2007年11月9日(金曜日)

映像マジック



昨日、職人の仕事はいいものだな、と改めて実感させてもらった。
『東京ゴッドファーザーズ』の撮影監督だったS氏の紹介で、ロサンゼルスにあるポストプロダクションスタジオの方がマッドハウスを見学にいらした。
「ILLUSION ARTS」という会社で、ハリウッド映画のCG合成やマットペイントなどを手がけてきたという老舗SFXハウス。
http://www.illusion-arts.com/
アメリカのスタジオではあるが、マッドに見学にいらしたのは日本人男性。アメリカに渡って21年になるとか。アナログの時代から特殊撮影の仕事をされており、マットペイントからデジタル合成までこなすそうだ。
十数年前には大金を借金してMacを自費で買い込み、マニュアル片手に一から学んだというから、よほど仕事熱心なのであろう。
技術者に限らず、自分に投資できない、しない人に能力のアップは期待できないものである。見習おう。私が近頃自分に投資するものといえば内臓脂肪の肥やしばかりである。

この方からいただいた「ILLUSION ARTS」の最近の仕事を紹介するDVDに大変感動した。
近年の仕事のハイライトが7分ほどに編集されているのだが、仕事の内容を紹介する手際も上手でたいへん分かりやすい。実際の完成映像に、カメラで撮影された元素材の映像をワイプしながら合成箇所が分かるようになっている。
上記ウェブサイトのギャラリーにいくつかムービーが紹介されているので、興味のある方は是非ご覧いただきたい。
『ブラッド・ダイアモンド』という映画では、本来は平原が広がっているだけの空間に難民キャンプが加えられ、あるいはまた白い空がジャングルに変えられる。単に合成するだけでなく、元素材と合成素材の馴染ませ方が上手い。
『カサノバ』(もちろんフェリーニの方ではない)では、背景を直して群衆を加えている。
その方法は意外と簡単だそうで、数人のエキストラを扮装や芝居などを変えて複数回撮影した素材を配置するのだとか。
言葉で聞けば簡単だし、既存のメイキング映像などでそうした合成が頻繁に行われているのは知っているが、具体的にどうやってやるのか私には想像がつかない。使っているマシンやソフトウェアの性能の問題だけではあるまい。
「ハリウッド映画なら予算もあるし、そうしたことは簡単に可能なのだろう(うちの予算ではまったく無理だけど)」
そんな漠然とした思い込みと、そうした仕事を日常にしている方がいま自分の目の前にいるというリアリティの落差が感動的である。
「すごい、すごい」
かなり知性に欠ける言葉を連発する私に、彼はこう仰る。
「いやいや、こっちの仕事は素材に加工しているだけで、一から作ってるアニメの方がすごい。特に日本のアニメはすごい。『パプリカ』のオープニングはとても素晴らしかった」
何を仰る、ウサギさん。
彼は長年のアメリカ暮らしによって日本語が少々歪み、敬語は全然使えなくなっているというが、お世辞は忘れていないようだ(笑)

『マイアミ・バイス』での回り込みの空撮のショットもいい。何もない山の上に3Dの家を加えている。単に家を合成するだけでなく、画面左手に見える滝から生まれるモヤを加えることでいっそう馴染ませている。
「撮出し」に似ている、と思った。
ちょうど現在、「アニクリ」の撮出しをしていたので特にそう感じる。
セルと背景が揃って、撮影に入れる前に諸々の処理を加えるのが撮出し。
私の場合は、『東京ゴッドファーザーズ』『パプリカ』でほぼすべてのカットを自分で撮出ししている。
たとえば『パプリカ』冒頭のサーカスのシーン。ピエロや団員が着ている衣装のどこにどんな風にラメを入れるのか、ライオンがくぐる火の輪の処理はどうするのか、といった特殊なものから、セルと背景を馴染ませるためにグラデーションを加えたり背景にライティングを加えたりといったベーシックなことまで、画面を作り出すための基本的なことはこの撮出しで行う。画面をデザインすると言ってもいい。
現在制作中の「アニクリ」には、半透明のキャラクターが出てくるのだが、その透け具合をどの程度にするのか(『パプリカ』ラストの黒い乾や白い子供みたいなものである)、シャワーや肌を伝う水の処理、湯気の処理をどうするのかをフォトショップ上でシミュレーションする。そのデータを撮影に渡して本番の撮影に反映させてもらうわけだ。
この撮出しでの効果がどれほどのものかは、撮出し前と撮出し後のデータを見比べる以外よく分からないのではないかと思われる。
完成した画面でそれが一々分かるようでは失敗なのである。
つまり、見ている人にとって「いかに気にならないようにするか」が最重要。
だから、「ILLUSION ARTS」の仕事に敬服する。
というのも合成だといわれなければ「さっぱり分からなかった」ことが多いからである。

