1999年8月15日(日曜日)

Q&A? -3-



Q19・未麻のようなポップスターが日本でどのくらい重要な存在で、若い人々にとってはどのような存在なのか教えていただけますか? ポップスターの転身をファンはどのように見るのでしょうか?

A・本作で扱ったアイドルは、いわゆる国民的レベルで認知されている存在ではありません。テレビコマーシャルや歌のヒットで、多くの人々に支持されるアイドルももちろん存在しますが、そうしたアイドルたちはあまりマニアックな支持の対象にはならないようです。
 本作に登場するアイドルグループ「チャム」は、日本では「B級アイドル」と呼ばれています。彼女たちの目標は、もちろん大きなヒットにありますが、一般的にはあまり認知されておらず、ファン層は限定されていて活動も地道なようです。本作に登場するデパートの屋上でのイベントなどがその代表です。
 こうした活動ではアイドルとファンの距離が密接になります。一般のお客が混じらないので、顔なじみの者同士が毎回集まるようです。彼らはいわゆる「オタク」ということになりましょうか。
 私自身はそうしたアイドルオタクの経験がないので分かりませんが、私が見た限りでは彼らは対象とするアイドルが、売れてないからより熱心に執着するように見えます。もしそのアイドルがブレイクして、国民的に認知されたりすれば、彼ら元々のファンは離れていくかもしれません。自分たちの手の届く範囲、あるいは手が届くと思わせてくれるイメージのアイドルを好むように見受けられます。
 「B級アイドル」といわれる彼女たちの多くは、決して歌もそれほど上手ではないようですし、顔やスタイルも飛び抜けて素晴らしいわけではないように思えます。このあたりがファンに手の届きそうな気にさせるのかもしれませんし、妙な言い方ですがファンの親心を煽るのかもしれません。応援してあげたくなるのでしょうね。
 不思議に思われるかもしれませんが、それが彼女たちの魅力なのです。
 この傾向は「B級アイドル」に限ったことではないようで、日本のアイドル文化は「未成熟さの文化」なのかもしれません。少女嗜好といっても良いでしょう。かといって勿論ロリータコンプレックスというのでありません。
 対象となるアイドルは歌手としてもモデルとしても未成熟であり、女性としても未熟なのです。ファンはそうした未成熟さを愛するわけです。自分よりも未成熟なものを嗜好する限り、自分の未成熟さを露呈することが無いという安心感があるのかもしれません。ファンにとっては心地よい未熟さなわけですね。
 ですからアイドルの転身、というよりはそうしたファンとアイドルの心地よい関係が破壊されることを望まないわけです。対象となるアイドルが一般的な大ブレイクをするとか、何らかの形で成熟することでその関係が壊れていくのだと思います。

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 特に国内のインタビューなどで「オタクを批判してますね?」と何度か聞かれた。繰り返していうがオタクに対して嫌悪も賞賛の気持ちもない。パーフェクトブルーの中での描き方は、内田は別にしてそうした人たちは「私にはただこう見える」ということだけであった。その描写にリアリティがあったとして、それが気に入らない、あるいは批判的に見えるというならば、それは見た人の意識が投影されているのではなかろうか。
 オタクに限らずある種の集まり、それが職業であろうがスポーツ仲間であろうが近所のおばさんの集まりであろうが、そこに属さない人間から見れば「妙な集団」に見えるものであろう。
 例えば街中でスケートボードをしたりギターを抱えてわめいている若者にしても、飲み屋でゴルフ談義や会社の愚痴に興じるオッサンにしても端から見れば同じこと。ただオッサンの方が人に注目してもらおうとか、通行人にさほど迷惑をかけない分だけはるかに上等ではある。
 もちろんその集団の持つイメージが端から見て格好良さげに見えるかそうでないかの違いはあろう。興味の対象がアニメであろうがバイクであろうがファッションであろうがオタクであることに変わりは無いはずなのだが、やはりアニメやアイドルということになると、世間は低俗であると見下してはいる。流行の先端とやらのファッションを追いかけている人をオタクとはいわないしね。同じだと思うんだけどね。
 内田、ということになると確かに「先鋭化したオタクは狂人である」ということになろうが、先鋭化して狂人になるのは何もオタクに限ったことではない。
先鋭化して狂人になるのは何らかのオタクに決まっている、と括っておきたい世間の思いこみがあるのではないかと思える。

Q20・パーフェクトブルーで有名人とその熱烈なファンについてどのようなことをおっしゃりたかったのでしょうか?

