2009年1月26日(月曜日)

千代子讃江・その2



舞台版『千年女優』がいかに素敵なのかを書き出すときりがないし、原作者があまりに褒めすぎると、原作版の「営業目的」とも思われかねないので(思われてもいいんだけど)、単純に今 敏の感激の観劇体験を記してみたい。日々記している日誌は年を追うごとに昂進する物忘れを補ってくれるであろう。
2009年1月16日〜18日までの三日間は自然と分量が大きくなっており、舞台版を見た感動の大きさを素直に表している。
私は計3回、舞台版『千年女優』を拝見……というより体験させてもらった。初日、二日三日目は遅い方の回である。
各上演後のトークショウはすべて参加させてもらった。客席で見ていない回も、トークショウの出番を待つ間、控え室のモニターで後半30分くらいは見ていた。
どうせなら全部の回を見れば良かった、と後になって思ったが、回を追うごとに観客数が多くなり席が足りないという、嬉しい事態になっていたようだ。3回の観劇でも贅沢であった。
控え室のモニターで見る舞台もたいへん美しい一幅の絵になっており、これは客席からは味わえない貴重な映像的記憶となって脳裏に刻まれている。
おそらく、舞台版がDVD化されるときに味わえるはずだ!……と思っていたら、撮影が入った土曜日夜の公演では、何と控え室のモニターで見たカメラポジションは撮影されていなかったという話を聞いた。
「……え?」
少しばかりガッカリしたが、トークショウでモニター越しの舞台版がいかに美しいかをお話ししたせいか、後の上演でそのポジションはフォローされたとか。
ああ、良かった。編集時にあのポジションも使用されることを期待しよう。

今回、大阪公演に合わせて関西に出張するだけでは勿体ないということで、前日にアートカレッジ神戸出前講義を抱き合わせにしていただいた。だから前日、15日からの出張である。
吉祥寺ユザワヤ地下にある書店で、新幹線やホテルで読むための本を物色する。近頃は何しろ「志ん生師匠」にどっぷりと浸っている。
一旦何かにはまるとどんどんどんどん、どんどんどんどん一日中はまりたくなるもので、自然と読む本も志ん生関係が多くなる。この度も志ん生関係の本『背中の志ん生』『ヨイショ志ん駒一代』『志ん生の忘れもの』『志ん生全席落語事典』の4冊を購入する。
出社しても仕事はろくに手につかない。
まぁ、「孫」が翌日生まれるようなものと思えば、ソワソワと落ち着かないのも無理はなかろう……ってこっちが次に生み出さねばならない「息子」のことをもっと考えろ。
はい。
「孫」のために出来ることも特にないので、せめてその誕生をお祝いする記念品でも用意する。

舞台に関して、私は原作を提供すること以外なにもしていないし出来ないが(されても迷惑だろうし)、わずかばかりの宣伝協力としてトークショウ「マグロもびっくり!『千年女優』徹底解体!」への出演と、そこでのプレゼントの品を提供することになっていた。制作現場の不要品を押しつけようというわけではない、決して。
来場されたお客さんの中から抽選で各回1名様(初回のみ勝手に2名にさせてもらった)にお渡しするセルを選別する。原作の『千年女優』で実際に使用されたセルである。撮影がデジタル化された現在では、お目にかかれない代物だから、多少は価値もあろう。私が監督したアニメーションとしては、『千年女優』が最後のアナログ撮影である(本当はオンエアされなかった某CMが最後だが)。
『千年女優』のセルは昨年開催した展覧会「十年の土産」前後に仕事場から発掘された。映画の完成が2001年の初頭で、すでに8年が経過している。
カット袋に入ったまま、さして整理もされず、スタジオの片隅に邪魔者として保管されていたにもかかわらず、『千年女優』のセルは比較的良好な状態で保存されていた。状態が悪ければセルなんて時の移ろいと共に死んで行く。儚いものである。
セルに描かれた千代子たちは、幸運なことにいまだその輝きを失っていない。
「さぁ、お前たちもどなたかお客さんの元へ嫁に行け」
6枚のセルを選ぶ。セルは動画と重なって組になっているので、動画の方に原作者のサインを入れておく。これならヤフオクに出されても少しは価値が上がるであろう。

