■ビージー・ア・ゴーゴー

 私によく似た男は出口を探して歩き続け、私もなお修羅場の戦火の中を歩き続ける。お互いなかなか出口は見つかりそうもない。

 6月を迎えた頃であろうか。ある日背景が上がってきた。別に驚くには当たらない。
 打ち合わせをして頼んだものが上がってくるのは喜ばしいことではあるしそれこそ正しいあり方であろうが、頼んだ覚えもないものが上がってくるのは、自分の亡霊話を聞かされるよりちょっと怖い。

 このことの真相については後に詳しく記すとして、美術・背景に関してはこの「戦記」ではあまり触れていないのでちょっと美術・背景に関する話を記してみよう。現場では通常「背景」とか「BG」とか呼んでいる。BG、バックグラウンドである。
 作画に対して作画監督があるように、背景に対しても美術監督というポジションがある。我がパーフェクトブルーにおいては池 信孝氏である。確か私より一 つ年下であったろうか、当時。いや今も変わるわけはないか。随分前に記したが、池氏とはこの仕事が初顔合わせでプロデューサーに探してもらい美監を引き受 けてもらっていた。

 氏のこれまでの仕事をよく知らないままに参加してもらったのだが、結果的には大変よかったと思っている。前評判としてはリアル系の絵が得意、と言うこと くらいしか知らなかったのだが、「リアル」というのも千差万別な解釈がある。パーフェクトブルーの求める「リアル」という点を摺り合わせるには監督と美監 の間で様々な曲折はあった。
 キャラクターにはキャラ表や色指定表があるように、背景には美術ボードと呼ばれるものを作成する。美術監督が描いたいわば「背景見本」みたいなものであ り、各シーンの担当背景マンはこれを元に作業を進める。だからといって背景マンの個性が出ないというわけでは無論無いのだが。さらにキャラクターのシーン ごとの色指定もこのボードを元に設計されるわけだ。

 美術ボードは作品の「カラー」を決める大事なプロセスなのである。カラーという言葉を「」でわざわざ囲ったのは、何も色だけを決めるものではなく、画面 やシーン、ひいては作品の雰囲気、キャラクターの心情の表現など色々な意味においての「カラー」を決めるのがこの美術ボードなのである。何しろ画面を占め る面積でいえばセルより背景の方が多いくらいなので、当然そこで表現されるべき事も多いわけだ。背景だってセルと同じく「芝居」をするのである。

 本編を御覧になった方はお判りいただけると思うが、全編を通じて登場回数も多く、また印象的なのは「未麻の部屋」の筈である。違う? そういうあなたは私の演出が通じなかった人だな。けぇってくれ。
 ともかく私にとって、いや作品にとって一番大事な背景はこの「未麻の部屋」である。よって最初にボードに取りかかってもらったのもここである。が、これは難航を極めた。まず、単純な意味での色が決まらない。
 最初にこちらでは特に注文を出さず、私が描いた部屋の設定を元に池氏が思う通りに描いてもらったのだが、これが何というか誰もが考えるというか無難すぎるというか、「いかにも」なものが第一弾として上がってきた。
 「女の子の部屋=ピンク」。確かにそれは分かりやすいかもしれないが、そういうのはどうにも「オッサンが考える若い娘」のイメージであろう。私とて立派なオッサンではあるが、一応「未麻になったつもり」で描かねば「らしいもの」は出てこない。エヘへ。
 そこでその最初のボードを元に色々な写真集を参考にして検討することになる。どれどれ若い娘は如何にして暮らしておるのか。その辺のことは私も設定を作る段階で随分と詳しくなってきてはいたのだが、何と言っても描いて貰う人間に伝わらなくては意味がない。

  「白熱灯の黄色」というのが「未麻の部屋」のキィカラーとなったのだが、一口に黄色と言っても幅はあるし、白熱灯の印象というのも様々だ。小物類を描写す るのでもそれぞれの固有色、またそれらが白熱灯の色味の影響をどの程度受けるのか、と言うのも解釈の幅は大きい。まして、こういっては失礼かもしれないが 女の子の部屋をそうたくさん見た経験がないのは池氏も多分私と同様の筈だ。業界に女子は少ないし、業界人は外の女子と知り合う機会もなく内気な人間も多く て……って話が違うか。
 「未麻の部屋」の美術ボードはもっとも多くバリエーションが作られたと思う。基本になる「白熱灯をつけた状態」だけでも決定までに何枚も描いて貰ったは ずだし、その他のバリエーションとして「電気を消した状態」「朝」「キッチン側」「マンション外観」「部屋から見た街の風景」など様々ある。