A・特に有名人とファンとの関係について描きたかったわけではありません。本人が思う自身のイメージと、周りが受け取り、思い入れするイメージとのギャップについて描きたかったのだと思います。
 本作は他人が思う自分のイメージが、自分に逆流してくるような話ともいえます。

Q21・殺人犯は未麻のエージェントだったわけですが、タレントとそのエージェントやマネージャーの関係について、伝えたかったことは何ですか?

 タレントとエージェント、マネージャーとの関係については、特にこだわりはありませんでしたし、その事についてはお話しするほどのことはありません。

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 何かこのQ20、21とかって、下手な質問も数撃ちゃ当たる式だな。
 有名人とファンという関係について私には明確な意見はない。私自身が有名人であったこともなければ、私が有名人の熱烈なファンであったためしもないしね。

Q22・二つの衝撃シーン(レイプシーンと、アイスピックでの殺害シーン)についてお聞きしたいのですが、この二つの出来事は未麻の精神状態と何らかの繋がりがあるのですか?

A・まずレイプシーンについてです。未麻の精神状態との関係とはちょっと違うと思いますが、このシーンの一番の狙いは「アイドルの死」です。英語にすると「ポップスターの死」ということになるのかもしれませんが、それではニュアンスが伝わりませんね。文字通り「アイドル」という言葉に込められた偶像性の破壊であります。
 ファンにとって、また未麻自身にとっての偶像の死でもありました。
 アイスピックの殺害については、未麻の精神状態と密接な関わりがあります。このシーンはカメラマンの村野がテレビドラマ「ダブルバインド」を見ている、という客観的なシーンから始まって、未麻の主観的な夢であった、という風な繋がりで観客を騙しています。トリックといえばそれまでですが、未麻の無意識にはカメラマンに対する憎悪もあったはずです。もちろん未麻にとっては知名度においてステップアップのチャンスになったのですし、カメラマンに対する感謝の気持ちも大きいのでしょうが、やはり相矛盾した暗い感情の澱みもあるわけですね。文字通り「殺してやりたい」気持ちも少しはある。それが夢という形を取って現れた、ということでしょうか。

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 しかしインタビューを重ねる度に思うのだが、答える内容が非常に理屈くさくなって行く。作っている最中にはさほど明確には意識してなかったことを後になって解説するというのは、それはそれで勉強になる部分も多いのだが、何となく口から出まかせ、という気がしないでもない。

Q23・ファンタジアでベストフィルムを受賞されましたが、そういった映画祭にアテンドされてどのように感じられましたか?

 ファンタジアには私自身は行くことが出来ませんでした。参加したのはフィルムだけで、日本で受賞の知らせを聞いても他人事のように思えました。現場での感触が分からないと、何ともコメントのしようがありません。
 韓国のプチョンファンタスティック映画祭やドイツのベルリン映画祭には私自身も足を運びました。どちらの映画祭でも大変好意的に迎えていただき、感激いたしました。フィルムを作っている最中には、異国の観客の顔など一切頭に浮かんでいませんでしたので、そうした方に見ていただくだけでも嬉しいものですし、あまつさえ好評をいただくなど望外の喜びです。
 日本という小さな国の片隅でこそこそと作っていたフィルムが、気が付いたら世界という大きな舞台に出ていた、と思うと胸の晴れる気すらします。
 しかしそうした国際的な映画祭に参加し、好評をいただく光栄に浴すに連れ、尚のこと募る思いがありました。今後の作品制作への態度についてです。日本のアニメーションシーンにおいても、よく「海外進出」という元気のよいかけ声が聞かれます。浮かれているとさえ思えることがあります。こうしたかけ声の下、企画される作品に「世界に通用する」という修飾語が踊ります。これが甚だ疑問です。もちろん商売として健全であるのですが、作品内容がこうした熱病でいびつになっていくような気がします。「外国の人にも分かりやすい作品」がイコール「世界に通用する作品」ではないはずです。現在の日本で呼吸しているからこそ作ることが出きる作品、それを素直に出していくことが大切だと思うのです。
 国際的な映画祭に参加することで、強く感じたのはそのようなことです。特に日本人であることを意識させられたようです。この経験が今後の作品に反映させたいと思いますね。

