1999年7月12日(月曜日)

魔のバミューダトライアングル




実は随分以前に書いていた駄文なのだが、アップするのを忘れていた。
少々ネタが古いのですがHPのマイナーチェンジを機にアップしておくことにしました。



 私の住む武蔵野市は東京の西方に位置する。
 地方に住む頭の悪い若者たちが憧れる「東京都」には違いないが、いわゆる23区から仲間外れにされた、東京都下、という蔑称を与えられた地域に属する。
 23区を旗本だとすれば、都下の諸市は御家人みたいなものか。
 東京を貫く大動脈が中央線である。
 オレンジ色に輝き、人生に行き詰まった者たちのあの世への扉とも言われるこのJR中央線。その「武蔵境」というのが私の家の最寄り駅である。
 武蔵小金井、東小金井、武蔵境という紛らわしい駅の並びのお陰で、その存在感を甚だ阻害されている駅だ。西は国分寺、東は三鷹に挟まれたこの3駅は、名称が紛らわしい上に、駅前には大した店もないということで、なおのこと人気と印象が薄い。しなびた「だんご三兄弟」みたいなものである。余談だがかの「団子三兄弟」もあっという間に消え去ってしまった。今では近所の団子屋で安物のラジカセからループで流れる「ダンゴ三兄弟、ダンゴ三兄弟……」のフレーズがもの悲しさを誘ってくれる。
 中央線似たもの三兄弟は歌のように仲が良いわけではなく、それぞれの住民同士の間では、
 「武蔵小金井にはナガサキヤがあるし商店街も充実しているから、一番ましだ!」 「何を言うか!?小金井の! 武蔵野市の防人として小金井との国境を固める我々武蔵境が上に決まっておろうが。天下のイトーヨーカ堂を配し、駅前再開発に余念がない武蔵境こそが一番じゃ!!」
 「何を言ってるのさ! 東小金井にはね……モスバーガーが有るんだよ」
 「すっこんでろ! 小金井市の面汚しが! 夜になると真っ暗になるくせしやがって!」
 「ギャハハハ! 小金井同士で仲間割れかい? そんなだから借金だらけになって市の経済まで真っ赤になるのさ。破産寸前だってぇじゃないか?」
 「ふん! 日本一高い税金を搾り取られてるやつが、何を言いやがる。自慢の駅前再開発も、バブルの置きみやげで困っているそうじゃないか!?」
 「く…何を!!」
 等々、血で血を洗うドングリの背比べが繰り広げられているわけだ。ちなみに一番存在感の薄いのは、どう客観的に見ても東小金井駅である。
 断っておくが、タイトルにある「魔のバミューダトライアングル」というのはこの影の薄い三つの駅のことではない。団子状に並んだ三つの駅ではいくらなんでもトライアングルにはならない。まぁ読め、続きを。

