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  <title>KON&apos;S TONE</title>
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      <description>今 敏 オフィシャル・サイト</description>
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  <title>選んでから考えればよいと思うのだが</title>
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      <description>昨日更新するはずが一日遅れてしまった。以下、一昨日のこと。町山智浩さんのポッドキャスト「アメリカ映画特電」の最新号を聞きながら会社へ。『サイレント・ランニング』というタイトルや、ジョン・ミリアスやマイケル・チミノなどの名前が懐かしく思える。ミリアスといえば『デリンジャー』がとても面白かったが、&amp;ldquo;右翼GOGO映画&amp;rdquo;『若き勇者たち』なども見返したくなった。『ロイ・ビーン』は未見なので是非見てみよう。16時から、「アートスクールライフ」という本の取材。美大や美術系専門学校を目指す人たちに向けた、学 ...</description>
        <content:encoded> <![CDATA[
    昨日更新するはずが一日遅れてしまった。
以下、一昨日のこと。
町山智浩さんのポッドキャスト「アメリカ映画特電」の最新号を聞きながら会社へ。
『サイレント・ランニング』というタイトルや、ジョン・ミリアスやマイケル・チミノなどの名前が懐かしく思える。ミリアスといえば『デリンジャー』がとても面白かったが、&ldquo;右翼GOGO映画&rdquo;『若き勇者たち』なども見返したくなった。
『ロイ・ビーン』は未見なので是非見てみよう。

16時から、「アートスクールライフ」という本の取材。
美大や美術系専門学校を目指す人たちに向けた、学校と学校生活の案内を目的とした本だという。6月末には出版されるとのこと。
誌面サンプルとして見せてもらったプリントアウトには、グラビアで現役美大生のおしゃれな部屋や個性的な部屋などが紹介されている。こんなビジュアルを見せられたら、コロッとまいってしまう高校生はさぞや多かろう。「俺も！」「ボクも！」「私も！」
「気に入った部屋で気ままな一人暮らしをする私」
「アートを学ぶ私」
「クリエイティブな仕事をする私」
&hellip;&hellip;きっと夢が広がるだろうよ。悪いことじゃない。
しかし、そこにかかる費用を概算してみると、自分のことも思い返してちょっと気分が重たくなる。
親はたいへんだ。

以前にも取材してもらったことのあるライターの方がインタビュアー。
質問は、今 敏が美大進学を決めたきっかけから、美大での生活について、そこでの学習がその後の仕事でどう役に立ったか、などなど。今週月曜日にあった取材と内容が似ているので、なるべく違う話を心がけようとするが、今 敏の過去にお話しするに足るほどのエピソードはごく少ない。
なぜ美大進学を決めたのか。
劇的なことなど何もない。素直に答えればこうだ。
「先輩たちが行こうとしてたから」
要するに「みんなが行くなら大丈夫なんだろう」というような。
別に私には夢も野望も信念もなかったし、いまもない。
漫画家になったのも、「どうしてもなりたい！」という思いなどには縁がなく、漫画を描いて応募したら賞の一つももらったので、「じゃあ漫画家になろう」と思ったくらいだ。その後「漫画家としてやっていこう」という気になったにもかかわらず、いつの間にか「アニメの美術設定・レイアウトマン」である。そして誘われるままにたまたま「アニメーション監督」である。
「漫画家になる」はずが「アニメーション監督」。漫画家としては挫折している。漫画家の看板を完全に下ろしたわけでもないので、挫折というより「骨折」。漫画家になる「夢」は骨折、アニメーション監督としても不甲斐ないので「捻挫」しているかもしれない。

先輩の他に、もう一つ大きな影響があったのはは、兄上、今 剛である。兄が当時すでにスタジオミュージシャンのギタリストとして華々しく活躍していた。
「好きなことをして食っていくのはカッコイイ」
うちの親も「好きなことを仕事にするのが何よりだべさ」という人だった。
そういうものか、と私は信じていたのだろう。信じるものは救われる。いや、私の場合「信じるものは掬われる」だったかもしれない。「イタイ」思いも随分した。

もう一つ大きな要因は、唯一私自身の感情によるものだ。
「集団は嫌い」
思春期によく見られる尖ったつもりになっちゃった過剰な自我に他ならない。
若いってのは嫌だね（笑）
集団（当時のことだから要するにクラスのことである）が嫌いだから、絵を描く仕事なら一人（に近い形で）でも出来るだろう、という考えであった。なぜ集団が嫌いかといえば、同調圧力みたいなものが何より嫌いだからである。

美大進学を決めるに至ったのは、「先輩」と「兄」の影響、そして「集団は嫌だから」一人でも出来るような仕事、という消極的な理由に他ならない。
しかし、その「集団が嫌だ」という思春期の尖った自我だってすっかり変形して、当時の面影は少ない。何せ現在では集団作業の最たるものであるアニメーション制作に従事し、その中でもとりわけ面倒な人間関係が発生しやすい監督という立場である。そんなことが楽しめるようになるとは夢にも思ってもみなかった。
そのくらい自分の気持ちなんて当てにならないものである。
スレッガーさんのいうとおりだ。
「いまの自分の気持ちをあんまり本気にしない方がいい」

大学で学んだことがどう役に立っているのかという話などをして、最後に読者へのメッセージ、あるいは座右の銘などを求められる。
「座右の銘」などという気の利いたものは持ち合わせていないので、先月アートカレッジ神戸アニメーション学科の新入生にも話した内容を繰り返す。
これまでにも何度か発言してきたことでもあるが、要するに何事につけ「選んでしまった方（あるいは選ばざるを得なかった方）を正解にすればよいのである」ということをお話しする。
生きていれば無数の選択を必要とされる。その判断に悩むということは、選択肢がどれも同じように重要だからであろう。あからさまに有利と思える選択肢が混じっていれば、どれかで悩むことはあるまい。

たとえば学校を選ぶ。
新入生は学校を選択するに当たって、他の学校とも比較をするだろう。そして一つを選択する。どの学校が最も自分に適しているのか、それを少しは予測することが出来たとしても、事前に知ることは出来ない。選んで入ってみないことには分からないことである。
「学校に入ったら自分はどう思うのか」は入らないことには分からないのだから当然である。
分からないことをあれこれ悩んでみても仕方がない。乱暴な言い方だが、選択においてそれほど悩むということは、詰まるところ「どっちでもいい」とも言える。
「選んでみたら失敗だった」ということもあるだろう。
「あっちにしておけば良かった」と後悔するかもしれない。
経済的時間的な余裕が許され、やり直しが利く人はそうすればいいだろうが、そうでない人は、それを選択した「過去」の時点に自分の一部が囚われ続ける。
結果、常に「あったかもしれない自分への憧憬」を抱えて過ごすことになる。
当然、毎日が楽しくなくなるだろう。だって「最善の選択をした場合のあったかもしれない自分」に比べて現在の自分は「常に上手く行ってない」ことになるのだから。
あったかもしれない「最善の状況」に現状が勝てるはずもない（笑）　何しろ最善の想像なんだから。
不健康だ。
まるで赤提灯でくだを巻くオッサンだ。
「俺だってあの時、○○してれば&hellip;&hellip;」
すれば良かっただろうに。

そういう不毛な発言をしないためには、常に現状を「正解」だと思う他はなかろう。
だから、選択した「後」の自分の在り方が重要なのである。
選んだ後に、その選択が正解になるように、常にそこで対処して行けばよいだけではないか。
詭弁に聞こえる向きもあろうが、現に私はそのようにして毎日楽しく暮らしている。
悪くないね。
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        <dc:date>2008-05-16T11:51:02+09:00</dc:date>
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        <dc:subject>NOTEBOOK</dc:subject>
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  <title>Ishiguro audio interview</title>
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      <description>Get it here, courtesy of AWO.</description>
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    Get it <a href="http://www.raspberryheaven.net/%7Esurat/awo/AWO-Bonus-NoboruIshiguro.mp3" target="_blank">here</a>, courtesy of <a href="http://animeworldorder.blogspot.com/" target="_blank">AWO</a>.
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        <dc:date>2008-05-14T14:40:02+09:00</dc:date>
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        <dc:subject>KONTACT BOARD 3</dc:subject>
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  <title>滞りがち</title>
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      <description>気がつくと一週間以上更新が滞っている。本業の方で脳に負荷がかかっているせいか、意識が雑文に向かないらしい。余裕のない男である。本業以外の仕事も以外と忙しく、今週はなぜか取材が三つも入っている。一昨日は「夢さがしプロジェクト」、今日は「アートスクールライフ」、明後日は「スタジオボイス」（これは武蔵野美大による「企画」のページ）。いずれも「若者」に向けた内容とのこと。「夢」という題材を扱うことの多い監督かもしれないが、本人は極めて「夢のない」人間なので、あまり参考になるようなこともお話しできない気も ...</description>
        <content:encoded> <![CDATA[
    気がつくと一週間以上更新が滞っている。
本業の方で脳に負荷がかかっているせいか、意識が雑文に向かないらしい。余裕のない男である。
本業以外の仕事も以外と忙しく、今週はなぜか取材が三つも入っている。一昨日は「夢さがしプロジェクト」、今日は「アートスクールライフ」、明後日は「スタジオボイス」（これは武蔵野美大による「企画」のページ）。いずれも「若者」に向けた内容とのこと。
「夢」という題材を扱うことの多い監督かもしれないが、本人は極めて「夢のない」人間なので、あまり参考になるようなこともお話しできない気もするのだが。
昨日13日は、レギュラーのムサビのゼミ。
「オハヨウ」のコンテ解説に入る前、学生からの質問から話はどんどん脇道に分け入り、気がつくと「プチパース講座」みたいな話になってしまった（笑）
よそのゼミの子も一人混じっていたが、皆さん真剣なまなざしで話を聞き、ノートまで取っている。そういえば私も学生の頃は、抽象的な話よりも具体的な話には興味をそそられた覚えがある。長いスパンで浸透する話も重要だが、「すぐに役に立つ」具体的な話には学びの実感が伴うのだろうし、意欲の持続という意味でもたいへん重要なことではある。以後の話の参考にしよう。
コンテの解説はまず「カメラの運び」。業界でもあまりこうした話は聞いたことがないが、たいへん大事なことである。これが「グチャグチャ」だと、完成した映像はたいへん見づらいものになるし、実際、テレビで見かけるアニメは「グチャグチャ」になっているケースがほとんどである。視聴上、たいへんな困難を伴う上に、制作上の無駄も大きくなるので、いいことはない。
もっとも、私も確たる知識や判断基準があってカメラの運びを決めているわけではないので、えらそうなことは全然言えないのだが。
「オハヨウ」に登場する室内の見取り図を描いてその上にカメラの位置と向きを記して、カットに応じてどのようにカメラ位置が進んでいくかを解説。
自分でもわざわざこのような検証をするのは初めてだったので、もしカメラ運びが「グチャグチャ」な動線になっていたらどうしようかと思ったが、一応それらしくはなっていて一安心。
この後、各カットごとの芝居の設計やら、構図とカット割りの意味などを思いつくままに喋る。
少しでも役に立てば幸いである。

さて、すでに古い話になってきたが、私のゴールデンウィークは4日と5日を連休にしただけであった。
私は元々世間と歩調の合わない生活をしているので、ニュースに映るGWを楽しむ人々の姿が羨ましくもないし、連休は全然関係なくてもよいのだが、普段御飯を食べている店が休みになるのが少々困る。
仕方がないので、あまり行かないようにしていた店に仕方なしに行ったら、とても「ひどいこと」になっていた。以前から店員やサービスの質が下がってきていることは知っていたが、さらに輪をかけて質が下がっている。
メニューにあるにもかかわらず、あれもこれも「本日はお出しできない」だの（最初に言えよ、まったく）、セット付属の「当店自慢の豆腐」とやらは半分の量になっているし、以前テーブルに数種置いてあった塩は一種類になっている。その他にも経費削減によるあからさまな「効果」が随所に見て取れる。「隠れた経営努力」というよりも「あからさまなサービス低下」である。客にすぐに分かるサービスの間引きは客商売にとって命取りではないのか。
コスト削減で客がまるで来なくなるのでは本末転倒も甚だしいだろうに。
それらのディテール一つ一つは仕方ないにしても、それらの相乗効果によって何より店内の雰囲気がひどく「寒い」ことになっている。たいへん居心地が悪い。
もう二度と行くこともあるまい。
また一つ荻窪から食べる場所が完全に消えた。