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 国内にしろ海外にしろ映画祭で評価をいただくのは嬉しい。特にインディーズアニメとしてはどんな小さな成果でも、それを宣伝の糧や足がかりにして表舞台に出て行かねばならない。ま、多くの人に見てもらうのが商品の根本的な目標なわけだし。
 パーフェクトブルーの宣伝に少しだけ首を突っ込んでわずかに分かったのは、作品製作全体を興業としてのみとらえれば、作品の質は全体の半分、ということであった。つまりは作品の中身が良かろうが悪かろうがイメージと宣伝戦略によってヒット作にもなり得るし、興行的価値がゼロに近しい傑作もあり得るわけだ。
 そんなことを今更、という向きもあろうが制作現場においてはそうした部分に頭が回るわけもないのが実状であるし、むしろそうした宣伝や興行を気にするよりも良い作品制作だけを心がけるべきであろう。ただ立場上両面を見てしまうと、自分たちが机の上で必死に守っていることが、違う視点で見れば半分の価値になるということが分かってしまうわけで、何とも複雑な気持ちにもなる。「ただ作りゃよい」というわけにはいかないもんですな。

Q24・日本での公開はいつで、どのような評判でしたか? また、検閲によってカットされたシーンはありますか?

 公開時の検閲についてですが、カットされたシーン等はありません。
 ただレイプシーンなどの性描写の数カット、それとカメラマン殺害シーンでのクローズアップカットが問題になりました。その点の変更がなされれば一般映画としての公開が出来るとのことでしたが、スポンサーの好意的判断によって、15R(15歳以下は鑑賞不可)という制限付きで公開することになりました。
 日本での劇場公開は、1998年2月下旬からでした。上映館数が少なかったこともありますし、興行的には芳しくはなかったかもしれません。しかし公開前に思っていたよりはお客の入りはよかったと思います。ただメディアの反応は驚くほどたくさんありました。作品を取り上げていただいた新聞、雑誌、テレビは、他のアニメーション作品より多かったのではないでしょうか。それと取り上げられたそうしたメディアが一般的な媒体だったのは、大変嬉しかったですね。通常アニメーション作品は一部を除いては、アニメファンのための作品に過ぎず、作品を取り上げる媒体もアニメ雑誌等に限られています。「パーフェクトブルー」の場合、一般の新聞、週刊誌やファッション誌、アート誌のレビューで取り上げていただき、「アニメ」という偏見に一矢を報いることが出来たかもしれません。もっとも15Rという問題もあって、子供向けのアニメ雑誌ではあまり取り上げられることが少なく、アニメ商売としては大きな観客層を失ったかもしれません。
 商売という側面に関してですが、日本では、特にアニメーションという商売の成否はビデオやレーザーディスクの売り上げにかかっております。同年の秋にビデオとレーザーディスクが発売になりましたが、売上本数は悪くなかったようです。