  度重なるリテークは描き手からも絵からも元気を奪う。さながら迷路に迷い込んだように美監からはピントのずれたものが上がってくる。リテークを重ねる事に 違う方に行ってしまうのだ。誤解のないように断っておくが、下手なものが上がってきたわけではなく私のイメージとの折り合いがつかないと言うことである。 リテークを出したものをもし本番で使用しても見ている人にとってはさして違和感は感じないものではあるのだが、何と言ってもやはり「未麻の部屋」はもう一 人の作品の主人公であるからして、私も心を鬼にしてリテークを出させてもらった。
 しかし不思議なもので、では他のシーン、例えば「事務所の中」「ストリップ小屋セット」などは割と一発で決定が出たりするものでやはり得手不得手があるのだろう。

  そういえば「ストリップ小屋セット」は設定から池氏が担当してくれたのだが、資料収集のみならず自発的に「現場取材」にも出向いてくれたようで大変な熱の 入れようであった(笑)。筆にも棒にも熱が……いや、それはいい。私は行かなかったのかって? ふふん、何事にも好奇心と注意の目を向ける毎日の私はかつ て“温泉番長”と旅をした折りに北陸の温泉街でふらりと、その、何だ、正しい温泉場での娯楽というやつをたしなんだ経験があったのだ。どうだったかって?  ちょっと痛々しかったな、特に男優がな、一日にそう何度もいかに仕事とはいえ……つらいわな。おまけに我々は上演中に小一時間も眠ってしまって踊り子さ んには大変申し訳ないことをしたな。そんな話はいいか、別に。

 決定の出ない「未麻の部屋」ばかりを描いて貰っていては描き手の調子 も下がる一方なので、こうして他の部分にも手を付けてもらいながら作業を進めてもらったのだが、しかしどうしても「未麻の部屋」が決まらない。本人に後で この当時の事を聞いたら「さっぱり分からなかった」というからどうにもしようがない、というか撃つべき弾すらなくなっていたという感じなのであろう。私も そろそろ限界かもしれないと思い、それまでに上がった中から決定を出す気になりかけていた頃、十何枚目かのボードの改訂版を持って池氏が打ち合わせに現れ た。最初の頃は池氏は自宅作業であった。

 「あ、これですよ」

 決まるときはいとも簡単である。今まで何故描けなかったのかが分からないくらいにそれは「普通」に見えたような気がする。何でもなく「未麻の部屋」であった。そこが難しいのだな、多分。
 こうして難産の末に「未麻の部屋」は産み落とされ、この色に準じて部屋にいるときの未麻の色や小物の色が決定されていくことになった。さてここにまた別な問題が生じる。

 セルアニメならではの処理に、背景とセルを分けるというのがある。単純に言えば、そのカットの中で動くものはセルにしなければならない。レイアウト段階においてこの処理を決めるのだが、通常「セル分け」と呼んでいる。
 カットによっては全ての物をセルで表現するという方法もあるが、あまりこの方法で表現すると見ていて大変うるさく、かつ潤いにかける画面になるので、通常は動かない部分や質感を伴う物は背景で処理するのが一般的である。
 背景を描くにはポスターカラーという大変プリミティヴな画材が用いられる。アニメを見たことがあれば分かるとは思うが、動く部分、透明なセルに色面をベ タ塗りした物と、筆で描写された背景やBOOK(セルの手前などに来る背景描きの素材)ではその質感に大きな差異がある。慣れてしまっているのでこの表現 に違和感を感じる方は少ないと思うが、本来この大きく異なる表現方法は一つの画面に収まる物ではないと思われる。かといって現実的に考えて他に方法も見あ たらないし、また長年積み重ねられてきたノウハウによって確立された一つの表現方法でもあるのでここに疑問は差し挟まないことにする。

  あるカットに対してどれをセルにして、どこを背景描きにするかは要求されるカット内容によるのは無論のことだし演出家の好みによって大きく分かれるところ だ。私の場合キャラクターが「その場所にいる」という臨場感を大切にしたいので、比較的セルを多めにする方、というよりしたい方だ。たとえカット内で動か ない物でもセル扱いにしておいたほうが、「動きそうな感じ」「手に取れそうな感じ」がして画面に生活感や活気のような物が感じられる。私だけ?
 背景の方の技術を云々するわけではないのだが、完成した背景にセルを載せると、特にキャラクターに近い部分が遠くに行ってしまったように感じられ空間感 だの臨場感が損なわれる気がするのだ。背景を単体で見ると素晴らしい出来上がりであっても、セルと合わせたときに生じるその印象は拭いきれないし、これは 技術というより技法の問題かと思われる。勿論美術・背景マンの中には違和感無く仕上げてくる人も存在する。

