2007年11月13日(火曜日)

たわけて神戸・その2



翌朝。10時過ぎに起床すると、脳はまだアルコールに蝕まれている。
隣のベッドで寝ていた課長の姿はない。7時半に起きて学校に行ったのであろう。偉い。給与所得者はそのようでなければいけないであろう。
私にはなかなか真似できない。
バスタブにお湯を溜めてゆっくり浸かってアルコールを浄化するが、深酒はなかなか意固地である。
早よ出て行け。

食欲が奮わないが、何か食べておかないと講義中に腹の虫が鳴き出すことになる。こういう時は麺類に限る。
神戸出張の際、定番にしてい蕎麦屋があったのだが、前に来た折に二、三度訪ねてもシャッターを閉じたままだったので、別な店にする。「堂賀」という蕎麦屋である。
http://www.doukasoba.com/
以前、一度入ったことがある店だ。注文は決まっている。
「鴨せいろを田舎そば(太打ち)で。あ、大盛りにしてください」
食欲が奮わないという話はどうしたんだ。
関西には美味しい食べ物が多いとは思うが、どうにも美味しい物に当たったことが少ないのがラーメン、そして蕎麦。地元を知る方に聞いてもこれらが美味しい店の評判はあまり聞かない。
関西といっても私の場合、ほとんど神戸しか知らないが、これまで何軒かラーメン屋にトライしたが結果は全敗と言っていい。
どの店も独自の要らない工夫がこらされている感じである。定番の味というものもないかのようだ。
蕎麦屋は何軒かしか入ったことはないが、結果はあまり芳しいものではなく、そもそも蕎麦屋が少ない。
美味しいと思えたのは三宮そごうに入っている「藪そば」。やはり蕎麦は東京スタイルが望ましいということか。「蕎麦はやはり関東のもの」、確か司馬遼太郎もエッセイでそんなことを書いていた。
「堂賀」という店は、なかなかの味。
この店の近くにある「あわびや」という魅力的な名を冠した店の主に以前教えてもらった。
アートカレッジ神戸のアニメーション学科の先生とこの店で飲みながら蕎麦談義をしていたところ、店主が会話を耳に挟んできたのである。
「うまい蕎麦ですか、このあたりだと……」
そうして教えてくれたのが「堂賀」と「藪そば」である。
固麺好きの私には「堂賀」の麺の腰に物足りなさを覚えるが、贅沢は言えない。十分言っている気もするが。
だいたい美味いとか何とかいうより、仕事に備えて血糖値を上げ、同時に前夜のアルコールに退散いただくための麺である。
ズルズル……うう。
蕎麦湯をすするうちにいくらか活動的になってくる。
さてと、仕事だ。

アートカレッジ神戸の職員室に行くと、広報担当の女性がクールな顔で教えてくれた。
「課長は倒れてます」
ありゃま(笑)
朝7時半に起きて仕事に行ったと思っていたのに、前夜の深酒が相当こたえたらしい。
後に本人に聞いたところによると、こういうことらしい。
「ホテルを出たところで歩けなくなってしまって、そのままサウナに行きました」
ちゃんと9時に学校に行ったのではないのか?(笑)
「1時に来ました」
何だよ、褒めて損した(笑)

校長室に不似合いなものがいた。
チワワである。
校長が飼い犬を連れてきていた。前夜、例の焼き肉屋であれこれ話している際、飼い犬の話に話題が及び、私が言い出したのだ。
「連れてきてくださいよ」
その「パピィ」という名の小さな犬が目の前で震えている。文字通り震えている。
なんでも、たいへん人見知りをする犬だそうで、飼い主である校長のそばを離れようとしない。
私と目が合うと、パピィはフリーズし、そして震え出す。
すまんな、パピィ。私の心ない一言で余計なストレスをかけてしまった。

