1999年9月23日(木曜日)

十年バブル



 「十年一昔」とよくいわれます。
 「十年」というのは社会も個人も、文化も思い出も切りの良い手頃なパッケージになる年月ということなのでしょうか。
 つい先日、ある友人が十年来の「ある関係」にピリオドを打った、という話を聞きまして、自分でもこの十年間や十年前ということを折りにつけ振り返ることが多くありました。
 一応念のため繰り返しておきますと、「友人がピリオドを打った」という話で、「私がその友人との関係にピリオドを打った」というわけではありません。そんなに荒れた友人関係ではないと思います。まぁ過去にそうした関係になった人たちも沢山おりますが。
 昔、知人から「お前は友達を大切にしない」といわれて、「はて、そうかな」と考えたことがありました。どうすることが具体的に「大切にする」ということかはともかく、友達を大事にしていないつもりは毛頭ありませんが、続けるためだけの友人関係にはまったく意味を感じないのは確かです。
 人間関係というのも無理矢理に続けるものではなく、その時々に応じて必要な人が現れたり、親密に過ごす時期もあれば袂を分かつことになる日もやむを得ず訪れることもありましょう。
 そんなことを思い出すのも過去十年間あるいは十年前を振り返っていたせいかもしれません。
 今回の駄文はいつにも増してひどく個人的なことで、誰に向けて書くわけでもない何というか告白めいたものです。時間を無駄にしたくない方はブラウザのBACKボタンを押した方が宜しいです。

 十年前。1989年、私は25歳でした。
 当時はまだ漫画の短編を思い出したように描いては、時折カットのアルバイトをしたり、漫画のアシスタントなどで日銭を稼ぎつつ、ほぼその日暮らしに近い形で糊口をしのいでいたように思えます。貯金などという美味いものに縁があるはずもなく、預金通帳には寂しい3桁の文字が並んでいることもあったかもしれません。何とも情けない。
 当時はバブルも終焉を迎え、いよいよその腐れきって発酵した毒気が弾ける頃だったでしょうか。すでに弾けていた頃かもしれません。そのあたりの記憶が曖昧なのは、どうにもバブルというのが一体何だったのか、まるで実感がないせいでしょうか。多くの国民が躁状態でその栄華を楽しんだそのバブルとやらは、私には参加しようもない憧れの彼岸だったようです。バブルはモニターの向こうにあったように思えます。ですからそこに積極的に参加し、後にしっぺ返しを食った人間たちに共感を覚えるわけもありませんし、むしろ「そらみたことか」くらいにしか思えません。さすがに「ざまぁ見ろ」というほど私も人は悪くありませんが。ウソです。思ってます。ざまぁ見やがれ。
 ローンでものを買えば後に支払いがあるのは当然のこと。払えないなら首でも括るのも仕方がない。バブル期における直接的な罪がないにしても、現在中高年の自殺者が増えるのも無理はありませんし、実に気の毒だとは思いますが、トカゲの尻尾切りは世の常です。切られる尻尾にも何の原因がないわけでもありますまい。何はともあれ中央線にだけは飛び込んでもらいたくないものです。
 「首を括る」といえば、私はその当時そのことを一生懸命考えたことがあります。繊細で傷つきやすい私の気持ちを周囲のだれも理解してくれず、生きるのにちょっと疲れちゃってぇ……死ぬのも悪くないなぁ……とか思ったりしてぇ。ウソです。何も「自殺」などという空恐ろしいことを考えていたわけではありません。どちらかといえば首よりは「腹を括る」といった方が近いかもしれません。最近ではその括ったはずの腹も少々出っ張ってきましたが。こんな身近にも十年一昔が。太ったな、俺。