『マイアミ・バイス』でさらに驚いたのは、元の映像に映っている役者を取り除いてしまい、そこを壁にしてしまっている。
「除去された役者の立場は一体どうなんだ……?」
そんな余計な心配までしてしまう映像マジックだ。まさに映像のイリュージョン。
あるいはまた別な場所で撮影されたショットの背景をまるごと変えてしまったり、バーテンダーが持っているボトルを変えてしまったりしてしまう。
「何故そんな無駄な事態が出来するのだ……?」
あるいはまた女優のアップショットでは、女優の眉間にぽっちりと存在を主張するニキビを取り除く。
「削除されたニキビの立場は一体……?」
ニキビの立場はともかく、背景をすり替えねばならない事情とは一体どういうことなんだろう?
そのケースについては具体的に聞かなかったが、往々にして撮影現場には「とりあえず素材を撮っておいて、後はポスプロ(ポストプロダクション)に投げればいいや」という態度があったりするそうで、その計画や準備の無さをポスプロが尻ぬぐいすることになるとのこと。
ふむ。どこかでよく聞く話だ。たとえばこんな。
「セルと背景の素材が揃ったからとりあえず撮影してもらおう」
デジタル化の弊害である。アナログの頃なら撮影前に必ず「撮出し」をして、まずそれらの素材が「撮影が出来るかどうか」を確認しなければならなかった。現在私が行っているような複雑な撮出しではなく、素材漏れがないか撮影可能かどうかの確認が主である。フィルムも現像費も高価であり、時間もかかるため、無駄を減らさねばならないのであった。
それがデジタル化によって線画台の頃に比べて撮影は遙かに容易となり、リテークはさらに手軽になったためこのような事態が生まれた。
本来撮出しをする立場だったのは演出だが、いまではほとんど撮出しというプロセスは省略されている。素材の確認をする必要もなくなり、とりあえず撮影することになる。もし素材に不備があれば撮影段階で発見すればいい、という「問題先送り」の典型である。
要するにこういうこと。
「見てから考えよう」
一度撮影してもらったものを見て、あれこれ処理などに注文を出す。そりゃあ、楽である。合理的にも思える。だが。
「撮影する側の立場って一体……?」

規模は違えどハリウッド映画も日本のアニメも、現場で抱える問題の構造は同じらしい。
ポスプロもアメリカのみならずカナダやオーストラリアやイギリスなど国内外でのスタジオの乱立によって予算は値崩れしてきているそうだ。
当然、経済原則に則って映画の制作会社は出来るだけ安く引き受けるポスプロスタジオに仕事を発注する。だが、安く引き受けるスタジオがいい仕事をする率が高くないのは理の当然で、下手をすれば納期すら危うくなる。
で。スケジュールも予算も残り少なくなってから、仕事が出来るポスプロスタジオにこのような依頼が舞い込むことになるらしい。
「これ、何とかして。お金も時間もないけど」
身近でもよく聞く話だ。
そして経済原則に則っていたはずの制作会社が、安手のスタジオを使い、その尻ぬぐいにまともなスタジオまで使ってしまい、結局このような事態を招くことになるらしい。
「最初から、高いけど上手いスタジオに頼んでいた方が安上がりだった」
ぎゃはははは。アニメの現場の話かと思った(笑)
カット表を埋めるために明らかに能力が足りない人間に仕事を大量に発注し、その直しのために時間と予算を浪費する。もちろん作監や演出の疲労と苦労も浪費される。ついでにアニメーションの質もドブに捨てられる。
それ行け世界に冠たるジャパニメーション。
制作過程の下流でクオリティアップに貢献する「ILLUSION ARTS」の方にとても親近感を覚えてしまう。

