2001年1月28日(日曜日)

出張 その1“んまい”



 神戸、といえばこの歌である。
 「こぉーべぇぇぇぇ、泣いてどうなるのかぁぁぁ」
 分からない? 君は内山田洋とクールファイブを知らないのか。
 前川清の低音が聞こえて来るだろう。
 「捨てられた我が身がぁぁ惨めになるだけぇ」
 私には聞こえる。どんどん聞こえてくる。「パパヤパヤパヤパパァパァ」というコーラスまで聞こえてきた。
 こういう歌詞の引用はいけないのであったか。固いこというなよ、このくらい。

 私は神戸に行こうとしている。
 何故神戸かと言えば牛だ。神戸牛を食べに行くに他ならない。半分ウソだ。本当の理由は後々触れるとする。
 現在、これは新幹線の中で書いている。おお久々のモバイル!
 スタジオの机の上でSCSIやethernetのコードの煉獄に繋がれていた私のパワーブック2400/240は、快晴に恵まれた今日の良き日にこうして時速300キロで西へと向かっている。
 何と気持ちの良い天気であろう。パワーブックのモニターが見づらいほどだ。窓の日除けをちょっと下ろすことにする。それに何か暑いな。上着を脱ごう。ズボンも脱いじゃおう。股引も脱いで、と。腹巻きも取っちゃおうかな。ラクダのシャツはちょっと暑かったかな。ついでにビールも開けちゃえ。
 グビグビ。ックゥ〜ッ。んまい。
「美味い」じゃなくて、「んまい」。

 天気と同様私の気持ちも快晴である。
 何とならそれは「千年女優」が終わったからに他ならない。
 終わった……真っ白に燃え尽きたぜ。リングならぬ東京現像所の試写室で私は真っ白に燃え尽きたのだ。まだ死なないけど。
 2年以上の長きに渡って制作に取り組んできた「千年女優」は昨日1月の23日にめでたくも初号を迎えたのである。
 おめでとう、俺。本当にお疲れさまと言って……あ!あ!ちょうど今富士山が見えた、富士山!
 雪をかぶった富士山が雲一つない快晴の冬空に晴れていることだよ。
 おお美しい、これぞ日本人の心……と思ってる間にトンネルで隠れちまった。なんだよ、速すぎるよ、新幹線。
 ちなみに私が乗っているのは700系のぞみ。車両の先がドナルドダックの嘴みたいな奴。10時52分発の「のぞみ」博多行きである。新大阪着は13時26分の予定だ。速いぞ新幹線。

 何の話だっけ。昨日餃子を食べた話だっけ。違うな。そうそう、初号のこと……あ!あ!あ!また富士山、富士山!ねぇほら見て見て!……もうそれはいいって。
 「千年女優」は昨日完成を見て、そして私を言祝ぐように天は太陽の恵みを与えてくれている。
 ああ、なんと「千年」は恵まれた作品であろう。
 この恵みをささえてくれているのは一体何なのだろう?
 「千年女優」監督の私が持っている幸運か?いやいやそんなことはあるまい。
 「千年女優」という作品そのものが持つ巡り合わせか?
 あるいはマッドハウスの何千万という赤字かな…………急に現実が甦ってきた。いかん。ビールを……あ、もう無い。
 誰が飲みやがった!?……って俺か。
 私は独りで神戸に向かっているのだ。隣には誰も座っていない。
 一人旅の曰くありげな美しい女性と隣り合うことなど、三流サスペンス小説かドラマの中だけのことである。
 車内はややくたびれたサラリーマンでいっぱいである。喫煙席なのでまるでガス室のようなことになっている。四角い窓に切り取られた青い空を背景にうっすらとたなびくようなタバコの煙。ああ、何と日本的な情緒だろう。体に悪いことだよ。
 車内には私のような、何を職業にしているのか分からないような胡散臭い人物は見あたらない。前方の座席の背もたれの上からは、山の端からちょうど顔を出したお月様のように乗客の頭が三分の一ほど出ている。
 並んだ並んだサラリーマンのちょい禿げ頭。
 他人のことを言えるか。いや言えない。
 しかし車内で黙々とこうしてテキストを打っているその内容がこんなバカげた内容だとは誰も気づくまい。

 あ、車内販売が来た。ちょうど良かった。ビールビール。ワゴンを押してきたのは結構可愛いお嬢さんだ。「山口」さんと名札に書いてある。
 「山口さぁん!ビールちょうだい」
 ウソだぞ。いくら私だってそんな注文の仕方はしないぞ。「一番絞り」260円也。あ、くそ、あんまり冷えてない。ちなみに一缶目は「モルツ」だ。スーパードライ全盛の世の傾向に少しでも抵抗するのだ。
 しかし、何で車内販売のワゴンを押してくる女性の声はどれも同じなのだろう。
 「おべぇんとうに、じゅうす、こぉひぃなど……」
 全部鼻にかかった声を出しやがる。
 さて二缶目に取りかかるとしよう。
 ぷしゅっ。
 心なしかプルタブを開ける音まで鼻にかかっている気がする。

 このままでは初号の話がどこかに行ってしまいそうだ。何か関連したことを書かねばなるまい。
 「こぉーべぇぇぇぇ、泣いてどうなるのかぁぁぁ」
 また前川清の低音が耳の中にこだまする。
 そう、初号は終わったのだから「千年」において納得のいかなかったことだの怒りが収まらないことだのを今さらあげつらっても仕方がない。終わったのだ。
 いや、何も泣きたくなることばかりが残ったわけではない。「千年」は泣きたいことと胸を張ることでは後者の方が多いくらいだ。泣くとしたらうれし涙である。感涙。泣かないけどさ。
 昨日「千年女優」を見ていて改めて思った。やはり大変良い顔のフィルムになっている。表情が非常に明るい。最大の美点である。
 これはキャラクターデザインを初めとして、芝居に元気と活力を与えてくれたアニメーターや声優さん、その他関わってくれた皆様のおかげである。
 感謝の意味を込めて改めて乾杯。グビ〜ッ。

 んまい。

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