 当時、私は気ままなその日暮らしを謳歌し、拘束の少ないその生活を「気楽でいいよ」などと満足を口にする一方で、頭の片隅にはいつでも将来に対する巨大な不安がとぐろを巻いていました。
 よく考えてみれば、ろくに働きもしないで「将来も贅沢を望まなければそのまま食っていけるかもしれない」などという甘ったれた妄想に取りつかれていたのは、世間を覆っていた集団催眠ともいえるバブルが遠因であったかもしれません。何しろ「フリーター」とやらがもてはやされていたのですから。
 その昔「金の卵」ともてはやされた中卒の集団就職もそうでしたが、便利に使える労働力はいつでももてはやされ、要らなくなったら排除するという構図が待っているとは、当事者は夢にも思わないものかもしれません。先にも書きましたがトカゲの尻尾切りはいつの世でも当然の措置なのです。
 バブルの当時、「フリーター」という肩書きとも言えないような立場を「会社に拘束されない自由人」という一片のつまらない優越感をもって称していた人間たちは、現在どうなったのでしょうか。今もフリーターとして立派に生活しているのでしょうか。組織という大樹の陰に落ち着いたのでしょうか。それともすでに首でも括ったでしょうか。まだ棲息している立派な第一世代のフリーターという生き物がいたら是非是非連絡をください。ホントにするなよ。
 ただしここでいう第一世代フリーターとは、現在の不況下でいうそれではなく「なりたくてなった」フリーターの方です。今よく見かけられるそれは「ならざるを得ない」といった方が正しいでしょうが、当時はおよそ就職するよりはアルバイトの方が儲かるといったお気楽な状態だったようです。
 「就職なんてしなくたって食って行ける」
 そんなムードが濃厚に世間を覆っていたように思えます。
 「就職なんて……」が、いまではすっかり「就職難で……」に変わってしまったことにも十年一昔が際だって感じられます。いつまでもあると思うな親と金、というとおり世に変わらないものなどあるはずもなく、景気はご存知の通り往時と比べるべくもない有様だそうです。それでも「景気が悪くなった」というだけで、決して「景気が悪い」国とはとても思えませんね。物と金に溢れた良い国です。

 何の保証もない生活を「気楽」という言葉に単純にすり替えられるのは「若さ」という裏打ちがあるうちだけでしょうか。
 そうした気楽な生活を謳歌した人間たちも、周囲で堅い就職をしたり結婚をしたりする人間が出てきたりすると途端に将来に対する不安と弱気が浮上し、それまでの勢いはどこへやら「そろそろ落ち着く」「才能がない」「東京は合わない」などと意味不明の言葉を残し、「安定」の二文字に餓えて櫛の歯が抜けるように一人また一人と「田舎へ帰る」、という今も昔も変わらない都落ちが繰り返されるわけです。
 「Uターン」だの「Iターン」などと横文字ですり替えようが、都落ちに変わりはありません。
 出て行け。東京は盲目の田舎ものたちの楽天地である。
 東京は終の棲家を得るような場所ではなく、才能の商売をする巨大な市場であるという性格は今も変わらないように思えます。売り物にならない才能や能力しか持ち合わせない人間が長く住む場所ではないのです。とはいえ行き場を失ったそうした才能や能力の残骸が東京の巨大な隙間を埋めていることもまた事実でしょう。
 いい迷惑なのは、そこを父祖代々の土地として暮らしている人ですが。出入りの激しい田舎者たちの騒々しい存在は実に気の毒です。

