■暗雲の呼吸


 この気まぐれな連載も今回で何と14回目を数える。当時の怒りも随分と薄らいできたが、一部の読者の応援もあることだし頑張って最後までたどり着きたいと思うので、読んでいる方がいたらお付き合い宜しく。
 風の噂に業界人でこれを読んでいる人がいると聞きましたが、気を悪くしたらすいませんね。
「いいのかあんなこと書いて」と言ってる人間もいたという話ですが、私的には随分と甘口に書いているつもりなのです。何か抗議や異論反論、罵詈雑言などあ りましたらそれは貴方の胸にしまって即刻この駄文を読むのをやめて下さい。かわりに激励や感想、ご意見なら受け付けますし、「私が知るアニメ業界事情」と いったものがありましたら是非お寄せ下さい。作品の数だけ修羅場は存在することでしょう。
 それにしても、だ。他のアニメ関係者が作っているページはほとんど見たことがないけれど、こんなこと書いてるやつは私だけなのか? これってルール違反? 


 フォォォォォォンンンンンィィィィン、カチ、フォォォォォォンンンンンィィィィン、カチ、フォォォォォォンンンンンィィィィン、カチ、フォォォォォォンンンンンィィィィ……。画一的現代日本文化の象徴たるコピー機は、唸り声を上げ休むことなく働いている。

 制作のガンプ君が日がな一日コピー機の前に立ち、来る日も来る日も原画・動画のコピーを取り続ける。アフレコをしのぐためのフィルムの準備だ。彼はもはやコピー機の一部と化している。

 ガンプ君はこの当時制作としてはド素人で、まったく使えない丁稚状態である。とはいえ彼の純朴な人柄もあり、やることの拙さには目をつむることにしていた。期待してがっかりするくらいなら最初から当てになどしない、というのがいつの間にやら身に付いた習い性。

 が、無能カルテットといわれた制作の中で、唯一足を引っ張らなかったのが、誰あろうガンプ君なのである。彼は非常にシンプルな頭脳構造らしく、二 つ以上のことを頼まれると両方の用件を忘れてしまうという、一般的に言えば欠点を持っていたのだが、一つだけ頼む分には最後までやり遂げる男であった。
 冗談ではなく、誰もが認めていたことだった。その後襲い来る修羅場の中で、私が彼に頼み事をしたときである。同じく彼に何か頼もうとした松尾氏は、既に私が彼に用件を頼んでいることを見て取って言ったのだ。「あ。じゃ、いいや、後でいい」
 裏を返せば他の制作は頼んだことを一つとして満足にできなかったのだが。

 私はこの頃は彼を只の使えない新人だと高をくくっていたが、スタッフの中で唯一人彼の素質を見抜いていた人間がいた。“ラーメン男”栗尾である。先見の明、有り。
 栗尾は言った。
 「今さん今さん、あのね、制作の新人君はまだましだよ」
 「え〜?そうかぁ? だって何にも知らないぜ」
 「新人なんだからしょうがないッス」
 「そうだけどさ、反応鈍くない?あいつ」
 「今さん今さん、見た目で判断しちゃダメッスよ。見た目は割り引いてやりぃや」

 お世辞にもガンプ君は見た目に切れ者には映らない。例えて言えば、そうだな、力は強そうな門前の小僧といったところか。分からねぇか、それじゃ。

 「今までの制作の中で一番ちゃんとしてるッスよ」
 栗尾は力説する。
 「こっちが何も言わないでも、自分から台所の掃除をしたのは新人君が初めてッスよ」

 仕事場には小さな台所が付いているのだが、いつも汚く小蠅がたかっていることも希ではないような有様であった。トイレもおよそ長居は無用の状態で ある。私も気持ちに余裕があるうちは掃除をしたりもしていた。するとガンプ君が慌てたように近づいてきてこう言った。「あ、あ、ボクがやります、監督がそ んなことは……」ありがとよ。掃除が好きな監督もいるのさ。
 他の制作はマンガを読む暇はあっても掃除をする暇はないということらしい。確かにガンプ君は毎朝スタジオの床を掃き、各スタッフのゴミを回収していた。それ以前には見られなかったことである。

「カマキリ君はダメだよ、おいらがトイレの紙がないから持ってきてって言ってるのに、何もしないで帰っちゃうんだもん」

 スタジオに寝泊まりしている栗尾にしてみれば、大事な問題ではあろう。
 それにしても、である。そんなレベルで使える使えないという話をしていること自体が、ああ情けなや。

 ひたすら続く原画のコピーの枚数たるや尋常な数ではない。それを更に切り抜いたり、大判のカットを張り合わせたり、撮影用にタップをつけたりしな ければならないのだから相当な手間なのである。しかもアフレコには不要と思われる原画のコピーは、何の役にも立たないままゴミ袋の肥やしとなる。チェック する演出・松尾氏の足元のその袋はみるみる膨らみ、持ち運ぶのも困難なほどとなる。資源の無駄。なぜにアニメはかくも地球に優しくないか。

