久しぶりの更新なので、前回までのあらすじを少々。
それやこれやで一生懸命に作品を作ってきた我々だが、エライことになったわけだ。と言うのも………。
3月半ば。会議室の円卓を囲んだ一同、無言、暗い面持ちである。
監督以下、演出、作監、美監、色指定、動画チェッカーらパーブルメインスタッフにつきつけられたスケジュールは、翌4月いっぱい、約40日でフィルムを
あげるというおよそ実現不可能なものであった。そのような無理難題を突きつけると言えば、他には一休様の将軍くらいのものではないのか。襖絵の虎を捕らえ
よ、と言われたようなものだ。とすればこの窮地を脱するにはやはり頓知が必要か。
「4月いっぱいでフィルムを上げろ」
ポクポクポクポク……チーンッ!「来年の4月ですよね」
「馬鹿者。後40日だ」
ポクポクポクポク……チーンッ!「分かりました、将軍様。私たちは大急ぎでチェックいたしますので、残りの原画300、背景400カットを10日以内に持ってきて下さい。それは制作の仕事です」
だめだな。
私は権限を持った人間に対して闇雲にたてつくわけではないし、おもねる気もない。礼を持って交渉に当たったつもりだ。そうか? そのつもりだよ。
いかに無理難題とは言え制作プロデューサーに向かって「ふざけるな」というわけにもいかず、かといって「分かりました」とは口が裂けても言えない。
「それはいくら何でも無理でしょう」
「これ以上の遅れは出せない」
ただの押し問答である。私たちが自信と責任を持って言えるのは「なるべく急ぐよう努力します」ということだけだった。
場所をスタッフルームに移し、ハマグリを囲んで具体的な方策について話し合いがもたれる。
仮に残り40日でフィルムをあげるとして、さてそれを1日の作業量に換算するとどのくらいになるのか? 40日といっても動画仕上げ撮影その他を
考えるとまるまる40日原画・作監、また背景・美監、色指定に使えるわけではないし、我々も機械じゃない。大雑把に30日としてみよう。
当時背景の残りがどのくらいあったか忘れてしまったが、それでも400は下るまい。1日13〜4カットを上げる勘定になる。この時点では背景スタッフは美監も入れて実質4人程。一人一日3、4カット。夢のような数字だ。一日に1カット上げるのも大変だというのに。
原画は、関わっているスタッフの頭数は多いといっても、未上がりが300もある。それ以前のペースが月に100カットも上がってきていないのだから、その3倍のペースということになる。
原画チェックは一日25〜30カットという計算だったと思う。ハハハハ。ワンカット30分で見ても15時間もかかるではないか。作監も当然一日30強と
いう数字になる。ハハハハ。そりゃぁ、大変だ。どちらも急いでチェックしたところで、平均して一日4〜5カットもできればいい方だというのに。それも原画
を直さなかったとしての話だし、しかもレイアウトもまだ200ほどは未チェックだ。
大体このスケジュールにしたところで、全てのカットが揃えば、というまたもや夢のような条件を前提にしている。ないものはチェックできない。砂上の楼閣、机上の空論。
こんな事態はざらにあるのがこの業界。もっとひどい数字がでることもあるし、他人ごとだと思えば別に驚きもしないが。
さて対策会議だ。ハマグリは茶色い顔を更に鈍くして突っ立っており、監督、演出、作監、美監、色指定、動画チェックなどのメインスタッフがその周りを囲む。以上のようなデータを元に話をするわけだが、これはもう話すだけ時間の無駄である。
口をそろえて「出来ません」
「それをなんとかするために……」というハマグリの脂汗のように滲みだしてくる言葉をまとめて言えば次の通り。
