決算2002-76
作画、美術背景それぞれの技術、その強力な旋回力に加えて、今時はCG技術の旋回力が非常に強くなっている。アニメにおけるデジタルは日が浅く、技術開発の余地が非常に多い分野なだけに、手綱なき荒馬状態にすら見えるアニメもある。
自分の過去の仕事や次々と生まれる他の作品を参考や比較対象にしながら「もっと細かく」「より精密に」「さらに緻密に」といった欲求が技術の旋回力の端
的な例だと思うが、目的を持たない「もっと」「より」「さらに」という在り方は、先にも記したように結果針の穴を通す行為にも似た極端に狭い領域へと向か
わざるを得ない。なので私は、そういう右肩上がりをひた走る路線からはとっとと抜けたい、と。
繰り返すが、技術の研磨を否定しているのではなく、研いだ技術をどう使うかにもそれ以上の意識を振り向ける必要がある、といいたいだけである。
「千年女優」の時からうっすらとそう思い始めていた。「東京ゴッド〜」も業界全体から見れば、それこそリアル路線の最右翼と位置付けられても仕方ない「見かけ」にはなると思われる。その辺はどう思われてもちっともかまわないという態度である。
ただ、意識なしに旋回力に引っ張られて行くことと、それをコントロールしようという意識があるのとはまったく別ものであろう。また、完全にコントロール仕切ろう、というのでもいけない。技術の旋回力それ自体も大いに活かしたい。
ここにまた矛盾が出てくるが、矛盾はあって然るべきものと思っているし、近頃はそれこそが魅力の源とまで考えている。技術それ自体のどこへ行くとも限ら
ないような自ままで強力な動きをコントロールしているようでいながら、その動きにも導かれるという在り方を考えている。やはり何か東洋思想的になってくる
気がする。
技術の旋回力とはやや異なるが、他ならぬこの「決算2002」というテキストも、思いついたことを書き連ねているうちに、書いたことに刺激されてさらに別な連想が浮かび、無目的に日々垂れ流されている状態である(笑)
半ば書くこと自体が目的化しているといえるが、しかしだからといって無意味なわけもなく、書くことによって考えが具体化し、さらに深まって行くものであ
る。それを読んでいて面白いのかどうかは分からないが、このテキストは商業目的で書いているわけではないのでご寛恕いただきたい。
キャラクターデザインの話から思わぬ方に流されたが、こうしたことが楽しくて書いている。
キャラクターデザインや実際に芝居をつけて行く上では、「どこまで崩せるか」が大きなポイントになっている。
崩す、というのは主にキャラクターの表情である。別な言い方をすれば、どこまで漫画的表現を許容できるか、どこまで攻められるか、ということ。
手書きの文字で考えてもらうと分かりやすいと思うが、崩して上手な字と単に崩れた字ではまったく違うように、作品なりの世界観を伴った崩し方であり、同時に崩し方が世界観を形成して行くという性格である。
リアル系の作品で、「崩す」のは意外と難しいのである。もっともリアル系の作品のほとんどは内容的にもひたすらシリアスなものばかりなので、いかに崩すかという前例が少ないという事情もあるかもしれない。
見慣れていないことをするには困難が付き物である。それが楽しい。
03.5.13
決算2002-77
ベーシックなキャラクターデザインはリアル路線でありながらも、芝居には漫画的なデフォルメ表現を大いに取り入れたいと考え、口の開け方、目の見開き方、
眉のつり上げ方やら皺の寄り方などなどをこれまでよりは遙かに大きく考えている。考えているのだが、だからといってすぐにすらすらと誇張できるものではな
く、思いとは裏腹に意外とデフォルメは小さくなりがちになるのである。
現場的な言い方をすれば「つい真面目になってしまう」。
