2009年2月9日(月曜日)

千代子讃江・その14



特に取り上げるような近況もないので、今回はすぐに本題。

終幕の感動もさめやらぬ5分の後、折角の余韻に水を差すことになるのではと心配しつつ、「原作の人」も登壇してのトークショウである。
我ながら、出しゃばりだなとも思うのだが、微力ながら出来るだけの応援のつもりである。
もしかしたら稀にひょっとして「今 敏も出るなら舞台を見ようかな」と思ってくれる人もいるかもしれないし、何より原作者が協力するということは、少なくとも原作者に好まれた翻案であるということを示したいという思惑もあった。それがどれほどの動員につながるのかはともかく、折角映画版『千年女優』を好ましいと思ってくれている人が少なからずいるのだから、そうした方々に是非舞台版を見てもらいたいではないか。
特に、観劇人口の分母が東京よりはるかに少ないといわれる関西、その小劇団なら予算も思うに任せないであろうし、わずかな動員増でも切実に重要ではないかと推察された。
切ない台所事情には共感する(笑)
よって、トークショウ出演はわずかばかりの宣伝協力である。

アニメーション業界などでは、原作者との折り合いが宜しくないケースもたまに耳にするし、その結果が商売としてどうあれ、何より翻案された作品が多少気の毒な気はする。
まぁ、スケールが違うとはいえ『シャイニング』という原作者に思い切り嫌われた傑作もあるけれど。
舞台版『千年女優』に関して原作者は最初から、「協力はするけれど中味については一切口出しをしない」という考えであった。
それが制作現場にとって「一番望ましい原作者の態度」だと私が思っているからである。
多分、原作付きの作品を抱える多くの制作者たちがそう思っているに違いない。
それに、私にはすでに終わった仕事に関して細かなことで口出しするという在り方が私にはよく分からない。
ま、漏れ聞くところによると、漫画原作のアニメーション化の場合、多くは作者本人よりその周りにいる連中が、作者の威光を借りて偉そうに口出しするケースが多いようではあるが。
私は、過去に描いた漫画や監督した映画というのは、すでに使い終わったアイディアなんだから、使いたい人がいるなら自由に使っていただいた方が、作り手のためにも観客のためにも、そしてそのアイディアのためにもたいへん良いことではないか思う。
だから、実現の可能性はともかくこれまでにあれだってそれだって、再利用したい方がおられるなら「どうぞどうぞ」という態度であった。
もちろん、映画は個人の著作物ではないから、一個人の思惑で取り扱っていいものではないし、著作権や使用料という問題は必ずついて回るが。

1月23日付、演出・末満健一さんのブログにこんなことが記してあった。

「世界的に活躍する今監督が、関西の小さな劇団に快く演劇化を許可してくださったこと、演劇化に際して一切注文をしたり口出ししたりしなかったこと、出来上がった作品を心から喜んでくれたこと、それが舞台版『千年女優』を幸せな作品にしてくれた。」

何を仰いますやら。
今 敏は世界的に活躍なんかしちゃいませんってば。
国内だけではちっとも商売にならないから、せめて海外に出して商売の足しにしなければならない、というのが実情でしょう。
「出来上がった作品を心から喜んでくれたこと」に関しては本当です。
この「千代子讃江」シリーズという過剰な長文がその証左。

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