意外かつ唐突な事態によって漫画の仕事は終了した。
私の眠りをぶち壊す担当編集者からの一本の電話。「どうですか? 今回の進行の方は…?」「例によって芳しいとはいえない状況でしょうかね。」「ええと、今日ちょっとお時間ありますか? 編集長とお伺いしたいんですが…」「そりゃまた一体…?」「実は…………」
「雑誌が拝観? いや廃刊!?」
喫茶店で長々とした編集腸、いや編集長のお詫びを別にすれば、分かったのはただ二つ。後3回で読者に対する告知もなくぶっつりと終わる。単行本化もなし。
よって「後3回は好きに描いていただいて結構です。無理に終わりをつけようが、尻切れになってもしかたない。」とのこと。
いかに読者の少ない雑誌とはいえ、馬鹿にしている。まあ、いい。好きに描かせてもらうさ。
とは言ったものの尻切れになるのが分かっていながら、たった3回といえども作品を描く意欲の湧きようもない。さてそこで、はたと思いついた。 「OPUS」という作品の内容が内容である。メタフィクションのような物を描いてきて、この配管、いや廃刊という事態こそを描かないようでは馬鹿もいいと こだ。そう思い立ち、最終回を雑誌廃刊のことまで含めてネームにしたら、「この内容では雑誌に掲載出来ない」という変集長、いや編集長の一言で陽の目を見 ることはなくなってしまった。可哀想に俺。
自慢ではないが、今までの連載の内容から考えても一番の出来であったし、無論不適当な物ではない。まあ、こういう洒落も分からず、掲載もできないようだから潰れちまうのさ、と一人納得。まあ、編集も気の毒ではあるが。
かくしてこの幻の第20回は数ページがペン入れされただけで、下書きのまま放置され、他の連載陣の方より一足早く仕事を終えた私は、「これでアニ メに専念できる」とうそぶき、口笛を吹きつつスタジオ・マッドハウスに入ることになる。3月半ばのことである。そしてまず一番肝心な事から取りかかる。
「定期買わなきゃ。」
前回の最後にコンテにはいると書いたが、大きな事を忘れていた。第一の関門、コンテの前に設定関係という面倒な関所があったのだ。肝心なキャラは大ラフしか揃っておらず、美術設定にも手を付けていない。
まずキャラの問題だが、描かない巨匠を待って時間を浪費するのはごめんだが、かといっておいそれと切るわけにもいかない。一応は待ちの状態という 体裁。「いやあ、キャラの顔が決まんないとイメージわかないし…」もっともらしいが、どうせ揃わないキャラはこっちで描くつもりだったし、時間稼ぎの口実 以外の何物でもない。人が悪いというなかれ。時間も金も非常識に少ない業界ゆえ、隙あらば時間を獲得する方策を取るのが鉄則。
この間に色々と準備を進めることになる。まず美術設定である。単に設定と呼ぶことが多い。舞台となる場所、建物の外観、室内、そこにある調度品や 小道具等がどのような形でどのくらいの大きさか、といったことを絵にしていくわけだが、無論一方向からだけというわけにもいかないので、一概にはいえない が、一カ所について2〜3点は最低必要になる。SFやファンタジイ等、想像上の場所が舞台となる場合は全てにわたって設定が必要となるし(逆にいい加減で もいいと言うことでもある)、時代交渉や綿密なロケハンも欠かせないことも多い。最近のアニメはリアル指向の強いものが多く、最近は特にやっかいなプロセ スである。
カット121・レイアウト原図。未麻のアパートから見た風景。フィルムでは高架を電車が走り、右から左へカメラパン。この風景は、資料写真から色々なエッセンスを私の頭の中でカットアンドペーストして作った、「実際には存在しないが、どこかにありそうな」景色。 |
さてパーフェクトブルーは現代の、一応東京を舞台にしている。当然実際に存在するものも多く、写真資料や描き手の普段の観察力に負う部分も多い。 見るお客さんにとっても身の回りに存在する物が出てくるわけだから、嘘がばれやすいと言うことになる。シリアスな話の中に、例えば比率のおかしな車が出て きたりしたら興ざめもいいとこであるからして、ことに気を使う。
本編の陰の主役とも言うべきなのが、主人公・未麻の部屋である。繰り返し出てくる舞台である上に、ストーリー上のキィワードであり、また未麻の内面を具体的に象徴してもらう大事な設定だ。ふふ、部屋の様子はその時々の精神状態をよく表しているものだからな。
「あ、部屋片づけなきゃ。」