特に劇場アニメーション制作の作業は時間を要するので、冗談を持続させにくい。絵に限ったことではなく、シナリオや演出も、冗談やおふざけを思いついた
ときは勢いで書けるかもしれないが、底の浅い冗談など半年もしないうちに書き手の方が冗談から冷めるものである。冷めた冗談を人前に出すほど苦痛なことは
なく、だったらまだ真面目な方がまし、という消極的態度に陥る。勢いを持続させるにはそれなりの工夫、自分を面白がらせ続けるような工夫が必要だし、冗談
一つにも長い期間持続しうるだけの裏打ちが必要である。
私が憧れるのは作品の根本的な構造に冗談が食い込んでいる、というより構造的冗談の上に成り立っている大真面目な作品である。いつか作りたいものだ。
キャラクターを大きく崩す、というこの難問を軽々と越えてくれたのは原画マン・大塚伸治氏である。軽々と見えただけで御本人なりに試行錯誤はあったのか
もしれないし、何度となく「ここまで行ったらやりすぎでしょうか」といった相談も受けたが、とにかく威力は抜群である。
大塚さんが描いてくれるレイアウトのラフなどに刺激されて、監督、演出、作監といったメインスタッフのキャラクターに対する解釈が広がったのは間違いない。また他の原画マンも大きな刺激を受けたのではないかと思われる。
チェック側にいる者としては、どうしても「まとめよう」というベクトルが強く働くために、「崩そう」という意識はあっても「崩れる」という危険性は回避しようとするので、ついつい歯止めがかかりやすい。これは無理もないことである。
その歯止めを壊してもらうと大変楽しいのである。制作実作業の早い段階で大塚さんに参加してもらったことで、目に見える形見えない形の両面で非常に大きな好影響を与えてもらっている。
本篇C.676より。大塚さんの大変素晴らしいデフォルメによるハナちゃん。基本の絵柄からは大きく異なっているが、しかしこれもまた紛れもなくハナちゃんである。それがキャラクターというものだと思う。
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もっとも、作監は大変である。大塚さんの描く元気のいい、というか時に元気が良すぎるキャラクターたちを前にして、キャラクターをまとめる立場にある作監
は複雑な思いをすることもさぞや多かろう。しかも原画枚数が尋常ではなく、まったく中割がない。誇張ではなく全原画である。そんな膨大な原画に、キャラを
まとめるための作監修正を入れ始めたらきりがなくなる。
顔のパーツなどの部分だけでも修正を入れるのか、あえて手を入れないか、判断は実に難しいが、基本的にはなるべく修正を入れない方向になっている。動画になって彩色され画面になったときにはまったく気にならない、という判断である。
元気の良いものはそのままに、少々覇気の足りないものには演出・作監修正時に活力を上乗せする。
出来上がった「東京ゴッド〜」のキャラクターたちは大変元気の良い姿を見せてくれている。ホントにやかましいくらい。
03.5.14
決算2002-78
「東
京ゴッドファーザーズ」の企画を立ち上げた頃、私の監督作品恒例の「地味だ」「どこがアニメだ」といった評判を頂戴したし、現在もそれは変わらないかもし
れないが、しかし、上がっているラッシュを見る限り、私にはとても地味には見えない。音が付いたらやかまし過ぎるのではないかと心配ですらある。まぁ、や
かましいからといって地味ではない、ということにもならないかもしれないが。
「やかましい地味」とは矛盾でしょうか。
もちろん私としては企画の当初から地味だとは思っていないし、それ以前に地味が悪いこととでも言いたげな業界人の在り方をまるで信用していない。
連中は何かっちゃあ、こうだ。
「地味だねぇ」
だからどうした?