「全てのカットをきちんとしたチェックをするというのは時間的にやはりあり得ないので、作品上重要なカットに絞ってチェックを行い、他は流して下さい」
こう書くともっともに聞こえるしハマグリにも理性があるかに思えるが、これは制作上部の人間のセリフを借りて言っているに過ぎないし、蓄積された業界の常識である。
「重要なカットくらいは救える」というのももっともらしく聞こえるが、それが3ヶ月前の話ならまだ説得力もあるが、突きつけられた時間制限の中で
救える数などたかがしれている。100カットにも満たない数だ。全く問題のないカットと客前に出せる程度のカットを足しても、せいぜいが400にしかなら
ない状態だ。残りの600弱ノーチェックと言うことは目を覆わんばかりのフィルムになること請け合いだし、予想される欠番の数も尋常ではないだろう。
シリアスのつもりで作って失笑を買い、更には話が分からないとなるとこれはもう作品どころか、商品にすらなり得ない。残りの時間で死に物狂いで働いても
その程度のものしかできないわけだ。糞の山に香水をコップ一杯振りかけても悪臭は消えないのと同じだ。やってもやらなくても糞の山に変わりはない。ならば
何故苦労する必要がある。
仕事をする社会人としての責任? 無法地帯で法を気にするバカがどこにいる。
監督、演出、作監、美監というメインスタッフの仕事は、上がりのチェックだ。内容に問題ないかを見て、まずい点があればいかに直すか指示を出したり、また自らの手で直しを入れる。これがチェックだ。演出・松尾氏が言う。
「チェックしたところで直せないんだったら、今さんや濱洲さんが苦労してカットを見る必要はない。演出助手を何人か雇って撮影できる物かどうかだけ見させれば事足りる。」
全くその通りだ。
明日から休みになるのかもしれないなぁ、と頭の隅でぼんやりと思う。何故か高原に立ち、晴れた空を飛んでいく鳥を見送る自分の姿が浮かぶ。凡庸だな、俺。
ハマグリが独り言のように無駄な言葉を垂れ流し、その足元にはタールのような焦げ茶色のシミが広がっていく。(あくまで比喩、イメージです。ハマグリも別にクリーチャーではない。)
「そういう風にしたくないから、なんとかここで話し合って…」
何ら制作的な部分での提案は、無い。
答えは既に分かっているのだ。制作の言う通りの時間で作るなら我々などいない方がよいわけだし、我々が仕事を続けるには、話し合いをする気になる 程度の時間を確保してもらわねばならない。スケジュールの遅れの責任の半分は制作にもある。「一緒に作品を作る(笑)」スタッフである以上絵描きにだけ責 任を押しつけるのは不公平というもの。少なくとも我々はさぼってはいない。
だが制作がその役割をこなしてきたのか? 我々が要求したスタッフも入れない、原画マンに連絡一つしない、使えないスタッフは連れてくる、仕事が あるにもかかわらず漫画本を読みふけり、掃除の一つもしない、進行状況をを打ち込むべきパソコンに晩飯のレシピを懸命に打ち込み引き出しの中の煎餅を頬張 る、自分のハムスターをスタジオに置き、その世話を原画マンに頼む。そんな制作連中の態度を見続けてきた我々に彼らの「一緒に検討する」などというセリフ が説得力を持つはずもない。
打ち合わせは段々と吊し上げの様相を呈してくる。
松尾氏「監督のOKマークが欲しいだけなんでしょ? 自分たちの責任にしたくないだけでしょ?」
私「サイン教えてやるから制作で手分けして書けよ、はんこの一つも作ればもっと簡単だよ」
作監・濱洲氏「この規模の作品でこんな短い作監期間なんて聞いたこと無い」
