妄想の十三「終わり無き最終回。」
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私が当初イメージしていたのは「バラバラになったマロミの遺骸」だったのだが、多少の自制心と作監・鈴木美千代さんの矢のような抗議にも遭って「上品路線」にした。
私はあまり俯瞰を好まないが、このカットでは視聴者に対して客観的な事実を伝えるためと、同時に「マロミの死(−子供の月子の死−いつか訪れる血と肉の死)」を直感したものの、それをまるで実感出来ない月子の離人感覚を表すために俯瞰を使っている。 ちなみに離人症(離人感)とは精神症状の一つで「自分が存在する実感がない/自分が行なっていることに対して、自分がしているという実感がない/自分と 目に見える世界の間が透明なベールのようなもので仕切られ、自分が存在する実感がなく、目の前に見える世界が異次元のように感じれる/自分の意識が身体か ら抜け出して、自分の行動を他人事のように客観的に外から見ているような気がする」(http://www.cranio.jp/seisin/seisin9.html)といった状態。最後の「自分の意識が身体から抜け出して……」という感じを表 すのに、私は俯瞰を好んで使う。 「歩を緩めて、マロミに近づく」「しばし固まる」「しゃがみ込んで、また間」という途切れがちな芝居は何とか「事態をうまく認識出来ない」感じを噛み砕い てみた結果である。またこういうあまりに複雑な心情は顔の芝居ではまず上手く行かないので、小さな後ろ姿こそ雄弁であろう、という私のよく使う手口。 といっておきながら次はその月子のアップ。 |
「表情は固まって」というのが肝要。ここで記号的な表情を持ってきたら台無しである。その替わり、不安感を表すために「カットいっぱい、PAN.UP」して、動揺を表すために「視線ブレ」させている。
この「視線ブレ」は1話の時、作監・鈴木美千代さんの提案で加えられた芝居だが、月子の身体的な「癖」として使えるのではないかと思って、子供時代の月子にも適用してみた。 回想の筈のシーンが現在の月子の登場でその性格が一変する。唐突に現在の月子を出すと視聴者に対して不本意なショックになると思い、オフゼリフから入っ て、次のカットで顔の見えないポジションになるようにしている。次のC.282で現在の月子のアップになるが、登場の段取りとして「声→顔の見えない立ち 姿→アップ」として、なるべく現在の月子登場がショックにならないように気を付けたつもり。ショックはもっと大事なところに取っておきたいからだ。 |
少年バット誕生
C.282の大人の月子は、過去の自分を見ているのだから、その内部で何を考えているかは分かっている。だが記憶しているのは、「お父さんに怒られるお
父さんに怒られるお父さんに怒られるお父さんに怒られる…」という現実的な感情だけで、得体の知れない運命との遭遇、死の直感といったものは抑圧されてい
るのではなかろうか。
C.283のセリフはシナリオにはなく、コンテ時の創作。 「あいつが来たんだもん!!」という「あいつ」とは無論「少年バット」と「血」のダブルミーニング。 幼い月子の後ろ姿を描くにあたっても、なるべく「肉」が感じられるよう心がけた。首のあたりや力んだ肩、それによって浮かび上がる肩胛骨の立体などを強調したつもりである。
幼い月子は振り向いたらすでに「怖い顔」になっている。それ以前はC.280のアップで描いたように「表情は固まって」いる。この固まった表情から怖い顔
への変化は意図的に描いていない。表情が変化するという「プロセス」を描く場合はそのプロセス自体に表現としての力がある時は有効だし、役者やアニメー
ター的には力を入れやすい部分である。が、複雑な心情を表現するだけの技術は相当に高度で、得てして「説明的」という失敗に陥ることが多い。役者なんかだ
とそれこそ「ここでこそ自分の表現を」とばかりに力んじゃったりなんかしそうだが、私はそういう演出が好きではない。また、リアルタイムの変化はなだらか
に繋がるので、プロセスを欠落させることで、可愛いだけに見えた幼い月子が、「突然」怖い表情を見せることが大事だと考えた。「あいつが来たんだも
ん!!」という能都さんのセリフ回しも効果的だと思う。
先ほど現在の月子の登場を緩やかにしておいたのは、この突然の変化がまず軽いショックとして機能するためであった。軽いショックがあって、次のカットで 現在の月子が何かに驚き、その次に出す「少年バットのシルエット」が一番大きなショックになるように演出したつもりである。 |
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284の「ハッと気づく月子」は、編集時に「ゆっくりと驚く」と考えを変えた。この回想シーン全体に言えるのだが、コンテの尺のまま繋いだ感じではあま
りに淡泊だったせいもあって、このシーンのカットはどれも尺を伸ばし気味にした。もちろんコンテを全部上げたら44秒も尺が足りなかったという事情も大き
く手伝っているのだが(笑)。尺を伸ばせて本当に良かったと思っている。追い込まれてコンテを描いていると、その焦りが影響してつい尺を短めに打ってしま
う傾向にある。反省する。
少年バット退場 |
欠落してしまっていた「大切なこと」とはマロミへの思いである。マロミへの謝罪がなされていない。どころかマロミを可哀想に思うことも忘れ、自分のことで頭がいっぱいである。
「私のせいじゃない」 マロミに「ごめんなさい」と思う気持ちは、マロミを死に至らせたのは月子自身の不注意だと認めたくないという自己防衛によって排除された。 そのささやかな、しかし子供の月子にとっては大事(おおごと)である「痛み」を認められなかった。それが少年バットという痛みをもたらす者を切り離した 瞬間だったのではないか、と考えた。理屈として筋が通っていないかもしれないが、そんな風に思ってコンテを描いた。 マロミという月子の「擬似的な子供(=子供の月子)」を正しく鎮魂しなかったために月子は大人になれなかったのではなかろうか。しかしこの回想において 大人の月子は排除されていたマロミへの謝罪を果たす。「自分のせいだ」という痛みを、傷ついたマロミと一緒に抱きしめたのだ。「月子の左手、その指の間か らほんの少しマロミの血が流れる」が、この血はそれこそ血を流すような痛みを表したつもりである。 「妄想代理人」全体の物語の帰結としてはあまりに小さな終着点と思われる向きもあろうが、私はとても小さなところに帰結できて良かったと思う。 かくして月子は「痛み」を自らに回復した。 |
大人の月子が口にした「ごめんなさい」によって、幼い月子もマロミへの思いを呼び覚まされる。自己防衛の気持ちとマロミへの謝罪の気持ちが拮抗して、そ
の顔は「困ったような表情」であるが、自身の中で何かが溶ける感じだ。このカットで芝居はないが、その沈静する心情変化を受け継ぐ形で、次カットで少年
バットの振り上げた右手がゆっくり下がって行く。
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「静かに下ろす」のは幼い月子の心情でもある。
痛みの回復によって痛みをもたらす者として外在化していた少年バットは去る以外になくなる。しかし、少年バットの一番大きな存在原理である「言い訳をも たらす者」は決して消え去るものではない、ということを暗示するために「さよなら」の言葉の背後には「また来るけど」というニュアンスが必要だったのであ る。 このセリフはアフレコ時に粘って何度か録り直させてもらったが、いかが感じられたろうか。 唐突だが終わる さて少年バットのお別れに合わせて、これでこの「妄想の産物」も終わりにしようと思う。長々と書いてきたが、書き忘れたことも多いだろうし、読者においては物足りない部分もあるかもしれないし、うんざりしたこともあるだろう。私も正直飽きてきた。 「妄想」の産物/おわり |