2001年2月13日(火曜日)

別冊BBS“のたうつ”



 BBSのRさんの書き込みにレスをつけようと思ったのですが、あまりに長くなってしまったので、「NOTEBOOK」にしました。
 私は非常に素晴らしい書き込みだと思いまして、これをネタに、というかこれをきっかけにしてあれこれと考えてしまいました。私としてはまるで昔の自分から届いたメールのようでもあり、これも何かの縁だと思ったのです。
 Rさん、不本意なようでしたらご一報下さい。先に断ろうかと思いましたが、メールのアドレスが分からなかったのと、時間が経つとアップしなくなりそうだったので勢いで載せてしまいました。
 さて、Rさんの書き込みは、大元の発言とは関係のないレスでした。このテキストに関係のある部分だけ再掲載させてもらいます。

私は現在ガクセイなんですが一応デザイン系で勉強
してまして、そこで「プロは上手くて当然」という、
アタリマエなんだけどトンでもなくキツイ世間評価を見まして
んで我が身振り返って我が作品群みて
「こんなんじゃダメだぁっ!ムキーー!!」
状態で今ノタウチまわってまして。
それに不条理な”当然”と言うか、上手いかどうか面白いかどうか判断
するのって自分じゃなく周りなんですよね。主観と客観の違いっつーか。
それを主客転倒して勝手なエゴで自分を判断してるっつーの、怖いッス。
創作にしても、何をどう表現したいのかその一番の根源を忘れてる
ような気がして。コアが無きゃ何も出来ません。
上手いヘタ云々より「何が言いたいか」がハッキリしてれば
自然モノってまとまるモンだと思うんスよ。文章でも何でも。
でも逆に言うと、自分が問われるコトになるワケで。
そういうキホン的な所を付きつけられてモンモンとしてまして
ついつい小賢しいコト言っちまいました。申し訳ないッス。

 実に正しいです。私はRさんを当HPのBBS上でしか知りませんし、どういう方なのかその輪郭すら把握しているわけではありません。しかし、この書き込みはある時期の人間、特にクリエイターと称される人間のある一時期を的確に表現しているように思われました。
 私はこの書き込みを取り上げて笑おうとか突っ込みを入れようとかいうつもりはまったくありません。冗談でも何でもなく、とても正しいあり方に思えます。だからといって賞賛するのでもありませんよ(笑)
 ただ正しい気がする、と。
 こういう風に実感をもって思える人がもっと沢山いてそこから逃げずに持続することが出来れば、世の中にはもう少し良いものが生まれてくるのではないかとすら思えます。

>「こんなんじゃダメだぁっ!ムキーー!!」
>状態で今ノタウチまわってまして。

 いや、実に正しい。そう思ってこそ先があります。
 若いうちから「これで良し」と悦に入っているのは阿呆か天才かのどちらかです。
 その「ノタウチ」まわるというのも、年を重ねると出来なくなるんです。自分から逃げるのが上手くなるからですね。
 よく「自分だけは誤魔化せない」というような柔なことが言われますが、ウソです。100パーセント、嘘です。
 自分は自分を巧みに誤魔化します。質が悪いと言っていいほどに功名に誤魔化します。そんなやつが山ほどいます。沢山見てます。
 そうなると「ノタウチ」まわることすら出来なくなる。平たく言うところの「終わり」というやつですな。
 目を見張るほどの時期があった人間ならともかく、ろくに始まってすらいない人間も終わりを迎えるのです。目も当てられません。しかも達者な口だけは磨いてきていたりするので、始末が悪い。そんなやつが山ほどいます。沢山見てます。
 だいたいそうなった人は自分に都合の良い状況を作り上げるのに躍起になってます。狭い部分でだけでも何とか周囲に対して優位に立ちたくなりますからね。しかも広いところに出て行けないのは自分とは別のもののせいにすり替える。何とも見苦しいというか、気の毒にすらなります。そんなやつが山ほどいます。沢山見てます。
 こういう人は他人に意見されることを極度に拒みますから、ある程度物が見えている人からすると、助言のしようはあっても何も言わないようになります。親切で言って怒らせでもしたら面倒この上ないですからね。放っておくしかない。
 よって、こういう人は同じところをグルグル回って自信の持てそうなところだけを固めに固めて、二度とその自分の砦からは出てこなくなります。出たら痛い思いをするのも分かっているからです。そんなやつが山ほどいます。沢山見てます。
 そうならないように心ゆくまで「ノタウチ」まわって下さい。
 他にやりようは無いのですから。

>それに不条理な”当然”と言うか、上手いかどうか面白いかどうか判断
>するのって自分じゃなく周りなんですよね。主観と客観の違いっつーか。
>それを主客転倒して勝手なエゴで自分を判断してるっつーの、怖いッス。

 その対処法はある意味簡単です。
 周りよりも常に高い審美眼というか価値基準を身に付けてしまえばいいのです。
 周囲が見る目よりも自分の目の方が厳しければ良い。同じ目で自分も見る。むしろ他人に対してよりも自分により厳しい目を向ける。
 浸透圧みたいなものです。こちら側の方が高ければ周りの評価にへこむことはありません。こちらの方が厳しく己を見ているのですから。
 簡単でしょ?(笑)
 その代わり、無邪気に楽しめる対象が間違いなく減ります。
 その分気に入ったものを深く楽しめるようにはなりますが、その辺は痛し痒しですわ。