色指定・橋本君「最後にまとめてカットを渡されても色指定しきれないし、この数は無理です」
私「時間がない、時間がないって、無くなるまで放っておいたのは誰なんだよ? 昨日今日急に無くなったわけじゃないだろ。何のために週間結果出してんだよ? 制作の暇つぶしか?」
等々。
ハマグリというサンドバッグに、スタッフの怒りのパンチが食い込む度に茶色い汁が飛び散る気がした。きちゃねぇ。ハマグリはぼそぼそと口の中で言
葉にならない音を漏らすだけだ。仮にも作品の進行を仕切る制作担当だろうに。「でくの坊」という言葉はこいつのためにあるのかなぁ、とぼんやり考える。動
画チェックの女性が鋭いジャブで切り込む。
「どうするもこうするも、まずハマグリさんがどうするのか決めないとしょうがないんですよ!」
「いや…そんな…僕が決めるわけには………」
ハマグリのガードが上がったところに松尾氏のボディブロー。
「デジタルのカットはどうなったんですか? 先方に何にも連絡を入れてないでしょ、ハマグリさん。」
「…あ、すいません…忘れてました」
松尾氏、連打。「僕が段取りしておいたから、連絡だけしてくれって何度言ったんですか?」
私も負けずに渾身の右ストレートを出す。
「大体上がってないカットを上げさせられるのかよ? 上がんなかったらみんな欠番か? 話が分かんない位に短いフィルムになるだろうさ」
更に松尾氏の鋭いアッパーが唸りを上げて飛ぶ。
「そのスケジュール通りに作ったら、どんなフィルムになるか分かってますよね? スポンサーに納品拒否されますよ」
納品拒否というのはあり得ない話ではない。あまりにクオリティ等に問題がある場合あり得る。以前この会社の某作品でその憂き目に遭っているとも聞 く。ハマグリに文句を言いながら、『納品拒否に遭えば直させてくれるのかなぁ』等とマゾヒスティックなことも考えていたと思う。こういう頭がしびれて麻痺 するような事態に直面すると、私はますます冷静になることだよ。
打ち合わせがどれほどの時間続いたのか定かではないが、答えが出るはずもない話し合いなど時間の無駄だ。早く仕事に戻らねば。結局打ち合わせを終わらせるために出された善後策は「様子を見る」という何の変哲もない物だった。これは私が提案したのだが理由はある。
まずこれまでの時点で原画チェック及び作監は殆ど手つかずの状態で、一日どのくらいのペースでこなせるのかデータのかけらも出ていない。これでは めどの立ちようもない。それでこちらが提案したのは、まず10日ほどその作業に入ってみて、それ次第で絶望的なペースならば根本的にやり方を改める、ただ し、その間に制作も作監補佐、原画直し専任の人を2〜3人、原図整理の人間等を連れてくる、という条件だったはずだ。この無能な連中に有能なスタッフ、そ れも数人を連れて来られるはずはないが、こちらも向こうの望むペースで仕事が出来るわけもない以上、相手方にも負い目を背負わせるようにしておくのは、後 々の保険だ。
「当てにしていた人間を連れてこないから約束したペースでは進まない」
気休め程度の保険とは言え、その後繰り返し使わせてもらった。
詐欺に近い? いや捨て身の頓知だ。
唐突に何だこの絵は、という話もありましょうがこれ
も私の絵です。多分2月か3月の絵かと思われますが、仕事の息抜きにスタジオの外国人マックに手伝ってもらって描きました。まだタブレットがなかったので
「マウスで描ける絵」を模索していた頃で、タイトルは「自画像」。嘘です。「アンドロイド一号」と言います。ただの洒落で描いた絵ですが、不満そうに曲
がった口や表情のない目、怒りも露わな赤い頬に当時の私の気分が見て取れますね?