アクションや爆発やスペクタクルや女の子のパンツだけが派手だと思っている方が少々知性に欠けると思うのだが。状況や人間関係や内面にまるで変化の乏しいそれこそ“地味な”ストーリー展開を、爆発やメカで彩ったところで上っ面が派手に見えるだけだろうに。
しかし。そうか。
逆にそういう方々は「知性に欠けて何が悪い」と反論されるのかもしれないのだな。確かにそうだ。見かけの派手さにひどく快感を得られる方々もたくさんおられるのだから、需要と供給は一致しているということか。
一つ勉強した。頭をよく見せたいのにそれだけの頭がないのが気の毒といった方が正しい……いや、別に気の毒でもないな(笑)
「頭の悪い人間は良くするための努力を怠っているという罪を犯している」
というようなことを言ったのは黒澤明監督だったろうか。違うな。
「弱い人間は強くなろうとするための努力を怠っている」だったかな。記憶がぼけている。
ともかく私は自分に対してはそのように戒めているつもり。せめて少しでも頭をよくしたいと思っているし強くしようと思っている方だ。
が、他人は他人、私は私。
キャラクターデザインで難儀したのは表情だけではなく、コスチュームデザインも大きな問題であった。
重ね着が面倒なのである。
シナリオ制作の段階でホームレスにまつわるノンフィクションを随分読んだつもりだが、冬期の防寒対策についての記述がたいへん多かったように思える。何
しろホームレスの方々にとって冬は死の危険性に満ちた季節である。暖房の入った普通の住居に暮らす人間には想像もできない寒さのようである。なので、防寒
対策として重ね着を余儀なくされる。
絵にする方としてはこれが大変である。重ね着の分だけ単純に線が増える。着膨れするので実際の体の線からは一回りどころか二回りくらいフォルムが大きく
なる。これを感覚として把握するまではなかなか難しい。慣れてくると少々デッサンがいい加減でもそれらしく見せられたりするので楽なのだが。
主人公、ギンちゃん、ハナちゃん、ミユキの3人は、重ね着の結果ちょっと変な格好になっている。現実にこういう衣装の人を見かけたら「かなり変」に見え
るかもしれないが、絵で描くとさほど変に見えないのが困ったもの。ホームレスの表現にこだわるなら、さらに5割り増しくらいで重ね着やら不自然なバランス
のアイテムなどが必要だと思うが、画面に始終出てくる主人公たちがあまりにややこしい格好をしていると、作画の負担が大きくなりすぎる。それに本作はホー
ムレスの方々の実態を描くことを目的としていない。
リアリティと見た目の効果、作画的な手間をバランスして現状に落ち着かせたつもりである。
とはいえ、見慣れないものは描きにくい。把握しないままに描くのは気持ちが悪い。ということで、分からないものはまず確かめてみようという初歩的なリアリズムの精神に則り、実際に試してみた。
つまりコスチュームプレイである。実際に着てみた。
侮ってはいけない。笑ってもいけない。バカにしてはもっといけない。
03.5.15
決算2002-79
もうすでに一昨年(2001年)のことになるが、コスプレをした。
ややこしいコスチュームをしたキャラクターたち、そのデザインと作画参考のために実際に彼らに近い格好をしてデジタルカメラやビデオで撮影したのである。これが非常に役に立ってくれた。
モデルとなったのはプロデューサー、監督、監督の妻である。それぞれ、ギンちゃん、ハナちゃん、ミユキという役柄。
コスプレをするにはまず、着る物を揃えなくてはならない。
プロデューサー・豊田“ギンちゃん”の格好は、3人の中でも「いわゆるホームレス」といった出で立ちである。ドカジャン風の厚手の上着、その下に背広の上着、中にシャツ、頭に野球帽、その上にさらにほっかむり、ということになっている。
厚手の上着は豊田氏所有の冬の定番アイテムで代用、中に着るジャケットは廃棄予定だった私の物、帽子は随分昔にもらった「AKIRA」のノベルティグッズ、ほっかむりはピンク色のタオルで代用した。
