2008年3月28日(金曜日)

多忙な道のり・その12



2月27日(水)。
11時過ぎ起床。
出社して展覧会に使用するイラスト一覧をプリントアウトしてから、新宿へ。
家内に協力してもらい、「世界堂」で額装されたすべてに対して、絵の裏と箱の2カ所に番号シールを貼る。
すごい量だ(笑)
B1 8点
B2 6点
600×900 1点
700×700 4点
A3 30点
A4 5点
これで計54点。店内の一角を借りてシールを貼るのだが、箱から出して中身を確認するだけでも一苦労だ。
これらが「世界堂」にお願いしていたもので、他にオリジナル原画の額装9点があり、全部で63点。
これらを画廊のスペース内にどうやって配置するかを考えるのも一仕事。

仕事場に戻って、パソコン上で展示位置のプランを考える。
フォトショップ上で、画廊の見取り図と絵のサイズを合わせ、それらを配置して行く。
基本的な考え方は「タイトルごと」に絵を配置する。
展示スペースは「大」「中」「小」の3つなので、それらにどう振り分けるか。
画廊前の道路からも見えやすい位置(入り口を入った正面)に目立つ絵を配置する。
この3つの「制約」に従って配置を考えれば、無駄な時間も省けるし、展示のコンセプトも明確になって来るだろう。
「制約」と仲良くすることが実りへの最短ルートというものだろう。
まず展示スペース「大」。
正面の目立つ壁面に、もっとも認知度が高いと思われる『パプリカ』のメインビジュアル、それと今回の展覧会の、いわば「タイアップ」とも言える『パーフェクトブルー』リニューアル版ジャケットイラストを置くことにした。
認知度のありそうなものと、これから認知して欲しいもののペアは悪くなかろう。
本来なら「タイトルごと」であると同時にタイトルのリリース順にしたかったのだが、そうすると『東京ゴッドファーザーズ』が目立つ位置に来て、『パプリカ』が引っ込むことになる。
しかしやはり『パプリカ』が前面にあった方が、認知的にも、華やかさという点でも良かろうと判断した。
これは実際奏功したようで、会期中画廊前でタバコを吸っていると、道行く何人かの人がちらりと中を眺めてこう言ってくれた。
「あ、パプリカだ」

正面の壁が決まれば、点数の多い『パーフェクトブルー』を左側に、さらに点数の多い『千年女優』を右側の広い壁に配置することになる。
さて、問題は新作『夢みる機械』の扱いである。
時間軸的なことを考えると、これをスペース「小」にまとめることも考えられたが、そうなるとプライベート系のイラストと『東京ゴッドファーザーズ』が「中」スペースに収まることになる。
この両者ではほとんど関係性を見いだせない。
「スペースの都合でただ一緒になりました」では、「演出家」としてあまりに情けない。
何しろ「今 敏監督展覧会」と銘打ったのである。「今 敏監督」の展覧会であると同時に、今 敏が監督する展覧会でもある。
考えどころだ。
そこで思いついた。
『夢みる機械』は、ある意味『東京ゴッドファーザーズ』の正当な後継者にあたる。
元々は『東京ゴッドファーザーズ』の次回作として構想していた企画で、『妄想代理人』『パプリカ』はむしろイレギュラーが続いたといえる。
『パーフェクトブルー』に始まった監督の仕事は、私なりにイメージする「流れ」に則すと以下のようなイメージになる。

      『パーフェクトブルー』
        ↓        ↓
    『千年女優』       ↓
        ↓        ↓
『東京ゴッドファーザーズ』    ↓
              『妄想代理人』
                 ↓
               『パプリカ』

上記の通り、『パーフェクトブルー』に端を発する流れは、二筋あると考えている。
大雑把に言えば左側が今 敏の「人のいい方」で、右側が「人の悪い方」という感じだろうか(笑)
実はどっちも「人が悪い」ような気もするが。
『夢みる機械』は『パプリカ』の直系というより、『東京ゴッドファーザーズ』の流れになるはずだ。
無論この二筋の流れは互いに影響し合うものであり、複雑に絡み合っている。次回作が『パプリカ』の流れを大きく汲む面は当然ある。
ただ、一筋の流れよりは、二筋あると意識していた方が考え方に幅が生まれやすいので、こうした概念を用いている。

『夢みる機械』のイラストは、『東京ゴッドファーザーズ』と同じスペースに展示することにした。
この両者は物語の内容は大きく違うが「3人の旅物」であるという面では同じで、主人公たち3人のカラーリングコンセプトも「赤青黄」と同じである。
だからなんだ?と言われても困るが、展示にあたっての演出として、そういう屁理屈めいた根拠を考えるのが楽しいのである。
「中」スペースはこの両タイトルに決まったので、「小」スペースは必然的にプライベート系のイラストになる。
「大」スペースに収まりきらない『千年女優』『パプリカ』の一部、そして点数が2つしかない『妄想代理人』は申し訳ないが廊下の壁面に収まってもらうことにした。
あくまでシミュレーション上でだが、配置のイメージは決まった。
なんだか絵でぎっしりな空間になりそうだ。

