2009年2月21日(土曜日)

千代子讃江・その19



昨日は吉祥寺で途中下車、新星堂に寄る。
やっぱり欲しくなったものがあった。
最近、欲しいものといえば「志ん生」である。
ポニーキャニオン、コロムビアに続いて、ビクター版を買い入れた。
『五代目 古今亭志ん生』全20巻
あいにく、5、7、8、19の4枚だけ置いていなかったが、ある分だけ購入した。
欠落している4枚は、今朝ネットで注文した。
じゃあ、最初から全部ネットで注文すればいいじゃないか、という気もするのだが、何しろ私は子供みたいな態度である。
「決めたらすぐ欲しい」
こ のビクター版の志ん生は「病後」のテイクがほとんどなので、どうしようかなと思っていたのだが、コンテ作業のお供に聴いたことのない志ん生の音源がもっと 欲しくなり、「どうせ最終的には買うに決まっている」と思い至って、それならいっそ早い方がいいじゃないか、え?てなもんだ。
名人や巨匠といわれる方々の晩年に対する興味というものも大きい。
最後まで名に恥じぬ在り方など、そうあるものではないだろう。

早速、仕事をしながら机上のVAIOにCDを呑み込ませる。
データベースにアクセスして演目や演者、CDタイトルを自動で取得してくれるのはありがたいが、表記がまちまちなことがあって少々困る。
同じシリーズなのにたとえばアーチスト名がこんな具合に。
「古今亭志ん生」
「五代目古今亭志ん生」
「五代目 古今亭志ん生」
「古今亭志ん生(五代目)」
シリーズのタイトルやジャンルも同様なので、取り込んですぐに自分用にデータを編集する。
同じシリーズのものがiTunes上に、気持ちよく秩序だって並んだところで早速聴いてみる。もちろん仕事をしながら。
お馴染みの「一丁入り」に続いて聞こえるは「火焔太鼓」「品川心中」「鮑のし」。1枚目はみな「病前」の録音。どれも聴いたことのあるネタだが、テイクが違えば枕もくすぐりも違うので、お足を出した甲斐があるというもの。
2枚目からは「病後」の録音だが、聞き取りづらいところはあれどまったく問題などない。なぜならそれが志ん生だから。
もう、志ん生なら何でもいいてなもんだ。
呂律の怪しい口調もまた味である。
ただ、病後の「火焔太鼓」は初めて聴いたが、勢いがうんと必要なネタだとさすがに少々寂しい気はする。
「鈴振り」「王子の狐」は聴いたことのないネタ。
「鈴振り」を聞きながら絵コンテの合成作業をしていたら、作業が止まるくらい大笑いであった。

志ん生を聞きながら調子よく合成作業をしていたら、プロデューサーが一冊の本を届けてくれた。
『だから、一流。』菅原亜樹子(学研・¥1400+税)
帯には、
「この人たちの夢中力はすごかった!頑張るあなたへ、20人からのメッセージ」
とあり、その20人の顔写真が並んでいる。
私が知っているところでは、羽生善治、佐藤琢磨、田崎真也、五嶋みどり、野村萬斎などなど。
あろうことか、その中にメガネにひげ、広いおでこの男の顔がある。
「『だから、一流。』……って、俺は一流なんかじゃねえってんだ」
一流の中に並べられるのは甚だ不本意なのだが、一流か二流か二流半か三流かそれ以下かは自分で申し立てることではなく、他人さまが判断することなので仕方がない。著者の菅原さんがそう思ったのなら、「一流に入れるのはやめてくれ」という話でもあるまい。
このインタビュー取材は、確か去年のこと。去年の暮れに原稿チェックをした覚えがある。チェックといっても、たいそう配慮の行き届いたまとめ方だったので、ほとんど手は入れなかったはず。
そのせいもあって、また著者のお人柄ゆえだろう、この本における今 敏の発言は当サイトや日常での発言とは大きく異なり、たいへんマイルドな仕上がりになっている。
この点についても、著者の方がそうお感じになったのならそれがこの本における今 敏でかまわない、と私は思う。
どういう具合にマイルドなのか、興味のある奇特な方は店頭でお手にとって御覧の程。
宣伝替わりに、帯裏の文章も引用しておこう。
「一流とは、決して手が届かない場所にあるわけではなく、
誰もがめざせる場所にあります。
けれども、たとえどのような天賦の才に恵まれていても、
努力し続けない人は一流にはなれない
ということも改めて思い知りました。
雲の上の人と思える人たちも、
一流になるためには
努力を惜しまず苦労に耐えてきたのです。
誰でも初めから一流だったわけではありません。
本書「おわりに」より」
初めからどころか、私なんかは一生一流になることなんかないと思うのだが。
そりゃあ、一流といわれるようになれたら嬉しいが、二流や三流だからってそれぞれの生き方があろうというもの。
二流を生きる一流の生き方、ってことだってあるのだ……って、それじゃ宣伝にならないか。

