2008年5月14日(水曜日)

滞りがち



気がつくと一週間以上更新が滞っている。
本業の方で脳に負荷がかかっているせいか、意識が雑文に向かないらしい。余裕のない男である。
本業以外の仕事も以外と忙しく、今週はなぜか取材が三つも入っている。一昨日は「夢さがしプロジェクト」、今日は「アートスクールライフ」、明後日は「スタジオボイス」(これは武蔵野美大による「企画」のページ)。いずれも「若者」に向けた内容とのこと。
「夢」という題材を扱うことの多い監督かもしれないが、本人は極めて「夢のない」人間なので、あまり参考になるようなこともお話しできない気もするのだが。
昨日13日は、レギュラーのムサビのゼミ。
「オハヨウ」のコンテ解説に入る前、学生からの質問から話はどんどん脇道に分け入り、気がつくと「プチパース講座」みたいな話になってしまった(笑)
よそのゼミの子も一人混じっていたが、皆さん真剣なまなざしで話を聞き、ノートまで取っている。そういえば私も学生の頃は、抽象的な話よりも具体的な話には興味をそそられた覚えがある。長いスパンで浸透する話も重要だが、「すぐに役に立つ」具体的な話には学びの実感が伴うのだろうし、意欲の持続という意味でもたいへん重要なことではある。以後の話の参考にしよう。
コンテの解説はまず「カメラの運び」。業界でもあまりこうした話は聞いたことがないが、たいへん大事なことである。これが「グチャグチャ」だと、完成した映像はたいへん見づらいものになるし、実際、テレビで見かけるアニメは「グチャグチャ」になっているケースがほとんどである。視聴上、たいへんな困難を伴う上に、制作上の無駄も大きくなるので、いいことはない。
もっとも、私も確たる知識や判断基準があってカメラの運びを決めているわけではないので、えらそうなことは全然言えないのだが。
「オハヨウ」に登場する室内の見取り図を描いてその上にカメラの位置と向きを記して、カットに応じてどのようにカメラ位置が進んでいくかを解説。
自分でもわざわざこのような検証をするのは初めてだったので、もしカメラ運びが「グチャグチャ」な動線になっていたらどうしようかと思ったが、一応それらしくはなっていて一安心。
この後、各カットごとの芝居の設計やら、構図とカット割りの意味などを思いつくままに喋る。
少しでも役に立てば幸いである。

さて、すでに古い話になってきたが、私のゴールデンウィークは4日と5日を連休にしただけであった。
私は元々世間と歩調の合わない生活をしているので、ニュースに映るGWを楽しむ人々の姿が羨ましくもないし、連休は全然関係なくてもよいのだが、普段御飯を食べている店が休みになるのが少々困る。
仕方がないので、あまり行かないようにしていた店に仕方なしに行ったら、とても「ひどいこと」になっていた。以前から店員やサービスの質が下がってきていることは知っていたが、さらに輪をかけて質が下がっている。
メニューにあるにもかかわらず、あれもこれも「本日はお出しできない」だの(最初に言えよ、まったく)、セット付属の「当店自慢の豆腐」とやらは半分の量になっているし、以前テーブルに数種置いてあった塩は一種類になっている。その他にも経費削減によるあからさまな「効果」が随所に見て取れる。「隠れた経営努力」というよりも「あからさまなサービス低下」である。客にすぐに分かるサービスの間引きは客商売にとって命取りではないのか。
コスト削減で客がまるで来なくなるのでは本末転倒も甚だしいだろうに。
それらのディテール一つ一つは仕方ないにしても、それらの相乗効果によって何より店内の雰囲気がひどく「寒い」ことになっている。たいへん居心地が悪い。
もう二度と行くこともあるまい。
また一つ荻窪から食べる場所が完全に消えた。

