1998年6月10日(水曜日)

大掃除・パート3



 さて、2回続いたこの無駄話も最終回。更新を休んでいる「パーブル戦記」も次回分はとりあえず出来たので近々アップするつもりではいるよ。では無駄話の続きに入る。

 4月に入ると布教活動も収束を見せ、新宿ロフトプラスワンでの「パーフェクトブルーナイト」という竹内氏との非公式のトークイベントに出たくらいか。

 あと残されたの仕事といえばトレーディングカード10枚という十字架のみ。やる気もないままに放っておいたものの、締め切りも近づき「スチームボーイ」と同じ机で、仕事の合間にこっそりとラフを進める。どういうわけか未麻の裸体が多くなりそうだったので資料と称して、芸能人の女子の写真集などを購入してみた。色々と見ているうちに再確認したのだが、どうにも私は女子の鎖骨が好きなようだ。いや、別に鎖骨を集めるとかいうサイコな趣味じゃあない。
 その存在を頑なに主張し、目立つほどに出っ張っている鎖骨は目に好ましい。お気に入りのスタイルの女子の写真集を見つけたので、今後とも参考にすることとする。どなたか他に鎖骨が魅力的な女子の写真集などをご存知の方がいたら教えて下さい。
 元々私が描く女子は決してスタイルの良い方ではなかったのが、この仕事で描きたい体型の嗜好が変わってきたような気がする。近頃は街を歩いていても本当にスタイルのよろしい女子がいたりして、絵にしてリアルに見える体型というのも変わってきたような気がするよ。男子もしかり。
 ここ何年もデッサンなどというのは気にもしないで絵を描いていたが、どれ、一つ初心に戻って観察眼を鍛え直すとするか。ウフ、観察観察。絵の腕もバージョンアップと行きたいものだよ。もっともこの年になると劇的に絵が上手くなるということもあまりないとは思うけど。
 トレーディングカードの絵の出来については他人の判断に譲るとしても、取りたてて新しい絵も出てこなかったので「こんなもんかな」という感じでしょうか。

 この月にはなぜか続けて「専門学校」の入学案内の取材が二つ。どちらもクリエイター(笑)を育てる学校のようで、新進アニメ監督から一言、といった感じであろうか。それにしてもたかだかアニメ一本作っただけだというのに、入学案内の担当者は何を勘違いしているのかね。

 5月頭に札幌での舞台挨拶。公開初日というわけでもなく中途半端な感じではあったが、札幌は私の生まれた地。帰省を兼ねて気持ちよく行かせてもらった、のは良かったのだが札幌は寒かった。気温も客の入りも。
 「KINO7」という60席ほどの小さいけれど、出来たばかりとかいうことでとてもきれいで感じの良い映画館での上映であった。こんな小屋で作品をかけて貰えるとは、作品の印象も少しは上がるかもしれない。併設されたオーガニックキッチン「エルフィンランド」という飲食店も居心地の良いお店であったし、支配人も気さくな感じの良い方で、劇場の内装や雰囲気にその人柄がよく反映されているのであろう。そんな真新しい白い壁に「是非」とおだてられてどでかいサイン、というより悪戯描きをしてしまい申し訳なかったかもしれない。
 ここでのパーフェクトブルーの上映はモーニング・レイトの1日2回の上映とかで、私の出番は着いた日の夜の回の前座。舞台挨拶ではなく、地元のCGスタジオ「サテライト」のテクニカルディレクターとの対談といった形式。司会進行は私の古くからの知り合いで北海道大学の助教授をしている男。
 「サテライト」というスタジオはパーフェクトブルー本編でもモニター処理などのCG処理を数カットお願いしたところで、現在は「スチームボーイ」や「メトロポリス」などにも参加しているアニメ業界とは縁が深い。対談相手の方も元々はアニメーター出身だそうで「マンガ日本昔話」などを手がけていたとか。
 客の入りは8〜9割といったところか。アニメの現状やら、アニメとコンピューターの関わりなどについて1時間ほど対談し、その後上映。前出の「エルフィンランド」で酒を飲んで81分をやり過ごし、見終わったお客さん相手に簡単なサイン会といった形になる。最初「たかが数人」とたかをくくっていたのだが、気が付くと人が並んでいるではないか。やめろよ、列は。中には買い求めたパーフェクトブルーグッズのTシャツを広げてここにもサインをしてくれだの、「ワールドアパートメントホラー」の単行本にサインを求める人まで現れ、若干たじろぐ。でもいいさ、ここは札幌、サービスサービス。ポスターの裏にだって書き初めばりに大きく絵を描いてやろうではないか。それにメールをくれた地元の人も来てくれたりなんかして、アルコールの酔いも後押しして大変良い気分を味わったものだよ。

