東京ゴッドファーザーズ雑考
|
決算2002-61
「東京ゴッド〜」そのものの話に戻る。 決算2002-62
コンテも後半になるに従ってさらにシステム化が進み、コンテ上でBG原図とキャラを分けて描いておき、PC上で合成したりもしている。とにかくレイアウト
の負担を軽減し、原画マンには芝居に専念して欲しいという考えであった。また、コンテでそこまでの負担を負ったのは、美術設定を作る労力を削りたかったと
いう思惑もある。 |
冒頭でミユキがいるビル屋上の設定。ディテールの説明のために私が作成したもの。こういう設定を作ればスタッフに分かりやすかろう、と思ったし、発想としては悪くないと思うのだが、これ一枚きりしか作れなかった。面倒だったからである。 上の写真はほとんどが吉祥寺で撮影したものだが、某デパート店内から外に見える風景を夢中になって撮影していたら「不審人物」と見とがめられて怒られてしまった。すいません。 結局は注意されただけで済んだが、撮影したデータを取り上げられるかもしれないと思って、私は謝罪しながらもすかさず後ろ手にカメラからメモリを抜き取っていた(笑) |
写真そのままを使用しているケースは皆無の筈だが、「東京ゴッド〜」の美術や背景を見た多くの人が「写真みたい」という言葉を口にする。確かに描画はた
いへん写実的にしてもらっているし、それが作品の意図でもある。しかし、写真風に見えるのは結果的にそうなっているというだけで、写真のようにしたいと
思っているわけではない。写真と実際に描かれた背景との間には深くて広い溝があるのだが、素人さんには分からなくて良いことだ。まぁ、同業者でも分からな
い人がほとんどだろうが。
人物の写真画像をいくら簡単な線でトレスしたところでキャラクターにはなり得ないのと同じように、写真を相手にいくら格闘しても演出や物語に必要な「こなれた」舞台にはならないのである。 ついでに触れておくと、逆に、漫画絵をいくら細かく描写したところで写実的にはならない。ならないのに無理に描写だけを加えて歪さだけが浮き上がってくる絵が世間に溢れている。 よしゃあいいのに、まったく。 03.4.26 決算2002-63 「写真」と「リアリティを求めた写実性」との違い、これについて説明し出すと長くなるが簡単に触れてみる。私の場合、まず絵として構成した画面を考え、そこに写真的な見栄えを施している。あくまで「絵」ありきである。写真の側から発想することは無い。 |
先の文中で想定されていたのが、上のコンテにあるC.464。狭い路地でギンちゃんが倒れるカットである。 |
路地を例に描く話の続き。
この時、留意しなくてはならないことが一つ。「もっとも単純な構造」からリアリティや写実性を加えて行く場合、重要なことは、最初に設定した「もっとも単
純な構造」が露骨にならないようにすることである。狭い路地を簡単に表現するために引いた最初の2本の線、これが最終的にはっきりと目に残るようではちゃ
ちなことこの上ない。どういうわけか建物と地面の接地する線が露わになるとスケール感に欠けることが多い。なので、この線をゴミやら凹凸やらその他色々な
もので分断して、目に残らないようにしてやる。
決算2002-65
写真というものが文字通り「真」を「写」しているかどうかはともかく、たとえば何気なく写された街の風景に含まれる情報量は膨大である。それをまるごと紙
の上に手作業で再現するなど、可能不可能という以前に馬鹿げている。だったらそれこそ写真でいいではないか、ということになる。 |