連休の影響で、ムサビのゼミが4/29、5/6と2回続けて休講になってしまっていた。
始めたばかりで2回も休みが続くと、折角生まれかけようとしていたペースがリセットされるようで勿体なく、休講は私のせいじゃないとはいえ何だか学生たちに申し訳ない気がしてくる。
そこで、急遽レギュラーの火曜日から日程をスライドしてもらって8日の木曜日にゼミを実施した。
急な変更にもかかわらず11人中9人は出席。ありがとう。
休みの二人は本人の都合ではなく、イレギュラーという性格に由来する欠席なので、本来予定していた「オハヨウ」コンテの解説は次回に回す
ということで、ゼミの前半は雑談中心にして、後半はゼミ生たちの卒業制作のアイディアを聞くことにする。雑談は以前ブログでも紹介した『時計じかけのハリウッド映画』という本をネタに、ハリウッドの映画脚本には定型があることや日本版『リング』とハリウッド版『ザ・リング』の比較について話す。
人前で喋ってみて気がついたのだが、両者の比較が面白く思えるのは、結局のところ「映画技術の何を見るのか」という要点が分かりやすいところであろう。テーマや題材という話ではない。それらを扱う技術という点である。
映像を志す人たちにとって、映画をたくさん見ることが勉強になるのは間違いないとは思うが、しかしたくさん見るだけで済むのなら評論家や自称評論家が優れた映像作家や監督にだってなれるだろう。
映像制作を職業にしようという人間にとって大事なのは、どういう点に着目して見れば自分の制作のために必要な技術を得られるか、ということである。見る数も大事だが、むしろ見方が重要ではないかと思う。見方も知らずに数を見たところで、得られるところは多くないだろう。
だから、映画を見るにしても「手ほどき」というものが必要だと思うし、私は多くの先達や友人のおかげで、飲みの席や長電話において手ほどきを受けることが出来た。
そうした機会に恵まれる人ばかりではないだろうが、『リング』と『ザ・リング』のような良いサンプルなら、「両者を見比べること」で映画の何を見るべきかの「手ほどき」の一助になるのではないかと思えた。
繰り返しておくが、あくまで技術的な面でのことであって、元になるアイディアや題材の良し悪しということではない。

休み時間に学生と世間話をしていたら、あまり本を読まないのという。
「どうしたら月に5冊も6冊も読めるのでしょう？」
ありゃま。月に5冊や6冊くらいは読まないのか（笑）
他の学生に聞いてみたところ、読んでもせいぜい月に1冊とか2冊&hellip;&hellip;。
かなり寂しい数字である。
先日、たまたまつけていたテレビで勝間和代という経済評論家が特集されていた。彼女は月に50冊以上は読むのだとか。書店で本を選ぶ際は「迷ったら買う」を原則にしているらしい。ウェブで検索したらこの方の年間読書数は1000冊に達するらしい。
速読を習得しているとのことだが、少しは見習いたいものである。
私はどうも本を読むのが遅い。月にせいぜい10冊というペース。読みたい本ばかりが積まれていくのが悲しい。
一説によると、日本の成人の月平均読書量は1.3冊。月平均3冊以上読む人は17.7％、月平均10冊以上読む人は2.1％だとか。
集中的に知識を吸収するべき時期にあって、その上時間に余裕がある大学生が成人の平均読書量と同じ程度ではいかんのではないか。
「とはいえ」と私も思う。
私も大学生の頃はちっとも本を読んでいなかった。今になって本当にそのことが悔やまれる。本はもっと読んでおくべきだった。そう痛感している。だから学生たちには是非本を読んで欲しい&hellip;&hellip;と思うのだが、やはり「とはいえ」とまたしても思ってしまう。
私も学生当時、多くの年上の人からこういわれた覚えがある。
「本だけはたくさん読んでおいた方がいい」
そして私はちっとも本を読まず、20年以上経って同じ話を20歳以上年下の学生に向かって口にしている。ということは、目の前にいる学生たちがちっとも本を読まず、20年後に若い人に向かって同じ話をすることになったとしても全然不思議なことではない。
しかし同じ過ちは繰り返されない方がいい。本当に本だけは読んでおいた方がいい。消費者世代の若者に分かりやすい言葉で言えば、5年後、10年後、20年後の自分に知的な「投資」をするつもりで是非読書と仲良くなってもらいたいものである。元本が損なわれる危険性はない上に、始めるのが早いほど利回りも大きく、利益は間違いなく大きい。

ちなみに私が今月読んで面白かった本は、

『日本という方法 おもかげ・うつろいの文化』松岡正剛
『日本人の脳に主語はいらない』月本洋
『江戸の遺伝子』徳川恒孝
『宮大工の人育て』菊池恭二
『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子・著 田中敏・訳
『部下の仕事はなぜ遅いのか』日垣隆

『江戸の遺伝子』と『驕れる白人〜』は、平沢さんの「三行log」で紹介されていた2冊。
どちらもたいへん興味深く読んだが、とりわけ『驕れる白人〜』は「胸くそが悪くなるほど」面白かった(笑)
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  <title>Re: マッハ　ＧｏＧｏＧｏ 映画トレーラー</title>
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      <description>Never mind. It&apos;s tedious like Honneamise. Just watch this instead. Though I hear anime fans like it...</description>
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    Never mind. It's tedious like Honneamise. Just watch <a href="http://www.youtube.com/watch?v=sacx1WZQv3I" target="_blank">this</a> instead. Though I hear anime fans like it...
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  <title>Kamen Rider Ryuki American remake </title>
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      <description>Linkfor the clip. I&apos;ve probably mentioned it before, but it&apos;s notthe first remake. </description>
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    <a href="http://www.kungfucinema.com/?p=1707" target="_blank">Link</a><br />for the clip. I've probably mentioned it before, but it's <a href="http://www.youtube.com/watch?v=X-MoF-nVI4Y" target="_blank">not</a><br />the first remake. 
    ]]> </content:encoded>
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  <title>Paprika in Newsweek Japan</title>
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      <description>引用：The Japanese edition of Newsweek magazine lists Satoshi Kon&apos;s Paprika anime in its 100 Best Films list. The magazine&apos;s critics selected their top films for the expanded Golden Week issue (April 30/May 7 issue). Only a few titles produced in Japan, such as Paprika, Letter from Iwo Jima, and Tampopo, were included in the list. Other titles on the list from the 1960s and 1970s include Lawrence of Arabia, Godfather, American Graffiti, All the President&apos;s Men, Star Wars, and Apocalypse Now. Fro ...</description>
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    引用：<div class="xoopsQuote"><blockquote>The Japanese edition of Newsweek magazine lists Satoshi Kon's Paprika anime in its 100 Best Films list. The magazine's critics selected their top films for the expanded Golden Week issue (April 30/May 7 issue). Only a few titles produced in Japan, such as Paprika, Letter from Iwo Jima, and Tampopo, were included in the list. Other titles on the list from the 1960s and 1970s include Lawrence of Arabia, Godfather, American Graffiti, All the President's Men, Star Wars, and Apocalypse Now. From the 1980s and 1990s, the Newsweek Japan critics listed E.T., Stand by Me, Out of Africa, The Last Emperor, Gung Ho, Sex, Lies, and Videotapes, Dances with Wolves, Silence of the Lambs, JFK, Magnolia, and Being John Malkovich. The list also included more recent titles such as Monsoon Wedding, City of God, Whale Rider, Finding Nemo, 21 Grams, and American Splendor. While movie critic David Ansen did not list Paprika and the French/Iranian animated film Persepolis in his 2007 top-ten list for the American edition of Newsweek, he did include them in his ten runner-up films. <br /></blockquote></div><br /><br />Source: <a href="http://www.animenewsnetwork.com/news/2008-05-06/newsweek-japan-lists-kon-paprika-among-100-best-films" target="_blank">ANN</a>, courtesy of animeanime.jp<br /><br />
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  <item rdf:about="http://konstone.s-kon.net/modules/bluesbb/thread.php?top=1&amp;thr=100&amp;sty=1&amp;num=l50#p255">
  <title>RE: Ring Japan v. Ring Hollywood</title>
  <link>http://konstone.s-kon.net/modules/bluesbb/thread.php?top=1&amp;thr=100&amp;sty=1&amp;num=l50#p255</link>
      <description>I saw both, and it was one of the few times I thought the new version was better than the original. I think that, Star Wars was aesthetically more enthralling than Hidden Fortress, too, but I need to give the latter another chance. And I wasn&apos;t moved by Yojimbo, or A Fistful of Dollars, either. [Youthful impatience...I fell asleep quite a few times during Solaris, too. ;-;] The Kurosawa films I had no problem with were Ran and your beloved Kumonoso Jo, but being Shakespeare adaptations, I don&apos;t  ...</description>
        <content:encoded> <![CDATA[
    I saw both, and it was one of the few times I thought the new version was better than the original. I think that, Star Wars was aesthetically more enthralling than Hidden Fortress, too, but I need to give the latter another chance. And I wasn't moved by Yojimbo, or A Fistful of Dollars, either. [Youthful impatience...I fell asleep quite a few times during Solaris, too. ;-;] The Kurosawa films I had no problem with were Ran and your beloved Kumonoso Jo, but being Shakespeare adaptations, I don't think that's really fair to him. I need to see more of his work, including Ikiru, since that's getting remade. Still,  I doubt I'll see any of the Seven Samurai remakes, including the anime, since the original has an energy which can't be topped. I was hoping Monkey Punch got the anime adaptation, as rumoured, though.<br /><br />In terms of recent samurai stuff, I'll admit liking that recent Kitano Zatoichi[I talked to Asano-san when he was in L.A. You need to cast him in something one of these days, Kon-san. <a href="http://www.animenewsservice.com/archives/zatoichi.htm" target="_blank">http://www.animenewsservice.com/archives/zatoichi.htm</a><br />] and Twilight Samurai. I'm still wondering how they're gonna pull off a female Zatoichi, though, since that just sounds gimmicky. <br /><br />Anyway, the only think you need to know is that Ring is the only successful U.S. J-horror remake, and everything else is awful. Though Ju-On was better for me than Ring, and not just because I met the director. The ones I really got a thrill out of, though, were Eko Eko Azarak. Now that was some creepy stuff. 
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        <dc:date>2008-05-07T00:50:43+09:00</dc:date>
        <dc:creator>DJZ</dc:creator>
        <dc:subject>KONTACT BOARD 3</dc:subject>
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  <item rdf:about="http://konstone.s-kon.net/modules/notebook/index.php?p=202">
  <title>リングザリングリングイネ</title>
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      <description>「晩御飯のメニューを何にするか」主婦ならずとも日々ちょっと面倒な問題である。私は月曜〜土曜は、ほとんど仕事場のある荻窪で外食ということになるが、毎度「何食おうか」が問題になる。もっとも、選択肢はほとんどないので、何を食べるかよりはどこで食べるかという問題にしかならない。家で晩御飯を食べるのは休日だけだが、よほど食べたいものがはっきりしているときでもない限り、夕方の時分に口をついて出るのはやはり「何食べようかねぇ」である。昨日は特に食べたいものがなかったので、少々イレギュラーに「駄洒落」でメニュー ...</description>
        <content:encoded> <![CDATA[
    「晩御飯のメニューを何にするか」
主婦ならずとも日々ちょっと面倒な問題である。
私は月曜〜土曜は、ほとんど仕事場のある荻窪で外食ということになるが、毎度「何食おうか」が問題になる。もっとも、選択肢はほとんどないので、何を食べるかよりはどこで食べるかという問題にしかならない。
家で晩御飯を食べるのは休日だけだが、よほど食べたいものがはっきりしているときでもない限り、夕方の時分に口をついて出るのはやはり「何食べようかねぇ」である。
昨日は特に食べたいものがなかったので、少々イレギュラーに「駄洒落」でメニューを選択してみた。
「リングイネ」
断面が楕円のパスタである。
どう駄洒落なのかというと、その夜にオリジナル版の『リング』とアメリカリメイク版の『THE RING』を見比べようと思っていたからである。ただそれだけの話（笑）
いまさら『リング』というのも時流と合わないこと甚だしいかもしれないが（どうせいつものことだ）、別にホラー映画や『リング』『THE RING』そのものに興味があったわけではない。
両者を見比べてみたかっただけである。映画ではなく映画の「関係」に興味があった。
というのも、最近読んだ『時計じかけのハリウッド映画』という本がなかなか面白かったからである。
『時計じかけのハリウッド映画−脚本に隠された黄金法則を探る』芦刈いづみ 飯富崇生・著／角川SSC新書￥760
要はハリウッド映画脚本の定型フォーマットを簡単に紹介した内容。基本的な「3アクト・ストラクチャー」などについて知る入門書として良い本ではないかと思われる。
「3アクト・ストラクチャー」というのは、物語の展開の基本といわれる「起承転結」のような考え方で、それが三段階になっている。いわば「序破急」である。「序破急」は広辞苑によれば「能や人形浄瑠璃などで、脚本構成上の区分。序は導入部、破は展開部、急は終結部」ということ。
こうした三つの構成をもう少し細かに定型化したのが「3アクト・ストラクチャー」ということになろうか。
「アクト1」にはイントロダクション、インサイティング・インシデント、ファースト・ターニング・ポイント、「アクト2」はミッド・ポイント、セカンド・ターニング・ポイント、そして「アクト3」はクライマックス、エンディングという具合に区分分けされている。
シナリオ構成について同書をお読みいただきたいが（入門書としても一般的な読み物としても面白く読める）、ともかくこのフォーマットに従って行けば、ハリウッド的オーソドックスな構成が可能になる（らしい）。お話作りを学習しようという人はハリウッドの蓄積されたシナリオ分析や構造を知っておいた方がよいと思う。日本の映画は構造や構成という点で脆弱に思える（おそらく日本語という言語そのものが、英語やそれに類する言葉に比べて構造が弱いせいかもしれないが、だから別な点での強みもあろう）。
必ずしもマニュアルに従う必要はないと思うが、ガイドがあった方が学習はしやすい。要は最終的に鵜呑みにしなければよいのだと思うし（最初はまず鵜呑みにした方が良いだろうけど）、知っていなければ「外す」ことも出来ない。
私は以前、同じようなことをシナリオ術の本を読んで知識としては知っていたが、自分の監督作のシナリオでこうした考え方を実践しようとしたことはないので、知らないに等しい。
不勉強で申し訳ない。
しかし、ハリウッド的脚本構成法を知っている日本の映画関係者は多いだろうに、実際にはハリウッド的な意味でよく出来た脚本という話は聞いたことがないが、どうしてなのだろう。
体質的に合わないのか、うまく実用できないのか分からない。
同書でもっとも興味を覚えたのは、『リング』と『THE RING』の比較である。
両者を比較してその違いを指摘していた第４章「日本映画はいかに翻訳されたか」が面白く、日米の脚本術や文化の差異が浮かび上がっているように思えたので、実際に見比べてみようと思い立った。
私は以前にオリジナル版は見ていたが、リメイク版は見ていなかった。オリジナル版があまり趣味に合わなかったというせいもあるし、基本的に興味のある世界でもない。
だから、内容的なことよりも内容を取り扱う「構成」や「構造」、あるいは「手つき」などに着目して見てみた。
私にとっては「怖いかどうか」は全然関係なく（笑）、「怖がらせ方」の方に興味がある、と言った方が近い。もちろん怖さの演出や何をして怖いと想定するのかというホラー的な面ばかりではなく（それは映画の一要素に過ぎない）、オリジナル版からどういう「筋立て」や「構成」「構造」に変化したのかという全体に興味の重心を持っていた。
ちなみに、そういう見方をしているとホラー映画なのに全然怖くない。少々勿体ないように思う（笑）
シナリオや構成、画面作りも含めてリメイク版はたいへん上手に作られていると思う。
アイディアも満載で、オリジナル版ではかなり気になる「芝居」や「編集」の問題もないので、ツルツルと娯楽を楽しめた。ロジカルになっている分、オリジナルよりホラー的なムードが後退しているという指摘はありうるだろうが、「構造」を見たい私にはあまり関係がない。
オリジナルをもっと大胆にアレンジしているのかと思ったのだが、元の映画（原作は読んだことがないので分からないが）に随分忠実なリメイクであった。その分、差異が際だつので、比較するにはたいへん都合がよい。かなり良いサンプルではないかと思われる。
すでに出来た映画のどの部分に疑問や不満を抱き、どう改善しようとしたのか、リメイクした彼らのやり方がよく分かる。もっとも感心したのは、やはり「一目で分かる」という絵的な発想とその具体化だろうか。
しかし私にとって、具体的にどういう差異が面白かったかは、ここでは記さないことにしておく。
仕事場にいるスタッフで、この比較に興味のある人にも見てもらった上で「酒の肴」にするつもりだし（そのためにもDVDを購入したのである）、今度のムサビのゼミでも触れる予定である。書いてしまうと喋る楽しみが減ってしまう(笑)
まぁ、ウェブを探せば両者を比較したテキストがたくさんあるだろうから、興味のある人は是非そちらを。
本当に両者は、よく似ているだけに違いが分かりやすい映画である。
    ]]> </content:encoded>
        <dc:date>2008-05-06T20:38:11+09:00</dc:date>
        <dc:creator>s-kon</dc:creator>
        <dc:subject>NOTEBOOK</dc:subject>
    </item>
  <item rdf:about="http://konstone.s-kon.net/modules/notebook/index.php?p=201">
  <title>おお</title>
  <link>http://konstone.s-kon.net/modules/notebook/index.php?p=201</link>
      <description>『日本人の脳に主語はいらない』という本をちょうど読み終わって、内田先生のブログを見たら同書が取り上げられていた。『日本人の脳に主語はいらない』月本洋・著／講談社選書メチエ￥1600+税私も読みながら「内田先生の書いておられることと拍子が合っているなぁ」と思っていた。この本は毎日新聞の書評で知った。以前から「日本語話者は虫の音や風の音を左脳で聞く（一部の言語を除いてほとんどの言語の話者は右脳で聞く）」という説に興味があったので買ってみた。そうした興味の点でも、人間の成長において模倣がいかに重要であるか ...</description>
        <content:encoded> <![CDATA[
    『日本人の脳に主語はいらない』という本をちょうど読み終わって、内田先生のブログを見たら同書が取り上げられていた。
『日本人の脳に主語はいらない』月本洋・著／講談社選書メチエ￥1600+税
私も読みながら「内田先生の書いておられることと拍子が合っているなぁ」と思っていた。
この本は毎日新聞の書評で知った。以前から「日本語話者は虫の音や風の音を左脳で聞く（一部の言語を除いてほとんどの言語の話者は右脳で聞く）」という説に興味があったので買ってみた。
そうした興味の点でも、人間の成長において模倣がいかに重要であるかなど、新作のシナリオの参考になる点も多く、たいへん面白く興味深い本だった。
その魅力については「内田樹の研究室」ブログ「御影駅からリッツカールトンにゆく途中で考えたこと」を是非。
http://blog.tatsuru.com/
    ]]> </content:encoded>
        <dc:date>2008-05-05T15:02:25+09:00</dc:date>
        <dc:creator>s-kon</dc:creator>
        <dc:subject>NOTEBOOK</dc:subject>
    </item>
  <item rdf:about="http://konstone.s-kon.net/modules/notebook/index.php?p=199">
  <title>アイディアの体力</title>
  <link>http://konstone.s-kon.net/modules/notebook/index.php?p=199</link>
      <description>夕べはマイケル・ムーア監督の『シッコ』を見る。特典映像も含めてたいへん興味深く見た。興味深いという意味でも面白いし、単純におかしいという意味でもおもしろかった。日本もよほど「金カネかね」の拝金主義が覆う世の中になっているようだが、いやいやまだまだ後進国である。さすがアメリカ。先進国はもっともっと先を行っている御様子。見習いたい人はさぞや日本にも多かろう。さて、前回のつづき。「アイディアが浮かびやすくなる身体」にするという、誰もが知りたくなるようなことを偉そうに前振りしてしまったが、別に全然たいし ...</description>
        <content:encoded> <![CDATA[
    夕べはマイケル・ムーア監督の『シッコ』を見る。特典映像も含めてたいへん興味深く見た。
興味深いという意味でも面白いし、単純におかしいという意味でもおもしろかった。
日本もよほど「金カネかね」の拝金主義が覆う世の中になっているようだが、いやいやまだまだ後進国である。さすがアメリカ。先進国はもっともっと先を行っている御様子。
見習いたい人はさぞや日本にも多かろう。