冗談です。 |
その日の深夜2時、私はまたも打ち合わせに呼び出された。
プロデューサーと金を管理している人間、そして私。
ハマグリから事情を聞いた、と言って慌てた様子の彼らの話は、昼間の打ち合わせの内容とはあまりにかけ離れていた。
何も伝わってはいないのだ、いや伝える気すらないのかもしれない。どうやらハマグリはプロデューサーに対し「監督以下現場の人間は話し合う余地もなく制作からの要求を無視した」というような報告をしたのだろう。伝言ゲームじゃあるまいし、笑えやしない。ああ、嘆息。
しかし己の保身のためだとしても何故すぐばれるようなウソをつくのだ、ハマグリは。もしや私がハマグリに対して下していた評価は間違っていたのではない
か、と言う疑問が首をもたげる。やる気がない、とか無能だとか言うのは、まだまともな頭を有している人間に対する物の見方だ。しかしハマグリの言動はおよ
そ人知では測れない部分がある。既知の外の人……好きで読んだ流行りの「サイコ」物の本にもあったではないか、精神医学用語で言う「境界型なんとかかんと
か」ってやつ。“なんとか”しか分からないんなら書くなって。
もしやハマグリというやつは……。
そこで私はそれ以後の作品進行のために、もっとも効果的な善後策を提案した。
「ハマグリを切って下さい」
何と素晴らしく、なおかつ現実的なアイディアではないか。
やんやの拍手喝采。ナイス、俺。
「それは出来ない」
まぁ、きっぱりとしたお答え。
私は、何一つ役に立たないハマグリの実体を伝え、その想像を絶するあまりの無能さは作品制作の足を引っ張る物でしかない、と力説した。
「切らないと急いでもまた無駄になりますよ」
「いやぁ、それはやっぱり出来ないよ。今までの事情を知ってる人間をこの期に及んで変えるわけにはいかないし」
今まで2回も担当を変えたというのに、今更何を言うか。
「この期に及んでだからこそ、変えてもらいたいんですよ。今までの事情なんて何一つ知らない人間でしょ? 知ってたところで何もしないのなら知らないのと同じですよ。変えなければ今後も絶対同じことの繰り返しになりますって」
「今後こっちの方でも気をつけるし、彼にもちゃんと言っておくから…」
「言われて直る人間じゃないでしょう!?」
「彼もねぇ、監督やスタッフたちを怖がってたって言うか、率直に言えない状況だったみたいだし……」
「だから制作としてまるで役に立たないと言ってるんです。人を怖がってて制作がつとまるわけないでしょう!」
「これからは一緒に作るスタッフとしてやっていきましょうよ」
「一緒に作る……ねぇ……。そうまで仰るなら仕方がないですね。今まで何度言ったか分かりませんが、私はスケジュール管理をするギャラまでは貰ってませ
んし、それは“一緒に作る”スタッフである制作の仕事です。私は最も有効と思われる提案をしましたし、これからハマグリによって出来する不測の事態には制
作側で責任を取って下さいよ」
これも私なりの保険だ。もっとも最後にお鉢が回ってくるのはどうしようもなく我々になるとは思うが。
「それと、ハマグリ君からも伝えたと思うけど、重要なカットを中心にして他は流す形でお願いしますよ」
「けど、ちゃんとチェックしないと枚数もかなりオーバーしますよ」
「早くあがれば、枚数なんかいいんだよ、別に」
エエッ、今まで苦労して枚数も削ってきたのに。
「韓国で動画・仕上げの受け入れ態勢を組んだからとにかく量を毎日入れて欲しいんだよねぇ。そこはうちがいつも使っているスタジオでクオリティの心配はないけど、スケジュールがオーバーしてそこが使えなくなったら、わけの分からないスタジオに出すことになるよ」
飴と鞭か。何が何でも上げさせようという腹らしい。それにしても枚数は気にしなくてよいというのはささやかな収穫だ。
この頃から私は何の責任も実権も持たないハマグリを相手にしても仕方がないと思っていたし、考えるべきは決定権を持った制作プロデューサーの腹の うちである。制作サイドにしてもまさか本気で後40日で上がるとは思ってないはずだし、「劇場作品」という割には公開日時も決まっていない。それにアフレ コ・ダビングの予定はおろか声優のキャスティングも決まっていない。通達されたスケジュールは、現場に脅しというか巻きを入れさせるための方便と捉えるの が正しい見方だろう。もっとも当時そこまで冷静だった訳じゃないが。