連休の影響で、ムサビのゼミが4/29、5/6と2回続けて休講になってしまっていた。
始めたばかりで2回も休みが続くと、折角生まれかけようとしていたペースがリセットされるようで勿体なく、休講は私のせいじゃないとはいえ何だか学生たちに申し訳ない気がしてくる。
そこで、急遽レギュラーの火曜日から日程をスライドしてもらって8日の木曜日にゼミを実施した。
急な変更にもかかわらず11人中9人は出席。ありがとう。
休みの二人は本人の都合ではなく、イレギュラーという性格に由来する欠席なので、本来予定していた「オハヨウ」コンテの解説は次回に回す
ということで、ゼミの前半は雑談中心にして、後半はゼミ生たちの卒業制作のアイディアを聞くことにする。雑談は以前ブログでも紹介した『時計じかけのハリウッド映画』という本をネタに、ハリウッドの映画脚本には定型があることや日本版『リング』とハリウッド版『ザ・リング』の比較について話す。
人前で喋ってみて気がついたのだが、両者の比較が面白く思えるのは、結局のところ「映画技術の何を見るのか」という要点が分かりやすいところであろう。テーマや題材という話ではない。それらを扱う技術という点である。
映像を志す人たちにとって、映画をたくさん見ることが勉強になるのは間違いないとは思うが、しかしたくさん見るだけで済むのなら評論家や自称評論家が優れた映像作家や監督にだってなれるだろう。
映像制作を職業にしようという人間にとって大事なのは、どういう点に着目して見れば自分の制作のために必要な技術を得られるか、ということである。見る数も大事だが、むしろ見方が重要ではないかと思う。見方も知らずに数を見たところで、得られるところは多くないだろう。
だから、映画を見るにしても「手ほどき」というものが必要だと思うし、私は多くの先達や友人のおかげで、飲みの席や長電話において手ほどきを受けることが出来た。
そうした機会に恵まれる人ばかりではないだろうが、『リング』と『ザ・リング』のような良いサンプルなら、「両者を見比べること」で映画の何を見るべきかの「手ほどき」の一助になるのではないかと思えた。
繰り返しておくが、あくまで技術的な面でのことであって、元になるアイディアや題材の良し悪しということではない。

休み時間に学生と世間話をしていたら、あまり本を読まないのという。
「どうしたら月に5冊も6冊も読めるのでしょう?」
ありゃま。月に5冊や6冊くらいは読まないのか(笑)
他の学生に聞いてみたところ、読んでもせいぜい月に1冊とか2冊……。
かなり寂しい数字である。
先日、たまたまつけていたテレビで勝間和代という経済評論家が特集されていた。彼女は月に50冊以上は読むのだとか。書店で本を選ぶ際は「迷ったら買う」を原則にしているらしい。ウェブで検索したらこの方の年間読書数は1000冊に達するらしい。
速読を習得しているとのことだが、少しは見習いたいものである。
私はどうも本を読むのが遅い。月にせいぜい10冊というペース。読みたい本ばかりが積まれていくのが悲しい。
一説によると、日本の成人の月平均読書量は1.3冊。月平均3冊以上読む人は17.7%、月平均10冊以上読む人は2.1%だとか。
集中的に知識を吸収するべき時期にあって、その上時間に余裕がある大学生が成人の平均読書量と同じ程度ではいかんのではないか。
「とはいえ」と私も思う。
私も大学生の頃はちっとも本を読んでいなかった。今になって本当にそのことが悔やまれる。本はもっと読んでおくべきだった。そう痛感している。だから学生たちには是非本を読んで欲しい……と思うのだが、やはり「とはいえ」とまたしても思ってしまう。
私も学生当時、多くの年上の人からこういわれた覚えがある。
「本だけはたくさん読んでおいた方がいい」
そして私はちっとも本を読まず、20年以上経って同じ話を20歳以上年下の学生に向かって口にしている。ということは、目の前にいる学生たちがちっとも本を読まず、20年後に若い人に向かって同じ話をすることになったとしても全然不思議なことではない。
しかし同じ過ちは繰り返されない方がいい。本当に本だけは読んでおいた方がいい。消費者世代の若者に分かりやすい言葉で言えば、5年後、10年後、20年後の自分に知的な「投資」をするつもりで是非読書と仲良くなってもらいたいものである。元本が損なわれる危険性はない上に、始めるのが早いほど利回りも大きく、利益は間違いなく大きい。

ちなみに私が今月読んで面白かった本は、

『日本という方法 おもかげ・うつろいの文化』松岡正剛
『日本人の脳に主語はいらない』月本洋
『江戸の遺伝子』徳川恒孝
『宮大工の人育て』菊池恭二
『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子・著 田中敏・訳
『部下の仕事はなぜ遅いのか』日垣隆

『江戸の遺伝子』と『驕れる白人〜』は、平沢さんの「三行log」で紹介されていた2冊。
どちらもたいへん興味深く読んだが、とりわけ『驕れる白人〜』は「胸くそが悪くなるほど」面白かった(笑)

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