2009年2月16日(月曜日)

千代子讃江・その17



昨日は一日中書きもの。このブログとは関係なく、仕事絡み。
頼まれていたテキストや返信せねばならないメールが溜まっていた。長文が必要なわけではないが、つい億劫にしていたツケはけっこうな量になってしまった。
現在、コンテ以外に割り当てられる脳の容量が低下しているのだろう。ま、いつものことだが。まったくもって容量の小さい男である。要領も悪いのか。
ご迷惑をおかけしている皆さま、たいへん申し訳ありません。
テキストは200字程度のコメント、卒業生へのメッセージ、ゼミ紹介など細かいものばかりだが、字数の制限があると気ままに書くわけにもいかず、なかなか難しいものである。
だが、昨日の休みで8割方は片が付いた。一日おいて、読み返してから送信すればよい。

本来なら昨日は別の仕事が入っていたのだが、土壇場になってキャンセルさせてもらった。
早めにキャンセルすればもう少し気が楽だったのだが、日が迫ってから送られてきた情報によってキャンセルの意を固めたのだからやむを得ない。
仕事を途中で降りるのは甚だ不本意であるし、関係者にたいへんご迷惑をおかけして誠に申し訳なく思うが、しかし出来ないものは出来ない。
「出来ないものはどうしたって出来ない」
このごく当たり前のことを発することが出来るまでに、随分時間を無駄にしてきたように思う。今後はなるべく精神論に陥らないようにしたいものである。しかし事あると、つい精神論で補おうとするのは日本人の遺伝子によるものだろうか。
「竹槍でB29は落とせない」
分かっちゃいるはずなのに。

マッサージ機に揉まれながら読書。脳と肩を同時にマッサージしているようでたいへん贅沢な時間である。
読み終えた本が実にけっこうな頭のマッサージになった。
『日本人の〈原罪〉』北山 修+橋本雅之/講談社現代新書
帯にはこうある。
「精神分析家と国文学者による日本人の深層心理学!
イザナキ・イザナミの神話に示された「罪」と「恥」を読む」
どうでもいいことだが、なぜ一々「!」をつけるのだろうか。やかましくて仕方がない。
「(略)神話も『夕鶴』も「鶴の恩返し」も「雪女」も、その他の異類婚姻説話もまた、この国ではほとんど別れ話で終わり、男はなす術もなく立ち尽くし、女性は退去することを反復している。」
このことはよく知られているだろうが、「見るなの禁止」が破られ、見られてはいけない姿を見られた女は、それを「恥」として去って行く。イザナミの場合は追っかけてくるが、醜い姿を見られたことに怒るのはやはり「恥」による。
これら「去って行く女」の悲しみは、河合隼雄先生が「原罪」ならぬ「原悲」と名付けおり、日本人論の顕著な特徴としてあげられる一つであろう。
この本の面白いのは、「見るなの禁止」を破った方、つまり見ちゃった男の側に焦点を当て、そこに隠された「原罪」を見い出そうという視点である。
私は神話にも日本人論にも詳しいわけではないし浅学この上ないが、見ちゃった側の「罪」を論じたものを目にしたことがなかったので、たいへん刺激的だった。
確かにそうだ。
「見るな、ってんのに何で見るんだ」
まぁ、もし禁を破らなかったらお話にはならないが、破った側の「罪」というのは一体どうなってしまったのか、考えたことがなかったかもしれない。

イザナキが黄泉の国から戻ってきて、ケガレを海で清め、そこからアマテラス、ツクヨミ、スサノオの三貴神が生まれるが、このとき見てしまった「罪」もイザナキはまさに「水に流して」しまったのではないか。そして、「母(イザナミ)に会いたい」と泣き続けるスサノオに、イザナキが理不尽なほどに怒ったのも、その流したはずの「罪」のツボを踏んだからではないか、という指摘がなるほど面白い。
さらに、「罪」を水に流したことにして、「罪」について深く考えてこなかったことこそが日本人の根深いところで受け継がれている、という論は実に納得できるというか、思い当たることは多々ある。
何せ「臭いものに蓋をする」のが得意な国である。蓋を開ける奴は迷惑がられるに決まっている。

第四章の対談から引用する。
「北山 (略)昔話を総合すると、私たちが一番痛いところは、「夕鶴」の場合もそうなんだけれども、「この国」の住人である私たちが望んで反物を織ってくれと結果だということ。私の責任で〈つう〉がこれ以上飛べなくなってしまっていた。私がこの国をつくろう、神々を産みだしてくれよという欲望の結果、この国が生まれたんだということに直面するということです。
それは、イザナキの側、見た側の責任を問うことになる。もちろん、私たちはこのことを知らなかったんだと言えるけれど、でも、時間とともに噛みしめる罪もある。いじめの問題でも、政治の問題でも、傍観者であったけれども、加担していたというレベルの罪があるんですね。それが、『夕鶴』の話やイザナキ・イザナミ神話のなかにうまく描かれている。」
反復される神話的な悲劇を克服して行くためには、見てしまったことへの贖罪が必要である。それには去っていった者への「すまない」という謝罪、死者を手厚く葬ること、喪の儀礼にあるのではないかという話に結びついて行く。
内田 樹先生が書かれていた話を思い出した。うろ覚えだが、こんなこと。
死者に対して、お前はここにいてはいけないという態度が、死者をいつまでもこちらに釘付けにしてその祟りを呼び出すことになり、いつまでもここにいてください、忘れませんという喪の礼によって死者は去って行く、と。
つまり、臭いものに蓋をし続ければいつまでも隙間から漏れ出して人の鼻を曲げ、その蓋を取れば一時的には鼻が大きく曲がっても、いつか臭気は拡散して消え去るということであろう、っていきなり格調が下がるたとえで恐縮だが。

