2009年1月4日(日曜日)

おせちはいいからカレーをね



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明けましておめでとうございます。
昨年お世話になった方には今年もよろしくお願いしますと心底から思い、お世話だけをした人には今年くらいよろしくしたらどうなんだと言いたい。冗談だよ。
もう45歳にもなったのだ。誰にでも笑顔で言うべきだ。
「本年もよろしくお願いします(笑)」
なぜそうやって余計なものを付けるのだ。
よろしくお願いしますね、本当に。

年々、「正月らしさ」というものが世間から剥離している。
大型店舗は元旦から営業しており「もっと買えどんどん買え」と目に耳にやかましく、フロアにはお客が溢れている。巷間言われるほどに不景気にも思えないが、職を失い住む場所も確保できない人たちはそもそもスーパーマーケットには来られないのかもしれない。
相変わらずなのはテレビ番組くらいのようで、普段から見るものがないのに正月特番が番組欄を埋め尽くしており、なおのこと見るような番組はない。時折チラと目に入るバラエティ番組などはキチガイみたいな画面だし、時代劇などを見かけることどれもこんな風に見えてくる。
「新春隠し芸大会だろうか、これは」
うちの茶の間でテレビが映し出す番組はせいぜい「TBSニュースバード」や「アニマル・プラネット」くらいだ。いつもと何も変わらない。
テレビ番組は見ないがDVDは見る。
たとえば『人志松本のすべらない話』とか……って、それテレビ番組じゃないかという突っ込みは正月に免じて無しにしておいてもらいたい。

年末年始はなぜかヒッチコックの映画ばかり見ている。「何で今頃ヒッチコック?」と言われても困るが、見返し始めたら面白くなってきたのである。
見返すきっかけとなったのは『裏窓』。以後、『北北西に進路を取れ』『ハリーの災難』『見知らぬ乗客』『ロープ』『間違えられた男』と続けて見た。
見返すに当たって『裏窓』や『北北西に〜』といったいわば代表作はともかく、その後のラインアップが少々妙なのは、単に近所の店にそれしか置いてなかっただけの話である。『ロープ』などは初見だったが、全編1カット(実際にはロールチェンジのつなぎ目があるが)として撮られた実験的意欲作ということは知っていたので、見ておきたいとは思っていた。「1カット」という制限ゆえに生まれたのであろう演出やカメラワークが興味深かった。
いずれのDVDにも近年作られたメイキングが付属しており、良心的な作りがたいへん好ましい。
見返すきっかけとなったのは『裏窓』。四半世紀ぶりくらいに再見したのだが、こんなに底意地の悪い映画だとは全然思わなかった。私の目は節穴だ。
志ん生の「抜け雀」の一節、絵描きと宿屋の主人の会話が思い出される。
「おまえの眉(まみえ)の下に、両方ピカピカ光っているのは何だ?」
「これは目です」
「目なら、見るためにつけとくんだろう。見えないのなら、んなもんくりぬいてうっちゃっちゃっちまえ。あとへ銀紙貼っとけ」
銀紙でも貼っておくべきだった。以前見たときは単純に「ものすごく良く出来た娯楽映画」としか思わなかった。いや、良く出来た娯楽映画であることは間違いないのだが、その底意が泥沼のように深いのに驚いた。
もっとも、そこまで思い至ったのは見た後にこの映画を扱った書籍を読んだせいもあるのだが、見ている最中にずっと気になっていた。
「これ……って、主人公の主張の方が明らかにおかしいし、そのように撮っているのは何故だろう?」
実際、劇中で「事件」が「起きて」最後に「解決した」ということになっても、明らかにシナリオも演出もそういう風には出来ていない。
どう考えても事件が解決したように主人公たちが思っているだけで、この劇中では実際に「殺人事件は起こっていない」と解釈する方が自然であるように作ってある。
以前見たときはそんなことはちっとも考えなかった。
何でこんなややこしいことをするのだろう。
ということで、早速この本を読んでみた。
『ヒッチコック「裏窓」ミステリの映画学』加藤幹郎(みすず書房/¥1300+税)
先の疑問に見事に応えてくれる本であった。
正確に言えば、この本を読むために『裏窓』のDVDを買ったのである。どういう内容の本かはよく分からなかったが、ゼミ生たちの参考になるかもしれないという気で購入しておいたのだが、誰よりも私の参考になった。先の件に限らず『裏窓』を見ている最中に気にかかった点に丁寧な答えが記されていた。
「ああ、そうそう……主人公の部屋を最初に紹介するカットも何であれから見せたのかと思ったんだよな……あの女の登場の仕方も妙だと思ったら韻を踏んでたのね……そうそうそうそう、あの住人たちの選び方もそういうことだよね……うんうん……え?あ、そうか!なるほどね、そういうことか」
とまぁ、ひどく印象に残った疑問と疑問にも思わなかったことなども指摘されており、非常に興味深い内容の本であった。
おかげで『裏窓』がどれほど無意識が仕組まれた映画であるか、どれほどヒッチコックが意地の悪い老獪な監督なのか少しは理解出来たように思える。
この本は『裏窓』という映画の仕掛けを読み解くという内容だが、もちろんヒッチコックの他の映画にも言及しており、それで「すわ!」とばかりにヒッチコック映画を再見したくなったのである。
本当は『サイコ』『鳥』『めまい』『レベッカ』など、特に有名なものから見たかったのだが、そこは文化に乏しい街に住む悲しさよ。「ヨーカ堂」と「ブルーフラッグ」の店頭には置いていなかったのである。
「どうせいずれ見るのだから買っておこう。¥1500だし」
しばらくの間、個人的ヒッチコック・ブームが続きそうである。
何しろ見ているだけで心地よいのである。だって、次にどのカットがつながれるのかがたいへん論理的だ。当たり前だけど。
私は近頃の、特にアニメなどの自己中心的でデタラメとしか思えない意味不明のカットつなぎを見ていると生理的に気持ちが悪くなってくる。
古くてけっこう。映像も文体が大事である。