しかし自慢ではないが32年ほど生きてきて(当時)、女の子の一人暮らしの部屋なんざ数える程しか見ていない。寂しい青春だって?まあ、そんなもんだ。
そこで便りは資料ということとなる。世の中便利なもんで、打って付けの本があるもんだ。
●「YELLOWS PRIVACY '94」(撮影・五味 彬/風雅書房)
日本人女性の裸を、その女性の部屋の中で撮影したすばらしい写真集。もっとも、本人よりその日常がメイン。その微に入り細に渡った撮影の徹底ぶりは家宅捜索のようでもある。
●「TOKYO STYLE」
説明の必要もないほど近頃は有名になってるこの本。これもまた東京に暮らす人々の、室内のディテール写真集。住人が写ってないだけ余計に想像を掻き立てられます。
そのほかいろいろなインテリアのムック本等を参考に未麻の部屋の家具の配置やら所持品等のディテールを、設定したのだが、小物が多くなりすぎて後々自分の首を絞めることになる。もっとも画面で見たら、まだまだ物が足りなかったと思っているが。
その物がなぜその部屋に置かれることになったかを考えながら、一つ一つの小物を描いていく。ファンから貰ったであろうぬいぐるみだの、可愛がってる熱帯
魚、捨てられない花束の形をとどめようと作ったドライフラワー、謎の小袋だの細々した物を一生懸命に描いていく。そうすることが未麻という人物を掘り下
げ、彼女に近づくことになると信じて。
「お百度踏んでんじゃねえや」
未麻の部屋を作り出すためとは言え、女性の部屋の写真資料を舐め回す毎日。覗き魔にも似た、いやらし気持ちいい変な気持ち。それ行けバーチャルストーカー。
没入できずに絵は描けません。ホントか。
カット132・レイアウト。小物に埋められた部屋の一角。姿見の中に未麻。パンツが見えるのはご愛敬。 |
またキャラクターの仕事の設定上、ドラマの撮影所やロケ現場、イベント会場、ラジオ局等、普段私が目にしない場所も多数出てくるため、当然取材が必要となる。
手始めが本編冒頭にでてくる遊園地。私は頭から順にコンテを描いていくのでまずこれが必要だった。後楽園で戦隊物のショーをゲット。ここの会場は 本編に使用するには規模が大きすぎるのでスケールダウンして他のイベント会場の資料写真とも組み合わせたりして、「実際にはどこにもないが、どこかにある ような気がする」という代物をでっち上げる。これは全編に共通していえることでもあり、私の絵を描くときの基本的なコンセプトだ。ああ、バーチャル。
村井氏のご厚意で、氏が当時担当していたドラマ「怪奇クラブ」の収録を見学させてもらい、撮影所とロケの風景もゲット。手際の良いスタッフの動き
に感心。出演者の中にやけに目を引く女の子がいたが、道理で野村佑香ちゃんだった。間近で見た彼女は大変可愛く、取材ビデオは宝物。ホントか。
ドラマのスタッフの方は主にTシャツにジーパン姿で、どこかアニメの現場の人間と似た匂いを持っていた。裏方さんといわれるだけに、セットの中と外にはきっちりと線がある、と深く感じ入る。
撮影所にしろロケ現場にしろ、そこで使われている物は普段自分とは縁のない物で、用途不明、使い方も不明な物が多い。設定は写真・ビデオと首っ引きとなる。
一番笑ったのがアイドルのイベント会場の取材。某デパート屋上での水野あおいのイベントには少なからぬショックを受けた。現代を無視しているの か、超越しているのか分からない水野あおいその人の存在にも驚いたが、強烈だったのはやはり見に来ている人たちであった。アイドルオタクの兄ちゃんやいい 年したおっさん、カメラ小僧、そのカメラ小僧に撮られに来ているらしき自称美少女、同人誌売り、大声でわめく奴、ノートパソコンに黙々と何事か書き込む 奴、等などが、小さな会場を埋め尽くしている。月の写真でも撮れそうな望遠レンズを装備したカメラ、ノート型パソコン、携帯電話等ハイテクで武装しその ローンに追われながらもアイドルを追い、専門用語でアイドルを語る彼ら。その脇のベンチには老夫婦が疲れた足を休め、遊戯施設には無邪気に遊ぶ幼子。あ あ、晴天。
「平和だなぁ、日本は。」
少しづつ集めた資料を元に設定を起こしつつ、ついにコンテにたどり着く。足りない設定はコンテ段階で作っていくことにする。なあに、漫画を描いていたのは伊達じゃない。
さてファーストカットが難しい。「うーーーーーん、どうしよっかにゃあーーー」唸ることしばし。まずは思いついた物から描いてみようと、意を決してコンテ用紙に向かう。
「カット1、画面BLからフェードイン。」