さて、前回のつづき。
「アイディアが浮かびやすくなる身体」にするという、誰もが知りたくなるようなことを偉そうに前振りしてしまったが、別に全然たいしたことではない。
話は簡単だ。自分がこれから作ろうとしているアイディアや話、それに類する映画や小説などの創作物をたくさん見る、というだけである。
何だ、と思われるだろう。私もそう思う。
つまりは「参考作品を見る（読む）」ということと思うだろうし、学術論文を書く際に多くの先行研究に当たるのが当然なことと同じと思われよう。
確かにそれと同じ面もあるのだが、参考や研究を目的として見るわけではないのである。
たくさんの参考例を見る、というより、自分がこれから作ろうとしている世界に慣れる、馴染むといった方が適切な在り方だ。

この方法（ともいえないようなものかもしれないが）も、私が20年前にある人から教わったものである。
「それに類する映画（その他の創作物）をたくさん見て、ムードに浸るんだよ」
「ムードに浸るんだよ」である。たいへん分かりやすい言葉だ。
たいへん理解しやすいご指導をいただいたものの、その「効用」を実感するにはずいぶん時間がかかった気もする。その後、漫画やアニメーション制作において自分なりに少しずつ実践してきて、いまならなるほどその通りだと思える。
良い参考例ではないが、『東京ゴッドファーザーズ』のプロットやシナリオ制作当時、気分に浸るための資料として読んだ本と見た映画を上げてみる。

書籍／『ダンボールハウスで見る夢』『&ldquo;死んでもいいや&rdquo;症候群』『東京遺跡』『霊園はワンダーランド〜ホームレスと過ごした一年間の記録』『新宿段ボールハウスの人々』『ホームレス日記&ldquo;人生すっとんとん&rdquo;』『スーツホームレス』『ホームレス自らを語る』『山谷崖っぷち日記』『友がみな我よりえらく見える日は』『ホームレスになった〜大都会を漂う』『東京ホームレス事情』『新約聖書を知っていますか』『僕らの広大なさびしさ』『ヤクザに死す』『&ldquo;少年犯罪&rdquo;の正体』『ヤクザという生き方』『新宿 歌舞伎町　マフィアの棲む街』『タクシードライバー日誌』『偶然の一致はなぜ起こるのか』『男でもなく女でもなく』『二丁目からウロコ』『タクシードライバー・一匹狼の歌』『こじき大百科』『ホームレス入門』『現代ヤクザ録』『21世紀のヤクザ基礎知識』『ホームレス作家』『新宿ホームレスの歌-&ldquo;放浪歌人&rdquo;の７０余年』

映画／『真夜中のカーボーイ』『ザ・ストレイト・ストーリー』『ミッドナイト・ラン』『サイダーハウス ルール』『マイライフ アズ ア ドッグ』『ブラス！』『フルモンティ』『バグダッド・カフェ』『都会のアリス』『ジョンズ』『ガープの世界』『ホテルニューハンプシャー』『三人の名付け親』『スリーメンアンドベイビー』『サイモンバーチ』『オールアバウトマイマザー』『バードゲージ』『プリシラ』『永遠と一日』『フローレス』『トーチソングトリロジー』『３人のエンジェル』『GO』『赤ちゃん泥棒』『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』『スローターハウス５』『アタックナンバーハーフ』

この時期、他にも読んだ本や見た映画はあるし、それらからも多分に影響は受けているはずだが、上記の作品は直接的な狙いで消化してもの（と思われる）。また、作画作業に入ってから目を通したものやビジュアル参考としての資料はここには含まれない。
本の方が直接的資料の傾向が強く、映画の方がムードやキャラクターの気分といった傾向のようだ。
あまり関係がなさそうなものも混じっているが、おおむねタイトルを見ての通りキーワードは「ホームレス」「ゲイ」「ロードムービー」「皮肉な話」が主で、その他「貧乏」「赤ん坊」「ヤクザ」「タクシー運転手」などなどだろうか。
話をこしらえる段階では、直接的な資料や参考は別として、極端な話何を見れば適当なのかもよく分かっていない。
だからといって手当たり次第に目を通すわけにも行かないので、関係のありそうなものやたまたま目についたものをチョイスしている。「たまたま」という縁も大事である。

繰り返すが、参考になるアイディアや上手な参考例を手に入れるために見たり読んだりするわけではない。
むしろ、つまらない映画や出来の悪い映画を見ているとアイディアが浮かんでくることも多い(笑)
「こうすればいいのに」「私ならこうする」といったトレーニングはアイディアを出す訓練にとてもよい。これはこれでたいへんな効用であるが、そんなに理解しやすいことに一番の眼目があるわけではない。
自分がそれらに触れて、何を見ているのかは自分にも実はよく分からないことの方が大事である。
意識的に吸収する部分もたくさんあるが、どちらかというと自分の無意識に、これから自分の作りたいものにまつわりそうな種々雑多なものを「ロード」するといったようなことが主な狙いである。何せ無意識に見せているのだから、そこで何が発酵して何が出力されてくるのかは私には予測がつかないことになる。
そこが一番面白いところである。
自分がこの先何を考えるのか分かっていたら全然面白くない。