 「田舎は嫌だ」といって出てきたくせに上手くいかないと安全装置のように作動する「田舎へ帰る」という行為は、稲作中心民族の遺伝子によるものでしょうか。私にはどうにも理解しがたいものです。さらにこの「田舎へ帰る」という行為が安直かつ愚劣な「エコロジー」と一緒くたになると目も当てられません。
 「やっぱり育ててくれた大自然に包まれて暮らすのはいいよなぁ」
 け。地球環境のために、そういうやからこそいなくなれ。さんざん都会でゴミを撒き散らし、文化的だと思いこんでいる大量消費生活を謳歌し、物に囲まれて上機嫌で暮らしてきた者が、よくも暢気に言やがる。
 大体「都会に疲れて田舎に行くと癒される」というその考え方自体がどうにも嫌いだ。田舎を何だと思っている。故郷にはいつまでも変わって欲しくないとか何とか言いやがって、地元に暮らす人間を何だと思っているのだ。田舎は都会の落伍者の収容所ではない。ドラマの「北の国から」とかはもう虫酸が走るほど大嫌いだ。北海道は負け犬の楽天地ではないのだ。くそぉ、段々腹が立ってきた。
 さらには過去の過ちは「若さ」という頭の悪い免罪符一つで片づけるその無責任さが嫌いだ。「昔は悪だったが今ではすっかり更正しました」的な人間も、そこに安っぽいチンピラの美学と甘やかしを与える世間も大嫌いだ。かつての不良が更生して真っ当な社会人になったくらいで周りが過度に喜び、下手をすれば讃えたりもする。馬鹿者。その不良時代に犯した罪が、人並みになることで許されると思っているのか。その時迷惑を被った人間に対してそれで済むと思っているのか。馬鹿者。一生罪をあがなえ。ああ、むかつく。

 さて「田舎へ帰る」。
 帰る田舎がある人はよいでしょうが、しかし帰って一体何をするというのでしょうか。積極的な気持ちで田舎に帰って新しいことを始めるとかいうのであれば、そこに立派な「攻め」の気持ちも生まれるでしょうし、親を案ずる気持ちで故郷に帰らざるを得ないこともありましょう。それはよく分かります。また帰って継ぐような商売などがあればそれも理解できますが、サラリーマン家庭などの人はどうするつもりなのでしょうか。親類縁故を当てにし、毛嫌いしたはずのそうしたしがらみの中に安寧を求めるということなのでしょうか。
 パソコンで変換して初めて知りましたが「しがらみ」というのは漢字にすると「柵」となるんですね。まさに字面そのものです。入れ、柵に入って飼い慣らされてしまえ。おとなしく羊として暮らすがいい。
 どこに行ったのだ、「干渉されたくない」などと無責任一途で自分勝手な個人主義とやらは。
 私も昔はそうした人間たちを嘲笑っていましたが、今では「親元から離れ、華の東京で青春を謳歌するという一時期も人間には必要なんだから……」という優しく肯定的な見方も半分だけするようにしています。ウソです。思い切り嘲笑ってます。
 私には札幌の実家がありますが、だからといっていわゆる「帰るべき田舎」といった風のものではありませんし、
 「自分のことは自分で何とかしなさい。親を当てにされてもらっては困る」
 という式のありがたい親でもあり、大学を出てから今日まで、時折涙が出るほどの親のありがたい支援もありましたが、自分で食うための術を見つけて餓死することもなく、人並みに、いや人並み以上に酒を飲むくらいの生活を続けています。何も自慢しているわけではありません。酒が必要なのは将来に対する巨大な不安を麻痺させるためです。飲まないと不安に押しつぶされそうになるのです。ウソです。ただ好きで飲んでます。数寄に近いかな。
 だいたいそんな薬理効果を求める飲み方は酒に失礼です。

 ただ十年前にはそれに近い気分はありました。先に「首を括る」ことに触れましたが、そんな時期のことです。25歳の頃のことでしょうか。
 猛烈な不安に襲われたことがあります。
 当時住んでいた汚いアパート。日の出もほど近い未明に、急に焦燥と不安と心配が三位一体の攻撃を仕掛けてきたのです。無防備だった私の精神の砦はすぐに三の丸も二の丸も落とされ、程なく本丸にも敵が怒濤のように押し寄せました。
 仕事が上手くいってなかった時期なのかもしれません。仕事に煮詰まり、明日への鋭気を養うべくベッドに入ったもののまるで寝付かれず、不意に来た黒い不安に四方を囲まれ逃げ場を失いました。
 うっすらと明るくなりかけた部屋でベッドに起きあがり、表面はじっとしながら内面はただ焦っている。妙な図です。
 将来の姿はいつだって想像がつくものではありませんが、この時は将来はおろか十年後、5年後の自分の状態がさっぱり想像も付かない、といった状態でしたでしょうか。何も浮かばない。希望的観測さえ浮かんでこない。ひたすら不安をうち消そうと考えれば考えるほど明るい材料の一片も浮かんでこない。体を掻きむしりたいほどの焦燥だったでしょうか。
 タバコも吸わずに延々と考えるしかできませんでした。
 その時、ふと雲間から陽が差すように天啓がありました。
 「そうか……首を括ればいいのか」