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 15Rになってしまったことは、残念ではあったけれど作品内容からすれば当然のことであったかもしれない。もちろん元来は「オリジナルビデオアニメ」という枠組みであったのだし、仕方がないことではある。
 国内の評判がどうであったのかはよく分からないな。メールにしろ掲示板の書き込みにしろ、基本的には作品に興味を持ったからなにがしかのリアクションを起こしている場合が多いのでそれをもってサンプルにするわけにもいかない。実際映画興行としてみた場合、興行側が目論んでいたほどには客は入らなかったのではないだろうか。
 先に書いた問題にも触れることだが、パーフェクトブルーの場合、実際のフィルム制作費よりも宣伝費の方が多くかかっているのではなかろうか。あまり上手な使い方には見受けられなかったが、特筆すべきは宣伝を担当してくれたザナドゥーの頑張りであろう。パーフェクトブルーは驚くほど多くの新聞や雑誌媒体で紹介していただいた。それもアニメとはかけ離れた類の物が多かったのは、ジブリ作品や社会現象とまで呼ばれたエヴァを除けば異例であろう。作品の性質もあるのだろうが、これはやはり宣伝担当者のお陰に他ならない。
 宣伝担当は作品制作スタッフとして注目されることは少ないかもしれないが、フィルムにもクレジットされている通り実に重要なスタッフなのだなぁ、と思い知らされた。作品というのは作るまでも勿論のこと、作った後も作品に含まれるわけで、決して疎かにしてはなりませんな。もっとも宣伝にかまけて自分の机が疎かになるのはもっと注意しなくてはならないでしょうが。
 それとパーフェクトブルーの場合、東京での公開が渋谷PARCOであったこともイメージの上で有利に働いたかもしれない。イメージ戦略というのも実に重要なんでしょうね。自分で関わっておいていうのもなんですが、劇場公開時におけるポスターの効用も小さくはなかったでしょう、多分。アニメのポスターというとキャラクター勢揃い、楽しいぞこのアニメは、的な頭の悪い物が多いので、少しは何とかしようと思って描いた気がする。これからのアニメーション制作においては内容もさることながら、宣伝展開におけるイメージになお一層気を使う必要がありそうですな。

Q25・アメリカの人々がパーフェクトブルーをどのように受け止めると思われますか? パーフェクトブルーを見る前にアメリカの人々にリカしておいてもらいたい事柄がありますか?

 アメリカの人が本作をどう見るかは、私にも予想がつきません。ただハリウッドの明解な映画になれている方には、本作は少し分かりにくいかもしれませんね。本作は作品内で起こる多くの事象に対して、明解な解釈を観客に与えていないかもしれません。観客の想像力に期待し、またその想像の余地を大きく取っております。「分からないこと」をそのまま受け入れて、それを楽しんでいただけると幸いかと思います。

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 アメリカでだって受けねぇだろ(笑)

Q26・次のプロジェクトは何ですか?

 現在次回作を制作中であります。「千年女優」という作品です。
 「パーフェクトブルー」を見たあるプロデューサーに声をかけていただきました。「パーフェクトブルーみたいな作品をやりましょう」と。
 ちょっと考えて彼に質問しました。「“パーフェクトブルーみたい”の“みたい”とはパーフェクトブルーのどの部分を差すのでしょうか?リアルな面なのか?サイコな面なのか?」
 彼は答えて言いました。「“騙し絵”みたいなところ」
 その一言で私は大変乗り気になりまして、頭の中の引き出しをあれこれとさらって、思いつきの断片を整理し、以前から気になっていたアイディアの一つを企画にまとめました。それが「千年女優」です。
 「パーフェクトブルー」が神経質でダークな作品だったので、今回は明るめで楽しいムードの作品を狙っております。
 先の質問に「パーフェクトブルーは「彼女の思い出」の中で描かれたテーマのいくつかの延長でしょうか?」というのがありましたが、この「千年女優」もその流れに入るものだと思います。どちらも人間の暗い面にスポットを当てた者でしたが、今回は裏を返して、ポジティブな面を強調できればと思っております。
 「千年女優」の原案は私で、脚本はパーフェクトブルーに引き続き村井さだゆき氏、演出も同じく松尾 衡氏、美術監督も同じく池 信孝氏、作画監督にはパーフェクトブルーで原画を担当してくれた本田 雄氏が決まっております。
 現在シナリオが完成し、絵コンテに入った段階、完成は来年の予定です。

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 インタビュー最後の質問の定番だな。
 1999年8月現在の進行状況としては、コンテが1/3パート完成、というところ。作画作業も何人かの方には入ってもらってはいるものの、キャラ設定も決定稿が出ているわけではないので、本格化というにはまだまだという感じであろうか。
 「千年女優」と「パーフェクトブルー」ではほとんど同じ様な顔ぶれのスタッフになっている。それも皆がフリーの人間、ということになると業界的には多少珍しいケースかもしれない。自分の普段の人間関係を当てにするためという理由もあるが、どちらかといえば一つの作品を作る過程でスタッフ間に蓄積されたノウハウや共通認識をそのまま移行できるというのがもっとも大きな理由であろう。
 もっとも、以前仕事を引き受けてくれた人間に断られる場合などは反省の必要があるんだけど。

以下近日アップ

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