 「未麻の部屋」にはとにかく小物が多い。セルで表現するものもあれば、当然背景処理のものあり、更にはハイブリッドの処理として「ハーモニー」という手も用いた。
 これは背景処理したものにセルで実線部分を乗せて、セルとのマッチングを図るわけだがこれはこれで実線部分とのズレを気にしながら描くので背景の方は手 間がかかるらしい。我々作画よりの人間はどうしても主な武器が鉛筆であるからして「線」で考えがちになるし、背景の方は筆という「面」の道具を使っている のでそれぞれの発想の間にも溝があるようだ。
 「描き込み好き」「密度好き」の私の要求は池氏をはじめ美術・背景のスタッフに大変なご迷惑をかけたかもしれない。しかしその甲斐あって出来上がった フィルムを見たお客さんから「背景」に対する評価も高かったようで少しは報われたと思って貰えると嬉しいです。リテークばかり出してすいませんでした。

 作打ちについては以前記したと思うが、背景を発注する上でも監督、演出、美術監督、そして担当背景マンによる打ち合わせは行われる。先にも記したように 「美術ボード」を前にして色の他にもボケ具合だの質感などを説明して行くわけだが、全てのシーンのボードを用意できるわけもないので担当背景マンに「お任 せ」のカットも出てくる。1、2カットしか登場しない背景まで美術監督が手ずから描いていては終わるものも終わらない。加えてお世辞にも池氏は手が早いと は言えない方だ。よって資料写真や近いイメージのボード、また外国人助っ人マックの加入以後はそれらしい写真を取り込んで色を加工して作ったボード代わり のものを元に説明するわけだが、賢明な読者諸氏においては「未麻の部屋」の例からも分かるように、簡単にこちらのイメージが伝わるわけもなく上がりを見る までは何とも分からないわけだ。美術ボードが用意されているシーンにおいてもやはり同じことは起こりうる。

  上がってきた背景は美術監督を交えて演出側がチェックして、原画と同様「OK」「リテーク」のカットに選別される。リテークを出してもイメージが伝わらな い場合は美監が直すことになるわけだ。原画と違って難しいのは上から修正用紙を乗せて部分的に直すと言うことが出来ないので、絵に直接筆で描き足していく ことになる。どうにもならない場合はやはり原画と同じく描き直しとなる。同じことを繰り返すようだが「下手」だから直すとは限らない。合わないから直すの である。

 背景作業でもやはり難しかったのは「未麻の部屋」でなかなかイメージが伝わらない。特に「赤色」。
 フランスの雑誌の取材でこんな事を言われたことがある。

 「パーフェクトブルーというタイトルの割には“赤”の方が印象的だった」

 それはその通りであろう。「未麻の部屋」は「白熱灯カラー」ということもあり黄色の光の元では、青、緑といった色はその固有色を大きく失う。反対に赤は 比較的色が残って見える。だからといって特に赤が強調されて見えるわけでもないのだが、そこは「演出」が介在してくる。
 そのフランス雑誌のカナダ人記者にはこう答えておいた。

  「あの赤は“血”の象徴です。プロットの最初の頃には未麻の“性”、というかセックスそのものも描きたいと思っていたのですが、結局話の中ではその部分に 触れられなかったので、その残滓としてあのような形で画面の中に“血”の象徴を残したつもりです。あれは未麻の生理というか“逃れられないもの”の象徴な わけです。」

 このコメントがどこまで本気なのかはともかくとして、そんなに嘘ではない。
 であるからして“赤色”だけは絵の中で浮いて見えるほどに鮮烈にしたいというのが私のイメージであった。美監の池氏はそれを面白がってくれてかなり近い画面が出来たと思うのだが、私の説明力の欠如も手伝い、背景マンの方にはご迷惑をかけたかもしれない。
 「絵をまとめる」というのもなかなかに難しい上に、「赤が浮く」というようにあえて「絵を壊す」というのも一段と難しいもので、仕事の性格上常に絵をまとめるベクトルに向いている意識を意図的に外すというのは生理に反するものなのかもしれない。
 この“赤”は「未麻の部屋」のみならず他のシーンにも応用され、どのシーンにおいても不自然に強調された“赤”が散見されるはずである。もっともこの表現は当然オリジナルのものではなく「写真」の流行に影響されたものである。

