■明日は我が身

 マッドハウス分室5階、当時劇場用アニメーション「X」(エックスと読む。バツじゃない。)の動画部屋に寄生する形で机を一つ用意をしてもらい設 定・絵コンテ作業を進める。パーフェクトブルーのスタッフは私ただ一人。実に寂しい。周囲に気遣いタバコも遠慮がちに吸うことにしよう。居候、三本目には そっと吸い、というやつだ。体にもいいし。と、言ってたのも最初だけの三日坊主。ニコチンとカフェインとアルコールで動くのだ、私のエンジンは。燃費はす こぶる悪い。

 キャラクターデザインの遅れに伴い、というかそれをだしに実際にコンテに入ったのは4月に入ってから。設定ももちろんだが、脚本段階で詰めきれな かった部分を、加筆あるいは削除・修正を加えつつコンテを進める。実際に取材や資料収集により、脚本当時より、作品に対する没入の度合いは深まっている為 で、脚本が悪い訳じゃない。作品という奴は生き物であるからして、日々刻々と変化し、育っていく。後戻りすることは出来ない。特にセリフの言い回し等は、 自分の生理もさることながらキャラクターの顔や人間性がはっきりとして来るにつれて変わることが多い。実際にいるわけじゃないけれど、どこかにいそうな気 がする人たち、というのが大事。広がれ!妄想。

characters

キャラクターのラフデザイン。チャム以外はほとんど私か作監の濱洲さんがデザインしたと思われる。上のは私の絵です。

 40〜50カット位、ラフに描いて流れを作り、清書をしながら、構図やカメラの動き、細かい芝居内容や間、設定のないキャラの顔やコスチューム、 設定を作るまでもない舞台設定、等のディテールも決めていく。こう書くと一遍にやらねばならないことが多すぎて大変に思われるが、大変だぞ。いや、マジ で。しかし、これがまあ何とも楽しい毎日。現実問題として予算が厳しいので、カット内容もあまり凝った物には出来ない。当然思いついたナイスなアイディア でも涙をのむこともあるし、ベストと思われるカメラポジションを外さざるをえないこともある。(絵で描いてるのに何故?という向きもあろうかと思う。確か にそうだが描くのが難しい絵もある。カメラを引けば伝えられることも多いが、その分ボロも出やすくなる。)だからこそ脚本に凝ったつもりだったし、尚のこ とコンテに工夫が課せられる。アイディアに詰まったり、判断に迷うことはあっても、辛いことは一つもない。こんなに楽しくてお金が貰えるなんて、ああ、蜜 月蜜月。

 週に50〜60カット位のペースでコンテを切る。(どういう訳かコンテとレイアウトは「切る」という動詞が使われる)目標1000カット以下だか ら、8月にはコンテが終わるはず。Aパート・328カットは実際一ヶ月強で終わったと思われる。悪い数字ではないと思うが、尺がまずかった。洒落にならな い程オーバーしており、トータルで31、2分。これじゃ出来る頃には90分超の大作じゃないか。75分以内が約束だ。守れルール。とりあえず欠番を出し尺 を削る。ああ、先が思いやられる。楽しいからって調子に乗る物じゃあないな。

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 ご存じの方も多いかと思うが、これがコンテというやつ。これで1ページ分。1カット1カットこの段階で設計して行くわけだが、よくまあこんなのを三百数十枚も描いたもんだ。そりゃ楽しいさ。

 周囲では「X]が、夏の公開に向けて日に日に大変なことになっており、業界の噂も、多分公開に間に合わないだろうということになっている。まあ珍 しいことでもないし、いつもいつもそう言われるものの、概ね何とかなってしまう物だ。この何とかなってしまうという甘い慣れと、だらしなさがこの業界の体 質である。体質改善の特効薬はないのか? 漢方とか。                     ない。

 とは言え「時間もないし贅沢は言えないから簡単にしようか。」が「少々荒れてても客には分からないさ。」に変わり、「カット内容が分かりゃいい よ!」がいつのまにか、「フィルムがないよりましだ!」にすり替えられていくのだ。ああ、恐ろしき変格活用。最後のセリフがでる頃は、専門用語で言うとこ ろの修羅場というやつだ。ふと頭をよぎる確信にも似た予感。