2月28日(木)。
10時半起床。晴天。入浴。
展示物も揃い、展示方法も概ねイメージできたのでかなり気が楽になった。
後はファイル展示用に出力したものをクリアファイルに収めれば準備はすべて終了だ。
吉祥寺「ユザワヤ」でクリアファイル数冊を購入して出社。
クリアファイルに収める絵は、わざわざ額装するほどではないものが中心。
『パーフェクトブルー』ジャケットのためのラフスケッチ、『千年女優』のアルバムシーンなどの本篇からの画像、アニメ雑誌用版権イラストのラフ、宣伝時に作成したテレフォンカードの画像、『東京ゴッドファーザーズ』のキャラスケッチ、『パプリカ』イラストのラフなどなど。
これらのファイル2冊は「大」スペース中央に並ぶ椅子の上に置いて、どなたにでも閲覧可能にする。
それと、どなたにでも閲覧可能というわけにはいかないファイルも2冊作成する。こちらはオリジナルの線画を集めたもので、私の目が届く範囲でお見せすることにした。さすがにこちらは紛失等があると取り返しがつかない。
もっとも、私自身はそれほどオリジナルの線画、原画に執着はないのだが、周囲から「もったいない」と言われるので、大切にしておくことにした。
イラストのオリジナル原画は、これまで私の仕事場にたいへんぞんざいに保管されていたので、ファイルに入れて整理する良い機会となった。
自分が描いた生の絵を久しぶりに見返す。
「よくもまぁ、こんなきっちり線を引けたもんだ」
素直に感心する(笑)
他人の絵を見て感心するのと同じことで、昔の自分はいまとなっては他人のようなものである。縁の深い他人。
「これ描くの、たいへんだったんじゃないの?」
「他人」事なので、そういう気もしてくる。
「上手だね」
褒めさえする。
「こんな絵、オレ描けねぇよ」
なんだか負けた気さえする(笑)
しかしだからといって、かつての自分の仕事に得意な気になるわけでもない。
だって「他人」が描いたものだから(笑)
そういう感覚はあまり共感されないような気もするが、別に得意になるのでも自慢するのでもなく、自己満足でも自画自賛でもない、本当に他人の絵を見るような比較的フラットな意識である。
監督したアニメーションに対してはなかなかそうした境地に至ることはまだ出来ないが、自分が昔書いた文章なんかを読み返しているときには、同じ感触がある。
「お、なかなか面白いことが書いてあるじゃないか。あ、オレが書いたのか」
みたいな。
自分が描いたのは間違いないのだが、見返していると誰かが描いてくれたような気さえする。
だから「十年の土産」なのである。
まるで「もらいもの」。

2月29日(金)。
この日はいよいよ搬入である。

出社して、展示ファイルの背表紙を作成する。
ふと思い立って、トークイベント告知のチラシも作ってみる。
画廊の壁に貼るためにA3でプリントを数枚。
A4で配布用のプリントも作ろうと思ったが、さて何枚必要だろう?
200〜300枚はいるだろうか。
「……紙が勿体ないなぁ」
コピー機の前でしばし考えていると、ふと傍らに積まれたミスコピーの山が目に入る。
「あ、裏紙」
あれは数年前のTAF(東京国際アニメフェア)の時だったろうか。
『東京ゴッドファーザーズ』制作中、私が自分の手で告知のチラシを作り、これを不要となった絵コンテの裏にコピーして大量に作ったことがある。
同じやり口にすればよい。その方が、もらうお客も楽しかろう。経費削減にもつながる上に、何より地球に優しかろう。
エコ偽装じゃないぞ。

この日の最大の仕事は、20時からの画廊への搬入と飾り付けである。
開催は翌日からだ。
スタッフは車2台に分乗し、新宿「世界堂」から額装された54点を車に積み込んで、画廊へ運ぶ手はずになっている。
マッドハウス出発は18時半。
私は告知のチラシもコピーし終わり、準備万端。あとは出発するだけである。
だが、待てど暮らせど迎えも連絡もない。
「はて?道でも混んでいるのだろう」
自宅から運ぶものがあったので、1台はそちらをピックアップしてマッドハウスに戻ることになっていた。その移動に時間がかかっているのかもしれない。
30分近く待っても音沙汰がないので、こちらからプロデューサーH氏の携帯に連絡を入れると、果たして出たのは家内だった。H氏が運転中のためであろう。
「いま、どこにいる?」と私。
「え?コンさんたちの車のすぐ後ろにいるよ」と家内。
真っ黒な予感(笑)
「俺、会社にいるけど……」
電話の向こうで慌てた声が聞こえる。
「コンさん、前の車に乗ってないって!」
「エエッ!?」
肝心なものを積み忘れられては困る。