 ちょっと話が飛んでしまいました。これでは私がまるで死を決意したかに思えます。そうではありません。順を追って経緯を考えてみます。
 一言でいってしまうと、こんな明日もしれない生活を送っていて、将来人並みに暮らせるのだろうか、という不安があったわけです。月並みかもしれませんが、そうでした。
 まずこの不安には根本的な思い上がりと勘違いが濃厚に含有されています。
 第一に「自分は人並みに暮らせるはずだ」という思い上がりです。
 一体どういうつもりだったのでしょうか。
 のんべんだらりとした生活を送っていながら、いつかは人様並の文化的生活を送れるなどと勝手に思いこむとは何とも愚かな考えです。「自分は飛び抜けてはいないが、まぁ中間くらいの位置にはなれる能力がある」というおよそ一片の根拠もない馬鹿げた思い込みです。もっとも、小中高大とさしたる浮き沈みもなく送ってきた者にとっては、それまでの「集団内での位置」がそのまま社会に延長されると血迷った考えを持ってもやむを得ないかもしれませんし、確かに「人並みな暮らし」を手に入れるために、文部省が奨励した枠の中で競争をしてきているわけです。
 少なくとも私は高校時代は学校の成績は大変よかったですし、美術系とはいえ大学も一年余分に通ったとはいえ一応卒業もしたわけですから、漠然とこの先もそれなりに人並みな生活を送れるのではないかと思いこんでいたのかもしれません。蒙昧です。
 それが何の間違いか、就職という大樹の下に寄ることを拒否して、「フリー」という得体の知れない社会人としてスタートしたわけです。当然月々の収入などあるわけもありませんし、堅実なサラリーマン家庭に育った私としてはイメージにない生活形態に不安を覚えたわけです。選んでおいて「不安」というのも身勝手そのものです。覚悟が足りなすぎたのでしょう。
 ちなみに何故就職という二文字を嫌ったかといえば、「十年後の自分が具体的に見える生活」が怖ろしくなったからです。
 大学時代にも、よくサラリーマンが居酒屋などで上司の悪口を肴に飲み交わす、という絵に描いたようなシチュエーションを目撃しました。その時ふと思ったのです。彼らがののしり無能をあげつらうその上司とやらに、彼ら自身が何年かの後にはなる筈です。もちろんある程度の運と能力は必要でしょうが。
 サラリーマン生活を送るということは、同じ仕事場に何年か後の自分の姿を毎日見続けることになるのではないか、ということに恐れを覚えたのです。自分がののしっていた人間の立場にいつかは自分が座り、陰では部下に同じことを言われ、自分はさらに上の上司の陰口をたたく。その繰り返し。夢も希望も感じられなかったのです。そこにたまらない嫌悪を感じたのでしょう。その分「安定」を売り払ったのは間違いありませんが。
 この時売り払った「安定」という株が、現在では世間でも軒並み下がっているのを見るにつけ、ちょっとだけ得した気分にもなります。ウソです。ちょっとじゃありません。ざまぁ見やがれ、です。

