2009年2月12日(木曜日)

千代子讃江・その16



昨日、世間では「建国記念の日」ということだったが、律儀に祝日を休むほど暇ではない。というより、仕事をしたい。
ただでさえ仕事をしたいがその上、一昨日新たに「耳の友」が届いたので、これを聞くためにもコンテに向かいたいのである。

「古今亭志ん生名演集」
(13枚組CD+特典1枚・コロムビアミュージックエンタテインメント)

相変わらずの「志ん生」熱である。
届いた日、まずは仕事場に持参し、机上のVAIOにCDを食べさせながら、コンテ清書のお供に早速聞いてみる。
初めて聞く演目は勿論楽しいが、同じ演目でもテイクが違えばそれもまた面白い。
「「うなぎ屋」って初めて聞くなぁ……お、こっちの「寝床」はサゲまで演ってるじゃないか。病前のテイクだし。「化物使い」っておかしいね、これも。うふふ」
この全集は人情話などはほとんど収録されておらず、バリエーションに欠けるとはいえ単純に笑える話が多くて、これはこれで楽しく愉快である。
極めつけは13枚目に収録されていた「彌次郎」。
最近読んだ志ん生関係の本で紹介されていて、是非聞きたいと思っていたのだが、あまりのバカバカしさにコンテの清書に支障を来すほど大笑いしてしまった。
何せ、想像を絶するほど寒い冬の北海道では火事に水をかければ炎が立ったまま凍る、てぇんだ。しかも溶けりゃまた火になるてぇしね。北海道じゃ鴨なんて手づかみで捕れるそうで、水が凍って動けなくなった鴨を、鎌で脚んとこからサクサクと「刈り取る」てんだ。しかも春になれば残った脚から芽が出るてえしね。
そんな法螺ばかり吹き続ける男が山賊を投げ飛ばし、巨大な猪の背にまたがり、早稲田から来た熊をなぎ倒し、うわばみの腹の中を駆け抜けての大冒険。
さながら「ホラ吹き男爵の冒険」である。
語る志ん生のスピード感もすさまじく、圧巻の一席。堪らん。

残念なのは、この全集、一枚あたりの収録時間どれも一時間未満とやや短いことか。それに特典を入れても14枚とは少々寂しい。
2日間で全部聞いてしまった。
何、まだまだ他のメーカーからも出ているのだ。どこのを買おうか、いまから楽しみにしよう。
コンテを描くのも楽しいが、志ん生付きの仕事はなお楽しいのである。

さて、では「千代子讃江」16回。

最後のトークショウでの「総括」の前に、私にとっての舞台版『千年女優』公演までの履歴をざっと記してみる。

TAKE IT EASY!プロデューサー水口さんから、『千年女優』の舞台化についてメールをいただいたのが、2007年12月24日。
その一月後、2008年1月20日にはTAKE IT EASY!さんのメンバーと三宮で会食をさせていただいた。村上春樹氏のエッセイにも登場するという、ピザが美味しいイタリアンであった。
役者さんたちはとても素敵な女性ばかりで、どんな千代子になるのか、期待が膨らんだ。
11月23日に、水口さんと末満さんがマッドハウスに来社された。その折の対談は舞台版のパンフレットに収録されている。
その四日後、27日にはこちらが公演会場であるHEPホールに伺い、舞台版『千年女優』の制作発表にお邪魔させてもらった。その後、劇団メンバーと末満さんと一緒に鍋を囲んで歓談し、公演への期待は益々高まった。
そして本番三日間は、トークショウ出演ということもあって、舞台裏の控え室にいることも多かったので、役者さんたちとお話しさせてもらう機会も多かった。
音楽の和田さん始め、舞台を支えるスタッフの方々の「顔」も知った。
つまりそれだけ、舞台版『千年女優』の役者さんとスタッフの方々そのものへの共感や思い入れも積み重なってくるのである。

