妄想の十三「終わり無き最終回。」
-その2-

コンテの段取り

 私の不注意からインフルエンザで休んでしまった話がまだ途中だった。
 高熱の間は寝ているしかなかったものの、熱が引いてきたら、私もただ休んでいるわけにもいかない。早く仕事に復帰したいが他人に感染する可能性もあるので、出社もままならない。感染するのはサイコサスペンスだけでたくさんだ。
 よって自宅でも出来る作業として13話のラフコンテにかかった。

2/9 (月) 11時起床。体調は快方に向かっている。熱も無し。午後、豊田君と電話で業務連絡。体の調子がよいのでこれを機に部屋の掃除でもする。自宅作業を するにしても現状では仕事のしようもないので、片づけをして何とか仕事が出来る程度に部屋を回復。13話のラフコンテを始める。23時過ぎ、豊田君来宅。 原稿チェックがいくつか。0時30分、「妄想代理人」2話オンエア。

 コンテを描く段取りを多少紹介しようと思うが、これは誰に学んだ方法でもないのであくまで私の自己流。
 私はまず脚本に線を入れる。「ここでカットを分ける」という印で、絵を想像しながら印を付け、脚本の余白に小さな四角を描いてその中に簡単な絵を描いて 行く。私の使用した脚本はこのラフでいっぱいになる。落書きみたいな絵ではあるが、この時にある程度後々の処理や作画や背景の手間、自分の作業量などを考 慮しておかないと面倒なことになる。またセリフの変更などもこの際に行うので、絵は簡単とはいえ私が自分で見る分にはコンテとしての機能はあらかた達成さ れている。
 以前記した通り、1ページ15カット1分を目安に割って行く。カットごとの尺はこの段階で入れないが、素直に割って行けば大きな問題は生まれないという 実に素晴らしいシナリオだったので、安心して割る。シナリオ上ですべてのカットを割るまでにかかる最低所用時間は2〜3日だろうか。1日でもすべて割れる のだろうが、考え方が粗くなるのを避けて日を分けるようにしている。
 この作業が終わったら、今度はコンテ用紙に本番のコンテを描く。ラフ段階でカット数がオーバー気味だったり、淡泊になっているところなどは本番作業時に調整しながら描くことになる。
 特別な事情がない限り、私は絵コンテ作業は会社の仕事場でする。人によってはコンテは自宅に籠もって作業する場合もあるようだが、私はコンテを描く際に 多くの資料を要するし、会社と自宅に資料を二組用意するわけにも行かず、持って歩ける量ではないので会社で描く。また立場上「仕事をしている」ことを示し ておくことも仕事の一つだと思っている。
 だいたい私はよほど信用出来る人物以外の人間が口にする「自宅作業」を信用していない。たいていさぼっているか、他の仕事をしていると思われる。だっ て、そういう人の「自宅作業」後なんてほとんど進んでないもの。さぼるための言い訳、そのオプションなどいくらでもあるものだ。
 シナリオ上でカット割りが済んだら、私はレイアウトマンに変身する。私の中でコンテはもう終わったものとして、ラフコンテを元にコンテ用紙にレイアウト をして行く。コンテ作業としてはかなり歪だと思うが、基本的にコンテを拡大すればレイアウトとして機能することを目指しているためだ。普通はラフに描かれ たコンテの絵を元に、原画マンがレイアウトを起こすことになる。なるのだが私はこれで幾たびもエライ目に遭ってきた。
「パーフェクトブルー」では上がってきたレイアウトの8割以上を描き直した。
「千年女優」ではレイアウトの直しは5割以下。
「東京ゴッドファーザーズ」では3割程度も直していない。
 この飛躍的な作業量軽減は、参加してくれる優秀な原画マンの数が向上したこと、そしてコンテの絵の精度に反比例している。コンテで頑張った分だけレイアウトの直しが減る。簡単な図式だ。
 レイアウトを直していると、それだけで制作スケジュールがいっぱいになってしまう、というのが「パーフェクトブルー」で得た大きな教訓である。

