1999年9月8日(水曜日)

肩書き



「肩書き」とやらで困ることが多い。

 遙かな昔、漫画を描いて口を糊していた頃は、職業を尋ねられた場合「売れない漫画家」などと自嘲気味に伝えるだけですんでいたのだが、かれこれもう10年、アニメーションにかかわるようになってからこの質問に対し、明確に答えることが出来なくなった。
 「えぇ……漫画とかアニメとか……イラストなんかも少し……はい」
 胡散臭いことこの上ない。
 どうにも正直なのである。笑うなよ。私は実はかなりの正直者ゆえ、質問に対して正確に答えようとするあまり、上記のような曖昧なことになるのだ。相手がどれほどまで詳しく知りたいと思っているかどうかはともかく、自分にウソをつくような気がしてあれこれと思い悩むということらしい。天秤座の星の下に生まれた面目躍如である。

 大体仕事の比重がはっきりしない。
 漫画は元来の職業であるゆえこれを外すことにはいささかの抵抗があるのだが、だからといって常に連載を抱えているわけでもなく、書店に単行本がたくさん並んでいるというわけでもない。アニメーションも今でこそ「監督」などと分かりやすげなポジションに就くこともあるが、数年前までは「設定とかレイアウトとか……」と、またもや少なからず補足が必要な発言にいたる有様であったし、イラストもあくまで余技とはいえ、ある時期は主な収入がイラストによるものであったため、これを外すのも大きなウソがあるように思えた。
 「絵描き」とまとめてしまうと大変便利なのだが、一般の人間に対して「絵描き」というと「ベレー帽にスモックを着てパイプをくわえてキャンバスに向かう之図」が想起される気がして困る。イメージが古い?そんな突っ込みをする貴方は広辞苑をひもときなさい。そこにはしっかりと記載されているはずだ。
 【スモック:ゆったりした上っ張り。仕事着。婦人・子供・画家などが用いる】
 「婦人・子供・画家」という一くくりにもいささか問題が感じられるがここでは考えまい。ちなみに私の広辞苑は「第三版」でちょっと古いので、新しい版になって削除されていないか心配である。
 ともかく「絵描き」は少々まずかろう。
 「ご職業は?」
 「はい、絵描きです」
 「そぉおですかぁ、芸術家さん」
 違ぁう!
 困るのである。「絵描き」という言葉のニュアンスがまずいのかと思って、一時期は「絵とか描いたりして……」などと非常に曖昧な、やはりこれまた胡散臭い答えをしたりしていた。
 「どんなものを描いていらっしゃるんですか?」
 「ええ……まぁ、恥とかかいてます」
 オヤジである。

 いまだに困っている。
 ありがたくも私なんぞを紹介してくれる雑誌記事などでは「アニメ監督」の称号をいただいているが、自称するにはやや恥ずかしい響きがあるし、そう言い切るには影の薄くなった私の中の漫画家もすこし可哀想である。
 同じ業界近辺の方や年若い方に対しては「アニメーションとか漫画の仕事をしております」と答えて何ら不都合はないのだが、これがごくごく一般人が相手となると、その答えに対して必ず先の質問が返ってくることが明白なので困るのである。
 「どんな?」
 窮するのである。
 「ドラエモンとか、そういうやつですか」
 違ぁう!
 しかしそこで迂闊に言葉を重ねようものなら容易に自分の首を絞めかねないし、ドラエモンと私の仕事の違いをことさらに主張するのも甚だ大人げに欠ける気もする。
 結果、
 「ええ……まぁ、似たようなもんです」
 などと自嘲的な軽い笑いを浮かべ、行き場のないもどかしさを呑み込むことになる。しかし、ふと自分の監督作品に刻印された「15R」の真っ赤な文字が脳裏をよぎり、
 「……子供は見られなかったりするんですけどね」
 などとさらに自嘲的な言葉を付け加えたりしてしまうのである。相手は謎に思うこと間違いない。
 「ドラエモンに似ていて子供が見られないマンガ……って」
 申し訳ない。
 私が一言余計なことを言ったばかりに、もしかしたら相手の脳裏には「凄惨な全裸殺人現場に立ちつくす血まみれのドラエモン」の姿が浮かんでいるかもしれないし、「巨乳に顔を埋めるアンパンマン」がその絶倫ぶりを誇る姿が浮かんでいるかもしれない。はたまた「子供を失神させるピカチュウ」を想像しているかもしれないではないか。それは正しいのか。
 もっとも、そんな想像力を備えた相手なら、私ももう少し説明のしようもあるのだが。
 「アニメを作っています」
 どうにも言い切ることが出来ない。
 「アニメとか作っています」になってしまうのである。どうせ相手は詳しく知りたいわけでもないのだろうから、そんなに気を使う必要はないはずなのだがどうにもいけない。

