2009年1月8日(木曜日)

年賀状越年・その1



武蔵野美大・映像学科のゼミは最終日が12月の26日。
本来後期の講義期間は終わっているが、北欧出張の際一度休講にしているし、卒業制作の提出時期も迫っているので、臨時のゼミである。
ゼミ終了後は学生たちと打ち上げ。場所は定番の鷹の台「風神亭」。皆さん、お疲れさまでした。
私も疲れていたのか、帰りの中央線を二駅ほど寝過してしまった。
ああ、びっくりした。

翌27日はマッドハウスの仕事納め。
この日、恒例となりつつある中野サンプラザでの大忘年会も行われた。
案の定、私はビンゴに無縁である。
まぁ、そんなところで運を使ってしまわなかったので安心したのだが。
どうも、近頃は特にやかましい場所が苦手になっている。
忘年会もその二次会なども嫌いではないのだが、やかましい場所にいると勢いよく不快度が増してくる。
適当なところで二次会から引き揚げ、吉祥寺で飲み直す。
どうもどうも、お疲れさまでした。

とりあえず27日に去年の仕事は納めたことにしたものの、納まりきらなかった仕事場の掃除と用事もあったので、29日も少しだけ出社。
用事のついでに某スタッフの年賀状のためにスキャンしてプリントアウトまで手伝うのだから、なかなか便利な監督である。
自分の年賀状も用意してないというのに。

大晦日になってようやく年賀状に着手した。泥縄も甚だしい。
画題はぼんやりとだが決まっていた。
何しろ09年は新作に専念するのだし(講師の仕事は続けるが)、その宣伝を兼ねて『夢みる機械』からイメージでなければなるまい。後は干支である牛だ。
それらをどう組み合わせるのかということになるが、牛と人(ロボットだけど)というとすぐに思い浮かぶのは「十牛図」である。
「十牛図」とは、Wikipediaから引用しておくと、「禅の悟りにいたる道筋を牛を主題とした十枚の絵で表したもの」である。
十枚の絵にはそれぞれ題が付されており、第一から第十までそれぞれ「尋牛」「見跡」「見牛」「得牛」「牧牛」「騎牛帰家」「忘牛存人」「人牛倶忘」「返本還源」そして「入廛垂手」となっている。
どういう意味なのか、知らない人は自分で調べてください。
もっとも、「十牛図」は話題になることも多いのでご存知の方もさぞや多かろう。
私が初めて知ったのは十年ほど前だろうか。河合隼雄先生の著書においてだが、去年読んだ『ユング心理学と仏教』(河合隼雄・岩波書店)でも詳述されており、他にもタイトルに惹かれて『十牛図入門』(横山紘一・幻冬舎新書)という本も読んでみた。
そんな背景から「十牛図」は私の脳の比較的目に付きやすい場所に位置していたので、年賀画像をどういう絵にするかは簡単に決まった。

次は「十牛図」のどの絵を拝借するかである。
いきなり「返本還源」でな何のことだかさっぱり分からないし(第八図「人牛倶忘」と第九図「返本還源」には人も牛も描かれていない)、『夢みる機械』の出番がないではないか。
使えそうなイメージは第四、五、六あたりである。
「得牛」「牧牛」なども悪くないが、『夢みる機械』のリアルな制作状況を素直に反映してしまい、新年早々抑圧された気分になりそうなので、監督の夢見る理想的な状況を選ぶことにした。
というわけで、第六図「騎牛帰家(きぎゅうきけ)」である。
さて、下描きである。
自宅で絵を描くなんて、いつ以来であろうか。何年ぶりかである。
「ええと……紙はどこだっけ……紙、紙……と。シャーペンは……何だよこの芯、えらく固いのが入ってるね、また……。あ、トレス台はどこだったっけな。その前に、ライトがないよライトがさ……しょうがねぇなぁ、もう。こっちのライトを移動して……」
間に合わせで絵を描く準備をでっち上げ、「さあ描くぞ」と思ったまでは良かったのだが、これが、全然描けない。
おそらく自室から絵を描くための「空気」が失われてしまっているせいであろう。仕事場で線画くらい描いておけばよかったと思うが、後悔先に立たず。

絵を描くにしても文章を書くにしても、仕事となると「仕事をする場所」としての空気がなくてはどうも調子が出ない。その場所でしばらく仕事を続けていれば、そこに仕事の空気みたいなものが充満してくるのだが、いくら狭い自室の六畳間とはいえ、年賀状のための画像くらいでは空気が満ちる前に終わってしまうというもの。
取りかかってふと気がつくと、牛の全体像なんて描いた記憶がない。
「どうやって描くんだ?牛」
ウェブで参考用に画像を集めてポーズと構図を考える。複数の画像を参考に、適当に牛をでっち上げる。キャラクターなんぞは別にどうということもない。コンテで随分描き慣れてきている。
「……これじゃ寂しいな」
牛の背にただキャラクターを乗せただけでは少々寂しい。参考にした第六図では牧人は暢気に横笛を吹いているので、それに従いキャラクターに笛を持たせることにした……までは良かったものの。
「……持てないよ、横笛」
何しろ、ロボットの手が「V」である。横笛なんて微妙なものを持つのは難儀な形状だ。
「ラッパにしちゃおう」
いい加減である。
ラッパで画像検索をかけて参考画像をすぐに手に入れる。さすが呼べば応えるインターネット。

素材が揃って構図は決まるが、生身の牛をロボットに変換しなくてはならない。
何せ『夢みる機械』には人間も動物も出てこない。たかが年賀画像とはいえ、その世界観に従うのが筋というもの。
仕事の空気はないし、不慣れな環境で描いているせいか、下描きが一枚で足りずもう一枚余分に描く破目になる。やれやれ。
清書はなおのこと厄介だ。いつも使っている筆記具もなければ慣れない紙である。弘法筆を選ばずというが、私は選びたいよ。
おまけに肝心の仕事用の眼鏡は仕事場に置いたままである。
普段かけている遠近両用レンズではどうもシャーペンの先がよく見えない。
眼鏡をはずした方がまだましだ。しかしそれでも、自室は絵を描く設定ではないために暗いのである。暗いとホントによく見えない。
困ったものであるが、加齢による機能低下は致し方のないこと。
こうした機能低下を嘆いたり無理に補ったりするよりは上手く共存することを考える方が建設的である。
よく見えないところは勘で線を引くことにする(笑)
イライラしそうな状況だが、何せウィスキーを飲みつつ志ん生を聞きながら作業である。大晦日らしいじゃないか。
とりあえず実線部分は清書終了。
こんなもんである。

process01.jpg

実線の後は、別紙に影とハイライトを描いて清書は終了、スキャンまでして簡単に合成してみる。

process02.jpg

気がつけば晩御飯の時間である。この日の作業はここで打ち止め。
着色作業は元旦に持ち越しである。

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