 その後来てくれた高校時代からの先輩と友達と更に酒を重ね、極めつけのデザートにラーメンまで平らげ札幌の夜を楽しんだのであった。

 翌朝ホテルで、抜け切らぬ酒の存在感を感じつつヒジョーに快適な目覚めを迎え、その40分後にはモーニング上映の舞台挨拶に立つという素晴らしい1日の始まりとなる。自分の声とは思えぬガラガラ声に社会人としての自覚の欠如をマッハの速度で思い出す。

 20代の頃にはよく朝まで酒を飲み、通勤ラッシュの戦場に赴くおじさんたちと一緒に駅に向かい、通学途中の女学生さんの隣に座って、西武国分寺線の車内に酒臭い息と共に迷惑と顰蹙を振りまくということもしていたが、基本的には今もたいして変わってないことを痛感する。
 朝の6時に国分寺発東村山行きの電車に乗ったときには空いていたのに、アパートがある二つ先の「鷹の台」駅に着いたときには車両は満杯。それもそのはず時計は8時を過ぎている。酔って居眠りしている2時間で数往復していた、などという経験は少なくい若者、いや馬鹿者であった。

 20代も後半の頃、やはり朝までどろどろに飲んだ帰りにタバコを買おうといつもの自販機にいくと、立入禁止の縄が張ってあった。路面の舗装を直したばかりの様子。これでは買えないではないか、私のタバコが。
 酔った頭には迷惑かつ非道な妨害にしか思えない。短くはない足で楽々とまたぎ越え、硬貨を投入する、と近くに止まっていた車のドアが勢いよく開き駆け寄ってくる老人の姿。
 「こら。君君!」
 
タバコを取ってすっくと向き直る酔っぱらい。「あ?」
 
「立入禁止と書いてあるだろう!何でルールを守らないんだ。みんなのためにやっている工事なんだ。みんなの迷惑になるようなことをするな」
 
何だかその老人はこの機会を待っていたかのように生き生きとしている。気に入らない、と思うが早いか言葉は口をついて出ていた。
 
「みんな、みんなってあんたはみんなの代表か?」
 「私は仕事で頼まれてこうやってあんたみたいな人がそこに入らないように見張っているんだ!」
 「見張ってるんなら縄なんか張るんじゃないよ。あんたがこの前に立ってりゃいい。どうせ他に仕事がないんだろ? 世間の代表みたい顔して、朝の6時からこんな見張りの仕事しかないやつに言われたかねぇってんだ。やっと貰った仕事で真面目にやるのは分かるけど、少しは口のきき方を考えろよ」
 お前が少しは考えろ。ひどいやつだよ、まったく。老人は真っ赤になって言葉を無くしていたっけか。私もその時は別なことで虫の居所が悪かったのさ、許せご老体。私も素面になってから真っ赤になって恥じ入ったよ。

 こんな昔話を書いてしまうのも歳をとったということか。というか掃除のときによくあるだろう、出てきた古い手紙や写真につい見入ってしまったりすることが。アレと同じだ。こんな駄文に付き合ってくれている人がいるとは思わないが、度重なる脱線等は勘弁されたい。なにかを表現したくて書いているわけではなく、書くことそのものが「掃除」であるという目的だから。

 話が逸れたが、そんな酒を飲んではろくなことをしないやつがいつの間にか髭を伸ばし故郷の地でえらそうに人前に立っている。そんな私に相応しくお客も半分の入り。
 その昔「前略おふくろ様」に主演していた萩原健一が台本のある一文をこう読んだそうな。

「故郷に綿を飾る」

 と読めなかったという話。ふとそんなことを思い出した。私も錦とはいかないまでも綿くらいは飾ったかもしれない。その後地元雑誌とスポーツ紙の取材を2件受け、午後にはクリエイターを目指す若者数十人の前に立つときたもんだ。「代々木アニメーション学院」での特別授業というやつ。