実際4月いっぱいと言われたスケジュールは、その後2ヶ月と10日ほど遅れて達成されることになる。
しかしどのような作品でも似たり寄ったりの状況になるもので、決してこれが特殊なケースではないし、現にこれを書いている現在、某作品では同じような状況が見られる。概して少ない制作予算とは言っても、最初から無理なスケジュールを設定するのは甚だ問題である。
一方「良い物を作るため」「フィルムを守るため」という「正義」を振りかざし、決められた枠を無視して逸脱する「クリエイター(笑)」とやらの態度も改
める必要はあろう。残った作品が全てである以上、やむを得ない面もあるが。この問題に突っ込みすぎると一晩書いても結論は出ないから、問題提起で終わるこ
とにする。
とは言え締め切りの無かった作品などあるはずもなく、終わらない仕事は滅多にある物ではない。希にあるけど。原画の大半が上がっていたのに制作中止だの、数年作り続けていたのに制作中止になった作品等々。かく言う私も一本そういう作品に関わったことはある。
「蒼きウル」という劇場超大作になる予定の作品であった。監督は庵野秀明さんで、制作はガイナックス。「エヴァ」でつとに有名となったので説明は要るまい。再起動の話もあるようなので、健闘を祈るぞ。
そういえば「ウル」の中止が決まった頃にスタジオで見た覚えがあるな、「エヴァンガリアン」の企画書。まさかあの時は社会現象にまではなるとは思いも寄らなかったよ、「エヴァンゴライオン」。
こういうことを言うから、噂されるのか。「アンノカントクと仲が悪いって本当ですか?」とか。そんなわけないだろう。向こうはどうか知らないけど。
失敬、話がそれた。
難しいのは「本当に本当の締め切り」がどこかということだ。作品を守るという大儀の元に制作と掛け合いスケジュールを延ばす、更に延ばし、当初の
スケジュールを金箔のように引き延ばして行くわけだが、それが破れてしまっては元も子もない。薄氷を踏む思いで一歩一歩進み、作品の質とスケジュールのケ
ツを秤に掛ける。「まだ行ける」つもりが後が無かった、ドボン、という例は枚挙に暇がない。ひどく手の込んだカットと見るも無惨なカットが混在しているの
はこのケースだ。どの作品かって? それは言えない。
逆に「もう後が無い」と思って質を落として悔しい思いをさせられたケースも少なくない。プロデューサーの腹のうちを読むだけでは済まないし、スポンサー側の事情も絡んでくる問題で、この辺りのバランスは実に難しい。アニメを作る仕事は机の上にだけあるわけではない。
大体絵描きのスタッフにそういう不安や心配をかけないようにして、やりやすくしてくれるのが制作というポジションだろうに。アニメ業界は有能な制作を求
めています。この拙文を読んで下さっている方の中にいませんか、我こそは制作になろう、という方はいませんか? 必要とされる条件は次のようなことです。
○普通運転免許を持っている
○日本語が分かる
○義務教育くらいは受けている
○徹夜には自身があるし、どこででも眠れる
○他人を怖がらない
○貧乏には滅法強い
いないわな、そんな物好き。スケジュールを守る絵描きがいないのと同じことか。非はどちらにもある。
「様子を見る」と暫定的に時間稼ぎをしたものの、これといって時間短縮のための解決策などあるわけもない。今までだって一生懸命にやっていたの
だ。しかし何らかの成果を10日間のうちに示さなければ、交渉するにも説得力がない。制作側の不安も分かるのだ。ペースが読めれば、それが一ヶ月ほどの遅
れで済みそうならスポンサー等に対して手の打ちようもあるだろうし、この期に及んで三カ月も延びるのなら本格的にカットを取り上げる、といった強行策もあ
り得るだろう。どこまで続くかも分からないようなぬかるみでは制作サイドとしても打つ手がない。
制作のためではない、作品のためにも成果を上げねばならない。
ここから先は、いわば退却戦だ。
