東京ゴッドファーザーズ雑考
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決算2002-86
オカマは大仰である。 決算2002-87 実際にはいないのに、イメージとして成立してしまう存在。
「ゴミ置き場に赤子が捨てられている」という状況に接した場合、あなたならどうするだろうか。
「……エ?」
決算2002-88 キャラクターの話から逸れるが、先のセリフについてあれこれと思いついたので記すことにする。回り道ばかりのテキストであるよ。 |
C.27本篇画像(上)と看板素材(下)。看板素材は私が作成している。「涙の天使」なんて、こんなこっぱずかしいものを描いている私の方が泣けてくる。 しかし後に「清子」はハナちゃんやギンちゃんやミユキにとって天使としてイメージされて行くため、それが唐突にならないよう、あらかじめ劇中内に天使のイメージを配しておく必要があった。 |
だが私はキリスト教に帰依しているわけでもないし、ここでいう「神様」を信じているわけもない。私は特に最近は一神教的な捉え方を意識的に遠ざけようとしているくらいで、ハナちゃんにしたところで恐らくはそうした特定の神様を信じてはいまい。
しかし両者共に無神論というわけではなく、作者も登場人物もそして作品全体も汎神論といえる。もしくはそのつもりである。 なので先のセリフにある「神様」「クリスマスプレゼント」という発言はある種の冗談といえる。しかし冗談だがウソなわけではない。冗談はトリックスターと同じくらい間口が広い。私は冗談が好き。冗談を共有できない人とは付き合いにくいものであるよ。 冗談とふざけていることはイコールではない。 ハナちゃんが信じてはいないにもかかわらず、「神様」「クリスマスプレゼント」だのと口にしても不自然ではないようにしておかなければならない。叫ばせる私としてもその言葉を書くための助走が必要である。 そういう流れを作るために、冒頭に聖誕劇を配した。 聖誕劇とはイエス・キリストが生を受けたエピソードを演じる芝居で、映画などでも散見されるモチーフ。映画「サイモンバーチ」の聖誕劇が印象的である。食い足りなさが目立つが好ましい映画である。 聖誕劇を最初に見せておくことで、特に信じているわけでもない「神様」という言葉が不自然にならないようにする、という流れを考えたとき、同時に私の実体験を思い出した。 5年前のベルリン映画祭で「パーフェクトブルー」が上映され、その時の模様を垂れ流したおバカな旅行記「ベルリンは燃えているか」。その中で上映前の挨拶で話したことを書き留めている。 【「遙か遠い東京の小さなスタジオで作っていたフィルムがベルリンへのチケットになったのは幸運の女神が微笑んでくれたのでしょう。この映画の上映後、みなさんの反応次第では女神がもう一度私に微笑んでくれるかもしれません」てなことを言った気がする。 普段の私のボキャブラリーにない「女神」などという言葉がサラッと出てきたのは、(ベルリン)市内観光の時、女神の彫像をあちこちで見かけたせいなのだろう。】 これは何も私が特別な経験をしたといわんとしているのではなく、こうした経験に思い当たる方は多いであろう。 こういう経験があったからエピソードを思いついた、あるいはこの体験を思い出してエピソードに仕立てた、というと言い過ぎであるが、体験が反映している のは間違いあるまい。それもテキストという形で留めておいたことでより印象が鮮明に刻まれたのであろうから、バカなテキストもけっこう役に立つものであ る。 03.6.9 決算2002-89 「東京ゴッドファーザーズ」は結局この聖誕劇から幕を開けることになった。
決算2002-90 「病院で終わる三部作」を無理矢理こじつける話の続き。
話がさらに横道に入るが、「千年」と「東京ゴッド〜」の間にあった企画、「東京ゴースト」を挟むとさらに流れが分かりやすくなっている。何しろタイトル通り、幽霊の話である。 |