 アフレコ用とはいってもシートのチェック、というかセリフ尺のチェックはしなければならないのだが、なにぶん私は本来の原画・レイアウトチェック に追われとても手が回らず、演出・松尾氏に見てもらうことになる。おんぶにだっこ。よほどの問題がなければ氏の判断に委ねてもらう。アフレコ後もう一度私 が本来の原画チェックをすることになるのだが、セリフの位置や会話の間を変えることは出来る。音をずらすのは可能だし、セリフの尺さえ変えなければ問題は ないのだ。そうは言ってもセリフの尺には個人差もあるので、自分でチェックしたかったのだが、スケジュールは容赦してくれない。細かい芝居のニュアンスに 神経を使っている場合ではない。アフレコまでにフィルムになるかどうかが先決なのだ。

 シートに書かれたセリフをストップウォッチ片手に秒数を図るのだが、この時点でも目を通してない上がり原画が300以上、未上がりの原画も200はくだらないはずである。

 上がってない原画約200の中でセリフのあるカット、またアクションシーンなどの息継ぎや悲鳴などがあるカットを洗い出し、担当原画マンにアフレコ用に先行して“ラフ原画”を上げてもらうという、これまたタイトロープな方法で埋め合わせる。そんなんばっか。

 声優さんのセリフのきっかけになるようなアクションなど、最低限の芝居が分かるようにするために必要なのである。レイアウト時に描いたラフな絵を利用するとは言え、二度手間には違いない。

 ともかく500以上のカットのセリフ尺を確認するだけでもかなりの手間である。松尾氏のストップウォッチは今では入手困難な針式のアナログタイプ なのだが、あまりの酷使にその針が折れてしまった。ちなみに私のストップウォッチはSEIKOのデジタル式。この仕事のために買った物である。演出・原画 マンには必須アイテムだろうが、設定・レイアウトで業界を渡ってきた私にはあまり縁のない物だった。前に演出をやったこともあるのだが、その時は他人から 借りてすましていた。演出技法も借り物? 失敬な。


 話が多少前後することになるが、この少し前、2月から3月にかけてであったろうか、別な意味で非常に現実的な不安が、我々パーブル班にどんよりとした黒い影を落としていた。

 ギャラが入って、ない。

 スタジオにいる原画マンに給料日が過ぎても拘束のお金が振り込まれていないというのだ。ひそひそ声で噂が広がる。「マジ!?銀行行ってないから分からないけど…」「ちょっと遅れてるだけかもしれないけど……」ちなみにギャラが遅れるなどはよくある業界である。

 「エ?ウソ?さっき銀行行ったら入ってたよ」とは勝一氏。どうやら確認の結果、他の原画マンや私や作監、演出等はいつもと変わらずにお金は振り込まれているという。一体どうしたことか? 予算が底をつき始めたというのか?

 細かい数字に触れるわけにはいかないが、ここでちょっとスタッフの報酬の体系について触れておく。まず監督の私であるが、これは監督を引き受ける 当初に提示された「監督料」という額があり、「この作品一本を監督するギャラ」ということで、それを予定された制作期間、約12ヶ月(笑)で月割りした額 を毎月振り込んで貰っていた。悪い額ではない。むしろ作品規模を考えると有り難いものだ。しかし4月を迎えた段階で、確かこの金額は満額貰っていたと思わ れる。制作が遅れているのには私にもかなりの責任があるので、制作期間が伸びた分、月々同額をもらえるとは思ってはいなかったが、有り難いことに私はリ テーク期間を含め最後まで同じ額のギャラを受け取る幸福に恵まれた。

 作監や美監についても細かい数字は知らないがおそらくは同じような扱いであったと思われる。

 原画マンや背景マンについては2種類の支払いの形がある。まず一つは「単価」といって原画や背景を1カット描いて幾ら、という至って分かりやすい 明朗会計である。パーフェクトブルーの原画は1カットにつき、6,000円。安い。非常に安い。ビデオ作品にしても安い方ではないか。私は随分後になって この金額を知り、知り合いの原画マンに仕事をお願いしたことを後悔したほどである。アニメは趣味ではない、仕事なのだ。
 だったらその単価に見合う内容にすれば良いって? そこがジレンマ、さ。予算と作品のクオリティが釣り合った作品など作った日には「手抜き」と後ろ指を 指されるのがオチだろうし、そんなものを作る気はない。予算の5割6割り増しの内容を求めるのが当然になっているのが現状である。