>創作にしても、何をどう表現したいのかその一番の根源を忘れてる
>ような気がして。コアが無きゃ何も出来ません。

 そうです。その通りです。私は今、ここぞとばかりに熱弁を振るおうとキーボードを強めに叩いていますが、フォントは冷静ですな。さっきと何も変わらない。
 「一番の根源を忘れてるような気が」するというそのことが実感できるのなら、今から自分を知る努力を重ね価値観を磨けば十分に間に合います。まだ学生さんということですしね
 ただ「コア」を見つけようというのはラッキョウの皮むきにも似て徒労に終わるかもしれません。某かのコアがあるというよりは、コアを求めて皮を剥いて行く行為にこそコアがあるはずです。それがつまり「ノタウチ」まわることと同義でもあります。

>上手いヘタ云々より「何が言いたいか」がハッキリしてれば
>自然モノってまとまるモンだと思うんスよ。文章でも何でも。

 そうですが、そこに技がなければプロではありません。
 まとまっている上に興味深いとか面白いとか涙ものであるとか爆笑ものであるとか。
 でなければ換金される価値がありません。
 まとまるではなくて、まとめる、これも技です。
 まとまることもある、では済まされないあたりにも換金される技の価値がある。
 「何が言いたいか」を自分でしっかりと把握することも易しいことではありませんが、それを他者に伝えるとなるとさらに難しい。独りよがりが通用するのは素人だけです。HPで好きな絵を描き散らしたり、こうして雑文を書き散らしているだけなら何も問題はありませんが、プロでやる以上敷居は当然高い。最近はめちゃめちゃ低いですけど。
 さらに「何が言いたいか」を把握できたところで、その「何」がつまらないものだとおよそ換金などしてはもらえない。
 いやぁ、キビシイですなぁ。
 自分なりに努力した、とか自分なりの表現などという都合の良い言葉が通用するのは学生というモラトリアム期間だけです。表現する前にそれが表現するに足るものかどうかを考えることが大事です。もっとも、そこばかりを大事にしすぎるとあれもダメ、これもダメ、そっちもダメ……というようなことになって、何も出来ないということにもなります。
 私の作品歴が寂しいのはそういう事情です(笑)
 時には勢いも大切にしなければなりません。

>でも逆に言うと、自分が問われるコトになるワケで。
>そういうキホン的な所を付きつけられてモンモンとしてまして
>ついつい小賢しいコト言っちまいました。申し訳ないッス。

 いや、何も謝る必要などありません。
 ついつい言ってしまった「小賢しいコト」というのは、恐らくこの書き込みの前の私に対する「絵?プロだから上手くて当然とは思いますが(笑)」という発言をさしているのでしょう。
 そうです。上手くて当たり前です。上手いからプロになったんです。ああ、良かった、少しは才能があって。
 悶々として七転八倒して下さい。自分の価値観を疑ったり、自分には何もないのではないか、とか思い切りネガティブなことを考えても良いんです。そうした一見退行に見える状態、先程から言う「ノタウチ」まわるということですが、これは程度の差こそあれ繰り返されるでしょう。それが繰り返されなければ返って不自然なんです。
 最初は苦しいはずです。ですがそうやって自分を疑い抜いた先に何か一つ浮かんでくるはずです。
 イメージで話します。
 ようやく浮かび上がったその一つを大切にして作品にする。
 それで細々とではありますが、向こうとこちらに細い通り道が出来る。向こうがどこか、それは意識の底の方、無意識と言えるかもしれませんが、何か源泉といえるようなものです。
 そうすると次もうまく行く、というほど簡単ではありません。
 折角開いた細い通り道も塞がったりまた細く通じたり、と不安定なものだからです。七転八倒しながら繰り返して行くと、向こうとこちらを結ぶ道も太く確かな物になって行きます。考えやアイディアを汲み上げ、それと自分との関わりを把握して作品に仕立て上げられるようになればしめたものです。
 もっとも、さぼっているとすぐに道は塞がるみたいです。そんなやつが山ほどいます。沢山見てます。
 自分と自分を取り巻く状況に常に目を凝らし耳を澄ませていなければ、作品を作り続ける、あるいは一線で仕事を続けて行くというのは難しいです。「向こう」とコンタクトを取る術を自分なりに見つけなくてはいけないのです。「向こう」とコンタクトが切れている人は、何をやってもろくな物になりません。これは間違いありません。
 「向こう」とコンタクトも取らずに一生懸命頭を悩めて頑張っている人がいますが、砂の上で泳いでいるようなものです。
 泳ぐなら水に入らなくてはならないのです。まずは飛び込むことです。一応準備運動はした方が賢明だと思いますが。そして飛び込んだら最初は「ノタウチ」まわる、と。それが順番です。

 以上は私の場合、ということですが、思い当たる人は多いと思います。
 参考の一つにでもなれば幸いです。

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