2007年12月14日(金曜日)

渡りに橋



世の中にはうまい話があるものだ。
ある投資筋にお金を預けておけば一年で倍になって戻ってくるという秘密の情報を得たので、早速大金を預けてみた。ワクワク。
無論冗談だ。
そんなファンタジーに用はないし、預けるような大金もない。
なぜいまだにちゃちな儲け話に引っかかる人が多いのか、私にはあまりに不思議である。騙すやつが悪いのはもちろんだが、引っかかる方の頭もどうかしているのではないか。
もし本当に上手い儲け話を知っていたとして、そんなことを他人に教えるお人好しがいると思えるのだろうか。
欲の皮が突っ張ると、人間は脳が停止するらしい。
私の処世訓の何番目かにはこう刻まれている。
「得しようとさえしなければ概ねうまく行く」
だが、世の中には時として冗談みたいにうまい話が転がってきたりもするのである。
先日のこと。私が次回作制作に当たって、「どうしてもこういう人材が欲しい」と思っていた、まさにそうした人物がやって来たのである。
私がスカウトして来たわけでも誰に探して来てもらったわけでもなく、わざわざ先方からこちらの仕事場までやって来てくれたのである。自転車に乗って。
何の冗談かと思った。

ある日のこと、アニメーションの美術設定を生業としているフリーランスの男性から、メールによるこんな申し込みがあった。
「お時間取れそうなときにファイル見ながらアドバイス等頂ければ」
世の中には奇特な人もいるものだと感心したので、こう返信した。
「マッドハウスの方においでいただければ微力ながら協力いたします」
なぜ彼が私に連絡をしてくれたかというと、たまたま「『東京ゴッドファーザーズ』雑考」を読んで、興味を持ったのだそうだ。
ウェブサイトも作っておくものだと改めて実感した次第である。

彼に持参してもらったこれまでの仕事のファイルを一通り見せてもらう。
様々な作品の要求による、色々な世界観の設定が丹念に描かれている。
現実的な風景や異世界、未来世界の様々。
私も美術設定からアニメーションのキャリアをスタートさせた人間なので、こうした仕事に親近感を覚える。久しぶりに美術設定の楽しさを思い出す。
設定の仕事は、それが現実的な世界であろうと未来や異世界であろうと、物語世界を具体化する大事な基礎工事である。
彼のディテールへのこだわり、線による描写力は共に好ましい。何より仕事を大事にしている様子が表れている。
無論「これはもう少しこうした方が」とか「こういう場合はこうした方が」といった点は多少感じるが、私にはうまく描けそうにないものも上手にこなしているし、アドバイスなどおこがましい気さえする。
ともかく、とりあえず私の趣味や好みは括弧に入れて、積み重ねられてきた仕事に敬意を払いつつ注意深く見て行く。私がこれまで扱ったことのない世界観も多く、これから扱おうかと思っているあたりに近いものもある。
ビルなどの人造物は勿論のこと、樹木など自然物も分け隔てなく描かれている点も好ましい。彼は言う。
「特にこだわりはないので」
「ない方がいいよ、そんなもの」
私は対象物に対するこだわりなんてない方がいいと思っている。
私が絵を描く上でのこだわりがあるとすればこういうものかもしれない。
「それがそれらしくありますように」
これは以前のNOTEBOOKに記した「感情を込めたりしない」という、素人さんがガッカリするような芝居の考え方とイコールである。
私はこう書いた。
「結果的にそれがどのように外見に表れるかが問題であって、内面はカラッポであってもかまわない」
「内面はカラッポ」がイコール「こだわりがない」である。
徹底した外見の作り込みが内面を生む。私はそう考える方なので、対象物に「特にこだわりはない」という言葉に共感を覚える。
だいたい商業アニメーションの仕事で扱う題材は多岐に渡っているのだから、特定の対象へのこだわり「しか」持ち合わせていなかったら、特定の分野でしかいい仕事ができないということになりかねない。無論、敢えてその狭い分野で存在感を示すということもありうる。「爆発のスペシャリスト」とか「ギャル専門」とか。それも悪くない。
しかし一般的に広くアニメーションの仕事をするには、特定の対象物へのこだわりなんてないに越したことはないのである。
私の知っている上手い人の仕事からは、常にこのような頑なな態度が浮かび上がっている。
「何を描いても上手くなきゃ嫌だ」
そういうものだと思う。

彼が持参してくれたファイル2冊からは仕事に対する真摯な態度が読み取れ、また今後もなお向上するであろう能力が感じられた。
彼の絵を見ているうちに、不意に頭の中で何かが「つながった」。パチン。
美術設定の人間に会う、ということで「もしかしたら」と思っていた正にその状況が到来したのである。次回作制作に当たっては、美術設定を担当するスタッフ複数が是非とも必要であり、その人材を探そうとしていたのである。いや、次回作に限らずもう随分長いことそうした人材を求めていたと言った方がいい。
その長らく欠けていた部分を補ってくれる人物ではないのか。
しかし同時にこんなことも頭をよぎる。
「そんなうまい話があるのだろうか」
世の中得てしてこういうものだ。
「うまい話には裏しかない」
疑ってかかるに越したことはないのが処世術の基本だろうが、ここは一つ、44年をかけて少しは磨かれて来たであろう自分の「見る目」を信用してみることにした。
ファイルを閉じ、タバコを一服。
不躾かつ唐突にこうお伝えした。
「ええとですね。次にこれこれこういう内容の映画を作るのですが、協力してもらえません?」
「是非」
スタッフ集めがこんなに簡単だったらどんなにいいだろう(笑)

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