ハナちゃんの格好が厄介である。頭にターバン、襟元をマフラーで固め、ショールを羽織っている。その下には長めのオーバーを着て、中にはセーター、ズボ
ンの上にスカート風に布を巻、その上にも腰布を巻いている。こんなややこしい格好にしたのは、経済的に貧窮した生活の中でもオシャレ心を忘れないオカマ、
というイメージによる。この姿がオシャレかどうかはともかく、「余人にはうかがい知れぬハナちゃんなりのこだわりがあるように見える」というのが大事であ
る。見かけからして「フツーではない」という印象にしておかないと、ストーリーの動機ともいうべき、「フツーではない非常識な振る舞い」に説得力が足りな
くなる。コスチュームを選ぶのももちろん演出である。
ターバンやショール、マフラー、謎の腰巻きなどは、家内の持っていたアイテムから見繕ってもらい、オーバーは私の冬用を充てた。
アイテムを揃えるのに苦労したのがミユキである。
ミユキはつば広の帽子、その下に耳当ての付いた帽子をかぶり、襟元はマフラー、ダッフルコートの下はセーター、短めのスカートをはき、その下は膝丈に
切ったジーンズをはいており、その下にさらにジャージ、足元は時代遅れになったルーズソックス、そして大きなバッグを肩にかけているという設定。当初のイ
メージは「見習いの魔女」で、全体にダークな感じを想定していたのだが、他の3人とのカラーバランスをとっているうちに意外とカラフルになってしまった。
ちなみに、記号的なほどに分かりやすくする意味もあって、ベーシックな3人のカラーイメージには三原色をあてている。
ギンちゃん青、ハナちゃん黄色、ミユキ赤、といった具合。
断っておくが、ここにリアリズムはない(笑)
03.5.17
決算2002-80
ミユキは大きな荷物を抱えている。これはすなわち「彼女が抱えている問題」を象徴するもので、肩に食い込むほど重く大きく、そして暗い色のものでなくては
ならない。とはいえコスプレでそこまでリアリズムを求める気はないし、色も、作画資料として使うことを考えると各パーツの色味にはっきりと差があった方が
良いので、ここは大きな赤いバッグで代用する。ダッフルコートは家内のもので、短いスカートは持っていないというので、折り込んで短くすることで代用し
た。
問題はルーズソックスとつば広の帽子、耳当ての付いた帽子である。立派な成人女性が持っているわけがないではないか、ルーズソックス。職業的に着用され
ている成人女性もおられるだろうが。吉祥寺の南口あたりで。そのものずばりのキャバクラがあるが、一時、ここには有名なアニメ業界人が足繁く通っていたと
聞く。
目をキラキラさせて他人をこう誘っていたそうだ。
「行こうか!“ルーズソックス”」
行かない。
お店のルーズソックスにも実際のルーズソックスにも私は縁がないので、これはイトーヨーカ堂で購入した。40に近い夫婦がルーズソックスを一足買う姿はちょっと不気味であったろうか(笑)
二つの帽子も手に入れるのに難儀した。コスプレの時期は5月だったので、冬仕様の「耳あて付き毛糸の帽子」は、適当なものを選択する以前に商品そのもの
が店頭になく、ようやく家内が一つ見つけてきてくれた。つば広の帽子もイメージに近いものがなかなか見つからず、あちこちの店を探し、結局エスニック雑貨
の店でそれらしいものを見つけた。
それぞれのアイテムが揃ったところで、いざ撮影である。
参加したのはモデルとして監督とその妻、プロデューサー豊田氏、撮影スタッフとして作画監督・小西氏、演出・古屋氏、総勢5名である。
撮影場所はマッドハウスから程近い川沿いの公園で、衣装に使えそうなアイテムを多数持ち込み、撮影である。時期は5月も半ば、初夏の暑さを感じる頃で、この日は特に日差しが強く気温も高かったと記憶している。
そんな暑い日に、防寒対策をほどこしたホームレスの出で立ちになり、挙げ句に歩いたり走ったりしたのだから暑いことこの上ない。
03.5.24