 さて私が「まだましな」武蔵境の住民となって、今年で8年目を数えようとしている。一人暮らしの時に駅の北口側に4年、結婚を期に今度は南口側に移ってきた次第で、何とも芸のない引っ越しをしたのだ。お陰で本籍も武蔵野市ということにもなってしまった。何も決してこの武蔵境が気に入って仕方がない、というわけではないし、ましてや骨を埋める覚悟を固めて来たわけでも、ない。
 登山家に曰く「山がそこにあるから登るのだ」というのと同じで、「そこに良い物件があるから住むのだ」という、至って選択範囲の少ない都会の住宅事情によるに過ぎない。
 選んだ理由はともかく、8年も居住していると、それなりに愛着も生まれてくるし、年々足の速くなる時の流れというものもひしひしと感じられる。
 転居当時にあった店や商店も少しずつ様変わりをするし、あっという間に家は取り壊され、昨日まで何があったかすら覚えていないなどということはざらである。こうした思いはおよそ都会近辺の住民ならば、多かれ少なかれ抱くであろう。
 8年住んでみた感想としては、住み心地は悪くないし、概ね快適な方である。都会生活のオアシス、コンビニエンスストアの数も年々増えるし、レンタルビデオ店もある、スーパーもある、駅前でフォークギターをかき鳴らす馬鹿もいない、スケボーで騒ぐガキもたまにしかいないし、風俗店もラブホテルもないので週末騒がしいこともないし、フェロモンも巻き散らかされない。ごく普通の住宅街と言えようか。
 ただ、ちょっと外食、というときに手頃な店がないのは玉に瑕であろうか。以前記した「とんかつパブ」を上げるまでもなく、飲食店の数もあるにはあるのだが、誉められた店は片手でも余るほどであろうか。もとい。私にとって好ましい店は少ない。武蔵境は学生が多いということにも起因しているのか、質よりも量を得意技としておるようで、薄味よりも濃いめのおかずを必殺技とする店が多い。外食の折り、てんこ盛りのご飯には縁のない私は、結果腹を空かせた流浪の民となり果てる。
 「あうう……どこで食べようかな……」
 私は決して「美食家」などという類の徒ではないし、仕事が忙しい折には悪魔のカップラーメンも食すし、顎の筋肉を衰えさせる元凶ともいうべきファーストフードを食べることも間々ある。我が武蔵境には、駅前にファーストキッチンもミスタードーナツもケンタッキーもマクドナルドもロッテリアだって取り揃えている。外食の王様ロイヤルホストだってある。好きじゃないけど。
 外食をするに当たって、わざわざまずいものでも喜んで口にするほど変わり者でもない私が行くところといえば、自ずと選択範囲は絞られてしまうわけだ。気に入っている店といえば、まず筆頭はご近所にある鰻を出す居酒屋。ここの白焼きは絶品。味が濃くて食べ飽きする蒲焼きよりも、近年はわさび醤油で食べるこの白焼きの方が口に合うらしい。
 やはり近所にある小さな中華料理店もなかなかに美味しいが、一人二人で入っても種類を食べることが出来ないため、そうそう利用する機会がないのが残念。
 店構えが立派で、評判も良いらしいエラそうなうどん屋もあるのだが、残念ながら私が行く度に満席だったり貸し切りだったりで、とんと縁がないらしい。
 寿司屋は数があるようだが、おいそれとすしを食べ歩くほど財布は豊かではない。一軒美味しい店があるので、自分に褒美を取らせるときにたまに利用したりしている。
 お次に控えるのは……次は……と。このあたりで既に列記するに困るあたりが、武蔵境なのである。ああ武蔵境。
 もちろん入ったことのない店も多いので、「武蔵境に美味い店無し」などと断ずることは出来ないが、少なくとも私にとって何とも悲しい現実が横たわっていることには違いない。何も近所で飯を食うだけのことでエセグルメを気取る必要がないことぐらいは承知のこと。さして美味くはないといってもやむなく利用するケースも間々ある。美味くはなくともまずくはない、というインプットメソッドに指摘されそうな日本人お得意の曖昧な表現が適した店はある。とりわけ近所にある蕎麦屋は何かと利用することが多い。私は蕎麦が大好きだが、蕎麦の命はこしにあるというのが信条だ。残念ながらここの蕎麦屋の麺にはこしがないあたりが悲しい。それでも「鴨汁蕎麦」はなかなかに美味い。
 冷たい蕎麦を暖かい鴨汁で食するのだが、私は普通のざるなどより遙かに鴨汁を愛している。
 蕎麦と並んで好ましい麺類にラーメンがある。お酒を大量摂取した後に、締めに食べるラーメンなどは格別である。太るわけだ。
 武蔵境にも無論、酔客の友、ラーメン屋も何軒か存在する。冬場には駅前に屋台も出ておるようだし、夜中に客が並んでいる店もある。並んでいるからといって、美味いかといえばこれがそうでもなく、好みの違いはあるかもしれないがおよそ褒められた味ではない。悲しい。何が美味くて行列するのか、まったく住民の中には舌が麻痺したものもいるのかもしれない。ラーメンといえば友人に「ラーメン男」の称号を私が勝手に与えた男がいるのだが、この友人に言わせると、
 「駅前のラーメン屋は疑ってかかるの法則」なるものがあるのだそうだ。
 確かに然り。「立地で客が入る店より、遠くても繁盛している店は味に信頼がある」というのはなるほど肯ける。
 武蔵境において、私が比較的利用するのは踏切の脇に位置するラーメン屋で、近所で食べるラーメンとしてはそう悪くはないと思っている。しかし冒頭に記した「だんご三駅“ラーメン勝負”」では、一番目立たないはずの東小金井に軍配を上げねばなるまい。ここには「にんにく屋」というずば抜けて美味しいラーメン屋があり、いかに武蔵境のラーメンが束になっても端から勝負は見えていよう。武蔵境で美味い麺といえば「珍珍亭」という、うら若き女性が大声で呼ぶには恥ずかしい店があり、ここの「油ソバ」はなかなかに美味である。「珍珍亭」で「油ソバ」をすする女性の姿はかなり卑猥な気がしなくもない。お下劣で申し訳ない。