 コンテの絵をなるべく精度を上げて描く。しかしこれには当然弊害も生じる。つまり時間がかかる。レイアウトに必要な6〜7割程度のことはコンテで済ませ るとして、どういう処理になるかを具体的に検証して行くには、最低限以上の芝居は絵として入れておかないとならないし、背景用の原図として機能しうるため には設定的な要素はもちろんパースラインの設定、ディテールの描き込みが必要になる。その分画力に多少のアドバンテージがあったところで普通にコンテを描 くよりは時間がかかることに変わりはない。またいくら精度を上げて描いたところで、11.2センチ×6センチという小さな枠の中に描いた絵では200%も 拡大すれば粗は当然目立ってくる。
 それらマイナスを差し引いても、レイアウト段階で直すよりは結果的に遙かに早いと踏んだのである。それにコンテで描いてレイアウトでまた同じ絵を描く羽目になるのは精神衛生上も非常に宜しくない。
 こんな監督自身の特殊な手業に負った、まるで綱渡りみたいな作り方は健全ではないし、いつまでも続けられない気はしている。だが、とりあえず現状では有 効に機能している。そこには美術監督との連携が劇場作品3本分によって蓄積されているという背景が大きく作用している。コンテの絵では少々足りないディ テールは美監の方でフォローしてくれるという信用があるので、パースラインと物の対比さえ押さえておけば、大きな問題は生じない。無論こうした荒っぽいや り方の分だけ多少のエラーは出るが、それはどういうやり方であっても出る程度の問題でしかない。プロセスごとの完成度を確実にこなすことが有効な場合もあ ろうが、特に速度重視のテレビシリーズ制作おいては「まず進める」ことが重要だ、と改めて思った。

「妄想代理人」の私がコンテ・演出を担当した話数ではレイアウトの直しはほとんどしていない。背景用の原図を直したケースも特殊な例を除くとごくわずかだ ろう。むしろデッサンの不自由な人が描いたキャラをサポートすることが多かったように思われる。原図に手をつけなくて済んだのはコンテの絵を下描きにして もらったせいもあるし、コンテの拡大をそのまま原図にしたケースがかなり多かったからだ。別に私の技術やコンテを自慢したいわけではない。ただそうだっ た、という話である。コンテにおいてレイアウトを一気に底上げするのは、制作スケジュールが特に厳しいテレビシリーズでは有効な方法だとは思う。それを出 来うる人間は限られてしまうだろうが。
 レイアウト作業が軽減された分、芝居や表情に力を入れられたとは思うが、その辺は作監に負う部分がほとんどである。私は基本的にレイアウトであまり絵を描いていない。コンテに託す。そういうスタイルだった。
 ただこの方法も長期展望に立った場合、弊害はとてもつもなく大きい。要するにレイアウトを描く機会(自分の頭で考える機会)を奪うわけだから、つまりは レイアウト能力を養う機会を奪っていると言える。これは井上俊之氏にも以前指摘されたことだし、自分でもよく分かってはいる。ジレンマだ。
 しかし実はそういう懸念もあって、「妄想代理人」では原画マンにレイアウト能力を養う機会を提供しようという目論見もあったのだ。あったのだが……あったのに……すぐにその目論見は捨てた。速攻撤退。
 私は私の現場だけを大事にすることにした。
 アニメーション業界一般のレイアウト能力のレベル、その低さには匙を投げるしかないと笑うしかない一方で、コンテに要求されることだけはいくらでも増え て行くのはさすがに気が重い。これまで何度か触れてきたが、コンテ撮で編集を迎えることが日常茶飯になってくると、それに堪えうるコンテを考えなくてはな らない。
 コンテの総ページ数が1話の時で124枚、それが13話になると177枚に増大しているのは、必ずしもシナリオが要求する内容の密度が上がったためでは なく、芝居をこまめに入れたせいだと思われる。私のコンテはそこら辺のレイアウトより遙かに機能している。自慢しておく。

 ラフコンテに入ったのは2/9だったが、それからしばらくの間私は9話「ETC」のコンテに追われることになった。実際に13話をコンテ用紙に描き始め たのはその一月後、3/8のことであった。この時、13話オンエア予定は5/10(一週間延びて5/17になるが)。納品を考えると制作スケジュールは二 月もなくなっていた。ありゃま。