私が知りたい、得たいというアイディアを意識的に探すのではなく（そんな都合のいいものは滅多にない）、意識よりももっと広大かつ深淵な無意識に色々なものを投げ込んで「考えてもらう」のである。
そこからいつか到来する閃きやアイディアは私の意識が知らないものであり、まるでよそからやって来たように思えるものだ。
だから私は自分の無意識であっても、そこから受け取ったアイディアは「私が考えた」ではなく「出てきた」という言い方をする。「creation」（創造）というより「generation」（発生）である。実際、それが実感にもっとも近い。
最も近い他者、それが無意識。ホントに。
何やらもっともらしいことを書こうとしても、浅知恵と知識の無さが露呈するだけなので、平たく書くと要するに、ネタやアイディアを探すためではなく、それらによって触発され、自分が取り組んでいる問題に関して脳を活性化させたい。そういうことだ。
その「自分が取り組んでいる問題に関して脳を活性化」がつまりは「アイディアが浮かびやすくなる身体」ということである。
そういう状態を持続することが実りにつながる。

多くの創作物や先例に当たってアイディアやパターン、ノウハウをストックすることも勿論大事である。しかし、アイディアやノウハウをいくらストックしたところで、制作中にいつも逢着するのはストックでは解決できない問題なのである。
第一、それまでのストックで解決できるものなら問題とは言わないし、「答えが分かるくらいなら問いではない」とソクラテスだって言っている。
また、ある人はこんな名言を残している。
「100のノウハウを身につけたところで101番目の出来事には対処は出来ない」
言ったのは私だ(笑)
101番目の事態に直面したときに、「その場でアイディアを生み出す」ことが出来るかどうか。
アイディアが必要になったときや困った問題を前にしたときに、アイディアを生む体力を養うことがもっと大事なのである。
「いつでもオンデマンドにアイディアを」
下手なコピーみたいだが、そういう人になりたいものである。
若い方（に限らないが）には、「アイディアの体力」をこそ養って欲しいと思う。
身体のトレーニングと同じで、普段から身体を動かしていればそうでない場合に比べて身体は動きやすいものであろうし、体力も養われる。同様に普段から「アイディアが浮かびやすくなる身体」をこころがけていれば、自然と「アイディアの体力」も養われるのではないだろうか。