 この学校とパーフェクトブルーを上映しているKINO7は同じビルの中にあり、私を札幌に招待してくれたのも両者の協力によるものであった。たいして参考にもならぬことを1時間ばかり喋ったのだが、北の地のクリエイターを目指す若者は北海道の厳しい冬に負けないくらい、どこか閉ざされていたようだ。反応無し。別に期待もしてないけどさ。
 がんばれよ。業界で会う機会があれば、北海道出身者は2割り増しで歓迎するぞ。
 それにしても、だよ。何を質問してもいいとは確かに言ったが、のっけから「今朝は何を食べましたか?」はないだろう、若者よ。私は珍獣じゃないんだから。

 やっと仕事から解放されて実家に戻り、久しぶりに両親と愛猫の顔を見る。帰る度に月日の流れを改めて知るが、皆元気である。

 愛猫の名は「ラム」という。由来は「ラム酒」から来ている。一時大人気を博したマンガの主人公から取ったわけではないっちゃよ。私が19歳、大学一年の折りに、友人から当時まだ生後三ヶ月でもらい受けた全身灰色の猫である。雑種だが、しなやかで毛並みの大変美しいやんちゃ娘だった。当時帰省する折りに預かり手が見つからず、やむなく北海道までの長旅を共にし、以来札幌の実家で世話をして貰うこととなった。本人だけでなく飼い猫まですねをかじるという、今考えると図々しい息子である。ごめんなさい。

rum

 時間は猫の上にも平等に流れ、生まれて15年のラムも寄る年波には勝てないらしい。かつて対人恐怖のあまり引っ越しの際に買ったばかりの仏壇に慌てて逃げ込んで飾りを壊したり、棚の上をムササビのように飛び回っていたやんちゃ娘もどこへやら、調子の悪そうな左の前足をかばうようにしてひょこひょこと歩くその姿を見ていると、胸の奥からこみ上げてくるものを禁じ得ないっちゃ。

 まだまだ息災に過ごしておくれ。

 北の地での布教活動を終えて一息つくと、いよいよパーフェクトブルー絡みの仕事も減ってくる。公式の仕事としては海外公開とビデオ化に向けての打ち合わせくらいか。英語圏の配給はマンガエンタテインメントという会社で、そのイギリス人が言うことにゃあアメリカでの公開に合わせて監督の渡米もあり得るとかで、ここまできたら毒を喰らわば皿まで、という心意気で「パーフェクトブルー」をあまねく広めるために布教活動に邁進する決意を固める。ウソウソ。アメリカに行ってみたいだけさ。

 ビデオ化に関しては言ってもいいのかな? いいや、秋にはビデオとレーザーが出て、その後DVDとLDスペシャルボックスが出るらしい、くらいにしておこうか。色々な形で協力することにはなってはいるが、予定が狂うことが習わしとなっているパーフェクトブルーのこと故、予断は許さないわな。

 この打ち合わせの後、レックスの事務所でだらだらしていると、Mr.REXから「ラジオ局に遊びに行きますか?」とのお誘い。とあるFM番組の月替わりのDJを岩男さんがつとめるとかで、Mr.REXがゲストに呼ばれているとのこと。仕事したくない症候群が顕著だった私もとりあえずMr.REXの保護者として同伴。岩男さんに「是非」とおだてられてついつい番組にも出てしまったりもした。出たがりなのか、私。

 5/23、大阪での「竹内義和ファンクラブ」主催による「〜Playback〜PERFECT BLUE」というイベントにゲストで参加。岩男潤子さんを招いて竹内氏とのトークというのがメインのイベントである。以下にくすねてきた進行表を載せておく。おおらかな進行の元に進められたイベントであることがお判りになるはず。

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 竹内氏ファンの「邪推系」と岩男さんファン「純粋系」という水と油とも思えるような客層に、関係者の一部でもトラブルが懸念されていたようだがそのような不穏なこともあるはずもなく、終始楽しく穏やかにイベントは進行。確かに岩男さんの想像するにあまりあるような苦労話やセイントフォー時代の体験談と、それを語る天然のぼけた味わいのギャップには誰の目にも少なからぬ驚きはあるらしい。