13時半からレギュラー通り、1年生を2コマ、続いて2年生を1コマの授業。
いずれの学年も、年間を通じて短編を一本制作する。1年生は一人で一本、2年生はクラスで一本。
アイディアから脚本、コンテ、レイアウト、原画動画、背景、仕上げ、撮影と一通りのプロセスをこなす中で、その場に則したことを教えている。
決まった教科書などはないので、毎年毎学年ごとに私の話す内容は異なる。
技術的なことを習得する、というより、アニメーション制作に関わる態度を身につけて欲しいと思っているのだが、常に思うのは同じこと。
「君たちは、もっと絵を描け」
なぜそんなに上手くなくて焦りもしないのだ。不思議で仕方がない。
絵を描かない制作職などを目指す人はともかく、作画にしろ背景にしろ絵描きの職を目指すなら、専門学校においてはデッサンだけやっていれば良いのではないかと私は思う。
見たものもろくにかけないのに、見たことないものなど尚のこと描けるわけはあるまい。だいたいアニメの仕事なんて、他人の絵を真似るのが仕事なのだぞ。デッサン力以外の何が必要だというのだ。動きなんて、仕事についてからでも十分学べる。
仕事場に入って学ぶための能力の第一がデッサンの能力であるといって間違いない。
たとえいくら才能があったとしても、それを引き出すための身体的訓練は絶対に不可欠なのだ。
だというのに、まったく。
もっとも、専門学校も大学も「楽しむための猶予期間」であると認識している人が多い世の中である。
私だってそんなようなものだった。しかし気持ちは多少分かるが、いくら何でも私はもう少し絵を描いていたと思うのだが。

講義が終わって18時半。疲れたわい。しかしこの後イレギュラーの仕事。
学校の仕事ではなく、私が持ち込んでお願いした仕事である。
現在制作中の1分の短編「アニクリ」の声優オーディションである。
以前、NOTEBOOKでも記したとおり、アートカレッジ神戸の声優科の学生に頼んでみようという目論見である。
オーディション参加者は4名。在学生が2名、卒業生が2名。
卒業生はこのためにわざわざ東京から来たのだという。
うう……それは気の毒をした。そこまでされるとちょっと気が重い。すまない。
一人ずつ演じてもらう。
セリフは「おはよう」のたった一言とはいえ、その調子には無段階のグラデーションがある。息芝居だって簡単ではない。変に色気を出されて艶っぽいムードになっては場違いだし、淡泊では生っぽさに欠ける。
尺はわずかに一分なので、一度演じてもらってこちらのイメージと指示を伝えて二、三度演じてもらう。これを4人分。
様々な「おはよう」があるものである。
しかし、セリフにしろ息芝居にしろ、全体にある傾向が見受けられる。こういうようなこと。
「まるで、声優みたい」
声優になりたいといっている若者に向かって異なことを言うようだが、つまり既存の「声優みたいな芝居」を演じようとするベクトルが感じられる。芝居している人を演じるという芝居の二乗。それではリアリティは彼岸へ遠のく。
しかし、これは何もここの学生だけの問題ではなく、プロも含めてあまねく声優業界を覆っている傾向である。
プロで流通しているようなものを目指すのは無理からぬことだ。
そこは絵も声も変わりはない。
だが、目指されているプロの側も同様であることに肯定的になるわけにはいかないと私は思う。そのあたりについて書き始めると、圧縮してある不快が解凍されて溢れかねないのでここでは措く。

「おはよう」の一言がこれほど難しいとは思わなかったが、しかし一言だから却って難しいという面もある。
かくいう私も一度だけ「声優体験」があるが、やはり一言が難しかった。
「いらっしゃいませ」
『パプリカ』の最後に出てくる「ラジオクラブ」のシーン、バーテンのこの一言がどうも納得がいかなくて何度か録り直した。自分で喋って自分でNGを出しているんだから世話がない。
いかに一言が難しいかはそれなりに分かっていたつもりだが、改めて一言の持つ幅を考えさせられた次第である。
この短編の「おはよう」という一言は、鏡の中の自分に向かって発せられるセリフである。これがまた難しい。
「おはよう」「おはよう!」「おはようッ!」「おはよ」「オハヨッ」「オハヨウ」「ヲハヨウ」……。
いずれも「おはよう」であるが、喋り言葉では文字で表記しきれないくらいの幅があり、それぞれ微妙なニュアンスを持っている。
「おはよう」
「それだと彼氏に向かって言ってるみたい。仲のいい友達に向かって言うくらいの感じで」
「おはよう!」
「距離が遠すぎるな。相手がもう少し近くにいる感じ」
「おはよう」
「妙な色気が出てきたかな。ムードが“紫”になってる」
「おはよう」……
といった具合である。
演じる方も難しいが、微妙なニュアンスを伝えるための言葉を探すのも難しいものである。
オーディションは私の勉強にもなった。
オーディションに参加してくれた皆さん、声優学科の先生、本当にどうもありがとうございます。