「明日は我が身。」

 季節も初夏の香りを伝え始めた5月のゴールデンウィーク。ロケ取材を兼ね“のぞみ”で大阪へ。一応は、作品内に出て来るラジオ局の参考写真を撮ら せてもらう為ではあったが、女房と二人、初めての大阪、イコール気楽な物見遊山である。食い倒れてしまえ。なぜわざわざ大阪かと言えば、原作者の竹内氏が のパーソナリティをつとめるラジオ局なら取材も楽だ、という安直な理由が一つ。実際問題、放送局関係の取材というのはコネがないと難しいという。それとま たその番組というのが、「北野 誠のサイキック青年団」という大阪ABCの有名なカルト番組であり、是非収録を見たいという、超個人的な理由もあった。 ローカル番組なので、関西以外の方はあまり知らないだろうが、実に危なく、面白い番組だぞ。もっとも私も、大友さんが有線から録音したテープを聴かせても らうまでは知らなかったのだが。その「サイキック」の収録現場をまず見学。目の前で繰り広げられる北野氏と竹内氏のやりとりに終始笑わせていただく。同日 は「らくごのご」の収録もあり、局内で鶴瓶、ざこば両師匠を見かける。芸能人、というか有名人を見るのは別に初めてでも珍しいと言うほどでもないのだが、 見かけるとつい笑ってしまうのは何故か?

「ははは、本物」

「サイキック」収録後、竹内氏、岡本氏と酒となる。番組のスタッフ、板井氏らも加わっていただき、公にはいえない冗談だか事実だか分からないような面白い話に花が咲き、大変楽しい思いをさせていただく。どうもありがとうございました。役得役得。

 楽しい休みは新幹線の速さで過ぎ去り、コンテは引き続きBパートに突入。全体でA,B,Cの3パートになったのだが、別にこのパート分けというの には特別な意味はなく、単に便宜上の区分である。さてコンテもBパートの半ば、つまりストーリーの中盤にさしかかった頃、作画打ち合わせが始まる。(業界 用語では「作打ち」と呼ばれます。アニメを志す皆さん覚えておいて下さい、ここ試験に出ます。)
 1000にも及ぶカットを無論一人の人間がアニメート、絵を動かし、人物などに芝居を付けていける物ではない。当然複数の人間にカットを分けて担当して もらうことになる。原画と呼ばれるプロセスである。最近のアニメだと多く取る人でも50〜60、少ない場合だと10カット以下ということもある。そしてコ ンテを基に各原画マンに担当してもらうカットの細かい内容などを伝えていくのが、作打ちである。監督、演出、作監、美監、制作、そして原画マンが顔を揃 え、それぞれが登場人物の衣装を身につけ、コンテと同じように寸劇を演じます。熱の入った作打ちは見応えもあり、一晩中続くこともあります。嘘です。本当 はカットごとに登場人物のテンション、芝居の段取りや動きのタイミングのイメージ、コスチュームだの舞台などの設定の確認、夜なのか昼のシーンなのか、光 源だの影の付き方、フィルム上の処理等々を伝え、あるいはその場で話し合って決めたりするわけだ。主にしゃべるのは一応監督の私なのだが、作打ちはどうも 苦手だ。知り合いを相手に冗談をかませつつ、「じゃ、そんなかんじで。」で済めばいいのだが、初対面の相手にそうもいかない。対人恐怖症で赤面症の私は本 当に困ってしまいます。嘘です。私は人見知りする方じゃあないが、「どうもよろしくお願いします。」の挨拶のあとに、「この作品はかくかくしかじか…で、 このシーンはこれこれこうで…しかし実は内面は…」などと説明する自分にもう一人の私が囁くのだ。

「何を偉そうに喋ってやがるんだ、エ?」
 偉い訳じゃない、本当は机の上の仕事の方が得意さ。そうか?