すっかり正月の話題から遠ざかってしまった。
正月と言えば「おせち料理」と相場が決まっているようだが、私は「おせち」というものをあまり好まない。手を付けたくなるような品はかずのこやいくらなどわずかである。コレステロールはたっぷりだが。
正月らしい料理というと雑煮であるが、一日中雑煮を食べているわけにも行かない。そこで元旦早々カレーである。
その昔にこんなコピーがあった。
「おせちもいいけどカレーもね」
冗談じゃない。私はタイトルの通りである。
「おせちはいいからカレーをね」
もっというとこうである。
「おせちなんかいいからカレーだ」
別に私の好物の筆頭がカレーというわけではないが、特に好ましく食べるカレーがある。
「デリーのカシミールカレー」
http://www.walkerplus.com/scov……k3007.html
初めて食べたのは、25年ほど前だろうか。以来四半世紀に渡って愛用しているレトルトカレー。市販品としては相当辛い方であろう。以前に比べると随分辛さも減っているように思われるが、それでも辛い。そして美味い。
近頃は近所の「ヨーカ堂」や「成城石井」でも扱っているので、食べる機会も増えたかもしれない。
うう、カシミールカレーという文字を打っているだけで口内に唾液が分泌されてくる。
私は初めて食して以来、このカレーはチキンとのコンビネーションで食べている。堅めに炊いた御飯(うちでは玄米)、それとナンで食する。
カレーは確かに辛いが、私は「汁だく」にしていただく。食べるとすぐに汗だくである。体中の毛穴が開きそうになる。
カシミールカレーはそれだけで一つのイベントである。
爽快な汗をかきながらカレーを食べる。
うん、実に元旦に相応しいイベントじゃないか……って、同意は得られそうにないな。

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