 ともかく当時の、そして現在でもさほど変わらないのですが、フリーというある部分気楽ながらも実に不安定な生活を送っていると、「人並みな生活」のイメージからはどんどんと離れて行きます。もちろん中には若くして成功し、人並み以上の生活を手に入れる人もいるでしょうが、私の場合は実りも少ない痩せた土地を耕していたに過ぎません。人並みな生活とやらが実るわけもありませんでした。
 先に上げた根本的な勘違いとはこのことです。一体なんでしょうか、「人並みな生活」とは。真っ当な暮らし、普通の生活。
 そんなものは実は存在するはずもありません。誰もが特殊な部分を抱えているものです。
 だというのに多くの人間がイメージしているであろう「それ」は世間を覆っているわけです。だからこそそれに対して「足りない」「それよりは上」といった僻みだの優越感だのを感じられて一喜一憂している、と。
 世間的に思われている「人並みな暮らし」の具体的なイメージとはどんなものでしょうか。
 「無難に大学を卒業して、倒産の心配のない会社に就職し、そして生涯の伴侶を見つけて結婚。週末にはマイカーでドライブや旅行に出かけ、何年か後には子供が出来、貯えが出来た頃にマイホームの念願を果たし、その後家のローンはちょっと苦しいけれど、子供とペットに囲まれ楽しい我が家。老後も安心幸せ家族」
 異論はあれど概ねこんなところが、中位の部類に入る人並みな幸せの価値観というか「幸せの形」みたいなものでしょうか。テレビのコマーシャルは具体的にその「幸せの映像」を垂れ流し、政府が奨励している日本人の目指すべきコースだったはずです。そこに外れさえしなければ形而下の伝声管から「よーそろ」の声が聞こえてくるわけです。自分がどれほどの位置にいるのか常に確認するための指針があるわけで、なるほど手本があるというのは安心できるものなのでしょう。
 国民をあまねく覆うような宗教もイデオロギーも存在しない日本では、この「幸せの形」こそが、特に高度経済成長期に発達し定着した「飼い慣らしの方法」だったのかもしれない、などと勝手に思ったりしてみます。皆がそれをわき目もふらず目指すことによって安定した社会秩序が形成される、その飼い馴らしのために押しつけられた価値観です。
 情報の刷り込みです。私は当時それが何も絶対的な幸せだとは思っていませんでしたし、「好きなことさえ続けられれば幸せである」というこれもまた借りてきたような価値観を頭で理解してはいましたが、もっと根深いところにこの政府推薦の幸せの価値観を刷り込まれていたのは間違いありません。そこから外れるのは不幸である、と。
 その漠然とした幸せのイメージと現実の自分とのギャップに不安を感じるのは当然のあさましい心理ですが、逆にいえばそんなものに囚われているから余計な焦燥だの不安に苛まれることに気が付くくらいの頭は持ち合わせていました。
 そんなにバカじゃない。
 捨てちゃえ。
 そう思った途端にふと少し気が楽になりました。
 幸せな結婚とやらも安定した生活も、美味しいものを食べられる幸福も、可愛い子供の笑顔も、広い住居だの夢のマイホームだの、そうしたもの一切合切を捨てることにしました。というより、そんな予定なり漠然とした約束などは「無い」という時点から始めなくてはならないことに気が付いたわけです。もちろんそれが嫌いだから、ということではありません。先に上げた幸せの形はどれ一つとってもあるに越したことがないものに間違いはありません。ただ現実の自分が持つことの出来るものがせいぜい一つか二つしかないのならば、大事なものから取るしかない。このごくごく簡単かつ単純な原理によって私は迷わず「仕事」を取ったわけです。
 好きな仕事を続けて行ければそれが無上の幸せである、と。
 それ以外のものを捨てることに決めたからといって、簡単に捨てられたわけでもありませんし、そこには辛い結果も伴いましたが、それをここに記すにはあまりに生々しいことでもありますし、控えておきます。