また話が長くなった。
ゼミではこの後、ストーリーの考え方などを紹介し、コンテの話に入る前に、残りはすでに15分くらいとなってしまった。中途半端になってしまうので、コンテ解説は次回とする。
気がつくと次回とその次の回もGWの休みで休講だ。それじゃ休みすぎだ。
    ]]> </content:encoded>
        <dc:date>2008-05-05T13:19:45+09:00</dc:date>
        <dc:creator>s-kon</dc:creator>
        <dc:subject>NOTEBOOK</dc:subject>
    </item>
  <item rdf:about="http://konstone.s-kon.net/modules/forum/index.php?topic_id=1#post_id1">
  <title>テスト</title>
  <link>http://konstone.s-kon.net/modules/forum/index.php?topic_id=1#post_id1</link>
      <description>コメントのテスト</description>
        <content:encoded> <![CDATA[
    コメントのテスト
    ]]> </content:encoded>
        <dc:date>2008-05-01T23:35:14+09:00</dc:date>
        <dc:creator>konstone</dc:creator>
        <dc:subject>コメントフォーラム</dc:subject>
    </item>
  <item rdf:about="http://konstone.s-kon.net/modules/info/index.php?page=article&amp;storyid=26">
  <title>3/29「東京国際アニメフェア」トークイベント</title>
  <link>http://konstone.s-kon.net/modules/info/index.php?page=article&amp;storyid=26</link>
      <description>3/29(土)、東京ビッグサイトで開催される「東京国際アニメフェア」(TAF)でトークイベントを行います。TAFのウェブサイトはこちら。http://www.tokyoanime.jp/ja/index.php場所：TAF会場、｢H−8｣マッドハウス・ブース時間：15：00〜15：45参加人数は20名程度だそうです。時間に余裕のある方はお出かけください。</description>
        <content:encoded> <![CDATA[
    3/29(土)、東京ビッグサイトで開催される「東京国際アニメフェア」(TAF)でトークイベントを行います。<br />TAFのウェブサイトはこちら。<br /><a href="http://www.tokyoanime.jp/ja/index.php" target="_blank">http://www.tokyoanime.jp/ja/index.php</a><br /><br />場所：TAF会場、｢H−8｣マッドハウス・ブース<br />時間：15：00〜15：45<br /><br />参加人数は20名程度だそうです。<br />時間に余裕のある方はお出かけください。
    ]]> </content:encoded>
        <dc:date>2008-03-22T11:53:59+09:00</dc:date>
        <dc:creator>s-kon</dc:creator>
        <dc:subject>INFORMATION</dc:subject>
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  <item rdf:about="http://konstone.s-kon.net/modules/interview/index.php/content0026.html">
  <title>24-2005年4月 海外から監督作全般について</title>
  <link>http://konstone.s-kon.net/modules/interview/index.php/content0026.html</link>
      <description>Interview 242005年4月、海外から監督作全般に関してどこの国からか失念してしまいましたが、アダム・ティアニーさんという方からのご質問に答えたものです。多分、アメリカのウェブサイト用だったと記憶しております。1・監督の作るアニメーション作品は『パーフェクトブルー』からも分かりますが、アニメとしては非常にリアリスティックな傾向があるかと存じます。なぜ、リアリスティックな世界を題材とすることが大切なのでしょうか？ファンタジーを描きたいからに他なりません。質問中でご指摘の通り、私はあくまで｢リアリスティック ...</description>
        <content:encoded> <![CDATA[
    <div style="text-align: center;"><span style="font-weight: bold;">Interview 24</span><br style="font-weight: bold;"><br style="font-weight: bold;"><span style="font-weight: bold;">2005年4月、海外から監督作全般に関して</span><br></div><br>どこの国からか失念してしまいましたが、アダム・ティアニーさんという方からのご質問に答えたものです。多分、アメリカのウェブサイト用だったと記憶しております。<br><br><span style="font-weight: bold;">1・監督の作るアニメーション作品は『パーフェクトブルー』からも分かりますが、アニメとしては非常にリアリスティックな傾向があるかと存じます。なぜ、リアリスティックな世界を題材とすることが大切なのでしょうか？</span><br><br>ファンタジーを描きたいからに他なりません。<br>質問中でご指摘の通り、私はあくまで｢リアリスティックな世界を題材｣にしてはいますが、｢リアリスティックなストーリー｣を目指しているわけではありません。<br>私が意図している物語世界は、ごく簡単にまとめるとすれば｢リアリスティックな世界を舞台にしたファンタジー｣ということになるでしょう。<br>ファンタジーというのは｢想像、空想、 幻想｣といった意味合いで、｢リアル｣｢現実｣といった理性的な意味の言葉と対置されます。しかしだからといってファンタジーが｢非現実的｣｢非科学的｣だとか単なる｢嘘｣であるとは私は決して思いません。<br>人間にとってファンタジーは必要不可欠なものであると私は思います。そうでなければ、有史以来、神話や伝説や昔話、宗教さえも含めて良いと思いますが、そうした現実とは異なる位相にあるファンタジーがこれほど膨大に作られ、現代まで伝えられて来なかったでしょう。神話や伝説や昔話、宗教的な物語には｢非現実的｣｢非科学的｣｢非合理的｣なエピソードが溢れています。だからといって誰もそれらの物語が持つ意味を否定できません。否定したらたいへんなことになりますよね？<br>だから色々な意味でファンタジーは人間に必要不可欠なものだと思います。<br>そしてこれらファンタジーが持つ一番の大きな意味は、｢人間の理解を絶したものが存在する｣というメッセージではないかと思います。｢もの｣といって語弊があるなら、人間の理解を越えた｢世界｣｢位相｣といっても良いです。<br>古代、中世、近代であれ現代、そして未来においてさえも人間がその理性だけで世界を理解・認識しきることはないでしょうし、もし理性と科学があまねく世界を覆ったところで、人間の感情が100パーセントそれに与することはないと思われます。<br>頭で分かること（理性で理解すること）と、感情や感覚として納得することはイコールではありません。日本語には｢理性的には分かるんだけど、感情的感覚的には納得できない｣という意味で｢腑に落ちない｣という言葉があります。英語にそれと対応する言葉があるかどうか分かりませんが、｢腑｣というのは｢内臓｣のことで、つまり身体的に納得できない、というような意味です。日常的によく使われる言葉ですが、たいへん深みのある言葉だと思います。<br>人間を取りまく多くの事象や関係には、｢理性的｣｢科学的｣には理解できても、｢感覚的｣｢感情的｣｢身体的｣に納得が行かないことがたくさんあります。納得が行かなくてもそれら理不尽や不合理なものが我々を取りまいていることに変わりはなく、そうした｢人間の理解を絶したもの｣とどう向き合い、折り合って行くかというフェーズにファンタジーは大きな役割を持つものだと思います。<br>だから自分の監督するアニメーションや漫画において、私はファンタジーを目指しているのです。<br><br>ファンタジーは現実との水位差にあると私は思います。<br>だからファンタジーを描くためには、その物語世界における現実という、いわばベースとなる世界観をきちんと構築する必要があり、そこからどのくらい飛翔したかがファンタジーの｢程度｣である、と私は思います。<br>たとえば、前提となる世界観自体が異世界や未来世界といったすでにファンタジー的要素が強い世界ならば、話の流れやエピソード、クライマックスには、よりファンタジーの要素が増大されて行かなければなりません。いい方は悪いですが、ベーシックな嘘の上にさらに大きな嘘をつく、ということです。これはこれで悪いとは思いませんし、だからこそ壮大なファンタジーを描くことも可能でしょう。<br>しかし、こうした傾向はかならずエスカレーションの袋小路に捕らわれてしまいます。話の進行に連れて、嘘のレベルをより増大させなければならなくなるため、より大きなファンタジーを求め続けざるを得なくなる。こうなると最終的に現実とは全然関係のないファンタジーのためのファンタジーで作品世界は塗飾されるようになります。アニメーションであれ実写であれ、｢大作｣を売り物にした作品が往々にして陥るのはこの点だと思います。<br>私はそうした過度なエスカレーションに巻き込まれるのは不本意です。それに私の描きたいファンタジーは、そうした｢声の大きな｣ファンタジーではなく、もう少し落ち着いたトーン、｢声の小さな｣ファンタジーです。それを描くために、まずベースとなる世界をなるべく現実的なものとして描いているのです。<br><br><span style="font-weight: bold;">2・監督のストーリーテリングのスタイルを鑑みまして、今までに実写作品の制作を考えた事はありますか？　もし、実写の監督をすることを考えたことがないのでしたら、監督にとってのアニメーションがもつ魅力とは何ですか？</span><br style="font-weight: bold;"><br>よく聞かれる質問です。<br>ですが、私は実写を撮ろうと思ったことはありません。実写の監督に誘われたことはありますが、そのときも積極的には考えませんでした。もちろん、実写という表現方法に魅力を感じないわけではありませんし、一観客としては実写映画が大好きです。<br>確かに私の監督作におけるストーリーテリング、構図の取り方、編集の考え方などには実写映画の影響が濃厚にあると思います。しかしそれはあくまで実写映画のテイスト、アニメーションに取り入れられそうな（取り入れたら面白いと思われるような）部分だけを反映させているに過ぎません。また実写風に見えるからといって実写と同じようなロジックで出来ているわけでもないと思います。だいたい私は実写を、一観客という立場以外で学んだことはありません。だから実写のロジックについてはほとんど知りません。<br>私は大きくいえば｢表現者｣ということになるのでしょうが、だからといって私自身の内部にあらかじめ｢表現すべき何ものか｣があって、それを表現するにあたって｢小説か漫画かアニメーションか実写か、あるいは音楽か舞台か｣といった選択があるわけではありません。選択の余地はないといってもいい。というのも、まず他の表現方法に熟達もしていなければ、よく知りもしない、という理由が大きいです。<br>私は日本語でしか思うようにコミュニケーションが出来ませんが、それと同じように絵やアニメーションというのが私の使える言語なのです。<br>日本語で考えて日本語でアウトプットするしかできない。｢どの表現方法を選択するか｣という問題を言語にたとえるなら、馴染みのない表現を使うということは新しく言語を習得しなければならないのと同じです。言語の習得には時間がかかります。私が現在の日本語能力を形成するまでに41年、絵やアニメーションの技術やノウハウを獲得するまでにも20年以上はかかっている。自分の知らない表現方法を習熟するにしても、その時間が惜しいと思います。<br>ですから、表現すべきものがあってそれに相応しい方法を選ぶ、ということは合理的なように見えますが実際は表現方法や技術の習得自体のために失う時間も大きいですし、表現方法そのものからの影響ということが考慮されていません。この｢方法そのものから生まれる考え｣という点が何より重要だと思います。<br><br>確かに表現を行う主体があって、その主体の選択で表現方法が決まる、というモデルは誰にでも分かりやすい表現者の在り方のように思いますが、私はそれほど単純なモデルは信用していません。<br>単純化、合理化されたモデルは｢誰にでも分かりやすい｣ので重宝する場面も多いですが、その分取りこぼされている面もたくさんあります。<br>世の中には｢誰にでも分かるわけではない｣ことがたくさんあります。誰にでも分かりやすくする、というのは一見｢正しい｣ことのように思えますが、すべてにおいてその方法を適用するのは傲慢な態度です。分からないものを分からないものとして受け入れることが知性の節度というものでしょう。同時に分からないものでも何とか伝えようとするのが表現者であると思います。<br>表現者という主体は、表現する以前に何を表現するのかをあらかじめ完全に把握しているわけではないでしょうし、当の表現方法そのものにも当然大きな影響を受けている。制作中も、当の制作物そのものから大きな影響や刺激を受けています。作ることによって、何を作るのかが浮かんでくるとさえいえます。<br><br>これも言語にたとえると分かりやすいでしょうか。<br>日本語話者として生まれ育った人間の考え方は日本語という方法に規定されるのと同じです。日本語だから感じることが出来る情感や感情のニュアンスが当然あります。それは英語や他の言語においても同じことでしょう。その言語でなければ考えられないもの、世界、位相があり、いかに忠実に翻訳しようとしても同じニュアンスの言葉がなかったり、言い換えるとこぼれ落ちるニュアンスがあるわけです。<br>最近、｢もったいない｣という日本語を世界に広めようとノーベル平和賞受賞者のワンガリ・マータイさんが提唱されていましたが、これなどは顕著な例です。｢もったいない｣に相当する言葉が他の言語にはない。｢もったいない｣とは｢そのものの値打ちが生かされず無駄になるのが惜しい｣という意味で、他に｢神仏・貴人などに対して不都合である｣｢過分のことで畏れ多い｣といった意味もあり、日本の宗教性が反映されている言葉であると思います。<br>英語では｢waste｣という単語がそれに近いそうですが、｢無駄（waste）｣と｢もったいない｣では日本人にとって随分ニュアンスが違います。<br>たとえ｢もったいない｣という言葉を外国の方が覚え、正しく使えたとしても、子どもの時から｢もったいない｣という言葉とその概念の中で育ってきた人間と、まったく同じようにその言葉を共有することは出来ないと思います。<br>分かりやすくいえばこういうことになるでしょうか。<br>学習して｢もったいない｣という言葉を覚えた人間にとっては、いわばその人が｢もったいない｣という言葉を主体的に使うわけですが、母国語にあらかじめこの言葉が含まれている人間にとっては、｢もったいない｣という言葉はそれを使う主体そのものを構成している一要素にさえなっているわけです。<br>前者と後者で｢もったいない｣という言葉を使う水準が同じであるわけはありませんね。コンピュータでいえば前者はアプリケーション的であり、後者はシステムの水準といっていいでしょう。<br>私にとってのアニメーション、正確にいえば私にとっての｢絵｣も同じといってよいです。私のものの考え方が絵に適しているから漫画やアニメーションという方法を選択しているだけではなく、漫画やアニメーションという方法によって私の考え方は作られてきている、といえます。そして自分なりの考え方に変化を与え、深化させたりするために、実写や小説や舞台や音楽といった他ジャンルの要素を取り入れてきたわけです。<br>私が日本語しか使えないのと同じで、私は絵を媒介にしてしか物を作れないように思っています。単純な合理性に則れば、より多くの人と直接コミュニケーションをしたいと考えるならアニメーションよりは実写、日本語より英語を使う方が世界中の人々に届きやすいでしょう。<br>しかし、表現や文化というのは合理性の基準で計られる対象ではありません。その表現方法、その文化でなければ現れてこないものがたくさんあります。<br>そうした多様性こそが、言語や宗教、文化や歴史の異なる人間相互にとっての豊かな財産であると私は思います。それを否定するような現代の潮流に対して私は強い抵抗を感じます。<br>それぞれの文化の中からしか生まれてこないものがある、と書きましたが、しかしそれを何とか相手にも伝わるようにすることが表現者であるとも思っています。私たちの作った映画が、海外のお客さんの目に触れ、このインタビューのように興味を持ってくれた人たちが海外からリアクションを返してくれます。たいへん嬉しいことです。その喜びというのは、やはり言語や文化の越えにくい壁を、我々の場合はアニメーションという形で越えられたことが大きい理由ではないかと思います。作っているスタッフは日本語しか使えないにもかかわらず、映画は言葉の壁を越えてくれるわけですから。<br><br><span style="font-weight: bold;">3・今監督の作品では、主人公の心の内の葛藤、その人物をとりまく社会や環境が巻き起こす問題を設定なさりますが、分かりやすい敵役を登場させていません。何故監督の作品の中では、具現化された悪役はいないのでしょうか。</span><br><br>分かりやすい悪役ほどつまらないものはありません。私がそう思えるくらいの年齢になったのでしょうし、そういう世の中になってきたということかもしれません。<br>分かりやすい悪役が出てきて、それを主人公が苦難の末に倒してめでたしめでたし、という勧善懲悪的なストーリーには全然興味を覚えません。自分が作る作品においてはもちろん、他の方のアニメーションや漫画、実写映画でもそうした内容と思えるものはまったく見ませんし、馬鹿馬鹿しいとさえ思います。<br>そういう単純化されたストーリーは、ファーストフードみたいに思えます。実に手軽な話形です。お手軽なものは世間に広まりますが、悪影響が大きいのもよく似ています。<br>現実の世の中に分かりやすく具現化された悪は見当たりません。<br>確かに、ある立場から見れば｢敵｣や｢悪役｣に相当する立場になる人や集団はあります。しかし相手から見れば反対側が当然｢敵｣や｢悪役｣になります。<br>誰かが相手を｢悪｣と想定しているに過ぎません。<br>絶対的な悪や善という立場が存在するわけもなく、悪や善は相対的なものでしかないと私は思います。｢絶対的な正義｣を掲げるような人々はまったく信用できませんし、そもそも｢絶対｣があり得るわけがないと思っています。<br>このあたりの感覚は、｢絶対｣という概念を前提にして成り立っている一神教の世界観には馴染みにくいのではないかと思いますが、多神教をベースにして成り立っている地域や、物事すべてを相対化しようとする仏教が根ざしている地域の人間は、相対的な考えが基本になっていると思います。<br>私は相対的なものの考え方の方が好きですし、肌に馴染んでいます。｢絶対｣というものを私は信用していませんので、単純に悪役とか敵を設定する物語世界に強い抵抗を感じます。<br>確かに世の中には法律に反する犯罪という分かりやすい悪がありますし、その時代その地域の倫理感や常識から逸脱する分かりやすい悪はあります。<br>それらは排除、防止されなければならないと私も思います。<br><br>一方で、普遍的な意味での邪悪さもきっと存在するとは思っています。問題はこちらの方が大きく深いことでしょう。<br>邪悪さというのは誰の中にでも生まれうる、｢澱｣のようなものかもしれません。邪悪さは内側にある。時と場合によっては、自分の中にも現れるかもしれない。そう思える節度によって初めて抑制しうるのではないでしょうか。<br>だからそうした邪悪さは特定の人や集団に押しつけたり投影されうるものではないでしょうし、悪者を排除すれば、ことが丸く収まるということではありません。<br>しかし、いまだに世の中は｢我々の不幸はどこかにいる誰かのせいだ。それを倒せばよいのだ｣という他罰的な考え方に支配されていると思います。そう考える方が簡単で楽なのでしょう。<br>実は、そういう考え方そのものが｢敵｣や｢悪｣を生み出している、私はそう思います。<br>先に記した｢単純化・合理化されたモデルの危険性｣と同様、簡単で楽な考え方はその分だけ多くのものを取りこぼしている筈です。