これぞ夢告

 日誌を読み返していたら、「夢」が記してあった。
「将来はアカデミー賞を取るような監督になりたい」
 いや、そういう夢じゃない。それに私はそんなことを夢想したりしない。
 眠っている最中に見る「夢」の方である。他人の夢の話なんて聞いても面白くないかもしれないが、この夢の内容で当時のかなり深刻な制作状況をありありと想像出来るのではないかと思われる。

2/26(木)
14時半起床。よく眠る。
夢−その1。
NYを観光中、高層ビルから黒煙が上がっているのを目撃。デジカメに収める。と、その右上方の空に未来風なデザインの、三連飛行船が大きく傾いで煙を上げ ている。みるみる高度を落として高層ビルに激突。デジカメのシャッターを切るが惜しくもメモリがなくなる。歯痒い。辺りを見回すとあちらこちらのビルから 黒煙が上がり、傾いたビルが倒れて行く。いつの間にか舞台は東京に変わっている。「日本もテロの標的になったのだな」と冷めた気持ちで眺めている。私は海 の近くにいるらしい。東京タワーが見える。展望室のガラスは吹き飛んでおり、全体はグニャリと歪み傾いでいる。「まだ修復は可能だ」という声に「無理無 理」と誰か(私か?)が答える。さばさばとした感じで深刻さや暗さはない。

 おそろしい夢だな(笑)
 総監督がこんな夢を見ていること自体がおそろしい制作状況を想像出来るであろう。私らしき者が「無理無理」って(笑)
 次も同じ日に見た夢。

夢−その2。
都電で大学時代の友人の家へ。連れはその友人の弟。都電は人家の間を走っているが断崖のような絶景も時折見える。終点前に都電を降りるが、そこから友人宅への道が分かりにくく、二人で相談しながら歩いて行く。友人の家が見つからない。
(舞台がいつの間にか変わっている)仕事場のような場所にいる。実際の仕事場よりこぎれいな場所。窓から差し込む日差しがまぶしい。仕事で泊まり込んでい た翌日のようだ。私はコーヒーを入れカレーを食べようとしている。一緒に仕事をしている女性アニメーター2人がぶどうを差し入れにもってくる。私は何か用 を思い出したらしく、湯気が上がっているコーヒーとカレーをそのままに、外に出かける。すぐに戻るつもりのようだ。場所は原宿。私は何をしに出かけたのか は分からないが、その帰りに道路(大通りの歩道)に出しっぱなしになっている「ふとん」を持って帰るかどうか思案する。後で制作の車で回収に来てもいいよ うな気がするが、どうせだから持って帰ることにして布団を担いで原宿(実際の原宿とは随分違うが)の往来を走る。風を切って走る。かなり走る。布団を担い でいるというのがみっともないと思ったのか、裏道に入って近道をしようとして、道が分からなくなる。帰り道が分からない。都電に再び乗る。高架が壊れてい る。帰れない。

 これもかなりつらいな(笑)
「見つからない」「帰れない」だもんな。
 しかし私がふとんを担いで風を切って走るなんて、なんて爽やかなイメージなんだろう。しかも原宿って(笑)
 日誌に夢を記すことなど滅多にないのだが、この日はよほど印象的だったのだろう。朝起きてキーボードを叩きながら思わず唸ってしまった。
「う〜む……つまり大事なのは“ふとん”か……もっと寝ろということか」
 ウソウソ。
 夢のお告げは解釈せぬが華というもの。