 「肩書き」というのはご承知の通り、「社会的な地位、身分、称号」である。よく言われることだが、特に日本においては本人そのものの中身より肩書きの方が大きくものを言うようで、これは江戸期300年の揺るぎない封建制の強い残り香であるかもしれない、などと勝手に思ったりもする。
 普通の社会人はその所属を明確にする「名刺」を持っているものだし、それによってその人間の信用度なり存在価値が計られる。最近では名刺の額面を鵜呑みにするバカな傾向も少なくなってきたであろうが、それでも簡単に詐欺に引っかかる事件が後を絶たない影には、名刺のもたらす肩書きが大きくものを言っているのかもしれない。騙される方の脳天気さの方が甚だ問題ではあろうが。
 私はいまだに名刺の一枚も持っていない。これが先に記した、返答に窮する原因にもなっているのだろう。とはいえ名刺を作ろうにも肩書きが「漫画・アニメ・イラスト・他」などと、安い言葉を並べるのも恥ずかしいし、「コミック・アニメーション・イラストレーション・ETC」などとこれまた恥ずかしくなった横文字を並べるのも気が進まない。かと言ってなんの肩書きもなくただ「今 敏」では名刺の役にも立たなかろう。
 一体私は名刺に何と肩書きを付ければ良いのだ?

 私は学生の頃から確定申告なるものをしている。
 当初は無論「学生」で済んでいたのだが、卒業してからは「お役所的」には何と記入するのがそれらしいものやら税務署員に質問したところ、
 「漫画書いてるの?……まんが家、と」
 と、少々訛りの残った独り言を呟きながら、仁丹臭い税務署員のオッサンは職業欄をあっさり埋めやがった。東村山税務署である。
 以後私はそれに倣い、納税の職業欄には「漫画家」と漢字で書くようにしていた。さすがにひらがなは自分がすこし可哀想な気がした。
 アニメーションの仕事をしようが、漫画による収入がほとんどない時期であろうが、ずっと職業欄は「漫画家」としていたのだが、武蔵野市に移ってから私の元に届けられる「確定申告書類」の職業、というか区別には、あらかじめ「ビジュツカ」と印字されてくるようになった。
 ビジュツカ……「美術家」である。ニューアイテムゲット。
 何やら気恥ずかしくもちょっと偉くなったような、そんな気にすらさせてくれる格調高い言葉。美術家、美術家、大家の風格、それは美術家。しかし美術家……美術家…………美術か?私の仕事。
 確かに私は「美術大学」なるものを卒業しているし、大きくいえば美術に属する類の仕事をしているのかもしれないが、しかしおよそ自分の仕事が美術や芸術の範疇にあるとは思えない。それは他人が勝手に決めればよいことである。
 「美術家」。どうにもしっくりこないが、お役所がそう区別してきたのだから、とりあえずキープしておくに値しようか。もっとも、私の場合は「チンピラ美術家」が関の山である。
 しかし「美術家」など、これまで他にあまり聞いたことがない。私の辞書ソフト「岩波国語辞典」にも記載はないし、重たい「広辞苑」をひもといても、そこに「美術家」の文字はない。確認したところ「芸術家」「音楽家」はその記載があるというのに。

 漢字表記は重々しくてよいが、日本の世の中では神代のバブルの昔から横文字が尊ばれる。和語や漢語は蹂躙されていくのだ。
 やはりカタカナ表記が颯爽としているであろうか。
 「アーティスト」はどうだ。いや、その自称は失笑の対象かもしれない。
 「アーティスト(笑)」そんな名刺も、ちょっとなぁ。
 「マンガアーティスト」……「(笑)」どころか「(爆)」、いや「(泣)」である。以前「マンガアーティストホームページ」なる本に当HPが紹介されたが、だからといって私がマンガアーティストの仲間だと思われては困るぞ。
 「コミックアーティスト」というのもあるな。英語にすればよいというものではないが、しかしこの言葉、漫画家をカッコよく表現したつもりの言葉かもしれないが、よく考えると「コミックバンド」などといった場合、「お笑い」「おふざけ」のことではないか。コミックアーティストって、それじゃ「お笑い漫画道場」ではないのか。
 車だん吉の話はともかく、私の肩書きである。
 「コミッカー」そんな雑誌があったが、これは造語であろうか。お腹が空いたら食べるのだ。それは「スニッカー……おい。
 「アルティザン」というとそれはそれで気取りが感じられるような気もするし、最近ではあまり使われない言葉であろうか。それにチーズ職人とかに…それはパルメザン。ゲリラに…それはパルチザン。もういい。

