画が終わった鈴木さんが手空きになりそうだったので、9話ではこのコンテを最初に描いたはず。 非常に楽しくコンテを描いたが、どうも私の絵では少女漫画的な世界を再現出来ないことを痛感した。これでも中学高校の時分は少女漫画のヘビーユーザーだっ たし、それらしい絵も描いていたことがある。なので「その気」になってコンテを描き始めたのだが、現在の私が描ける絵の守備範囲に少女漫画的な物は皆無で ある、と諦めざるを得なくなった。演出・鈴木美千代さんにあっさりこうも言われた。
「絵ががっちりしすぎですよ」
 はい。
「構図や構成がしっかりしていること」「ディテールや物の大きさの対比をおろそかにしない」といったことを美徳、信条として絵を描いてきた私が、少女漫画 的曖昧な描写など出来るわけがない。私の絵は構成とパースを外しては考えられない。これは後の13話に出てくる「記号の街」を描く際にも痛感させられた。
「OH」のファーストカットはこんな感じだ。

 コンテを描き始めてすぐに挫折を痛感したのが、この「サナトリウム」。建物の意匠はキャプションにもある通り、時代錯誤だが「洋館」にして、それらしくデザインしたまでは良かった。が。少女漫画的世界において建物をどうやって描いていいのか分からない(笑)
「建物はがっしりと存在感を持って」
 私のモットーである。やめようとしても手が言うことを聞かない。少女漫画みたいな、存在感の希薄な背景など私の右手が描いてくれるわけもない。
 なので、諦めてキャラだけは少女漫画のイメージを堅持することにして、構図などは普段通りのやり方にすることにした。
 少女漫画の特殊性とは関係ないが、「サナトリウム」では別なことでも少々困った。シナリオでは「海辺に建つ瀟洒なサナトリウムの中庭」という文字による描写が可能だが、はて「サナトリウム」をどうやって絵で表そうか。もっとも凡庸な方法はこうだろう。

F.I.(3+0)
「恋ケ原療養所」と描かれた看板。

 バカ丸出しである。やむを得ずこういう真似をすることもあるが、このムード優先の短編で、これほど愚直なことをするのはぶち壊しである。無論、最後には ぶち壊すのだが(笑)、最後の一撃だけを目的としているのだからまずはムードを出さなくてはならない。「赤十字」のマークでも出そうかと思ったが、あまり に説明的なので却下。説明的な描写を加えなくても、画面や音によって見ている人が自然と場所を把握出来るのが望ましい。よってここでは「車椅子の少年を押 して行く看護婦」を登場させることで、「病院施設」であることを提示してみた。絵的には青空が広がっており、カモメや海も見え南洋風なパームツリーを配す ることで、「気候が良さげで温暖な感じ」は出るであろうから、合わせ技で「サナトリウム」であることが伝わった……と期待したい。
 ちなみにこの建物のデザイン参考にしたのは「会津・天鏡閣」という洋館。「建築探偵・神出鬼没」(写真・増田彰久/文・藤森照信)所収の写真を参考に、 渡り廊下など演出的に必要なパーツをコンテ段階で私がテキトーに加えてでっち上げている。「建築探偵」はこの「神出鬼没」の他「雨天決行」「東奔西走」と 大変重宝しているシリーズ。
「渡り廊下」を付け足しているのは、一棟だけでなく「療養所施設」という感じにしたかったという狙いもあるが、渡り廊下によって奥の空間を区切ることで、歩いてくる治樹と亜希子に視聴者がより注目しやすいようにという配慮もある。
 コンテでは指示がないが、完成品ではPAN.DOWNをきっかけに音楽スタートとなっている。曲は「妄想代理人」オリジナルサウンドトラックからではな く、平沢さんのソロアルバム「賢者のプロペラ」より「白化(アルベド)」。大変美しいインストルメンタルだ。作画作業も終わって、撮出しをしていたときに この曲の使用を思い立った。演出・作画の鈴木さんもお気に入りの曲だということだし、ロマンティックなムードにはこれ以上ない選曲だったのではないかと思 う。
「OH」は作画に入ったのが比較的早く、制作状況が良い方だったので全38カット撮出ししている。担当は私。いわば総監督の今 敏が「演出助手」をつとめている。働き者だろ、私。
「カット尻、立ち止まる」二人にO.L.しつつ寄ったのが次のカット。O.L.したのはこれもロマンチックなムードを優先してのことで、普通にカットインで繋ぐと固い印象になるように思えたからだ。

 このカットではまだ二人の顔は見えないようにしている。主要登場人物が最初に登場する際にはやはり印象づけたいし、顔見せは大事にしている。オーソドックスな考え方であろう。
 なので「カット尻、亜希子が麦わら帽子を左手で押さえ」て、次のカットで少し顔を上げるアクションで顔を見せるようにしてみた。