ストレスボンド

 先にも書いたが、「最終回。」のシナリオを初めて読んだ感想は、
「たいへん面白い。たいへん大変そうだけど。感動的な回ではないか。“最終回。”に相応しい」
 と、内容的には大変満足しつつも、その内容ゆえに「たいへん大変そう」でもあった。大変というのは、作画内容のことで、要する手間が非常に大きいことが 容易に予測されたからだ。13話の作監が当初から予定されていた鈴木美千代さんもシナリオを読んで「大変そう。あたしのやることあるのかな(笑)」と口に していた。
 何しろ「エフェクト」が多い。
「エフェクト」というのは業界用語で、「エフェクトアニメーション」の略。これはジャパニメーションには必須アイテムである爆発や煙、火や水などの主に不 定形の対象物を作画することである。業界にはこうしたエフェクトやメカの作画を専門とする「エフェクトアニメーター」と呼ばれる方々もおられる。
 ジャパニメーションになくてはならないとされる二つの柱、その一つが「華やかさ」を引き受ける可愛い婦女子の笑顔とパンツ、そしてもう一つがアニメの 「派手」の代名詞とさえいわれる「爆発」だ。ジャパニメーションの真骨頂はこの二つである。偏見ではない。この二つが揃ってこそ正統なジャパニメーション だ。なんか頭悪そうだけど。
 私のこれまでの監督作品を御覧いただいている方ならお分かりいただけると思うが、「エフェクト」はほとんど取り扱われていない。「パーフェクトブルー」 では何とかジャパニメーションの正統に参加したいと思って婦女子のパンツを描いたのだが、中味の毛まで描いたら「それは違う」と言われてしまった。
「エフェクト」が必要とされる場面はこれまでほとんどなかったといって良い(「ジョジョ」ではエフェクトが多かったが上手な人ばかりに助けてもらった)。 エフェクトアニメーションは見る分には私も好きなのだが、自分ではあまり触手が動かないというか、はっきり言って苦手である。別に私は原画マンではないの で私自身が描けなくても、描ける人にお願いすれば問題はないのだが、自分で描けないと原画マンにイメージを伝えにくいし、修正もできない。なのでこれまで は何となく避けてきた。
 13話では避けようがなかった。何せ少年バットが黒い塊になって出てくるんですもの。それも多くのシーンで。ちょっと気が重かった。さらには作監の鈴木 さんもエフェクトとメカは「全然」という口である。女性の原画マンでメカやエフェクトを得意とする人は少なく(それ以前に女性の原画マンの絶対数が少ない のだが)、このあたりは男性と女性の好みの傾向が出ていると思う。
 エフェクトの難しさは別な面にもある。これまでに数多の凝り性たちによって研究され複雑化して、非常に高度なレベルになっているため、「そこそこ頑張 る」程度では目立たないし明らかに見劣りしてしまう、という点。最終回といってもテレビだし、私自身がそっち方面に凝る体質ではないので大変なことをしよ うと思っていたわけではないのだが、エフェクトの量が多く最低限の見栄えを確保するだけでも相当な労力を要すると思われた。

 少年バットのなれの果て、「黒い塊」は制作現場では「ストレスボンド」と呼ばれていた。私が名付けた。さほどの意味はないが、皆さんの胃の下あたりにも溜まっているような気がしないだろうか。ストレスボンド。
 エフェクトが多い話数ということで、私はコンテに取りかかる前からストレスボンドが溜まっていたかもしれないが、それを一気に振り払ってくれる朗報が届いた。
 以前にも触れたが、9話制作において予想外のコンテ量を描かざるを得ないことになったため、2月中旬には取りかかろうと思っていた最終回の絵コンテ作業 は先送りになっていた。最終回の作画や美術背景の内容が大変になることは私が一番よく知っていたので、コンテの遅延は正直若干の焦りだった。
「まずいよ、最終回にかかるのが遅れちゃって」
 という少しばかりな弱気な言葉を吐いたら返ってきたのがこんなお言葉。
「そうお?最終回なんて総力戦なんだから大丈夫でしょう」
 なぁーにぃー、「最終回なんて」だとぉ「総力戦」だとぉ。総力戦という言葉は勢いがあって力強い感じがするが、そう言うからに他ならぬあなたも!
「やるよ。やるやる」
「おぉ!何でもやってくれる!?」
「あたしに出きることは何でもやりますよ」
 ニコニコしてそう言ったのは井上俊之その人である。
 ストレスボンド一気に撃退。ヤッホー!

 これまでにもその名前は何度か登場願っているが、井上氏は非常に優れた原画マンである。キャラもエフェクトも何でも来い、である。「千年女優」「東京 ゴッドファーザーズ」でも原画・作監の手伝いとお世話になった方で、仕事の質・量ともに揃った業界きっての強者である。画力や原画の技術は無論のこと、演 出的要求や作品に対する理解力、制作状況を把握し対応する能力、ニコニコしながらバッサリと人を批判する能力、などなど多くの面で秀でているが、しかし何 より素晴らしいのはそうした高度な能力が高度にバランスしていることであろう。不世出の才能である。
 その井上俊之氏が「何でもやる」と。
 おお、終わりそうな気がしてきた。