 3月のあの突然のスケジュール打ち合わせ以来、池氏もスタジオ内の机での作業となり修羅場を迎えるに連れ机の下で眠る姿がよく見られるようになった。作監同様この作品においてはやはり補佐は存在しないし、背景だけはさすがに私も直しに手を出せない。
 筆を持つことにも多少の覚えがあるとは言え、そこまで抱え込んでは終わるものも終わらなくなるであろう。もっとも「ジョジョ」のときには上がってきた背景をマーカーで随分と直した覚えはあるが。
 “ラーメン男”栗尾や松尾氏曰わく
「今さん、鬼みたいにガァーッと塗りつぶしてじゃないですか」というのだが。
 ひどいことをいうなぁ、そんなに直したわけじゃないと思うがなぁ……クスクス。

 さて冒頭で触れた“背景のゴースト”の話。
 以上の説明からも分かるように正しい背景とのお付き合いの手順は「知人の紹介→花を持って自宅を訪ねる→紹介してくれた知人を交えてお話をする→……」 そんな回りくどい女子との交際は嫌だな、って背景の正しいあり方の話であったか。「背景打ち合わせ→背景作業→背景上がりチェック」というオーソドックス なスタイルが重んじられる。それがどうだ、私の前には打ち合わせをした覚えもないカットが積まれている。

 「背景上がりです。チェックお願いします」

 お願いします…って…エ? 私のとまどった様子に背景上がりを持ってきた美監・池氏も不審な様子。
 確か話しも後半の未麻がバーチャルに追われて屋根づたいに逃げる、一連の大事なシーンであったろうか。
 このシーンは確かにボードにはOKを出したが、背景打ち合わせをした覚えはない。合っていきなり性交渉の申し入れ、いや見知らぬ女性から「出来ちゃいま した」の爆弾発言ような驚き。もしかしてあの時酔った勢いで見知らぬ女性を、いやそんな戯れ言を言ってる場合ではない。しかも目の前の背景はお世辞にも良 いとは言えない内容だ。

 「あれ、これって…?」
 「韓国からの上がりなんですけど」
 「韓国ゥッ!? 俺、知らないよ」
 「エ!? 制作は監督のOKが出てるから、私の方から原図を出してくれって…」

 私の知らないところでこそこそと美監にウソをつき、勝手に背景原図を韓国に送るようなまねをするやつがいるとしたら。もうお判りですね?

 「すいません、確認したと思ってました」

 怒る気力すら奪うハマグリの弁。人間ブラックホール。全ての前向きな意欲や努力を吸い込み二度と再びかえすことはない虚無。みんなの血と汗と努力と熱意よ、サイナラ。
 茶色い顔色は、正にブラックホールに相応しい。
 見え透いた嘘も勝手に背景を海の向こうに送るのも繋がっていない電話の向こうからの指令なのであろうか。受話器の向こうに広がる暗黒空間からの通信は誰が送っているのだろうか。

 打ち合わせをしていなかろうが事情を聞かされていなかったにせよ、上がった背景は既に目の前にあるのだ。そのDNAは間違いなくパーフェクトブルーのそ れに合致している。クリントンだって「やった」事は認めるくらいだ。知らないとも言えず無かったものにもするわけには行かない。時間は押し迫り新たに背景 を振る先があるわけでもない。動画も背景も揃わないことにはフィルムにならない。
 よしチェックだ。
 監督の私が知らなかったと言っても、美監の方で選んでくれただけあってこの一連のシーンは粗が見えにくい場所だ。ともかく暗いシーンというのがその理 由。上から直すにしても描きようもある。それに韓国のその背景はあまり良いとは思わないが、かといってひどい内容のものでもなくリテーク指示である程度は 「持つ」背景にはなりそうであった。欲を言えばきりがないし、これより作品にそぐわない国内の背景もたくさんあるだろう。置かれた状況の中で最大限の効果 を上げる、というのが亡くなったおばあちゃんの遺言だ。嘘だぞ。

 結局何度かのリテークと美監の修正でこのシーンの背景の上がりにも何とかめどを付け、その後も韓国、D・R動画の背景にはお世話になった。無論私の監督の下、であるが。
 とにかく上がりが早いのである。リテークを出してもすぐに直して帰ってくるのでこの時期には何とも有り難いことであり随分と助けていただいた。ありがとう。
 こうして何とか気を取り直して自分の机で作業を続けていたのだが、制作と話をしていた色指定・橋本君が「背景の韓国出し」の事を聞き及んだのであろう、漏れ聞こえてきた一言が胸を刺した。

 「エエッ!? 韓国背景まで使ってるの!?」

 あうっ。いや、だからそれは……