 ではちょっと視点を変えて「クリエイター」というのはどうだろう。どこの視点が違うのだか分からない上に、胡散臭さも倍増だな。
 「ご職業は?」
 「クリエイターです」
 バカだと告白しているようなものだな。

 さて今度こそ視点を変えて考えるのだが、今の世の中は「言ったもん勝ち」とよく言われる。何に対して勝ちなのかさっぱり分からないが、あえてそれに倣うのも悪くない。郷に長く棲んでいるのだから素直に従うのも処世の術だ。主張すればどんな肩書きでも罷り通るのは多くのメディアで証明済みだし、ここは一つ恥も外聞もかなぐり捨てて景気よく行ってみよう。
 まずはベースとなる言葉は、やはり人気職業ナンバー1、うちの娘の婿にしたい職業ベスト10には絶対入らないといわれる「クリエイター」に決まりだ!
 しかしこれだけではいかんせん印象が弱い。何か修飾する言葉が必要である。
 「機動戦士クリエイター」
 違うなぁ。
 「超電磁クリエイター」電磁はないだろ電磁は。
 「新造人間クリエイター」何かクローン人間を研究してる科学者みたいだな。
 「銀河鉄道クリエイター」……スペースツルハシとか持ってそうだもんな。
 「風の谷のクリエイター」ただの田舎ものだな、それじゃ。
 「マシン合体クリエイター」何が合体するんだか……しかし合体という概念は悪くないな。
 「新世紀クリエイター」……おや…………そうだ!
 「新世代クリエイター」!!
 さらには合体技を取り入れて「新世代デジタルクリエイター」……デジタルでばかりクリエイトする仕事じゃないからなぁ……そうか。
 「デジタル新世代クリエイター」
 これなら良いのか!
 デジタルという言葉は「新世代」にかかるわけだから問題あるまい。しかしこのままでは頭の悪い雑誌の紹介記事そのものだな。どうせならもっと景気良くしてみよう。
 「デジタル新世代ハイパーメディアクリエイター」
 親が泣くよ……いやいや、我に返ってはいけない。ここまで来ればさすがに他の追随を許すまいが、念には念が必要だ。
 「続・デジタル新世代ハイパーメディアクリエイター」
 「続」はないか。何の続きかさっぱり分からないからな。
 「デジタル新世代ハイパーメディアクリエイターZ」
 狙い過ぎか、「Z」は。
 「世紀末デジタル新世代ハイパーメディアクリエイター」
 ウソではないからな、「世紀末」は。2001年から使えなくなるがまぁいいや。
 しかしどうにも座りが宜しくない。「〜クリエイター」の最後の「ー」の部分から勢いというか「力」が逃げて行ってるのかもしれない。やはりここは原点に立ち返って、
 「世紀末デジタル新世代ハイパーメディア美術家」
 合わないなぁ……。
 「世紀末デジタル新世代ハイパーメディアクリエイションアーティスト」
 かなりいいじゃん。かなり、来てる!
 ここでもう一押し、所属も決めておいた方がいいかもしれない。素人には一見何やら分からない団体に所属しているように見せかけた方が、信用度もいやが上にも鰻登りだ。
 「デジタル新地平開拓団・主査」
 「主査」、何を調べるんだか一体。ついでに「アナログアニメーション保全委員会会長代行」も兼務しておいた方が、温故知新の態度も決して忘れないその人柄も偲ばれるというものか。よし、まとまった。


 デジタル新地平開拓団・主査
 アナログアニメーション保全委員・会会長代行

世紀末デジタル新世代ハイパーメディアクリエイションアーティスト

今 敏(フリー)


誰だよ、一体。

トラックバック・ピンバックはありません

ご自分のサイトからトラックバックを送ることができます。

現在コメントは受け付けていません。