<br>邪悪さを自分以外のものに投影して自分が邪悪さや罪から逃れるのではなく、｢私にも邪悪さがある｣｢知らぬ間に罪を犯しているかもしれない｣と認め、自分がその一端を引き受けることによって初めて倫理感は基礎づけられるのではないかと思います。<br>世界は相対的な関係の中にしか存在しない、という見方が私の世界観です。なので私が指向する物語世界に、分かりやすい善と悪、正義と悪が存在することはありえないと思われます。<br><br><span style="font-weight: bold;">4・今監督の作品中では日本の文化、地域性を前面に押し出した世界設定となっています。今後も日本を舞台背景とした作品を考えていますか？　日本以外を舞台とした作品制作の予定はありますか？</span><br><br>必ずしも日本を舞台にしなければならないとは考えていません。ただ、分からないものは描きようがないのです。<br>どこを舞台にするか。ある国、ある土地、ある場所という舞台は、場所そのものが一つの物語を持っているといっていいでしょう。ここでいう物語とは文化や歴史、宗教であり、その場所における人々の常識や倫理感という考え方も含まれます。<br>あるストーリーは、その舞台となる場所の物語と密接に関係しています。ストーリーと人物それぞれの物語、そして場所が持つ物語。物語と物語が関係するところに、新たな物語が生まれるものではないでしょうか。<br>だから、その舞台の物語を理解することなく、そこで展開する物語を考えることは出来ないと私は思います。<br>たとえば『東京ゴッドファーザーズ』は、そのタイトル通り｢東京｣でなくては成立しない物語だと思います。日本という風土や宗教性、東京という土地柄などを抜きにしてあの物語は考えられません。<br>もちろん単純な意味でのストーリー（ホームレス三人が赤ん坊を拾って親元に届けようとする…というようなお話）の翻案は可能だと思います。ただその場合、舞台をたとえばニューヨークに移したとするなら、ニューヨークという場が持つ物語、そこに暮らす人々の考え方や暮らし方との関わりによって、ストーリーそのものが変化するはずですし、また変化しなくては不自然なのです。<br>私が日本以外の土地を舞台にした映画をこれまで作っていないのは、その舞台となる場所の物語を自分のものとして身体的に把握できないからです。たとえ頭で理解したとしても、場所と密接に結びつく有機的な物語を語ることは出来ないでしょうし、ストーリーを作ることもできないと思います。だから私は私が把握している世界を舞台にすることしかできないのでしょう。<br>ただ、今後もその通りである、とは言い切れません。実際、未来世界や異世界に対する興味も多分にありますし、実際に存在する海外の土地であっても視点の取り方次第で描き得るのではないか、と考えています。<br><br><span style="font-weight: bold;">5・特殊な家族構成を扱った『東京ゴッドファーザーズ』ですが、いままでの監督の映画の中では、一般的に一番なじみやすい作品だったかと存じます。広いファン層からの支持を得る為に、何か意図的な判断をなさったのでしょうか？</span><br><br>必ずしもそうではありません。もちろん、より広い層のお客さんに届いて欲しいという願いはありましたが（それはいつも有ります）、そういう戦略的な観点を私はあまり持っていません。ですから、私個人の興味がシフトしたという面が強いと思います。<br>前作にあたる『パーフェクトブルー』や『千年女優』は｢個人｣にフォーカスした映画でしたが、そこから他人と繋がることに、より興味がシフトし始めたということでしょうか。そして、ある個人にとってもっとも近い位置にある関係というのが｢家族｣です。<br>ご指摘通り｢特殊な家族構成｣ではありますが、それを通じて、自分の家族というもっとも近しい他人を改めて考え直す契機になって欲しい、という願いがあったと思います。<br><br><span style="font-weight: bold;">6・『妄想代理人』の制作は楽しいものでしたでしょうか。また、新しいテレビシリーズに取り組む予定はありますか？</span><br><br>楽しいことばかりではありませんでしたが、｢楽しかった｣と言い切ってもよいほど面白く制作にあたりました。テレビシリーズの制作は、劇場用と全然違うスタンスです。とにかく短い時間の中で数を作らなくてはならない。<br>劇場用と比べると予算も時間も少なく、思ったイメージを徹底させることは難しいですが、反面多くのイメージを提示できるし、思いつきから画面になるまでが早い。このレスポンスの良さはテレビシリーズならではでしょう。<br>完成度ではもちろん劇場用には到底及びませんが、多くのアイディア、バラエティに富んだアイディアを表現することもまた非常に楽しいものでした。<br>現在のところ新しいテレビシリーズの企画は考えていませんが、また作ってみたいとは思います。<br><br><span style="font-weight: bold;">7・各々の作品において、どのような達成目標を掲げていますか？　そしてその目標を成し遂げたと思いますか？</span><br><br>それぞれの監督作において、特に明確な目標を掲げているわけではありません。何よりはっきりとした目標、言い換えると到達点ということになると思いますが、スタートする前からゴールを設定するような考え方が好きではありません。<br>先にも書きましたように、制作者は作っている当の制作物から大きな影響を受けます。制作中も制作者は変わり続けるということです。作っている自分の変化まで予測して、監督作の到達点も設定するということは不可能です。何せ、予測する主体自体の考え方が変化するわけですから。<br>違う言い方をすれば、達成する目標自体が制作中においても常に書き換え続けられるということになる。ですから、｢達成目標｣というのがどの時点においてなのか、という問題に行き当たります。企画当初、シナリオ制作時、コンテ執筆時……と制作プロセスを追うごとに、目標は常に高くなって行きます。<br>｢ここまで来たからには、もっと先へ｣<br>いつでもそういう考え方になります。『千年女優』において、追いかけていたその人に辿り着くことそのものより、辿り着こうとする態度にこそ意味がある、と描いたのは、私の制作態度に重なるからだと思います。<br>目標には決して到達しない構造になっているんです。ある目標を設定してそこへ向かい、到達しそうになったときにはより高い目標を設定する。その新たな目標に向かって進んでそこへ到達しそうになれば、より高い目標を設定して……。そうした運動を繰り返し続けることになるわけですから。<br>それが楽しいのです。<br><br>そうした深い意味での目標とは別に、もう少し分かりやすい目標も用意してはいます。『パーフェクトブルー』は監督デビュー作ということもあって、まずは｢一本を作り上げる｣という、目標とすら呼べないような目標だったと思います。ただ、それまで見たり、実際に参加してきたアニメーションで私が本当に面白いと思える物はほとんどなかったので、｢面白い物を作ること｣、それは難しいかもしれないけれど（何しろ他の人だってそれを目指していてなかなか出来ないわけですから）、せめて｢見るお客さんの興味を最後まで引っ張り続ける｣ということが演出的な目標だったと思います。<br>『千年女優』においては、アニメーション的な、というより映像的なイメージの飛翔、想像力の運用が目標だったと思います。本来同時には存在しない時制、過去現在未来が個人のうちに同時に在るということをどうやって映像化するかが私の楽しみでした。<br>『東京ゴッドファーザーズ』の場合はもっとはっきりしていて、キャラクター芝居、アニメーション的漫画的な活力を豊かにしたいと思っていました。写実的な背景と漫画的な活力を持ったキャラクターたちの対比を狙っていました。<br>『妄想代理人』の時は｢多様性｣というのが一番のキーワードでした。同じ『妄想代理人』というシリーズでありながら、各話数の個性にどれだけバリエーションを作れるか、という目標です。話の内容、語り口それぞれにバリエーションを盛り込めたと思います。<br>ここに上げたいずれの目標も制作にかかった当初に考えていたものですが、どれも概ね満足が行く程度に達成できたと思っています。<br><br><span style="font-weight: bold;">8・以前に大友監督とのコラボレーションをされていますが、2人の関係はどのようなものだったのでしょうか？　2人が再びタッグを組む可能性はありますか？（大友さんのマンガを原作に今監督がアニメ化するという噂が数年に流れておりましたが）</span><br><br>私はもともと漫画を描いておりまして、時折私は大友氏の｢AKIRA｣の漫画連載を手伝ったりしていました。アニメーションの｢AKIRA｣に私は一切関わっていません。<br>漫画の方の縁で、大友氏には懇意にしていただきまして、その大友氏の紹介で『老人Ｚ』（原作・脚本／大友克洋）というアニメーションに美術設定として参加しました。私がアニメーションに関わったのはこれが初めてということになります。<br>以後、私はアニメーション制作に携わるのが面白くなり何本かのアニメーションに参加した後、｢MEMORIES／彼女の想いで｣で再び大友さんの仕事に参加しました。脚本と美術設定が主な仕事でした。<br>その後は、私は自分の演出・監督作が主になり、大友氏と仕事はほとんどしておりません。アメリカ資本で大友克洋監修、私が監督という企画もあったのですが、立ち消えになったようです。その映画の監督として氏から誘われ、打ち合わせも数度したものの、知らない間に企画自体が無くなっていたようです。しかし誰一人として｢無くなった｣と伝えてくれる人はいませんでしたね(笑)<br>大友氏と仕事をする予定はありません。<br>数年前に流れたという｢大友さんのマンガを原作に今監督がアニメ化するという噂｣は、まったくのデマです。私は数年前のパリのアニメーションイベントで同じことをフランスのライターから質問されましたが、初耳で私が驚いたほどです。<br><br><span style="font-weight: bold;">9・脚本に関しては、共同執筆と単独での執筆のどちらが好みですか？</span><br><br>共同の方がいいですね。<br>私が単に脚本として他の監督の仕事に参加するなら単独の執筆でもかまわないと思うのですが、自分で監督する映画のシナリオを私が単独で執筆すると、どうしても価値観が狭まってしまいます。自分にとって都合のいい見方だけで物語世界を構築すると（もちろんそうならないように気をつけますが）、結局自分にとって面白いものになりにくいというか、不本意なものになりがちです。<br>違う言い方をすれば、どこか世界が｢閉じてしまう｣ような気がします。｢閉じた世界｣を描く場合なら、それも有効に機能するとは思うのですが、現在の私はいかに｢開かれた｣余地を残して、なおかつ自分の価値観も反映された物語世界を作るか、という命題を自らに課しています。<br>それには複数の視点が必要です。｢私には思い至らない考えがある｣という節度を堅持したいと思いますし、その思い至らないフィールドを共同執筆する相手に期待していると思います。<br>また、ごく単純な問題として、自分単独で脚本を執筆して自分でコンテ・演出した場合、どうしても脚本段階でのこだわりや失敗した箇所などに引っかかってしまい、大胆に演出するのが難しくなってしまいます。<br>なので私は共同執筆の際も、最終的な決定稿は共同執筆者にお願いするようにしています。そうすれば、また新たな気持ちで絵コンテに取りかかることが出来ますので。<br><br><span style="font-weight: bold;">10・DVDフォーマットの普及により、アニメーション制作プロセスに変化はありましたか？</span><br><br>特別大きな変化というと、テレビシリーズで画面サイズが16：9のワイドが主流になったことでしょうね。それまでは4：3の画面をスタンダードとしていましたが、これから先は16：9が主流になるのではないかと思われます。<br>劇場用アニメーションはもちろんのこと、ビデオ、中にはテレビでも5．1チャンネルによって音響を制作するものが出てきましたね。<br>一般的な制作現場に対して、DVDフォーマットの普及がどういう影響を与えているのか、私にはよく分かりませんが、ごく個人的な感想をいえば、DVDの高画質はどうも画面が｢見えすぎる｣のが長所でもあり、制作者にとっては頭の痛いところでもありますね。画面の粗まで映し出してしまう気がします。<br>だから、その分画面をもっと作り込む必要を感じますし、見せるべき部分と沈める部分を意識して画面を作る必要があると感じています。<br><br><span style="font-weight: bold;">11・今監督はアメリカでの監督の評価が急速に高まっています。アメリカでのアニメの人気ぶりは、企画段階で何らかの影響を及ぼしておりますでしょうか？　それとも、日本の観客を主に考えてアニメ制作をなさるのでしょうか？</span><br><br>私の監督作がどのくらいアメリカで人気があるのか、正直なところ私にはよく分からないのです。こうしてインタビューの依頼があるということは好んでくれる人も少なくないという証なので、励まされる面があります。<br>アメリカに限らず海外での評価、また日本国内での評価にしてもそうなんですが、そうした評価（ポジティブにしろネガティブにしろ）が、私の企画に大きな影響を与えているとは言えません。もちろん影響はあります。期待してくれているお客さんに向かって映画を作りたいと思いますからね。<br>ただ、企画の選定については観客よりも、私の興味が優先されます。ある意味、私が想定する観客の筆頭は｢どこかにいるかもしれない今 敏のような人｣なんだと思います。私にはそうとでも考えるほかにやり方がないのです。そして自分が興味を持った企画内容（あるいは今 敏のような人が興味を持つであろう企画内容）を、映画として具体化して行く際に多くの観客にも伝わるようなやり方を考えるのだと思います。<br>その際には、日本国内のお客さんのことも考えますが、同じくらい海外のお客さんのことも考えています。私はこれまでに何度か海外の映画祭などに招待をいただきまして、自分の監督作の上映にも立ち会ってきました。韓国や台湾、ドイツやフランス、アメリカの観客の顔がいまも脳裏に刻まれています。なので、新しい映画を作るときにはいつも｢あのお客さんたちはどう思うだろう？｣｢こういう表現をしたら面白がるんじゃないか｣といったことは考えています。<br><br><span style="font-weight: bold;">12・監督の作品では『パーフェクトブルー』と『妄想代理人』の英語吹き替え版が出ています。英語吹き替えについてどう考えていますか？</span><br><br>映画を吹き替えで見るか字幕で見るか、それは文化的な好みもあるでしょうし個人的な好みの問題が大きいですね。<br>なので｢良い悪い｣という話ではありませんが、制作者個人の立場でいえば我々スタッフが作った生の形として、字幕で見てもらえたらいいな、とは思います。声を担当してくれたキャストの皆さんも一緒に作ったスタッフですし、その仕事を海外の人にも聞いてもらいたいと思いますからね。<br>ただ、吹き替えにも良さがあると思いますし、私は決してネガティブには捉えていません。私自身、子どもの頃からテレビで放映される映画を吹き替えで楽しんできましたし、俳優に対して決まった声優さんが演じるのは楽しみの一つでした。<br>経費のことを度外視して理想的なことをいえば、字幕版と吹き替え版がDVDに収められるのが望ましい。それをユーザーが選ぶのが一番良いと思います。<br><br><span style="font-weight: bold;">13・マッドハウスとあなたの関係は？　これからもマッドハウスで仕事をしていくのですか？</span><br><br>私はどの会社にも所属しない立場、｢フリーランス｣ですが、これまでの監督作はすべてマッドハウスで制作しています。96年に『パーフェクトブルー』制作開始以来、10年近くもマッドハウスにお世話になっておりますので、半分以上マッドハウスの一員であると勝手に認識しています。マッドハウスさんがどう思っているかはよく分かりませんが(笑)<br>私はマッドハウスに愛着がありますし、長所や短所といった特性も実感しているので、制作の流れを考えるのが何より楽です。他の会社で監督という立場で制作をしたことがないので比べようもありませんが、私にとっては大変に心地の良い会社です。ですから、マッドハウスの方で私を不要にしない限り、私としては同じ場所で映画を作りたいと思っています。<br><br><span style="font-weight: bold;">14・近年の｢イノセンス｣、｢アップルシード｣などにも見られる大掛かりな3Ｄ使用作品がありますが、今監督もそのトレンドを追われるのでしょうか？</span><br><br>どちらの映画も見ていないので、3Ｄがどういう形で使われているのか分かりませんが、現在のところ私はそれほど3Ｄアニメーションに大きな関心は抱いていません。<br>もちろん、現在制作中の作品において3Ｄは少なからず使用されていますし、3Ｄを抜きにしてアニメーションは作れないと思っています。<br>ただ、3Ｄをどう位置付けるか、という程度・水準には大きな幅があります。私は、あくまで2Ｄ、平面の絵を描いて動かすアニメーションに関心があり、3Ｄアニメーションはその中の一表現として考えています。2Ｄアニメーションというベーシックな世界に3Ｄアニメーションがどう共存するか、といった関心です。<br>だから、3Ｄをベーシックとするようなアニメーションには今のところ興味はあまりないのです。<br>私自身が3Ｄのツールに馴染みがないことが一番の原因かもしれませんが、フル3Ｄで作られた画面にあまり魅力を感じないことも大きな原因です。私が欲しいと思う画面は手描きの絵によって実現されています。あえて、現状思うようにならない3Ｄに手を出す必要を感じません。一方で手描きのアニメーションでは表現できないイメージも頭に浮かぶので、この先より3Ｄに負う部分が増えてくるとは思います。<br>2Ｄと3Ｄがいかに共存して行くかが大きな課題だと思っています。<br><br><span style="font-weight: bold;">15・｢Genius　Party｣とは何なのかお教え願えますか？　このプロジェクトにまだ関わっていますか？</span><br><br>｢Genius　Party｣という名称は聞いたことがありません。<br>何かの間違いではないでしょうか。<br><br><span style="font-weight: bold;">16・近年で優れていると思われる作品タイトル、また監督を教えて下さい。</span><br><br>私は近頃あまり映画を見ておらず、見ても大半が古いタイトルで、新しい作品はほとんど見ていません。<br>アニメーションに限っていえば、去年見たシルヴァン・ショメ監督の｢ベルヴィル・ランデブー｣は刺激的でした。映画としては後半に多々疑問もありますが、とにかくアニメーションとして面白かった。ディズニーに代表されるアメリカスタイルや日本のスタイルともタイプの違うアニメーションで、大変な刺激を受けました。<br>ただ、その刺激をどういう形でこれからの制作に反映させて行くのか、その見当がつかないですけどね。そのくらい自分たちが作っているものと違うスタイルのアニメーションのような気がしました。<br><br><span style="font-weight: bold;">17・もしあるとすれば、日本のアニメ業界に足りないものは何だと思いますか？</span><br><br>足りているものを探す方が難しいでしょうね(笑)<br>シナリオ、絵コンテ、キャラクターデザイン、レイアウト・原画、美術背景といったアニメーション制作における重要なセクションすべてにおいて、能力のある人材が非常に少ない。<br>それを補って行くはずの若い世代は、現行の中核を担っている世代よりさらにレベルが低くなっているように思えます。<br>足りない人材を補うための時間・予算はなく、人材を育てるための動きもほとんどありません。あったとしてもそれが短い期間で機能することはないでしょうし、その間に最先端の技術レベルは伸びて行くので結局は人材が足りないという状況が続いて行くと思います。<br>かなり悲観的かもしれませんが、それが現状だと思いますね。<br>一番大きな問題と思えるのは、中間層がいないことです。<br>演出にしろ作画にしろ、飛び抜けた才能や能力の人は少数ながらもおられますし、そういう人を中心にアニメーションが作られれば、多様性のある面白い物が出てくるでしょう。実際いまもそうした形で目立つ作品も出てきているとは思います。<br>劇場作品で注目されるのはそうして作られた物ではないかと思われます。<br>ただ、そういう映画を支える中間層のスタッフが空洞化してきているんです。<br>トップレベルの作画監督やアニメーター、美術監督や背景マンだけで映画が出来るわけではありません。クオリティのレベルを維持しながら堅実にカットを上げてくれるスタッフがいなければ、大半のカットは成立しません。<br>映画制作において攻守というものを考えると、こうした大半のカットは｢守｣にあたります。｢攻｣にあたる部分は特異な能力をもったスタッフが受け持つ部分でしょう。<br>どちらかだけでは映画は成立しません。