セルだけではなんだか「孫」の「誕生祝い」として物足りない気がしてきたので、『千年女優』のイラストを2枚ほどプリントアウトしておく。
DVDボックスジャケットとサントラCDジャケット用のイラスト。いずれもこれまで描いた版権イラストの中では割と気に入っている。特に後者は特別な思い入れがある。
『千年女優』宣伝の際には、随分と頑張って版権イラストを描いていた。後にも先にも、あれ以上1タイトルについてイラストを描くことはないであろう。
何せ当時は「娘」の千代子に「晴れ着」を着せてやりたかったのだ。
その「親千代子」からのお下がりで申し訳ないが、ささやかな贈り物のつもりだ。「孫」にも衣装というではないか……って、字が違うよ、字が。
これら2枚の晴れ着は使い道が決まっていないものなので、TAKE IT EASY!さんにお渡しして、先方のお好きなようにしてもらおうと思っていた。
最終的に、これらは最終日の打ち上げにおいて、勝ち抜きジャンケンによってスタッフの方の手元に渡ることになった。

弁当とアルコールを片手に19時50分の「のぞみ」で新神戸へ向かう。
車中、読みかけの『志ん生讃江』(矢野誠一・編/河出書房新社)を読了。
この本は、色々な方の志ん生への賛辞を集めた内容で、特に印象的だったのはお弟子さんによる鼎談で、中でも次の言葉に大きく頷いた。
「師匠の話は映画でいうカット割りになっている」
そうそうそうそう。そう思っていたのだ、私も。
志ん生の落語は、以前NHK教育でオンエアした「風呂敷」の映像しか見たことがなく(当時ベータで録画した)、音声で楽しむしかないのだが、それでも間と呼吸で「カット変わり」が目に見えるようなのだ。
そのテンポが実に心地よい。つまり、編集が巧みである。
台詞の後の間、カットが変わってそれを受ける台詞までの間が絶妙だ。
だから、同じ音源を何度聞いても心地よく楽しめるのであろう。
志ん生を聞きながらウトウトする。

……は。
気がつくと新大阪だった。危ねぇ、寝過ごすところだった。
新神戸で降りて、途中のコンビニで酒とつまみ、入浴剤やらなどを仕入れて、いつものホテルにチェックイン。
ウィスキーのロックを飲みつつ、手慰みにブログを更新し(「いよいよ初日、舞台版『千年女優』!」)、「孫」のための名曲「数え歌 無限千年回廊」と「娘」のための名曲「ロタティオン」を交互に繰り返して、明日への気分を盛り上げる。
この2曲を聞き比べていて、思った。
「あ。末満さんが「千代子主観で演出するつもり」と言っていた通り、多分舞台版は女性の物語なんだろうな。やっぱり映画版って、男っぽいや」
曲だけで印象を決めるのはどうか、という向きもあるかもしれないが、音楽は内容を顕著に象徴するものであろう。
この印象は、きっと間違ってないだろうと、酔っぱらった頭で勝手に確信した。
「酒ぇ、輪廻のおおおぉお……と来たもんだ、な?おう」
ホテルの部屋で、一人で飲んで何言ってんだかねぇ、まったく。
輪廻どころかこっちの頭がいい具合に廻ってきたので、寝床に潜り込む。

さあ、明日はいよいよ「千代子たち」に会える。

と、千代子たちに期待に胸を膨らませながらもイヤフォンから聞こえてくるのは、近頃毎夜お馴染みの声なのであった。
「えー……おなじみさんばかりでございましてな……」

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