連発される「おはよう」のおかげで、体の芯に残っていた前夜のアルコールもすっかり抜けて私の頭も「おはよう」。
起きたら飲みに行かねばならない。ねばならない、って話もないが。
アートカレッジ神戸のある六甲アイランドから三宮まで車で移動。メンバーは先生2名、オーディション参加者4名、そして「世界が認めた才能」。冗談冗談。
計7名というと結構な人数である。
本当はこの日、アニメーション学科の先生が私と行くために予約しておいてくれた店があったらしいのだが、急遽大所帯になったのでキャンセル。そんな人数で行くとお会計の際、酔いが覚めることになるようなお店らしい。是非次の機会を楽しみにしたい。
ということで、7人が入れるという条件を最優先して店を当たってもらった結果、決まったのがここ。
「銀平」
http://www.ginpei.com/
何だか「NOTEBOOK」というより、ただの飲食店紹介になってきているが、魚自慢の店らしい。
店先には「鯛めし」の看板。ワクワク。
座敷に落ち着いてまずは乾杯。未成年はお茶。
どうせ普段は酒も飲んでいるのだろうが、教育者が一緒にいて未成年の飲酒が発覚しては洒落にならない。こんな新聞記事は見たくない。
「世界が認めた才能、逮捕!」
ない、っちゅうの。
でも、もしそんな事態が出来した場合、やはり報道されるであろうか。
どんな見出しになるのだろう?
「世界的アニメ監督逮捕! “夢と現実の区別がつかなくなった”と本人」
嫌だな(笑)

さて「銀平」。驚いたのは「お通し」である。お通しが三品というのはなかなか豪華だが、しかしそのうちの一品に目を見張った。
「鯖寿司」
いきなり炭水化物かよ(笑)
しかし、美味い。さすがに魚自慢の店である。後に頼んだ刺身の盛り合わせも悪くないし、締めに頼んだ鯛めしも美味しくいただいた。
美味しい肴と美味しい酒で歓談。
オーディション参加者は皆いい子たちである。
倍率が非常に厳しい声優という職業で食っていけるようになるには、実力ももちろんだが運も大きく作用する。
能力を磨くことが何より重要だが、自分を取り巻く潮と風を上手く捉えて生き残ってもらいたい。
健闘を祈る。
私は業界非主流の監督なのであまり役立つ人脈でもないだろうし、声優業界で主流の芝居に対しては特にネガティブな方なので、私のアドバイスはあまり聞かない方がいいようにも思えるが(笑)、私が声優の芝居について思うことや、実際のアフレコで感じたことや声優さんから聞いた印象的なことなどを酒の合間にインサートする。
アルコールの摂取量の増大と共に「ギョーカイ裏話」みたいなことになっていたかもしれないが、飲みの席とはそういうものである。
益体もない話しか出来ずに申し訳なかったが、私の拙い話から少しでも参考になることを抽出してもらえれば幸いである。同じ話を聞いても何を取り出せるかは聞く側の力次第であろう。
声優というと「言葉を発する」ことに重きを置いて考えがちであるが、同じくらい相手の言葉を聞く能力が問われるものである。近頃は共演者のセリフなど全く聞いていない声優も多い、というのは音響監督の弁。私もそう思う。相手の言葉を受け止められない人間は、その発する言葉に人を動かす力はない。
役者に限らず、受け取る能力を軽んじないように頑張ってください。
お前もな?
うん、よく分かってる。

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