要するに2台の車の人員はそれぞれ「監督は向こうの車に乗っている」と思いこんでいたということらしい。
冗談みたいだ。
まるで映画『ホーム・アローン』ではないか(見てないけど)。
すでに単行本では読んでいたが、あらたに新書化された内田樹先生の『女は何を欲望するか?』(角川oneテーマ21)を読んでいたら、まさにその状況を言い当てているくだりに出合った。
同書「フェミニズム映画論」の冒頭で都市伝説の「屋根の上の赤ん坊」や『ホーム・アローン』など「子捨て」にまつわるエピソードが紹介されている。
「『ホーム・アローン』Home-aloneはクリスマス休暇にパリへ出かける大家族が、末っ子をうっかり家に置いてきてしまうという「意外」な設定から始まるが、このプロットは実は「子捨て」民話の元型を忠実になぞっている」(P.149)
なぜこうしたことが起こるのかを無意識のレベルで考えるとこういうことであろう。
「ストレスフルな育児のさなかに「この子さえいなければ……」という悪意の訪れを経験したことのある親は少なくないはずだ。しかし、その欲望を意識化することには強い禁忌が働いている」(同)
やはり「子捨て」民話的な都市伝説「屋根の上の赤ん坊」に触れてこう書かれている。
これをこう書き換えてみたらどうか。
「ストレスフルな仕事のさなかに「この監督さえいなければ……」という悪意の訪れを経験したことのあるスタッフは少なくないはずだ。しかし、その欲望を意識化することには強い禁忌が働いている」
ぎゃはは。私も思い当たるぞ(笑)
(笑)いごとじゃないのだが。

仕方がないので私は電車で「世界堂」へ向かい、先行してしまっていたスタッフと合流。
車への荷物の積み込みはすでに終わっている。
まとめて支払うことになっていた額装代、50万弱を精算。
「世界堂」さん、お世話になりました。
20時、いよいよ「新宿眼科画廊」へ搬入開始。
目の前に広がるガランとした真っ白な空間を前に、どうやって飾り付けるのか一瞬呆然とするが(笑)、展覧会経験者のナビゲーションを頼りに行動開始。
スタッフはマッドハウスや画廊関係者、友人など十分以上の人員である。
PC上でシミュレーションした配置図には絵のサムネールと番号が記されている。実際の絵の方にも、外箱と額の裏の2カ所に番号シールを貼ってあるので、番号を対応させ、それぞれの位置に移動する。
画廊内の各部屋に飾る予定の絵を運び、箱から額を出して飾り付けにかかる。
それぞれ想定される展示位置の下に絵をすべて並べてみる。
スペースに対して、絵が多すぎるかもしれないと少々不安だったが、思っていたほどぎっしりにはならず、何とかすべての絵を飾れるようだ。

問題は飾る高さ。まず、大きな絵をどのくらいの高さに飾るかを決めて、他はそれに準じて決定する。
飾る高さを割り出して、壁にネジを打ち込む。電動ドリルが軽快な音を響かせる。
実際に絵を掛けてみると、なかなか感動ものである。
「おお、いいじゃないか」
作業にさらに張り合いが出てくる。「いいものになりそうだ」という予感が仕事を楽しいものにしてくれる。
私は巻き尺で床からの位置と隣の絵からの位置を測り、ネジを打ち込む場所をマークするのが主な仕事。
そこへ電動ドリル係が次々にネジを打ち込む。
要領を覚えると後は意外と順調に作業が進む。
しかし単純な疲れから、だんだん足下がふらついてくるし、測った長さの足し算引き算すらろくに出来なくなってくる。ああ、情けない(笑)
皆さまのおかげで、なんとか3時間ほどで飾り付けを終了。
「お疲れさまでした!」
というわけで、当然ビールで乾杯。
皆さま、ご協力本当にありがとうございます。
酒を扱っているコンビニが近くてたいへん便利。なんて良いロケーションの画廊だ。
翌日の初日には内輪のパーティがあるが、飾り付け作業の心地よい疲労と達成感、そしてビールのおかげでハイな気分になる。
改めて飾り付けの終わったスペースを眺める。
自分でいうのも何だが、なかなかの壮観である。
初日を迎える前だが、すでに十分以上の満足を得る。
「うむ。これはまったくもって良い道楽じゃ、わっはっは」

「多忙な道のり」終

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