 そういえば「絵」についても似たようなことがありました。
 「自分は上手いはずだ」というみっともない思い込みを一時捨てようとしたことがありました。こうした思い込みはその筋を志す者にとっては大変重要なきっかけであり、心強いよすがであり最低限の拠り所になっているはずです。それが無ければその筋を目指すはずもないのですから。
 ただ、「クラスで一番上手」や「学校で一番上手」であることがそのままプロの世界で通用するはずもありません。何と言っても業界を埋める人々はそれぞれに最初は「クラスで一番上手」や「学校で一番上手」といった人々であるわけです。県大会で一番を取っても、甲子園で優勝できるのは一校だけ、というのと同じです。
 当然上には上がいるわけで、更にはプロの世界で洗われるうちに突出した才能を開花させ、およそなまなかな才能では達し得ない領域の、そのさらに上を目指している人間もいるわけです。そうした人間たちを日々見ていると、決して「自分の方が本当はうまい」などとたわけた妄想を保持し続けることは出来なくなりますし、もし自分に才能が思ったほどに埋蔵されておらず、その上努力を怠ったりしようものなら、ただの凡人以下に過ぎなくなります。思ったほどに上手くならないから諦めるのか。そうではありません。
 ダメならばそれを認め、そこから始める。ここに立ち至ると気分は楽になり、ものを見る目もいくらか平らになってくるものです。
 そして自分の技術や表現するべきテーマや内容も疑ってかかる必要があります。何をするのでも、それこそ当然の定理や公理や常識の一つ一つをも疑ってかかる必要があるでしょうし、そこにこそ工夫も生まれると思いますが、自分自身のそうした既得の技術や考えを疑い、「本当にそれでよいのか」という疑問を持ち続けることが必要ではないかと思ったのです。
 ちょっと具体的にいいますと、例えば「人が椅子に座っている」という絵を描くとしましょう。貴方がもしこの課題を与えられたらどのような絵を咄嗟に思い浮かべるでしょうか。その人物は男でしょうか女でしょうか。年寄りでしょうか子供でしょうか。どんな体格でどんな服を着ているでしょうか。楽しいのか悲しいのか疲れているのか元気がいいのか。椅子は4本足でしょうか、スツールでしょうかソファでしょうか。高さはどのくらいで大きさはどれほどでしょうか。その人は椅子に行儀良く座っているでしょうか、斜めに腰掛けているでしょうか、それとも椅子の背を前に回してまたがっているでしょうか。
 少し考えるだけでも多くのディテールなり特徴が考えられます。それを一つずつ検証して行き、自分の好みに沿ったものを選んで行けば、およそ最初に思いついたイメージとはかけ離れたものになるはずです。疑うとはそういう意味です。最初に思いついたイメージは、イメージの貧困がわずかに結んだ思い込みなわけです。語彙の少ない人が喋る言葉と同じで実につまらない。語彙もイメージも豊かな方が表現の幅もより広がりますし、またそうした表現を身に付けることで、表現しようとする対象そのものも豊かになるはずです。
 私はある時期、なるべく思い込みを捨てて、「出来るはず」を取り払い、まずは「何も出来ていない」というところから再始動してみようとしたわけですが、その効果は間違いなくありました。ただその癖が抜けないせいかいまだに揺るぎない自信の下に決断を下すことが出来ない、という話もありますが。
 思いついてことを書き散らしているのでまとまりのないことこの上ない格好になっています。話題を戻します。