さて、ぼちぼち終わりを迎える「千代子讃江」19回。

結果的には売れ行きの心配など無用な物販だったが、いくらかの足しになるかとも思って原作者は側面支援をさせてもらった。
平たく言えば「簡易サイン会」。
パンフレットをお買い上げになったお客さんで、希望があれば千代子を描かせてもらった。別に、パンフじゃなくても描きはするのだが。
お客さんの中には、映画版や今 敏監督作を贔屓にしていただいている方もおられたようで、お馴染みの顔もちらほら。ありがとうございます。
初日には、「十年の土産」に足繁く通ってくれた女子高生(現京都精華大在学の女子大生。勉学に精進したまえよ)、和歌山からいらしてくれた女性がおられ、何回目かの公演には何と「ミカンの君」まで現れて、こちらがびっくりした。
道理で会場がミカンくさかったわけだ。冗談だからな。
また、懐かしいところでは「朝風呂派」という当サイトのオールドユーザーの相変わらず「立派な顎」に再会することも出来た。やあ、久しぶり。元気そうで何より。
彼が「KONTACT BOARD3」に書き込んでくれた舞台版の感想「カンゲキしました」は興味深いものであった。
http://konstone​.s-kon.net/modu​les/bluesbb/thr​ead.php?thr=146&sty=1&num=l50

最終回には何と、映画版の立花を演じてくださった声優の飯塚昭三さんがお見えになっていた。奥様とご一緒に観劇されたとのこと。
ろくにご挨拶も出来ず、たいへん申し訳なかったのだが、アートカレッジ経由で(飯塚さんはアートカレッジでの特別講師でもある)聞いたところによると飯塚さんは周囲に気を遣わせたくなかった御様子で、こう仰っていたとのこと。
「私が観に行くことは監督にも劇団にも誰にも言うな」
飯塚さんは、「簡易サイン会」中の今 敏にわざわざご挨拶してくれたのだが、それも実はこういうことだったらしい。

「飯塚先生が監督に挨拶された時は、私たち(※アートカレッジ関係者・引用者注)がまわりで動き過ぎたので
「監督もこちらを見られたかもしれないし、挨拶しないで帰るのは失礼だろう」
ということで挨拶されたらしいです。
本当は完全隠密行動を取りたかったようです。

実に飯塚さんらしいご配慮である。出しゃばりな原作者とは大違いだ。

飯塚「立花源也」昭三さんにきちんと挨拶できないほど忙しくさせてもらったのが「簡易サイン会」。
基本的には舞台版『千年女優』のパンフレットにサインをすることが多かったのだが、時に場違いな「プラス・マッドハウス今 敏」や『妄想代理人』サントラが目の前に差し出されることもあり、少々驚きながらも今 敏監督作を支持してくれる方々に改めて感謝するのであった。

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