プロット、脚本の頃から私たちがしてきた戦は「負けないための戦」である。「凄いモノ」は出来ないかもしれないが「面白いモノ」なら作れるかもしれな
い。少ない資金と手勢でいかに効率よく戦果を挙げるか、そういう戦い方をしてきたつもりだ。大きな制作費と時間と人を投入し、新しい映像やスペクタクルで
客を驚かせたり、あるいは隅々にまで気を配り、セル枚数をかけ質の高い映像で良質の作品を送り出すといった「勝つための戦」など端から出来る規模の作品で
はなかったし、また出来るともやろうとも思っていなかった。
しかし事態が急転した今、残された道はいかに死者を出さずに逃げ切るかの退却戦だ。戦い方を変えねばならない。腕の一本足の一本無くなっても死ななければいい。極端な話「面白さ」という殿様さえ生き残ればそれで良い。カット内容を削ってでもフィルムにせにゃならんのだ。
そう言えば私の外見が落ち武者に似てきたのもこの頃か。床屋にも行かずのび放題の髪の毛を後ろで結わえ、髭の手入れもせず、月代を剃ったわけでもないのに広くなったおでこ。生え際ももう退却戦か。やかましい。
当然私のささやかな休みは全てなくなり白髪は増え肌も荒れ放題、作監・濱洲氏は買い込んだ簡易ベッドで仮眠を取りながらの作監作業となり、スタジ オは日々修羅場と化していく。美監・池氏も机の下を寝場所にすることが多くなり、栗尾は口内炎でラーメンを食せなくなり、二村君は金欠病に侵されていく。 それはいつものことか。
まず私が取りかかったのは、チェックに時間のかからないカットを全て出してしまうというきわめて初歩的な手段である。背景オンリーのカットはもと
より、止めやそれに近いカット、芝居が難しくないものや上手な人のカットなどを手当たり次第に流し、本来なら描き足しや描き直したいカットでもチェックの
目を粗くして、作監に流れるカットの数を稼ぐわけだ。
予定していた芝居や処理を抜くカットも多くなる。セル枚数の制限を気にする必要はなくなったが、何より作監の手間を減らさねばならない。ワンカット当たり数枚の原画の描き足しや直しでも、カット数が増えれば膨大な数になる。抜くしかないのだ。
当然作監もメインキャラ中心に絞り、それも顔のみの部分修にとどめることが多くなる。モブキャラなどは作監を入れないか、私が何とか絵を直す。とにかく
一日に流れる量を増やさねばならないし、撮影所に持ち込むカットの数を増やさねばならないのだ。フィルムにしないことには話にならない。
いくら上手い原画マンのカットと言っても、カット同士のつながりの問題等で、次のカットと合わせてチェックしなければならないものもあるのだが、「エイッ」という気合いで監督のサインをつけて流すのだ。
一日分のチェックしたカット袋を見て二村君が言う。
「あ、凄い数」
「いいのいいの、構うもんか、あれもこれも流してしまえ」
自虐的になりながらカット袋にサインする私。
「超能力が上がってるんスね!?」
「何それ?」
「通し力」
「………それは……もしかして、透視力の洒落なのか?」
「うん」
仕事しろ、仕事。
私の仕事の負担をいかに軽減するか、これも重要な問題である。本格的に原画チェックを優先させるとは言え、レイアウトをないがしろには出来ない。制作が要求通り原図整理の人間を連れてくればよいが、あてにならない上に私ほど描ける人間がおいそれといるわけもない。天狗。
そこで少ない手勢の中でやりくりすることになる。幸いなことに二村君が私の絵に近いテイストであり、手は遅いが器用にこなせるようなので、彼の担当分の原画を減らして他の人に振り、私がレイアウトを直し、ラフに描いた原図を整理して貰うことにした。
二村君は原画をやりたかっただろうし、私も上手いと言われる彼の原画をもっと見たかったのだがいたし方ない。名うての手の遅さにも原因があるのだ、反省せいよ、二ちゃん。私だってラフのまま絵を他人に渡すなど、気持ち悪いことこの上ないのだ。
こうして「やりたい仕事」が「やらなければならない仕事」に変わっていく。今更それを嘆きはしないが、こうも急に裏返されてはやはり辛い。
しかし、気力はいっぱいだ。