 私が当時、迷わず選んだ「仕事」というのはいわゆる「食うための仕事」とは少しばかりニュアンスが違います。もちろんそれをも含みますが、一生かかってでも続けたい自分のやりたいこと、という意味でしょうか。「自分そのもの」といってもいいかもしれません。
 よく聞かれるセリフに「仕事と私とどっちが大事なの!?」というおよそ愚劣で蒙昧な決まり文句がありますが、ですから私にとってはこの質問はイコール「自分と私のどっちが大事なの!?」ということであり、当然答えは一点の曇りもなく「仕事」であり「自分」ということになります。自分を大事に出来ない人間におよそ他人を大事にすることは能わないとも考えています。
 ともかく私の場合は「仕事」を取ってしまいました。そしてこの私が選んだ仕事には「安定」の二文字は付帯しておりませんでした。出来ればそれが付帯している仕事を好きになれば良かったのでしょうが、この仕事を好きになってしまったのだから仕方のないことです。惚れちゃったら後戻りが出来ないのが人の道。
 好きなこと、という一番を取ってしまった以上他のものは一度整理してしまおうと思ったわけです。「安定」した生活を望むべくもない現実でしたし、後にそれが付いてくれば良いなぁ、という程度に考えることにしたわけです。
 とはいえ、現実の社会生活を維持して行くだけでも大変な金銭が必要です。この点において人の存在は金銭に換算されるといってもいいでしょう。非情な話ではなくごく当然のことです。人間の価値はそうした数値では計れない、というのは学生気分の戯言です。計られます。「自分は本当はやれば出来る」とか「いつかきっと眠っていた才能が……」などという稚拙な妄想は、ひもじさの前には役に立ちません。出来ることだけがすべてです。日本国民として生活させてもらう権利には当然義務も必要ですし、現実的には月々幾ばくかの金銭が必要なのは自明のことです。
 生きるためには飯が必要です。しかも人はパンのみにて生きるにあらず、酒も必要です。私は特に。それに衣類も住みかもいるし、仕事をするには道具もいるし交通費も必要になる。税金だって払います。
 「好きなことが出来れば」といっても一社会人として全うしなければならないことは山ほどあります。それは「当然出来る」という前提でものを考えていると足をすくわれることすらあるほどです。「出来て当たり前」だからといって、自分もできるとは限らないわけです。それが先程の私の思い込みでもありました。
 さてさて。それが出来なかったらどうしよう。
 それが未明の焦燥の大きな病根であったわけです。それに対して浮上してきたのが冒頭にも書いた「首括ればいいのか」という至って明解かつ鮮やかな解答だったわけです。まさに雲間から一条の光。どうしてそれに気が付かなかったのか不思議なくらいでした。
 「首を括る」
 立ち行かなくなったときは、死にゃあ良い、と。
 自分の人生くらい好きにしたって罰が当たるものではありません。自殺を礼賛するわけではありませんが、そのくらいの権利は自分にあって当然です。権利という言葉すら当たらないでしょう。そうやたらとポンポン死なれても困りますし、生んでもらったことに大きな感謝の気持ちを忘れてはなりませんが。
 「好きなこと」をやって、それで社会的に受け入れられなくて現実生活に大きな齟齬を来たし、恥をさらして生きるくらいなら死ねばよいわけです。恥をさらしてでも生きたければ生きればよい。それはその時考えよう、と。
 ともかくやるだけやって駄目なら後悔することもなかろう、という気になったわけです。それは今も変わりません。当時より、少しばかり責任を引き受けてはいますが根底としてはやはり「駄目なら首を括る」という私個人の大原則に変わりはないみたいです。もちろんそんなことを始終考えているわけではありませんし、いってみれば最後の保険みたいなものでしょうか。
 一時、世間を騒がせた「ドクターキリコ」事件で、自殺用の薬を買った方がインタビューで「それを持っていると安心して、逆に楽に生きられる」というようなことを語っていましたが、心情としては非常に理解できました。薬という具体的なものに依存するところに多少疑問は感じますが、私の「首を括ればいい」も同じようなものです。