 今も昔も原画の単価はそう変わらないという。世の物価に連れて変動していくわけではないあたりが、浮き世離れした業界をよく現しているかもしれない。フリーランスの仕事はどこも変わりはないだろうが。
 テレビシリーズだと1カット3,000〜3,500円くらいのもであろうか。最近はビデオ販売を前提として作られるケースも多いので、もう少し単価の良 いものもあるとは聞くが概ねこんなものであろう。ビデオ作品というのはピンからきりまであるので一概には言えないが、5,000〜10,000円くらいだ ろうか。ビデオ作品の一本あたりの予算が以前ほど出なくなっているので、原画の単価も悪くなっているようだ。アニメバブルといわれる昨今でも、バブルなの は制作される本数だけで報酬がバブルだったことは、ない。

 劇場作品となると、これもピンきりで10,000〜30,000くらいの幅であろうか。“あろうか”などという曖昧な表現が多いのは私は原画マンだったことがなく、切実な実感が無いせい。

 劇場の単価というのは「おいしそう」に見えるかもしれないが、今日日の劇場アニメのレベルを考えると、これが一番食えない。要求される内容が複雑 で手間がかかるため、1カット上げるのに1週間かかることなどざらである。カット30,000といっても月の稼ぎが4カットで120,000ではシャレに ならない。修行しているわけじゃない。ビデオ作品も劇場レベルに近いものもあるのでやはり同様の惨状である。真面目に仕事をして、内容を凝ろうとすればす るほど生活は圧迫されていく、どころか喰うこともままならない。テレビシリーズの原画を描き飛ばして数を稼ぐほうがよほど食える、というのはよく聞く話で ある。それにしたところでキャラクターの線の数が増え、影の多いバカデザインの絵が多い現状では月に30万稼ぐのは容易ではない。ああ、ジャパニメーショ ン。

 それともう一つの報酬体系が先にも触れた「拘束」というもの。その作品に専属で携わるということで月極のギャラが毎月支払われる。これは人並みに暮らしていける程度には貰えるし、安心して仕事もできて良いことである、が、しかしである。

 その額が妥当なものかどうかは別にして、制作期間が一月伸びれば当然人数分の拘束料が払われる。予定した制作期間を元に組まれた予算組であるからして、その分は予想外の出費となる。予備費があるとはいっても2ヶ月3ヶ月と伸びれば当然赤字となっていく。

 さらに悪い言い方ではあるが、拘束でお金を貰う安心感から呑気に仕事をするケースもよく見受けられ、単価仕事に比べ一月に上がるカット数が減って しまう。一月の拘束料を上がったカット数で割った場合、1カットの単価が10万、20万になる場合も出てくる。単価で仕事をしている人との格差がひどく不 公平な事態であるのだが、作品にはそのくらいかけてでも作るべき“見せ場”というものもあるし一概には言えない。このあたりの事情をきちんと説明しようと するとそれだけで超大作になりかねないので、別な機会に譲るとする。

 簡単な内容のカットもあれば一ヶ月かかるようなカットもあるのは当然である。そうした“見せ場”や“手間暇のかかるカット”は拘束の上手な人間に頼むのが常なのだ。パーブルもその例に漏れない面はあるのだが、実に理不尽な面も浮き彫りになった。

 「ラジオ局内からの未麻とバーチャル未麻との追っかけ」の原画を担当してくれた本田師匠、「終盤の屋根の上での追っかけ」のピエール松原君、「ス トリップ、レイプシーン」の新井浩一さん、「村野殺害シーン」の橋本晋治君、といった作品上での見せ場を受け持って貰った人が単価6,000円という、非 常識な値段で誰にも増して良い仕事をしてくれた。どのシーンも普通にかかりきりでやったとしても2〜3ヶ月はゆうにかかる内容である。なのに、なのに、な のに。その仕事の報酬はは困ったちゃんの一月分のギャラにも達しない。本当に本当に申し訳ない。これらの面々は誰よりも演出作監の手間が掛からず、ほとん どノーチェックで通せる内容であった。月々固定給で使えもしない原画を積み上げてくれる困ったちゃんとの落差を思うと、やりきれない思いがする。しかもこ ちらが拝み倒して引き受けてもらったというのに。

 もちろんスタジオ内で拘束されていた面子もいい仕事を残してくれた。冒頭コンサートシーンの森田君、手間のかかるモブや後半の内田に襲われるシー ンの栗尾、撮影所内の実に根気のいる芝居をこつこつと仕事をしてくれた川名さん、デパート屋上のミニライブを担当してくれた鈴木さんなど、頭の下がる仕事 ぶりであった。

 話を戻すが、その内部のスタッフに何の通達もなくギャラの支払いが切れた。それも一部のものだけというのは実に不可解な話である。
 理不尽と非常識の背後に立つ影は決まっている。ハマグリの仕業であった。