 治樹の思いを乗せたカモメが彼方へ飛んでいって、美しい思い出を呼び起こすように「キラキラ感が増して」行く、と。「二人の思い出はキラキラしている」ことをイメージづけたいわけだ。
 そして光のイメージを次カットの「高い窓から明るい陽が差し込んでいる」という描写に繋いで回想へ進む。

  このあたりは多少ズルをしている。普通に考えると治樹のアップから回想に入るのだから、このカットは「治樹の回想」になりそうなものだが、亜希子の回想の カットにしている。ここではその区別が重要な問題ではないし、治樹と亜希子に共有された思い出だから敢えてこういう繋ぎにしてみた。
 1話の蛇の足の項で、現実から回想に入るに当たっては進入路のお約束云々ということを書いたが、ここでもそれは機能している。CG処理によるキラキラと 光る海面、それと潮騒。カモメもその役割の一部を担っている。ただ、この場合だとセリフが回想への導入として機能しているし、画面もF.O.〜F.I.と いうプロセスを踏んでいるので、あまり気にしなくても良いのだが、何と言ってもロマンチックなムードを高めるには必須のアイテムでもあった。
 図書館内部は色調を黄色みを帯びた感じにすることで、前のサナトリウムのシーンとイメージを大きく変えている。なので、非常に親切な「回想」の描写だといえる。ベタを積み重ねることで、私には不可能だった少女漫画的ベタな世界を補償しようとしてみた。
 ちなみにこの図書館も「建築探偵・神出鬼没」所収の写真を参考にしている。「神戸女学院」の図書館だそうで、窓と壁面のライトはデザインをそのまま拝借 している。完成した画面では並んだ本の背表紙の描写が素晴らしい。アニメでも漫画でも並んだ本を上手に描けた例をほとんど見たことがないし、どうやって描 けば良いのか私もいまだによく分からないのだが、これは非常に上手くいっている。並んでいるのが革張りの重厚な本だというのも大きな理由だとは思うが、背 景を担当してくれた方に拍手を送りたい。背表紙は別な素材として作って、PC上で貼り込んでいる。いくら頑張っても手描きではこれほどの密度は難しい。

少女漫画的世界観には不似合いなほどの密度感。
手描きでこの背表紙の描写はむりだと思われる。

 コンテを描いていて自分でもこっ恥ずかしくなったこのカット(笑)
 手が触れ合ったくらいで赤くなる高校生の純情など、今時はファンタジーに属するのではないかとも思える。が、これは立派なアナクロファンタジー作品なのである。シナリオの打ち合わせではこんなファンタスティックな始まりも考えたくらいだ。
「寝坊した女の子が通学路を急いでいて男の子とぶつかる」
 ファンタジーというよりは「記号」といった方がいいと思うが。
 さて。C.08で回想は一区切りして現在に戻るわけだが、ここでも回想への入口同様、出口も混乱無きよう案内をしている。亜希子のオフゼリフをラストにかけて入れて、次カットと橋渡しするようにした。よくある手口だ。

 まぁたPAN.DOWNだ(笑)
 シーン変わりのカメラワークとしては凡庸にしてベタだが、無論「ベタ」を狙ってのこと。ジャパニメーションではシーンが変わるたびにPANや PAN.DOWN、PAN.UPをするケースが多いように思う。シーンの紹介として、あるいは止め絵でも持つように足されたカメラワークという意味で多用 されるのは分かるが、あまりに使うとペンキを塗る刷毛のごときカメラワークとなって大変みっともないと思うのだが、どうか。
 ここではセリフの長さに合わせてPAN.DOWNも終わるように設計。次の治樹のアップにやや乱暴に(サイズや角度など)繋ぐ感じにして、亜希子のセリフに対する治樹の驚きも演出したつもり。カット割りで驚きの芝居をサポートしているので、

 というように「少し驚いて顔を上げる」程度にとどめている。
 完成した画面では、この治樹の奥に見える壁紙は先のカットのキャプション「室内の壁、腰板から上に壁紙としてPCで模様を貼り込みます」の通りに別素材をPC上で貼り込んでいる。

元は少しだけグラデーションがかかった背景に壁紙素材を貼り込んでいる。
この模様を手で描くのは非人道的な作業だと思われる。

  貼り込んだ素材はCD-ROM「素材辞典/西洋模様・テキスタイル編」から。線画や背景に絵や写真などの別素材を貼り込むのはアニメーションのデジタル化 以来すっかり定着した手法だと思うが、私が使い出したのは「パーフェクトブルー」の版権イラスト(LDボックス用描き下ろし)からであろうか。特に「千 年」の版権イラストで随分と多用して、自分なりの方法論をさぐってみた。今ではなくてはならない手法である。
 手描きだけの場合、このC.10のようなキャラの後ろに平たい壁しか見えないような構図は極端な密度の低下を伴うので避けてきたのだが、簡単に模様を貼り込めるようになったことで十分持たせることが出来るようになった。ああ、便利。
 驚いて顔を上げる治樹が「え……?」と見て、次カットへ。