間近に接する女優さんたちは、舞台では大きく見えても実際には小柄で、皆さん驚くほど細身である。舞台上であれほどに動き回る体力がどこに仕舞われているのかと思うほどだ。
また、舞台裏の通路でしゃがみ込んでいた松村さんの小さな背中が印象的だった。プラスチックの長持ちの中に、マイクのトランスミッター(と呼べばいいのか)をビニール袋から出して仕舞っていた。二回公演の間のことであったろうか。
何をしているのだろう?と疑問に思って見ていると、松村さんがしゃがんだまま顔をこちらに向けて教えてくれた。
「汗で濡れて機械がダメになっちゃうから、乾燥剤と一緒に入れておくんです」
リアルな話だ。もし私が劇団の舞台裏を描くことがあったら、是非取り入れたいシーンである(笑)
なるほど、機械がダメになるくらいの汗を流すものなのか。確かに納得するだけの運動量であろう。
あるいはまた、初日の後、居酒屋で演出とメンバーが翌日の公演のために「ダメ出し」や「変更」を打ち合わせている姿も間近に見た。もしかしたら、演劇業界にあってはごく当たり前のことなのかもしれないが、自分たちの作品の反省と少しでも改善しようというたゆまぬ努力に心底敬服すると共に、大半は作り終わったらそれきりで、さしたる反省もないままに流れて行くアニメーション制作の「腰の弱さ」を照射されているように思えた。
全体にひ弱なんだよな、アニメーション業界って。ま、生の観客を相手にしている舞台の人たちとは全然違う生き物だから比べても仕方ないが、しかしそれでも学ぶべき点はあまりに多い。

この時、テーブルの対角線上の反対側で、私は音楽の和田さんと懇意にお話しさせてもらった。
原作の立場でこういうことを言うのもどうかとは思うが、舞台版のキャストやスタッフには、「原作にまつわるプレッシャー」というのも少なからずあったようで、ネットでの評判も気にされていたらしい。
私などは「そういうのを見るのはよした方がいいのでは」と思う方だが。見たところで「しょうがない」だろうに。
無論、原作には原作のファンもおられるだろうし、中には「『千年女優』の舞台なんて無理じゃないの」というある意味もっともなものから、「平沢の音楽を越えられるわけがない」といった謂われなき言いがかりもあったと聞いた。
そういう脳の取れちゃってる発言なんか気にも相手にもしなければいいし、そもそもそんなものを目にしない方がいいと思うのだが、そこにはやはり「原作もの」というプレッシャーが働いていたのであろうか。もしかしたら、関西という地勢的な背景もあるのかもしれないが、それはまた微妙な話。
確かに音楽はたいへんだったろう。原作の音楽は強烈な個性を放っている。
「別物だ」と思ってみても、その引力圏の強さは想像に難くない。
だいたい平沢さんであっても、当時、監督の要望であった「Lotus」という「原作」を元に、新たに曲を作るのはなかなか難しかったと仰っていた。すいません。
そのくらい、比較の対象(優劣の対象ではない)があるというのは難しいところでの創作である。その心中は同じ作り手としてお察しする。
そうしたプレッシャーを跳ね返して、見事舞台に大輪のロータスを咲かせたすべてのキャスト・スタッフへの思い入れは、日増しに大きくなったのである。

という背景があって、ようやくトークショウ最後の「総括」である。
私の個人的な総括は、前置きが長かった割にごく簡単である。
『千年女優』というお話は、最後に千代子を「あちら」へ送り出して終わる。
舞台版においても、千代子たちは観客に見守られて「あちら」へ、自らの意志であるかのように旅立って行く。
舞台版最終上演を見ていて、その様がまるで、舞台版『千年女優』の最期(もちろん再演はあるにしても)を見届けることにダブって見えてきて、さらに感動が膨張してしまった次第である。
何を出来るわけもなく、東京から制作を見守ってきた舞台版『千年女優』が、(とりあえずは)最後の公演となり、去って行く。
演じた女優さんたちには、舞台裏でも打ち上げでもお会いすることはあるし、千代子たちにも再演で会えることもあろうが、少なくとも大阪公演での千代子たちには、もう二度と会うことは出来ない。
そうした思い入れをさせてもらえたのも、原作という立場でわずかながらでも舞台版『千年女優』に混ぜてもらえたおかげである。
誠に感謝する次第である。
どうもありがとうございました。

と、ここでこの「千代子讃江」シリーズもきれいに終わる。かと思えばそうでもないかもしれないのであった。

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