 結局ギャラの支払いはなされた。確かにスケジュールはオーバーしたし、予算ももしかしたら赤が出てはいたのだろうが、経理の方では最初から払う気 はあったという。真相はいつも明快で、動機は不可解であったりする。ギャラの支払いが急に途絶えた人の請求書は、経理に届く前にハマグリの机の引き出しに しまい込まれて眠っていたという。
 「すいません、出し忘れてました。」だと!? 
 この事態はその後もう一度繰り返され、ハマグリは同じ言葉をたれたという話。

 給料停止になった原画マンがハマグリに詰め寄り怒りの抗議を浴びせる場面は何度か見られた光景だ。その声を聞きながら私の鉛筆は何故か快調に走るのだった。
 「もっとやったれ!壊せ壊せ!」
 壊すって表現もな。すでに壊れてるんだし、ハマグリは。

 それにしても分からない。「スケジュールが延び、予算がオーバーしてることに責任を感じたんじゃないかなぁ」とかばう制作側の人間もいたが、それにしたってなぜにすぐばれるウソをつく、ハマグリよ。既知外め。

 崩壊したスケジュールに加えお金の心配まで加わりながらの苦しい制作が続く。

 3月中旬の不毛の打ち合わせから3週間も過ぎたであろうか。出したカットは200はくだらないはず。総計では300近い数になっていたと思う。だ というのに韓国からの動画・仕上げ上がりが少なく、本撮用の撮出し(セルと背景が揃い、撮影できる状態になっているかを確認して、また撮影に対して指示を 出すことを言う。撮出しは松尾氏が担当)はまったくと言っていいほど進まない。ラッシュチェックも週に十数カットあるかないかといったペースだ。おかしい ではないか。

 韓国のスタジオの受け入れ態勢を組んだので、早く上がりを出せといっておきながら、なぜ上がりが少ない? 確かにセルだけはあっても背景が上がっ てない、セルに特効が入ってない、などの理由は考えられるが、それにしてもカットがフィルムにならない。素材が揃っているかどうかをデータ上で付き合わせ て確認するのは、無論制作の仕事で、カマキリ君がその担当。

 後に判明したことではあるが、制作の怠慢が原因であった。カットの管理すら満足に出来ないのではたまったものではない。

 アフレコが出来さえすればよい、というフィルムではあったが、カットによってはどうしても色つきにしたいものもある。例えば本編後半で、マネー ジャーのルミが歌を歌うカットがあるのだが、芝居が微妙であり口の動きが原撮や動撮では分かりにくい。枚数もかかるカットであり、優先して作監を入れても らい、韓国に送り動画仕上げを先行するよう制作に頼んだのだが、これが一向に上がってこない。松尾氏の方から何度も催促をしたのだが、対応はない。いよい よアフレコも迫り、動画でもよいから撮影しなけれならないということになったのだが、そのカットが現在どこにあるのかの確認すら非常に手間取る始末。

 こんな時に必ずハマグリの姿はない。仕事を頼むと「はい、分かりました」という素晴らしき二つ返事の元にスタジオを出ていき数時間帰ってこない。 いつものことである。仕方なく別な制作、カマキリ君あたりに同じことを話すことになる。カマキリ君はカマキリ君で物覚えが悪い上に責任感の持ち合わせが少 ないようで、同じことを繰り返さねばならないことが多い。更にカマキリ君が原画の回収などのためにいなくなると、またぞろ同じことをネズミちゃんあたりに 話さねばならなくなり……。はーははははは、巡れ因果よ、因果よ廻れ。解脱する術なんかありゃしない。

 疲れた頭で彼らと話をしていると、不思議な既視感にとらわれることが多い。『これは前にも同じことを喋ったような気がする』『まったく同じシーンが以前にもあったような気が……』

 「未麻状態」という。さっき伝えたことを繰り返し、一週間前の指示をおさらいする。台本のセリフのように口に馴染んだ言葉を繰り返す胸の内には無駄に流れた時間が去来し、視線は遠くをさまよい出す。返せよ私の時間を。

 松尾氏が制作との接触がもっとも多くなるため、一番の被害者であったろう。最初は「頭が未麻ッス」と笑っていたが度重なると、頭がおかしくなりそ うであった。修羅場になるに連れ我々とて左脳に少々の混乱は来してくる。「前にも言ったはずだろ!」と怒る一方で、『あれ?本当に言ったんだっけか……』 という懐疑が頭をもたげ、発した言葉が現実か夢か思いこみか、はたまた記憶の混乱か甚だ自信が薄れてくるのだ。ああ、未麻よお前もこんな思いをしたのか?  登場人物に思い入れなんかしない、と言い切ってきた私だが少しだけ気持ちが分かるぞ。しかし出来ればこんなことでお前の気持ちを分かりたくはなかったの だがな。

「私、もう自分が分からない……」

 いや、ホントに。