これら攻守のバランスを取ることが必要なわけですが、守りの部分が薄くなっているため、攻めに回すはずの戦力を守りに割かなくてはならないという状況になっています。<br>アニメーション制作現場に限らず、豊かな中間層を失ったシステムはものを生み出す力が衰退して行くのではないかと思います。若い人たちには、一時のブームや流行に流されない画力やアニメートの技術を身につけて欲しいものです。<br><br><span style="font-weight: bold;">18・アニメのみならず、今監督は成功したアーティスト、ペインターです。近年マンガや画集での活動はされていますか？また、音楽や、玩具、ゲームなどの他の媒体を使用することのご興味はありますでしょうか？</span><br><br>私は別に｢成功したアーティスト、ペインター｣などではありません(笑)<br>ここ最近、私が人前に出すために完成させた絵は一枚もありません。アニメーション制作上で絵コンテ、レイアウト、原画などで絵を描くことはあっても、その絵がそのまま公の場で人の目に触れることはありません。<br>私が完成させて人の目に触れた絵というのは、多分、『東京ゴッドファーザーズ』のポスターが最後ではないでしょうか。漫画や画集といった活動はまったくありません。<br>以前は時間を見つけては、自分のウェブサイト用に絵を描いたりしていました。純然たる趣味というより、技法の開発や研究のためでしたが、いまではそうした試みをする時間もありませんし、欲求も感じません。それほど自分の絵に執着がないのかもしれません。<br>何よりアニメーションを作ることがいまはもっとも面白いと感じています。<br>仕事以外では絵を描くよりも、こうしてインタビューのためとかウェブサイト用にテキストを書いたりしている方が面白いですね。<br>ただ、自分の興味にも波があって、文字に興味が向くときもあれば、絵に意識が向くときもあって、そのうちまた自分の絵に関心が高くなるときが来るのではないかと思います。<br>他の媒体については、もちろん興味がありますが、本業のアニメーション制作だけで手一杯という状態で、新しいことにチャレンジする余裕はないですね。<br>現状、自分からそうした企画を出すことは考えにくいので、他の媒体からお誘いがあれば是非関わってみたいとは思います。<br>まぁ、そんな余裕があれば次の企画でも考えた方が実りが多い気もしますが。<br><br><span style="font-weight: bold;">19・話せる範囲で結構ですので、現在進行中のプロジェクトについて教えて下さい。</span><br><br>現在制作中の物は、劇場用長編アニメーションです。タイトルなどについてはまだ発表できない状態ですが、去年の秋から本格的に作画作業に入っています。<br>この映画は、私のオリジナルではなく、私が尊敬する日本のSF作家の小説を原作としています。<br>実は『パーフェクトブルー』が完成後、次回作としてこの小説をアニメーション化したいと考えていたのですが、当時付き合いのあったスポンサー会社が無くなったりして、計画は何ら実行化されぬまま立ち消えになりました。それが、二年ほど前にこの作家と対談させていただく機会を得まして、その席上、当の作家の方から｢アニメーション化｣という話題が出ました。不思議なものです。私はこういう奇縁に確信を得てしまう傾向がありまして、この原作をいただいて次回作とすることにしました。<br>内容は｢夢｣を題材にしたSFですが、舞台は現代の東京ですし、いわゆる｢SFアニメ｣とはまったく異なるものです。唯一、他人の夢に入り込むためのアイテムがSFらしい部分といえるでしょうか。<br>『パーフェクトブルー』以来試みてきた｢夢と現実の混淆｣というモチーフを中心にして、これまでの技法やスタイルを集大成しつつ、これまでよりさらにエンターテインメント性を高めた映画になる予定です。<br>メインスタッフは、美術監督や色彩設計などはこれまでの監督作とほとんど同じ顔ぶれですが、撮影監督に加藤道哉氏を迎えています。加藤氏は『妄想代理人』のアイキャッチを担当してくれた方です。私は『妄想代理人』のアイキャッチを非常に気に入っておりまして、さらに新作ではデジタル処理するカットが増えると予想されたので加藤氏に撮影監督をお願いすることになりました。<br>またキャラクターデザイン・作画監督には安藤雅司氏を迎えています。私は安藤氏の｢妄想｣のキャラクターデザインが非常に気に入ってまして、氏の驚異的な作画力をたいへん尊敬しています。新作のキャラクターたちも非常に魅力的です。<br>現在の制作状況としては、絵コンテが三分の一（約400カット）しか上がっていませんが、その大半は作画作業に入っており、引き続き絵コンテが上がったところから順次作画に入る予定です。<br>完成予定は来年、2006年頭を目指しております。<br>公開の予定はまだ決まっていませんが、楽しみにしていて下さい。<br><br>
    ]]> </content:encoded>
        <dc:date>2007-12-12T12:03:24+09:00</dc:date>
        <dc:creator>s-kon</dc:creator>
        <dc:subject>INTERVIEWS</dc:subject>
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  <title>その9●それってデジタル</title>
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      <description>■それってデジタル 前回はずいぶんと貧乏くさいデジタル自慢をさせてもらったが、何もそれだけじゃない。世間様が思う「デジタルカット」もあるのだ、ちょっとだけ。実を言えば前回書いたようなパソコンの渋い使い方も勿論好きだが、もう少し派手なデジタルの効果というのも使いたかったのだ。とは言え予算がそれを許してくれなかっただけで、まだまだデジタルは高くつく。最終的な形がビデオ納品ならば機材費等の問題はあるが大きな問題はない。しかしフィルム納品となると作成したデータをフィルムに変換しなければならず、このフィル ...</description>
        <content:encoded> <![CDATA[
    ■それってデジタル<p>
　前回はずいぶんと貧乏くさいデジタル自慢をさせてもらったが、何もそれだけじゃない。世間様が思う「デジタルカット」もあるのだ、ちょっとだけ。
実を言えば前回書いたようなパソコンの渋い使い方も勿論好きだが、もう少し派手なデジタルの効果というのも使いたかったのだ。とは言え予算がそれを許して
くれなかっただけで、まだまだデジタルは高くつく。最終的な形がビデオ納品ならば機材費等の問題はあるが大きな問題はない。しかしフィルム納品となると作
成したデータをフィルムに変換しなければならず、このフィルムレコーディングというのが実に高くつくらしいのだ。またもや貧乏くさい話になりそうだ。お
とっつぁん、それはいわない約束よ。<br>
　実際にいわゆるデジタルの恩恵に浴したカットは、その殆どが「テレビモニターに別なカットからの映像をはめ込む」というもので、モニターの走査線とビデ
オの巻き戻しのノイズ以外特にデジタルの処理はしていない。しかも、それらのカットはリテークはおろかチェックすら出来なかった。デジタルならではといえ
ば３カットくらいで、そのうちの２カットはあまりよい結果にはならず（勿論これもノーチェック）、上手く効果を得たのはたった１カット、１５O（D,E）
というカットだ。私の拙い文章で解説するのはあまりにことが複雑なので、ここは一つビジュアルに頼ることにする。まずコンテを見ていただこう。</p><p>
<img title="C.150" alt="C.150" src="http://konstone.s-kon.net/uploads/photos/19.JPG" style="padding: 4px; float: left;">
　C.150(D)と(E)という二つのカット。前カットを受けてハッとなり窓の外に目をやる未麻。A.C.（アクションカットといいまして動作の途中でカットを切ってつなぐことです。多分）で未麻振り返り、カット頭からT.B.（トラックバック）。窓外からの視点で未麻の部屋のよりからずーっとカメラが引いて、オーバーラップしてさらに引きサイズとなり、小さく見える未麻の部屋のカーテンが引かれる。「覗いている誰か」の視点というイメージ。それまでのシーンがカメラはずっと室内にあり、このカットでカメラも外に出て一気に引いていくことで客にジャブを出したかったわけだが、これを従来の撮影台で撮るにはコンテにあるように２カットに分けてO.L.（オーバーラップ）でつなぐしか方法はない。上手にやればそれなりの効果は期待できるがやはり「一気に引く」という感じは薄まってしまう。他に方法がなければそれでも仕方がないと思っていたのだが、デジタル処理を頼める人間がいるということで、ワンカットで
やろうということになった。この人物は演出・松尾氏のつてで紹介してもらったのだが、某ゲーム会社にいるコンピュータ使いで、そういうアニメのデジタル処理に興味があり、本来の仕事があいてる時間に手を貸してくれるという話だった。しかも実費のみで手間賃無しという何とも素晴らしい条件。貧乏な我々にはこれ以上の好条件があろうか。デジタルの国からデジタルを広めにやってきた様な素晴らしい人物ではないか。その風貌は正に<a href="http://www.geocities.co.jp/SiliconValley/3443/">デジタル仙人</a>と
呼ぶのがふさわしい。結果的には前述の１カットだけになってしまったが、当初の予定ではデジタル処理のカットはすべてこの人物にお願いすることになっていた。何故にそうならなかったかといえばハマグリの威力である。我々が催促するにも拘わらず相手に何ら連絡も入れない状態が続き、渡すはずの素材と材料を放って置いた結果、処理が間に合いそうもなくなり別なCG関係のスタジオに有料で頼むことになってしまったのだ。さすがハマグリ、目の前にいても音信不通の男。まあハマグリのそういう逸話は掃いて捨てるほどあるが、それはまた別の回に記すとしよう。話を戻す。 <br></p><p>
<img title="150" alt="150" src="http://konstone.s-kon.net/uploads/photos/7.JPG" style="padding: 4px; float: left;">
　これが最終的に出来上がったカット150（D,E）の画像。最初の絵から始まってカメラは引いて行き、この最後の絵まで１カットだ。何故これがデジタルか。いくら大きめに絵を描いてカメラで寄っても、あまりに寄ると絵は荒れて見えてしまう。六畳間程の大きさで絵を描けば寄ったときでも問題はないが、そんなものが載る撮影台はないし、それに背景マンは看板描きじゃない。そこで描く手間を省くためにも全体はやや大きめに描き、寄る部分、このカットだと未麻と彼女のいる部屋を一番大きなサイズ、彼女のマンションを次に大きなサイズで作成する。これらをコンピュータ内で比率を合わせて合成するという、よく使われる手法だ。取り立てて新しいわけではないが上手に使わないと、スケール感がなじまなかったり、他の通常のカットから浮いてしまったりして失敗します。確かこのカットの素材分けは、一番奥の街並み（BG）、電車（セル）、線路から手前の家並み（BOOK・A）、部屋の中（B)、未麻（セル）、彼女のマンション/外観（C）、その手前の家並み(D)、画面手前左からインする建物(E)、同右からインする建物(F)、更に一番手前左側の建物(G)、の全部で１０
素材ほどだったかと思う。その他このカットではカメラのT.B.に合わせて手前の家並みのBOOK（一番下になる物以外の背景描きの部分）のを少しだけ変形させたり、カットラストに画面内にインしてくる建物を３Ｄで組んでいたり（あまりに暗くてわかりにくいです）、と隠し味が色々あるようですが詳しいことは作った本人に聞かないと私もよく覚えていません。このカットは私としては上手く「作品にはまった」と思っておりますが、見た方はどう思いますやら。但しこの作品のデジタル処理は、いわゆる劇場の解像度にはなっていなかったと思うが、それは担当した人間の技術等に問題があるのではなく、あくまでこれはビデオ作品だ、という前提があったからです。<br>
　ここまで読んできた方にはお判りかと思いますが、このパーフェクトブルーという作品におけるデジタルとはこの位のものでして、昨今世間をにぎわす「新世代デジタルアニメ」（笑）とはかけ離れたものです。それらのお金持ち劇場超大作と同じ様な文脈で取り上げられたりするのは、私たちにとって不本意ですし、それらのかっこいいアニメにも気の毒ですのでなるべく一緒にしないで欲しいものだな。 <br></p><p>
　話は前後するが１０月頃、BGMのサンプルがあがって来たと思われる。オーダー内容は、メインとなるBGMが４曲、他には冒頭の戦隊モノのショウ
で使う曲など細かいのが数曲。BGM４曲というのは少ない方かと思われるが、あまりBGMを多用する気がなかったのと、それぞれの曲を長めに作ってもらう
つもりであったからだ。１曲が１０分前後というのは、私が欲しいているアンビエントだのテクノではさほど珍しい長さではない。それに最近の映像作品は音楽
を多用しすぎで私は閉口する方だ。音楽とカメラワークは登場人物やシーンのエモーショナルな動きに沿ってなるべく控えめにつけるのが私の好みで、音楽先行
でシーンを盛り上げ足り、泣けと言わんばかりの音楽の使い方は見ていて鬱陶しい。この鬱陶しいという漢字は非常にグラフィックだな。見た目がホントに鬱陶
しい。鬱陶鬱陶鬱陶鬱陶鬱陶鬱陶鬱陶鬱陶鬱陶鬱陶鬱陶鬱陶鬱陶鬱陶鬱陶、ね？　<br></p><p>
　さてBGMのオーダー内容だが、未麻の内面をテーマにしたアンビエントな曲２曲、ストーカー・内田とバーチャル未麻のテーマという感じでアップテンポな
２曲である。あがってきたサンプルテープを聞くと、前者の２曲は概ねイメージが伝わったようですんなりとOKを出せた。問題はリズム主体の後者２曲。私は
「テクノな音」を頼んだつもりだ。が、私が期待に胸を膨らませドキドキして聞いたその曲はテクノというより何かエレクトーン。ヤマハの発表会か、これは。
使っている音のチープさもさることながら、厚みがないのだ全然。いくら普段馴染みのない傾向の音楽だろうが、テクノとエレクトーンくらい区別できるだろ
う、普通。音響監督を通じリテークを出してもらう。「もっとアグレッシブなイメージが欲しいんですよねぇ」「こう鉄骨をブッ叩いたような音が欲しい」「人
声のサンプリングというか、電波系な感じとか」「もっとガッと来る感じで」言うことが段々訳が分からなくなる。私の日本語能力についての疑問もさることな
がら、音を口で説明するのは甚だ難しいのだ。この２曲はずっとリテークをお願いしていたのだが、年が明けてしばらくするといつの間にやらサンプルが上がっ
て来なくなってしまった。待てど暮らせど来やしない。最終的にはOKを出さないまま、次にその音楽を聴いたのは７月のダビング当日だった。なんでやねん。<br>
　何かと問題のある音楽ではあったが、音響監督・三間氏の機転でトラックダウンの時に音素材をバラして録っておいてもらったので、実際のダビング時にはそ
れらを様々な形で使用することによりしのぐことになった。実際使われたＢＧＭとサントラ盤では印象が違うかと思われる。後に判明した事実であるが、リテー
クを出せなくなった背景には予算がつきた、という実に寂しい事情があったらしい。貧乏にも程があるだろしかし。というのもだ、聞いてくれよみんな、ことも
あろうにサンプルを出す度に１曲分のギャラを請求していた人間がいるというのだ。誰なんでしょうねぇ、全く、ボクは良く知らないけど。世の中に下書きで原
稿料を取る物書きがいるか？　練習だけして年俸を取るスポーツ選手がいるか？　蒲焼きのたれだけでご飯を食えるか？　あ、それは食える、国分寺のウナギ屋
でそういうおやじを見た。ラフスケッチでお金をくれる制作会社があるか？　あったら教えてくれ、行くぞ、私は。<br>
　音楽が思ったとおりにならなかったのが悔しいのではない。子供じゃないんだから泣いてごねたりはしない。せめてだめならだめな物として「じゃ、しょうが
ないからこれで行こうか」という判断位させて欲しいではないか。判断があれば使う場所を減らすだの別な音を足すだの色々な対処があるではないか。こともあ
ろうに内書で決定を出すとは何のために監督がいるのだ。それでも実際のフィルムでまだ何とかなっているのは、音響監督の尽力の賜物だ。ありがとう未麻さ
ん、いや三間さん。<br>
　知らないうちに決まっていたのは何も音楽だけではない。以前にも書いたがこのパーフェクトブルーはオリジナルビデオ作品であった。いや今でもそうだと
思っている。それが１月か２月のことであったろうか、スポンサー・レックスの人間を交えてスケジュールかプロモーションに関する打ち合わせをしていたとき
である。そう言えばあの頃はゴールデンウィークに公開だのどこぞのホテルで制作発表だの夢のような計画でいっぱいだったっけ。そうです遅らせた私がみんな
悪い。ええ、ええそうですとも。そのレックスの眼鏡をかけた一見まじめそうな男、仮にMr.REXとしよう、その彼が持っていた書類に書いてある文字を見
て私は愕然とした。<br>
<strong><font size="+3">「激情アニメーション作品」<br>
　</font></strong><font size="+2">エ、エロ作品かい！？</font><br>
　違った「劇場アニメーション作品」<strong><font size="+1">「劇場アニメーション作品」</font></strong><font size="+2">「劇場アニメーション作品“パーフェクトブルー”」</font>いつからだよ。いつそういう風になったんだよぉぉぉぉぉぉぉぉ！？　ビデオ作品の宣伝として小屋に掛けることもあるというのはそう言うことだったのか！？　<br>
　しかし考えてもみろ、劇場の巨大なスクリーンに掛けることを想定したコンテと家庭のテレビモニターで見ることを前提にしたコンテでは構図の取り方も芝居
の作り方も全く違うに決まっているだろうが。何が違うか分からないって？　それは教えない。ともかく私が聞いていたのはあくまでビデオ作品としての条件だ
けだ。週末に金持ちとは言えないアニメも好きな普通の若いカップルなんかがレンタルビデオ屋に行って、「こんなの知ってる？」「知らない、見てみよっか」
などと会話をかわし、３〜４００円という値段で借りて、ぼろアパートには不似合いな２９インチのテレビとオーディオでこの作品を見て、終わった後にい
やぁぁぁなきもちな気持ちになる、じゃなくて「まぁまぁじゃない？ビデオにしちゃ」「え〜〜？良くわかんなかった〜誰だったの犯人？」「あのレイプシーン
がいまいちだったよな」「あたしすっごく嫌ぁ」「ただのアニメだろ？」「知らない男に乱暴されんだよォ！」「知ってる男だったら、じゃいいだろ？」「い
たっ！ちょっとやめてよぉ」「エ？いいじゃん別に…」「もう！だめだって……！お風呂入ろうよ」「思い立ったが吉日ってさ」「もォ…テレビ消してよォ」な
どという会話をしてもらえるように作っていたつもりだったのに。どんなつもりだ、それ。ああ、激情アニメ。<br>
　作品を扱う側のそうした無神経さには腹が立つが、無理矢理にも「劇場公開作品」の文字をパッケージにつけたい論理もよく分かる。それがあるかないかでこ
の商品を扱ってくれるレンタルビデオ店の数が大きく変わり、当然売り上げに影響するのだから。作品が完成した今となっては「劇場作品」としたことで世間的
な注目も多少は浴びるわけで、おかげで各国の映画祭にも招待していただくし（但し作品のみで私が各国に行くわけではない）、結果一人でも多くの人の目に触
れることになったのは良いことであると思っている。３００円でご家庭で見られるはずの物が１５００円の劇場にすり替えられ、監督の意図とは違った形でお客
に提示される。少なくともパーフェクトブルーというのは劇場のスクリーンに耐えられるようなクオリティではないし、こちらもそれを前提にして作っていな
い。絵を描いていたスタッフにとっては「恥」だけが拡大されて映されるような物だ。高校野球のつもりで練習して、いざ試合となったら相手はメジャーリーグ
だったような物で、お客に「へぼチーム」と言われても我々のせいじゃないだろう、ね？　この言い訳はつい出てしまうのだが、この作品のトラウマになってる
ようなので許して下さい。<br>
　知らないところで出来上がった物をついでにもう一つ、第一弾の宣伝用ポスターとチラシというのもある。ある日突然届けられたそれに私と濱洲氏は絶句。
か、かっこ悪。都会の夜景（実写）の上に未麻のバストアップのセル。「あなた、誰なの？」という安直なコピー。血を表現したつもりらしいミドリムシみたい
なしみの付いたメタルなロゴ。どこから見てもかっこ悪いことこの上ない。一言相談してくれれば、デザインのアイディアも出したし、ポスター用の絵も描いた
だろうに。そのポスターの未麻は随分前に描かれた絵で、濱洲氏にとっても見るのは忍びなかったのだろう、スタジオの壁に貼られたそのポスターの未麻には、
いつの間にか濱洲氏手製のひげが着いていた。しかもレリーフ。<br>
　スケジュールの話はうやむやになってしまったが、そのかわりというかプロモーションのビデオを作れという話になる。期限を遅らせてばかりで申し訳ないの
で快く作るつもりだったが、やはりこれも時間のない作業となり、しかもそれは無惨な結果となっていく。それはまた次回と言うことで。</p><hr align="left">