  前カットを受けて、治樹の見た目風に亜希子の横顔。そしてその亜希子の視線を追うようにカメラがPAN.UPして窓の外の景色へ、と。丁寧な視線誘導だ ろ? 私はけっこうお客に親切なのだ。こうしてひたすら親切を積み重ねるのは、より高次なサービスである「不親切」が単なる不親切にならないようにという 親切な心配りである。何を言っているのか分からない人は分からないままでよろしい。
 そして、その壁面の蔦植物へさらに寄ったのが次のカット。


上が何も加工していない状態で、下がセル(枯葉)に錆のテクスチャを重ねた状態。

  このカットの蔦植物の描写は撮出しの賜物。蔦はBG描きだが枯葉はすべてセルなので、何も加工をしないと、愛想のない枯葉になってしまう。この短編では枯 葉は非常に重要なアイテムなので、セルのペッタリした質感ではムードも殺がれるというもの。そこで撮出し時、枯葉にテクスチャ(ここでは“錆”のテクス チャ)を貼っている。枯葉がはらりと落ちるアクションは動画にして6枚だったので、撮出し時にテクスチャに変形を加えて枚数分貼り込んでいる。一枚ずつ見 れば枯葉の立体とテクスチャはかなりずれているが完成画面で見たらちっとも気にならなかった。
 静かに「はらりと一枚、葉が落ち」たところへ、

 と、治樹のセリフが切り込むように入ってくることで、亜希子の弱気を励まそうとする治樹の強い感情を演出。さらに原画時カット頭に少し乗り出す芝居を加えて、さらに強調。

 治樹の強い感情をまるでいなすように窓外を見つめたままの亜希子を描くことで、両者のテンションの違いを強調したつもり。実はシナリオとは会話を変更している。

亜希子「あの葉の最後の一枚が落ちたとき、あたしの命も…」
 治樹「バ、バカなこと言うな。亜希子はきっとよくなるよ!」
亜希子、悲しく治樹を見つめて、
亜希子「もう、疲れちゃったの。でも、よかった…人生最後の時間
を先輩とすごせて…」

 元のシナリオでは上記のようになっていたのだが、どうも話が噛み合いすぎる気がしたので変更させてもらった。上記に従って記すとこうなる。

亜希子「あの葉の最後の一枚が落ちるとき私の命もきっと……」
 治樹「バカなこと言うな。亜希子はきっと良くなるよ!」
    亜希子、窓外を見つめたまま、
亜希子「でも……私、幸せ。人生最後の時を先輩と過ごせて……」

  大きな違いは「亜希子、悲しく治樹を見つめて」と「亜希子、窓外を見つめたまま」という態度の違いで、さらに「もう、疲れちゃったの」と治樹に応えるので はなく、独り言のように「でも……私、幸せ」と言葉を継ぐこと。極端に言えば「あの葉の最後の一枚が落ちるとき私の命もきっと……でも…私、幸せ。人生最 後の時を〜」という独り言の合間に治樹のセリフを挟んだ状態にした。
 コンテでは完全に両者のコミュニケーションはすれ違っている。というかすれ違わせたのだが。これは私がよく使う手口で、「千年女優」の千代子のキャラク ターを出すために考えた方法。要するに「人の話をちっとも聞いていない」(笑)とも言えるのだが、「自分の気持ちに酔ってしまっている人」とか「自分の言 いたいことだけ口にする人」「テンションが上がっちゃってる人」を描いたり、テンションの違いや意見の対立などを描写するときなどに重宝している。これは 何も演出として作った芝居ではなく、日常生活でもよく見られることだと思う。むしろ会話の受け答えがあまりに整然となされるシナリオ的世界の方が私にはよ ほど不自然に思える。
 特にこの場合、亜希子は死を覚悟しているわけだから、その思いの深さにいかに治樹の言葉といえども届くわけがない。思いこみが深く強くなっている人間に は得てしてどんな言葉も届かないものではないか。なので結局は「人の話をちっとも聞いていない」人になってしまうわけだ。演出・鈴木さんにはこう言われ た。
「またですか(笑)」
 いいのだ。
 そして人の話なんかちっとも聞いていない人を目の前にするとこういうことになる。

 ここでのT.B.は治樹の無力感みたいなものを表すため。
 S.E.を先行させているのは、シーン変わりでそれまでの感情的な流れを切らないため。ショートショートなのでその中でさらにシーンが切れ切れになって散漫になるのを避けるという狙いだ。