 「自殺」だの「死」だのと、快活なこのホームページには不似合いな話題が出たついでに、もう少し考えてみます。
 「死」というのは怖いものです。
 子供の頃は「死んだらどうなるのか」「死にたくない」といったごく普通の畏れを布団の中で感じてまんじりともせず天井を見上げたものです。それが身近な死を経験したり、大病などで身近に死を考えるようになるうちに、「いつかは死ぬのだな」という諦めでもなく、そうした死に対する「受容」が理性ではなく実感として身について来るもののようです。これは決して鈍化させてはいけないものでしょう。
 特定の宗教に帰依していようが無宗教であろうが、年を経るに従って自分の中に宗教観を育ててくると思いますが、死に対しても自分なりの態度が形成されてきます。
 私の場合、「いつ死んでもいい」とはとても思えませんが、「いつ死んでも仕方がない」という気持ちが常にあります。それがいいことなのか悪いことなのかはよく分かりませんが、そのある種の諦念と開き直りがないまぜになった実感の上に日常があるお陰で、毎日を少しでも意味あるものにしようという気になれるようです。
 「いつ死んでも仕方ない」当たり前のことです。
 ただそれを当たり前のこととする理性や知識と、実感として受容することには少しばかり距離があるようです。
 日々流されるニュースには災害、戦争、事件、事故、病気、そうした災いによって多くの人間の死が伝えられます。近頃では白昼堂々と通り魔が人を殺しますし、愚劣きわまりない若者がオヤジ狩りと称しては無関係の人間を死に至らしめたりもするわけです。そんなニュースをみて「またか」と精神の鈍化を感じる感想を持ったりもしてしまいますが、しかしそのニュースと自分の間には無関係が横たわっているわけではなく、いつ自分の名前が被害者としてニュースに流れることになるか分からない。その時自分はそのニュースを見ることもないのです。
 家を出た途端に車にひかれるかも分かりませんし、寝ているときに飛行機が落ちてくるかもしれない。そうした不慮の事故もあれば、酒の飲み過ぎで劇症肝炎を引き起こしたり、タバコの吸い過ぎで腹だけでなく肺も真っ黒になって肺ガンになるといった自分が原因の死もすぐ隣にあるわけです。意識するなという方が無理です。
 だからこそ、それをしっかりと意識して日々過ごした方が毎日が有意義になるような気がしてます。
 ここまでお付き合いしてくれている奇特な貴方はどう思われます?

 さて、ずいぶんと話題が彼岸の方まで流されてきましたが、十年前の未明に覚えた焦燥とそれに対して「首を括る」という最後の保険に考えが至って以降のことです。
 そんな一条の光を得たからといって、劇的に生活が変わるわけもありません。人生はドラマだともいいますが、そうそう人間が都合よく変われるわけもなく、か細い神経が薄い膜でわずかに覆われたに過ぎません。それでもほんの少し楽に生きられるようになったでしょうか。楽をして生きたいとは思いませんが、楽に生きたいとは思います。
 劇的な変化はなかったにせよ、好きな仕事に対してわずかながらも粘りが生まれたようで、以後だらだらと仕事を続けております。それもやはり多くの幸せの形とやらを捨ててかかった以上、仕事を全うできなければ元が取れないではないか、というあさましい根性なのかもしれません。ウソです。
 ともかく心の余計な負担を減らして、仕事に対する気持ちの割り当てをそれまで以上に増やせたお陰か、仕事そのものをより楽しみ、その時間を何よりの喜びとしたのは間違いありません。
 仕事が楽しい、そう思い続けることが出来、しかも首を括ろうと微かにも思わずに済んだ、とりあえずこの十年をありがたいものだと思いますし、願わくばこれからもそうでありたいものです。
 思えばあの焦燥の未明以来、仕事における微かな結実を手に入れたり、それ以前にこんな浮き世離れした仕事を続けていられること自体が夢のようでもあります。考えようによっては私が参加することが叶わなかったバブルが、実はこうして薄い膜になって自分を覆っているのかもしれない、などとも思えてきます。私のバブルはいまだに進行中なのかもしれません。この風船が弾けないためには、遅まきながら中身を詰めて行かねばならないな、などと柄になもなくしおらしいことも考えてみたりしています。
 それでも弾けてどうにもならなくなったら、括ればいいんですからね。

 ご静聴ありがとうございました。以上、青年の主張でした。

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