 踏切脇のラーメン屋に話を戻す。
 元「ビッグボウル」という牛丼屋であったこの店が、「満州軒」というラーメン屋に変わったのは数年前のことであったろうか。以後、自慢の得意技、トンコツラーメンの他に牛丼、カレーライスなどの小技を繰り出し、集客の努力に怠りがない。もっともそうしたあの手この手も無駄な努力であったらしく、今では豚骨ラーメンと油ソバだけのメニューとなっている。しかしともかくも営業を続けてくれている。
 店の回転率が速い武蔵境において健闘を見せていると言っても良いであろう。呉々も断っておくが「店の回転率」である。客の回転率ではない。
 つまり潰れるのが早いのである。新装開店、等と花輪が出てから一年ほどの間に消え去った店は数多かろうこの地で、飲食店に限らず定着するのはなかなかに至難の業らしい。その証拠に、去年オープンしたレンタルビデオ屋は早々に撤退を余儀なくされている。
 激戦区といえば聞こえはよいが、何のことはない、客の絶対量が少ないのである。絶対量が少ないところに店が増えれば、客の奪い合いになることは必然。下手をすれば共倒れである。かように単純な算数が分かっていても、やはり間違いは起こるらしい。
 件のラーメン屋「満州軒」の斜め向かいに「中国餃子」の店ができたのは去年のことであったろうか。4種類ほどの水餃子を出す店である。カウンターだけの小さな店内だが、本場仕込みらしいその餃子はなかなかに美味である。空腹を抱えた流浪の民にとっては、また一つ小さなオアシスが出来たと言えるかもしれない。いかに好きといってもラーメンばかり食していては「小池さん」と後ろ指を刺されかねない。時に餃子も良かろう。私は餃子は好きな方だ。
 ラーメン屋にとっては、同じ飲食店としてライバル出現の形になったわけだが、「満州軒」において餃子はメニューには無く、この両店は上手く共存していくのではないかと思われた。
 しかし、それはほんの束の間の平和に過ぎなかった。
 静かな共存共栄をぶち破る店がにわかに出現した。その出現によって、武蔵境の踏切脇は一気に戦国時代に突入することになったのだ。
 ラーメンの「満州軒」の真向かいにして、「中国餃子」の店の隣に出現したその店は、こともあろうに「ラーメンと餃子」を堂々と看板に掲げたチェーン店であった。よりにもよって「ラーメンと餃子」のハイブリッドなのである。既存の2店に対する明確な宣戦布告である。
 どちらかと言えば既存の2店に対して肩入れしている私である。潰れてもらっては困る。食べる場所が一つでも失われては私の食生活への影響も大であり、ひいては健康にも悪影響を及ぼしかねないではないか。大袈裟か。
 とは言え新規参入の「ラーメンと餃子」のその店にも、のっぴきならない事情があるかもしれない。不況でリストラされた悲しき中年男の意地があるかもしれない。もしかしたら苦節20年、自分の店を持つべくラーメン修行してきた純朴な男の夢に支えられているのかもしれないではないか。
 開店の日、花輪に囲まれて、吉岡政次(46歳・仮)の脳裏には苦しかった修行の日々が去来していたことだろう。「ラーメンは心だ!」「餃子は真心を包むんだ!」自分を厳しく育て上げてくれた恩師、徳助の戒めの言葉が甦っていたはずだ。しかしその徳助は政次の晴れの日を見ることなく、去年肝硬変でなくなっているはずだ。政次が止めるのも聞かずに大好きな焼酎を飲み過ぎたに違いない。
 「おやじ、とうとうやったぜ!」
 亡き徳助に胸を張る政次。その隣には修業時代に知り合い、周囲の反対を押し切って結婚した7歳年上の女房、晴恵の姿もあったろう。
 「しっかり働くんだよ! 隣の餃子屋も向かいのラーメン屋も、潰してやればいいんだよ!!」
 政次は女房の尻にすっかり敷かれているはずだ。なにぶん開店資金の大半は、晴恵の両親から借り入れているせいもある。そうに違いない。
 負けるな、政次!……って、たかだかチェーン店のラーメン屋の開店にそんな背景があるわけないか。まだ入ったことがないので何とも言えないが。
 既存の2店もこの暴挙ともいえる侵略に手をこまねいているわけにはいかない。
 報復攻撃の手を抗し始めた。
 まずラーメン屋「満州軒」においては、「量」のサービスを先陣に押し立て、反撃の糸口とした。大盛りや替え玉は無料であるとか、そういうやつだ。しかし、量、という点では困ったことにもう一店ライバルがあるのだ。実はこの三店が現れる以前から、ごく近くに既にラーメン屋が一軒存在している。定食とラーメンの、安さだけが売りのチェーン店である。
 ここまで乱立すると、ラーメン屋そのものの存亡の危機である。危うし。武蔵境からラーメンの灯が消えることになっては一大事だ。
 一方「餃子」の店も後れをとるわけに行かない。「ジャンボ焼き餃子」で反撃の口火を切ったようだ。当初の看板であった「水餃子専門」などと悠長なことは言っておられないのだ。
 しかしまぁ、サービスが増えるのは消費者としては喜ばしいことではある。潰れない限りは。
 
 かくして武蔵境脇踏切は、正に油で油を洗う戦国時代である。果たして天下統一の日が訪れるのだろうか。はたまた攻防の激化と共に消費者にさらなる恩恵を運ぶのか。
 にわかに出来したこのラーメンと餃子をめぐる激しい攻防をとくと見守って行こうと思う。どの店も呉々も油に足を滑らさないことを祈っているぞ。

追記:よくよく考えたら、まずいんじゃないのかしら、「満州軒」というネーミングは。関東軍が無理矢理に現出させた欺瞞の国「満州」を名前に冠することに、どこぞからクレームは来ないのだろうか。百歩譲ってそれがもし倫理上問題が少なかったとしても、その店の斜め向かいにある「水餃子の店」は本場“中国”の味を売り物にしている、おそらくは本場中国の方の手による店と思われる。何かいかんのではないか。

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