 「J」の事務所の某タレントの秘め事、などといった竹内氏得意の邪推話に始まり、岩男さんを招き入れてのトークでは「女に甘い」竹内氏の素顔が現れ、得意の突っ込みもなく終始岩男さんの話に頷く「よいおじさん」となっていた。以前に編集した12分のパーフェクトブルーダイジェスト版上映の後、私も舞台に出たものの、岩男さんの昔話のネタ振りに回ってこれといったことも話さなかった気がする。面白い話が出来るわけでもなく、それほど主張することがあるわけでもないし、別に私は喋りが仕事ではない。
 パーフェクトブルー絡みで随分と人前に立ち喋る機会に遭遇したが、元来が上がり性なのだ。人前に立つというのは昔から苦手であった。
 小学高学年の頃、児童会の書記に立候補して、というよりさせられて、体育館のステージでの選挙演説の折りには随分と緊張で足が震えたのを覚えている。当時は普段、色違いの切り替えが入ったジーンズなどを着用していたのだが、「人前に立つのには正式な服装が望ましい」ということで、ジーパンにデニムのチョッキにジージャンという正式な三つ揃いに身を固めて多くの児童の前に立ったのである。どういうセンスだよ。
 「私が当選した暁には…」というどこで聞きかじったのか、そんなフレーズを間違わないよう懸命に緊張と戦いながら口にしたのを覚えている。札幌の伏見小学校でのこと。
 それが今ではどうだ。人前に出るというのに話すことも考えず、出たとこ勝負の話でお茶を濁し「いいんだよ、それで」とうそぶいて笑う。「緊張」の二文字はどこかに置き忘れてきたような気がする。多分釧路あたりにか。釧路のあまりに厳しい冬の寒さに幣舞橋から川を埋めた氷の上に落としてしまったのかもしれない。中学生の頃のことであったろうか。
 高校受験に際しては、どこもそうであろうが「三者面談」というものがある。本人、親、教師が顔をあわせし暴行について……誤変換だ、本人、親、教師が顔を合わせ志望校について検討するわけだ。貴方にも経験がおありだろう。
 日曜日の午後のことであった。部屋で漫画本でも読んでいた時であったろうか、ふと気が付いて母に言う。
 「母さん、確か今日……」
 ハッとなる母親。そうだ、今日であった三者面談は。時計を見るととっくに予定の時間は過ぎている。しかも、学生服はクリーニングに出してしまっている。
 急ぎタクシーを呼び学校へ向かう。車中母が言う。
 「あんたの鼻血が止まらなかったことにしようや。学生服にまで血がかかってしまったからクリーニングに出したことにしてさ。」
 どんな言い訳だよ、それ。
 口裏を合わせ、慌てた体を装い2〜3時間遅れて担任の教師の元に行き、用意しておいた若干無理のある言い訳を並べる母。しかし教師の言葉は一言であった。
 「今君は来なくても大丈夫だったのに」
 自慢ではないが当時私は学業に不安はなかった。
 拍子抜けした母と私であったが、折角来たのだからといった感じで母が一つの不安を口にする。
 「あの、先生、うちの子受験当日、上がるってことはないでしょうかね?」
 
それを先生に聞いてどうするのだ。答える方も答える方だ。
 「今君は、へなまずるいところがあるから上がる心配はないでしょう」
 “へなまずるい”? そんな言葉があるのか。仮にも現代国語を教える教師が、いいのかそれで。
 確かに私はこの校則の厳しい釧路東中学校で、「緊張」の替わりに「反抗」を身につけた。おかげで先生の言うとおり受験で上がるということもなく、無事高校に進学した。ありがとよ。

 ちなみに児童会書記は当然落選した。

 そんなことまで思い出した「〜Playback〜PERFECT BLUE」は私的には大変楽しいイベントであった。お世話をかけた竹内氏ファンクラブの皆様ありがとうございました。

 さて5月くらいからであろうか、こうした宣伝活動や「スチームボーイ」の仕事の合間に新作の企画ということも割り込んできている。パーフェクトブルーの制作が終わってすぐに考え始めていたのであるが、ここ最近になって真面目に取り組む気になってきたのである。ボツになった場合大変恥ずかしくも悲しい思いをするので、ここで発表するわけにもいかないが、キャラクターだのを描いたりしている。この新作の画策が奏効するかどうかはこれからのさらなる頑張り次第というところか。冗談ではなく「自分の仕事」を作らなければ、この中途半端な精神状態は解消できないかもしれない。ダラダラとこんなことを書いてきてそんな結論でどうするのだ、そんなことは百も承知ではなかったか。いやいや、人間再確認するというのも時には必要なこと。無駄にディスクのゴミになるわけでもあるまいよ。

 しかし世の中不況の強風は今日もやむ兆候はない。どうなることやら。

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