1998年3月2日(月曜日)

思えば遠くに来たもんだ、あるいは完全変態PERFECT BLUE



 2/28、「パーフェクトブルー」公開初日。新宿・渋谷とも予想以上の客の入りに、配給・宣伝スタッフ共に大喜びであった。もちろん私も大喜び、というより驚いてしまいました。
 それにしても何と長い道のりであったことか。思えば、3年前に「不審な企画書」を受け取り、「つい」私が監督を引き受けてしまった「ビデオアニメ作品」が、優秀なスタッフの力を得て制作が始まったものの、無能な輩に足を引っ張られた上に、「政治的」な思惑で勝手に「劇場作品」の十字架を背負わされ、無謀なスケジュールとずさんな管理と赤貧とも思える資金難に遭い、作監を重度の腱鞘炎に追い込み、つぎはぎだらけでぼろぼろになりながらも艱難辛苦を乗り越えて、昨年夏に「ゼロ号」にたどり着き、更には勝手に海を越えカナダの地で「一等賞」をゲットした頃に、ようやく「初号完成版」の試写を迎えるものの、公開はまだ遙かに遠く、国内での宣伝も始まる前にゼロ号は韓国の映画祭へと暴走してその役目を終え、地道な試写会を続ける初号はプレスの好評を獲得しつつ、 11月の東京ファンタスティック映画祭で初の国内一般客へのお披露目をして多くの支持を得ることに成功、その余波は「監督」に取材の連投を強要する一方、ゼロ号の遺志を継いだ初号・英語字幕付きは海外の映画祭の転戦を続け、あげくに「ベルリン映画祭」にまで食い込み好評を得ただけには飽きたらず、世界英語圏、フランス語圏での「劇場公開」と「ビデオ販売」まで勝ち取り、更にはドイツ、イタリア、スペインなどでの販売も確定させる頃には、お膝元の日本では堂々と「劇場アニメ映画」を名乗り、渋谷パルコの回りをそのポスターで浸食し、雑誌、新聞、テレビ等では百数十件の作品紹介の機会を賜り、単館の筈の公開は新宿まで手を伸ばし、大阪、札幌、名古屋はじめ全国12カ所での上映の野望を胸に秘め、遂に2/28の公開を迎えたわけである。

 2/27夜、「パーフェクトブルー」主演声優・岩男潤子さんのラジオ番組に、公開前最後の告知と宣伝のために出演。主題歌を歌ってるM- VOICEのミサちゃんも一緒だ。事前に番組内で告知してあったらしく、「監督」に対する結構な数の質問ファックスが届いている。「見所は?」だの「何故岩男さんを選んだのか?」「何故このタイトルなのか?」、あるいは「パーフェクトブルー」を取り上げた新聞記事のコピーや、整理券を求めて渋谷に並ぶ人たちの写真などなど。そんな可愛らしい質問や報告に混じって、大笑いしたものがあった。「アンノカントクと仲が悪いって本当ですか?」
 ちょっと待ち給えよ、君君。「〜って本当ですか?」というそのニュアンスだと、庵野さんと私が仲が悪いという噂が既にあるようではないか。なんでやねん。少なくとも私は庵野さんと仲が悪いつもりはないぞ、向こうはどうか知らないけど。
 このファックスは本番中にも紹介され、私は以上のように答えたのだが、更に進行役の荘口さんに、ファックスには書いていない質問で追い打ちをかけられ、少々虚を突かれて口ごもってしまった。「押井 守さんとは仲が悪いんですか?」
 ははは、公共の電波で答えにくいことをよくも聞いてくれる。少なくとも私は押井さんと仲が悪いつもりはないぞ、向こうはどうか知らないけど。
 ただ、もしも偉そうな態度で他人に仕事を頼んでおいて、自分の思い通りにならないと、仕事を途中で無責任かつわがままに放り出し、陰に回って「漫画は難しい」などと意味不明な文句をたれてる人間がいたら、ひどく嫌いになるだろうな。

 翌日の舞台挨拶に備えて、スポンサー・REXの人間と共に新宿のビジネスホテルに泊まり、そして迎えた公開初日朝、眠気とだるさも拭い切れぬまま新宿初回挨拶へと向かう。インディーズ・アニメ映画「パーフェクトブルー」は、その格に相応なキャパ50席という新宿ピカデリー3での公開なのだが、この回のみキャパ250ほどの新宿ピカデリー2での上映であった。
 上映が始まり、控え室では舞台挨拶に出る岩男潤子さん、M-VOICEのミサちゃん、司会進行の荘口さん、そして私という前夜のラジオでの面子と同じ4人をはじめ各関係者が顔を揃え、公開にこぎ着けるまでの苦労話などに花を咲かせる。客の入りは8割程らしい。
 上映終了後、荘口さんの紹介で舞台へ。さすがにニッポン放送アナウンサー、テンションが高い。その割にお客さんのリアクションはおとなしめで、嫌な予感が走る。「面白くなかったかな?」
 何を喋るかなど、事前に考えもせずいつも「出たとこ勝負」の私は、若干とまどいつつも喋り出す。話した内容を良く覚えていないが、「どうだったんでしょうか?」という私からの問いかけに、拍手で応えてくれたことを考えれば、大変優しいお客さんであったようだ。徹夜で並んだ人もいたそうで、本当に有り難う。

 特に不具合もなく新宿の舞台挨拶を済ませ、渋谷へ。3台のタクシーに分乗しての移動だったのだが、後で聞いたところによると、岩男さんはタクシーの運転手にも映画の宣伝をして、「見に行こうかな」とまで言わしめたそうな。そういう草の根宣伝活動の積み重ねが大事。
 控え室で出番を待つ間、岩男さんの「セイントフォー」時代やアルバイトの話に笑わせてもらう。彼女の立場でどのくらい世間にオープンにしているのか分からないので詳しくは書かないが、それにしても彼女の外見からはおよそ想像できないほど、多くの経験をして来ているようで、笑いを通り越して感動すら覚えた。ボケとひたむきさのバランスが彼女の持ち味なんだろうな。ただ何事にも一生懸命に取り組む態度は素晴らしいけど、度を超すと危ないと思うがな。岩男さん、くれぐれも健康には気をつけるようにして下さい。

 さて出番。初回、2回目とも会場は立ち見を含めてキャパいっぱいの300人が入っていたらしく、本当に嬉しかった。心から礼を言いたい。有り難う、俺。じゃなくて、皆様有り難うございます。
 岩男さんを見たい、というお客さんが大半を占めたのだろうが、それにしても多くのお客さんを目の前にして、「作品」を作るということへの責任を痛感させられたな。言いたい事情など掃いて捨てるほどあるが、それを口にするのは高いお金を払ってきているお客さんに失礼というもの。作品が全て、と改めて思い至った次第である。小さな机の上で作った、決して大きくない作品だが、色々な意味で動かす者や物はあまりに大きく、細部に至るまで無責任なことは出来ないし、気を抜いてはならないものだなぁ、などとたまには素直に感じ入ったのである。その気持ちをしっかりと心に刻んでおくためにも、次回上映に並ぶお客さんや安くはないグッズを次々と買っていく人々を、渋谷の最終上映が終わるまでロビーで見ていた私は、「お客さんの顔を見られる」という実に嬉しくも、貴重な経験をさせてもらいました。
 劇場に足を運んでくれた皆様、これから見に行って下さる方々、重ね重ね本当に有り難うございます。

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