2009年2月2日(月曜日)

千代子讃江・その9



すでに2009年も一月が過ぎてしまった。
その早足が無情に思えるのは、私の無能ゆえであろう。亀の歩みだよ、コンテ執筆は。
ま、後退している訳ではないので、現状は匍匐前進でも我慢して進むしかない。

昨晩は久しぶりにヒッチコックの『逃走迷路』を見返した。
驚くほど内容を覚えていなかった。その分楽しめたとも言えるが。
ここのところ、見る映画はヒッチコックが大半。本ならば志ん生関係。
先月一月の「雑食」の主な対象は以下の通りであった。
『ハリーの災難』
『見知らぬ乗客』
『ロープ』
『間違えられた男』
『サイコ』
『めまい』
以上、アルフレッド・ヒッチコック監督作。
『サイコ』はすでに何度も見ているが、その度に色々な発見がある。また『ヒッチコック-トリュフォー』でも読み返してみよう。
他に見た映画といえば、なぜかいまどき『レイダース・失われたアーク』。
後は、珍しいことに自分の監督作を2本も見てしまった。

書籍では、年末に見た『裏窓』がらみで読んだこれが面白かった(以前にも紹介したと思うが)。
『ヒッチコック「裏窓」ミステリの映画学』加藤幹郎 みすず書房

志ん生関係は計6冊。
『志ん生、語る。』岡本和明 アスペクト
『志ん生芸談』古今亭志ん生 河出書房新社
『志ん生讃江』矢野誠一・編 河出書房新社
『背中の志ん生』古今亭圓菊 うなぎ書房
『ヨイショ志ん駒一代』古今亭志ん駒 うなぎ書房
『志ん生の忘れもの』小島貞二 うなぎ書房

私の「定番」の方々は5冊ほど。
『アップルの人』宮沢章夫 新潮文庫
『かけがえのないもの』養老孟司 新潮文庫
『あなたの苦手な彼女について』橋本治 ちくま新書
『オバマ・ショック』越智道雄・町山智浩 集英社新書
『自己チュー親子』諏訪哲二 中公新書ラクレ

他には、
『日本語と外国語』鈴木孝夫 岩波新書
『他人と深く関わらずに生きるには』池田清彦 新潮文庫
池田清彦さんは、環境問題のインチキなどで注目されている生物学者で、たいへんスカッとした考え方をされる方だ。この方も定番になるかもしれない。

音楽では何といっても、これ。
平沢 進11thソロアルバム『点呼する惑星』
目下、ヘビーローテーション。大傑作。
発売は2月18日。

そして演劇ではこれ。
TAKE IT EASY!×末満健一 『千年女優』
和田俊輔さんによるこのサントラも、iTunesの再生回数が着実に増えている。
聞くと甦るは、あの美しくも楽しい舞台。

千代子たちに話題がつながったところで、しつこく続く「千代子讃江」第9回。

舞台では、原作映画に忠実にして、まったく別の姿をした『千年女優』が進行する。
「……何だろう?……この感じは」
頭がクラクラするだけでなく、途中から妙な感触を覚える。
たいへんよく知っているような感じなのだが、その感触が何なのか、すぐに思い出せずにいた。
それが先の千代子と立花によって「熱演される回想」を見て思い当たった。
「あ。これって……まるで、千代子と立花なんだ」
これだけではまったく意味不明だ。
こういうこと。
舞台上では、映画『千年女優』が女優さんの身体だけで、その声と身振り手振りによって再現されている。
これは、劇中で千代子と立花が身振り手振りを交えて「千代子が出演した映画」を再現していることとそっくりではないか。

きっと、立花は同好の仲間と映画の話をするときには、台詞や芝居を真似してはそのシーンを再現し、いかにそのシーンが印象的であったかを熱を帯びて語っていたことだろう。
それは私にも馴染みのあることだ。
実写・アニメを問わず、印象的なシーンを「その気」になって物まねする。映画好きの方ならば覚えがあるのではなかろうか。アニメーションのスタッフとの雑談では、日常的に見られる光景だ。
真似は素人芝居であっても、あるシーンを再現してみせるには、その口調や芝居など特徴的なものを捉えている必要があり、それは観察と再現力の訓練にもなり、ということはつまりは「デッサン力」なのである。
活き活きとあるシーンや記憶を描写し、再現することは、アニメーションや漫画に限らず、多くのクリエーションのために非常に有効な訓練の一つだと私は思う。

話が少し逸れたが、立花には長年のそうした積み重ねがあったはずで、だから取材当日の興奮というのは尋常なものではなかったろう。だって、真似をすることで幾度も繰り返して再現してきたその「当人」と共に再現に加わっているのだから。
これで、少しはお分かりいただけるであろうか。
血糖値が上がらない状態でキーボードを叩いているので、うまく文章が出てこない。
語弊があるかもしれないが、つまり原作・監督である今 敏という「当人」にとっては、舞台上で演じられる『千年女優』は、『千年女優』という映画のファンが大がかりな身振り手振りで『千年女優』を再現してくれているように「も」見えるのだ。
「当人」にとって、少々気恥ずかしさを覚えつつもこんなに嬉しいことはないし、こればかりは手ずから『千年女優』に関わった者でなければ分からない感触と楽しみではないか。
そして、今 敏にとってはここにも複雑な階層が感じられることになり、舞台版『千年女優』観劇体験はいっそう厚みを増してくるのである。
「今 敏が監督した「千代子と立花が千代子の出演作を再現する映画」を再現する舞台芝居」を見ている今 敏。
ご理解いただけるかどうか分からないが、複雑な階層構造であることはお分かりいただけよう。

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