<center><strong><font size="+2">予告</font></strong></center>

<p><strong>　無い！無い！スケジュールの行方が分からない！押し黙る謎の男ハマグリ！影も形も見えないスケジュールに翻弄されるスタッフた
ち！一体どこに行ったんだ、スケジュールは！？スタジオ中をひっくり返し血眼になって探すスタッフが疲れ果て諦めかけたその時、不意に襲いかかる狂気のよ
うなスケジュール！　次回・パーフェクトブルー戦記<font size="+2">「スケジュールを探せ！」</font>見なきゃお仕置きよぉ！</strong></p>
    ]]> </content:encoded>
        <dc:date>2007-10-22T16:39:34+09:00</dc:date>
          <dc:subject>パーフェクトブルー戦記</dc:subject>
    </item>
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  <title>妄想の八｢妄想文化祭｣ -その4-</title>
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      <description>妄想の八「妄想文化祭」-その4- 続いての野球物「HR」は 三原三千雄氏のコンテ・作画によるキャラクターの表情も楽しい一編。シナリオを元に簡単な打ち合わせをして、数時間も要さずしてコンテが上がってきたとい う速攻ぶりに驚かされた。三原氏は4、12話でその絵の腕力ぶりを遺憾なく発揮しているが、この短編でもそれは十分に堪能出来る。 ピッチャーにプレッシャーをかけるチームメイトの声はすべて飯塚