2007年12月17日(月曜日)

40の坂



「渡りに橋」の続きである。
美術設定を仕事としている彼のファイルを見せてもらっているうちにこんなことを考えた。

彼の仕事は現状でも十分に上手だと思うが、何よりまだ上手くなりそうに思えた。そこが重要である。
彼は30代後半だという。「難しいお年頃」だと思われる。
というのもこの業界には(限らないだろうが)、「40歳の坂」を越えられなかった実例が回収日のゴミのようにそこかしこに転がっている。
以前、彼に送ったメールに私はこんなことを書いていた。

「人間、いい時期は長くは続かないもののようです。
現状のレベルを維持できればいい、そう思ったときから急激な下降が始まるようです。知らぬは本人ばかりなり。
「40」の坂を上手に越えるのは難しいようです。
40歳というのは大雑把な目安ですが、これまで40前後で急激に能力の低下を示す人を見てきました。
実力が実際に大きく下がっているということではなく(そういう場合もありますが)、それまでの実力から期待されるはずの上昇分が失われることによって(つまり上昇曲線が水平という現状維持になることで)、その差分が「能力低下」として顕在化する、といったことです。」

少々補足すれば、「急激に能力の低下を示す人」とは仕事の質が低下したり、仕事量が極端に減少するような人たちである。身の回りに限らず、業界のあちこちでよく見聞される。
メールでのやりとりでは、彼をもう少し年若い方だと思っていたのだが、しかし実際には正に「難しい年頃」にさしかかっているということになる。
この坂を上手く越える秘訣があるのかどうか私には分からない。私自身が越せているのかどうかも分からない今日この頃の44歳。
先に記している通り「知らぬは本人ばかりなり」なのである。
だから「急激に能力の低下を示す人」たちも、主観的にはそれなりに「いけてる」と思い込んでいるあたりがよけいに寒々しい喜劇を演出するのだ。
もし一つこの喜劇を遠ざける有効な方法があるとしたらこういうことではなかろうか。
「無知であることを自覚し続ける」
自分の無知を自覚して、その無知無能さをわずかずつでも埋めようとする態度こそが実は「能力」というものではないかとさえ思える。語弊はあるがそういうものではないか。
無知無能を埋める仕方、その効率の善し悪しによって能力の上昇度合い、達成度合いが大きく異なるのは致し方ないことだ。
残念ながら才能は不公平に宅配されている。
しかし間違いなく言えるのは、「現状のレベルを維持できればいい」と思った途端に昨日までの能力や実力は剥落して行くということである。
よく言う話だが、そのポジションにあぐらをかいた途端に腐敗が進行するのだ。腐敗が追いつかない速度で先へ行くしか能力や実力を維持することは出来ない。
なぜそれが40歳前後に起こりやすいかというと、おそらくそのあたりの時期にそれなりのポジションを得た気になりやすいということなのであろう。実際、それなりにポジションが上がった場合に起こりやすいようにも見受けられる。
「ここまで来たから大丈夫」
それが「下り坂へ回れ右」の第一歩。

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