著者の一人、精神科医の北山 修が「ザ・フォーク・クルセダーズ」の元メンバーと同一人物とは知らなかった。天国から『帰ってきたヨッパライ』だけにさすが、あの世とこの世のあわいには詳しいのか。

長い枕話と関係なく、まだ続く「千代子讃江」17回。

各トークショウでは、東京から持参した『千年女優』で実際に使用したセル、原作者がその場で描いたサインとTAKE IT EASY!さんメンバーが描いたサインを抽選でプレゼントした。
土曜日の昼の回、その後のトークショウでのこと。奇妙な偶然によって、「その後、知るはずの人」に私のサインが渡ることになった。
「その後、知るはずの人」とは黒田武志さんというアーチストの方。かつて「惑星ピスタチオ」の公演ではグラフィックデザインやセットデザインを担当されていたそうで、TAKE IT EASY!プロデューサーさんから、「公演後、その黒田さんを是非ご紹介したい」と聞いていた。
私が抽選のくじで引き、壇上に上がっていただき、サインの宛名をお聞きしたところ返ってきたのが。
「黒田です」
ありゃ?……もしや。
その通り、その後知るはずの黒田さんであった。
うん、なかなか『千年女優』的因果だ。

後にロビーで正式にご紹介を賜る。
光栄なことに、黒田さんは今 敏の仕事をよくご存知のようで、あまつさえ好んでいておられるとのこと。アニメーションの仕事のみならず、『海帰線』のころから気に入ってくださっているとのこと。
平沢進、諸星大二郎などもお好きだそうで、同世代ということもって好みの傾向も似ているらしい。
黒田さんから、『不純物100%』という作品集をいただいた。
http://homepage.mac.com/sandsc……books.html
これは本当に素晴らしい。
「錆萌え」の私には堪らない「ツボ」である。
錆に彩られた様々なオブジェたちに静謐な時間と空間が宿っている。
驚嘆すべき仕事だ。
このような方に好んでいただけるなど、お恥ずかしい限りである。精進します。
ありがたくいただいた作品集は、現在仕事場の本棚に飾らせていただいています。
サインをもらっておけば良かった、とちょっと後悔もしております。

土曜日の夜公演の後には、「演劇ぶっく」の取材にお邪魔させてもらった。
何で私が?(笑)
一応「原作者」という肩書きで、賑やかしとしてのお声掛かりだと思うが、ある意味私にはこの取材そのものより、実はこの取材が決まったことへのリアクションの方が印象的であった。
前日の初回公演のあと、プチ打ち上げの席で「演劇ぶっく」の取材が決まったとの報告がなされた。それを受けての関係者の盛り上がり方にびっくりした。
媒体露出の重要性は一般の方よりもよく分かっているつもりであるが、しかしそんな大盛り上がりするとは、また一体?
この取材は、初回上演の大成功によって獲得されたものであるから、喜びは当然なのだが、聞くところによるとこの「業界誌」において、関西の劇団が定期的に取り上げられるページはたったの1ページだとのこと。
(私の認識が間違ってなければいいのだが)その1ページを、関西の何百という劇団が争う格好になっているというのだから、そのページで取り上げられることの価値はなるほど想像に難くない。
また、この席であるメインスタッフが『千年女優』好評の手応えから「東京進出もありうるかも!?」といった発言もされていた。

そのくらい関西演劇から見た「東京」という敷居が高いものなのか、と認識を新たにさせられた。おそらくその傾向は演劇に限ったことではないのだろう。
昔『パーフェクトブルー』の関係で、原作者・竹内義和も出演しておられるラジオ番組「サイキック青年団」の収録を見学させてもらったことがあり、その際、スタッフの方と酒席を共にさせていただいた。
どういう文脈で出て来た発言だったのかは失念したが、ある方が少々吐き捨て気味にこう口にされていたのがひどく印象に残っている。
「東京以外は全部地方ですから」
八百八橋、商都大阪でもそういうものなのか、と近世までは化外の蝦夷地で育った私には正直不思議に思えた。
「東京」で活動する、というのはイコール「全国区」になりやすいことくらい理解していたつもりだが、「東京」でしか活動したことのない者には分からない、「都鄙の隔絶」(と言ってはあまりに大阪に失礼だが)といったものが横たわっているのであろうか。

是非、舞台版『千年女優』の東京公演を実現してもらいたいと切に願う。
東京での公演となると、これまで映画版『千年女優』を取り上げていただいた媒体取材先などに働きかけることも出来ようし、もっと宣伝協力が出来ると思えるのだが……って、ありゃ。それが正に先の「隔絶」を象徴した話でもあるわけか。

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