 作打ちも少しづつ増えていき、さて本格的に作品も始動!と行くはずだったのだが、わがパーブル班は「X」の動画部屋に依然間借りしているようなムード で、実質的な作画インは9月を待たねばならなかった。その「X」だが、連日スタジオあげての総動員態勢で突貫作業が続けられている。私のいる部屋の奥では 「X」の作監がボロ雑巾の様になって仮眠を取ってるし、原画マンも不眠不休、動画仕上げは一月の間に残り数万とも言われ、それを支える韓国のスタジオは地 獄のような有り様だろう。ああ、ジャパニメーション(笑)の現状はかくや。またも確信のような予感、しかもリアルなビジュアル付き。

「俺もこの床で寝るんだろうな。」

いつか来るであろうその日の俺を救うため、急げよコンテ。削れよ尺を。減らせ芝居。買えよ寝袋。                          辛いな。

 通常、アニメ作品には枚数制限という物がある。枚数というのは使用セル枚数のことだ。30分物のテレビアニメで3000枚くらい、'97の夏の日 本を席巻した某優良アニメはその数15万枚といわれている様に、枚数を膨大に使えばよく動くアニメとなる。もっとも無駄に使えば蠢くアニメと化す。その制 限は、これはもう予算との相談で決まるのだ。たいていはコンテに入る前に制限を言われる物らしいが、私は何も言われなかった。がある日、お上の通達。その 数2万枚

「えーー!?御無体な!」

あまりといえばあまりです、お奉行様。尋ねなかった私も悪いが、後出しジャンケンはないだろう。泣いて暴れるぞ。明晰な演出・松尾氏の判断では、3 万枚を下る作品にはならないだろうと言うじゃないか。(この試算は見事に的中した。さすが。)規模が違うとはいえ、隣の「X」じゃ桜の花びらが1万枚も 散ってると言うのに。やだな貧乏は。貧乏で思い出した。紙のサイズというのがあって、普通テレビ用の作画用紙をスタンダードとしており、劇場作品ならもっ と紙の大きいビスタの紙を使う。紙のサイズが大きいと、劇場の大きなスクリーンに写しても線や仕上げの荒れも目立たないためだ。パーフェクトブルーはビデ オ作品なので、パーフェクトブルーはビデオ作品なのでテレビと同じ小さい用紙である。なぜならパーフェクトブルーはビデオ作品だからだ。しつこい。そして さらに上下に黒いマスクをいれてビスタということにした。これは横長の画面の方が作品に向いた構図を取れるという演出上の意図によるものだが、この擬似的 にビスタサイズにした物を「貧乏ビスタ」と呼ぶ。これはあくまで業界用語である。にもかかわらず、届けられたレイアウト用紙の伝票にはしっかりと書かれて いた。

「貧乏ビスタ」

「正式名称かい!?」(裏拳有りです。)

「X」公開に間に合う。さすがマッドハウス。土壇場の粘りと素晴らしい力技がここの、いや業界全ての身上だ。その前にもう少し何とかならんのか、と いつもみんなが思っていてもできた試しは聞かない。「X」のフィルムアップに伴いそのフロアをパーブル班が占有することになっていたのだが、公開日を過ぎ ても「X」のリテーク作業は続いている。

「劇場公開されているのにリテーク、ってどういうことじゃ。」

驚くには当たらない。これが力技と二枚腰の正体といえる。劇場公開に間に合わす為に、内容を削り楽にした「とりあえずのフィルム」をでっちあげ、い や完成させて上映し、後にリテークの済んだ本来のバージョンを完全版と称してビデオ発売すると言うわけだ。よくある超ウルトラDの高等技術だ。ひどいのに なれば公開中にカットの差し替えをする作品もあったというし、劇場公開を2回に分けた豪快な例もある。リテークもせずにビデオ化されるケースを考えれば良 心的なのかも知れない。さすが世界の誇るゲイシャ、フジヤマ、ジャパニメーション。もっともそれで2回楽しめるというファンもいるのだから、なあなあの関 係なんだろうな。どっぷり浸ると気持ちいいぞ、ぬるま湯は。いれてよ俺も。

 「X」のスタッフは仕事を終え、晴れやかな表情をしている。スタジオからの帰りの電車の中で、ふと希望にも似た予感が頭をよぎる。

「俺も終わったら笑えるんだろうなぁ……。みんな笑ってる…なんて晴れやかな打ち上げパーティなんだろう…苦しかったけど、やって良かったなぁ…はははは……はははは……(深いエコー)」幻想シーン終わる。

こっちはまだ始まったばかり。はるかに遠いガンダーラ。

──エンディングテーマ流れる。歌えゴダイゴ。

 さて、来週のサザエさんは? 「テクノが化けた?」「引っ越しは大騒ぎ」「踊る森田君」の3本です。んッガ、クック。

 ホントか。