2008年4月28日(月曜日)

ブーム



いまブームといえば硫化水素。
かつては練炭がブームだったが、自殺方法にも流行廃りがあるのはたいへん日本的な感じがする。
「じゃあ、私も(僕も、俺も)」
この言葉を口にする機会が多い日本人はさぞやたくさんいることだろう。
口にされる機会が多いから、この言葉によって物の考え方そのものがさらに「じゃあ、私も」的な傾向を強化促進してきたに違いない。
思考や感覚は言葉によって規定されて行くものだ。

「硫化水素」が流行りだしたその発生源はインターネットの掲示板だそうで、「練炭より確実に死ねる」という触れ込みが「功を奏した」らしいが、ネットに限らずテレビや新聞で「硫化水素」の文字に触れる機会が増えれば増えるだけ、同様の手口による自殺が増えて行くのであろう。
メディアはまさに広告効果そのものである。
4月26日16時18分配信の毎日新聞の記事によると、
「硫化水素自殺は、1月ごろからインターネットの掲示板で手口が紹介されるようになった。3月ごろから自殺件数が増え、メディアも大きく扱うようになった。4月に入って激増し、中旬以降はほぼ連日発生。3月以降に少なくとも39件47人が死亡した」
一大ブームである。付和雷同という言葉さえ連想する。
中には硫化水素中毒によって家族が巻き添えになって死亡したケースもあるようだし、避難を余儀なくされた付近住民の映像をニュースで見た。まったく気の毒である。

死にたい人は勝手に一人で死ねばよろしい、と私は思う方だが、自殺するということの是非はともかく、周囲を巻き添えにするのは迷惑なことこの上ない。
なぜ自殺くらい一人で上手に出来ないのだろう。
飛び降り自殺を図って通行人を巻き添えにした者もいたし、最近では走行中の新幹線のぞみから飛び降りた迷惑男もいたし、拳銃自殺した警官もいた。
拳銃の弾が一発いくらなのか知らないが、税金で賄われているものには違いないのだから、警官の拳銃自殺は業務上横領みたいな罪になるのではないか。
自殺の仕方によっては、死後も「たいへんかっこ悪い」ことになるということを報道した方が、よほど自殺の歯止めになるような気もしてくる。しかし、人に迷惑をかけることが目的の自殺もあるだろうから、そうなるとやはり「死んで一花咲かせたい」などという「たわけ」が大量発生するのかもしれない。

先の記事にはこうも書かれている。
「報道が自殺の連鎖を誘発する場合があることは知られており、日本自殺予防学会は今月18日、報道機関に▽詳しい方法を紹介しない▽相談機関などについての情報提供を併せて行う−−などの配慮を求める緊急アピールを出した」
以前何かの本で読んだが、自殺者を多数出していた北欧のある国が、やはりこうした報道規制協力をメディアに呼びかけ、メディア側の自主的な協力によって自殺の方法や遺書の紹介などを行わなくなったところ、実際自殺者数は劇的に減少したそうである。
こうしたアピールに、日本のメディアは応えるだろうか。まさかね。
一方、厚労省の通達には笑ってしまった。
薬局や薬店など小売店に対して、「不審な人物」に洗剤を販売しないよう通達するとか、通達を検討中とかといった記事を目にした。
無駄じゃないのかもしれないが、しかし「不審な人物」って……。
投げやりな通達である。「一応対策はしています」という木っ端役人的ポーズにしか見えないし、それ以外でもなかろう。
だいたい、そんな報道があれば、自殺志望者は出来る限りせめて不審に見えないように努力するのではないか。
どんな目的であれ、報道すればするほど同様の手口での自殺が増えるのであろう。
ブームが去るのを待つしかないのだろうか。

硫化水素ブームの報道で少々笑ってしまったのは、自殺発生現場を発見した人や迷惑を被った近隣住民の複数がこう証言していたことだ。
「卵が腐ったような臭いがした」
硫黄のような臭い、ということなのだろうが、しかし「卵が腐った臭い」なんて嗅いだことがあるのだろうか。少なくとも私は嗅いだことがないと思う。卵を腐らせたことならあるが、そんなに劇的な臭いはしなかったような気もするし、したような覚えもある。その記憶は曖昧だ。
しかし私は情報として、「卵が腐ると硫黄みたいな臭いがする」ということは知っている(本当にそういう臭いがするかどうかは分からないが)。
おそらく温泉場など硫黄くさい場所に行った際、誰かが口にした「卵が腐ったような臭い」という表現によって記憶されたのではなかろうか。
ひょっとして、「硫黄の臭い=卵が腐った臭い」という知識から、実際はそれほど臭いを感じなかったはずなのに、かつて卵を腐らせた実体験の記憶に、「情報としての臭い」が書き加えられたのではないかという気もしてくる。
言語ではもっとも伝えにくいと思われる臭いさえも言葉に規定されている、と実感させられる次第だ。

もしかして、硫化水素で自殺する人の中には、その死を迎えるとき、薄れてゆく意識の中でこう思う人もいるのではないか。
「……これが……卵が腐った臭いだったのか……」
嫌だな。
この自殺ブームを抑止するためにもこうアピールするのはどうか。
「卵が腐った臭いを肺いっぱいに吸い込んで死にたいですか?」

久しぶりのブログ更新の枕話と思って書き始めたら長くなってしまった。
本題はまた改めて書くことにしよう。

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