さて、DVDの続き。
『南極物語』(もちろんディズニー製)では好天に降りしきる雪を加えて天候を吹雪に変える。合成で加えた雪や白くかすむ奥行きなどとても馴染んでいる。健気な犬たちの苦難もいっそう倍加して見えるであろう。ワンワン。
『THE BUCKET LIST』という映画では空撮された雪山の足りない部分に雪を加えているのだが、これは合成だといわれないとさっぱり分からない。実写映像に対する信憑性はどんどん薄くなる。
ふと日本のテレビで放送している「世界遺産」の番組を思い出した。折角現存する貴重な世界遺産を写した映像に過度な加工が施され、まるでCGによる作り物にしか見えなくなっている。まことに遺憾。
本物の風景が作り物に見え、作られた映像が本物に見える。
うん、そういうねじれも面白いかもしれない。
『大いなる陰謀』では一枚の写真に足りない空などを増殖し、3Dのヘリコプターを飛ばし、写真でしかなかったキャンプの中に人や車を走らせる。
『TOKYO DRIFT ワイルドスピード×3』という映画は以前、WOWOWで見ていた。町山智浩さんがポッドキャストで面白おかしく紹介していたからだ。東京の街中を派手にドリフトしてカーチェースするシーンは見応えがあったが、こうも思った。
「東京でこんな撮影が出来んの!?」
疑問の背後に「ILLUSION ARTS」有り。
DVDではロサンゼルスで撮影されたショットの背景がスラリと東京の街並みに変わる映像が紹介されている。
「うわぁ、すごいや!」
こうなると私はただの素人である。

圧巻は『ヴィレッジ』の1シーン。移動する車の中から前方の風景を捉えたショット。道路脇の一部にしか存在しない壁を遥か奥まで延長し、さらには道路脇に茂っている青々とした緑の木々を枯れ木に変身させて、秋の枯れた風景を現出させてしまう。色の馴染ませ方が素晴らしい。
完成映像は「何でもない」のである。これは合成と言われないとまず分からない。
たとえばそれがどんなに普通に撮影した映像のように見えても、SFやファンタジー、歴史物などに出てくる現在はあり得ない場所や、役者などにとってあまりに危険と思われるような場面ならば、考えるだけで合成であると感知できる。
しかしごく普通のシーンでこうした合成がなされているとはなかなかうまく実感できない。
そして派手なシーンでの合成ではなく、こうした「何でもないシーン」(ドラマ的な意味は別にして)で「何でもなく」見せてしまう仕事に職人を感じる。
そうありたいものである。

「ILLUSION ARTS」の紹介DVDの最後に、よく見覚えのある画面が登場した。
「サン・アンジェルスの空を飛ぶスピナー」である。
「おお、ブレードランナー」
『ブレードランナー ザ・ファイナルカット』で「ILLUSION ARTS」がポスプロを担当している。
画面右手奥、割り込んでくるスピナーの「揺れ」を修復し、コントラストを抑えて馴染ませている。渋い修復だなぁ(笑)
さらにはタイレル・コーポレーションのピラミッドみたいなビルに空から近づく主観風のショット。オリジナルの映像ではビルのアウトラインに白く合成のズレが出ており、屋上に立ち並ぶアンテナが合成のマスクに食われて輪郭が華奢になっている。その合成の揺れやマットラインを修復し、屋上のアンテナなどを鮮明にしている。
渋い、渋すぎる。
「言われなきゃ分かんねぇよ(笑)」

いや、すべての仕事はそうしたことをこそ目標にしているはずだ。
映画において、すべてのプロセスは完成映像において消え去ることこそが正しい。私はそう思う。
実に刺激を受けた来訪であった。
ありがとうございます、「ILLUSION ARTS」さん。
精進します。

 

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