この約10日間でのチェックの上がり数は、私の妥協と演出・松尾氏の機転と作監の不眠不休の努力の甲斐あって、尋常ではない数に上ったはずである。それでも制作の要求する数には当然遠く及ばない。
一方我々が制作側に要求した「援軍」のスタッフであるが、当然来るはずもない。本気で期待したわけではないが、増援がないとなるとこれ以上のペースアップは無理である。しかし続けるより他に策はない。
悲壮感が漂うような状況であるが、この頃はまだ現場は意外と和気あいあいとしていたと思う。どうせ結果が同じなら仕事は楽しくするのが、この面子 の身上なのである。追い込まれていても、きつい言葉を吐く人間がいないのが、本当に救いであったと思う。もっとも現場にいない「困ったちゃん」には相当ひ どいことを言っていたと思うが。ごめんなさい。
時間のない中での作業で更に時間をとられる「困ったチャン」にも日に日に怒りは増大していくが、私の怒りの大賞、いや大将、いや対象は何といってもハマグリをおいて他にない。この頃はすでに怒りメーターで言うところの75パーセントくらいにはなっていたはずだ。
ある日私はふと自分の足元を見て、履いているサンダルのちぎれ具合と自分の堪忍袋の緒とのアナロジーについて深く考察し始めた。
本気だ。
私がスタジオで愛用していたこのサンダルは、イボイボのついたいわゆる健康サンダルというやつで、幾多の苦労や危機を共にしてきた歴戦の勇士とい える。いつからかは定かでないが、おそらくは「MEMORIES・彼女の思いで」で私の供になったと思われる。スーパーで¥1,280程で雇い入れたであ ろう。¥980でないあたりが見栄っ張り。
その後未完の大作「蒼きウル」、大変な激戦となった「ジョジョの奇妙な冒険/第5話」と転戦を続け、私が自宅でマンガを描いているときには下駄箱の中で十分な休息をとり、そして「パーフェクトブルー」という戦のために馳せ参じてくれたのだ。私が電車で運んだのだが。
既に老兵と言ってもいい体になってしまっている。
特に左のサンダルは足の甲を覆うベルト部分が、本体から半ばちぎれかけている。本来室内戦用の彼なのだが、私はマッドハウスに着任して以降、スタジオの
近所の本屋やコンビニくらいは履き替えもせずに彼のお供で出かけてしまっていた。底は見事にすり減っており、雨の日に何度滑って転びそうになったか分から
ないというのに、懲りない私。
その激務がたたったのだろうか、表皮の黒いビニールは無惨にむしれ、中の白いナイロン繊維もずたずたに裂け、毎日少しずつ残りの幅も減っているようだ。
この残りがちぎれた時がお前の死、だな。しかし長年共に戦ったお前を、私はただ死なせはしない。やらせはせん、やらせはせん!! お前が履き物としての生を全うした時、冥界の亡霊どもに誓っても私はお前をきっと再生させてやる、殴る道具として。
お前は武器になるのだ、ハマグリを殴る道具としての。お前の残り少ないそのベルト部分は私の堪忍袋とイコールだ。お前が切れれば私も共にキレよう。
本気だ。
|
またもや何だと言われそうな絵だが、これも私の絵。前出の
「アンドロイド一号」同様、手慰みにマウスで描いたもので、ぎこちない線と、やはり不満げな口元が当時の私の気分を反映しているように見える。妻が言うに
は私に似ているそうだ。とすれば、赤い鼻はアルコールのせいか? 阿佐ヶ谷駅前のそば屋で『銀盤』を飲み過ぎたのか? 名前は何というのだろう? 赤い髪
は怒りのせいなのか? それを強調する補色のグリーンが気になる。ペインターのデフォルトで用意されている布の模様が安易だが、わざとなのだろうか? そ
れとも他にやり方を知らないのか? さらに画面右下で切れている左手が不安を誘う。その先に握られているのはやはりブチ切れたサンダルだろうか? 不安だ。 この怪人は私のお気に入り。 |
「本当にこのスケジュールで上げる気なのか?」あるいは「ペースアップのための方便だ、はったりに違いない」などと毎日制作の腹の内を考えながら、不安
感と二人三脚で目の前のカットをこなしてある日のこと、プロデューサー自らが慌ただしいムードで私の机のところにやって来た。
「そろそろ声優のキャスティングをフィックスしたい」
まさか、この段階で本気でアフレコの予定を組む気なのか!?