今月の頭であったか。就職において、男女はすべからく平等になったそうだ。男女雇用機会均等法、という法律だ。お役所が大好きな平等とやらが理不尽なまでに謳われているのであろう。
保母、スチュワーデス等というくくりで募集広告は出せなくなったのだそうな。保育士であり客室乗務員、ということになるのだとか。それはそれで誠に結構なことであろう。男性の職場に、女性が元気に進出している昨今、女性の職場に男性が忍び込んで……いや、混じるというのも自然な流れであろう。
差別はあってはならない。ならないからと言って、存在しないわけでは勿論無いが。
しかし差別ではなく、区別はあっても然るべきではないかと思うのだ。
身体的差異は区別されるべきであろう。
どうするのだろうか、ソープランド嬢やキャバクラ嬢などの特殊な専門職は。そんなところまで平等にされては、おかしなことになりはしないか。
種馬の立場はどうなるのだ。動物には適用されないのか。
悪徳政治家などがお気に入りの芸者などはどうなるのであろうか。からりと障子を開けて男の芸者が入ってきて、初めて気がつくのであろうか。よせば良かった、と。
相撲などはならないのか、雇用が均等に。国技なのだから是非ともお願いしたい。
おしなべて平等を推進すると、固有の文化すら破壊しかねないのではないか。そもそも文化はよそから見れば甚だ理不尽なものである。例えば相撲をするのに、なにゆえ丁髷の必要があるのか。必要はなくても、そういうスタイルである、それが文化なわけだ。今後も相撲は丁髷スタイルを続けるはずだ。
相撲を例に続けてみる。今でもそうだと思うのだが、土俵は神聖な場所であるから女人が入ってはならない、ことになっている。これは差別である。
女人を不浄だとするのは、何も相撲に限ったことではないし、昔の山岳信仰などにも見られるはずだ。富士山だって、江戸時代までは女人の入山は禁じられていた、と聞いたことがある。
そうした女人を不浄とする文化を是としているわけでは勿論無いし、改善されるべき点は多かろう。とは言え平等を広める法律をおしなべて全ての物に平等に適用することはできないと思える。
しかし、現実的には良いことの方が多いのであろうな。男女の雇用の機会が均等になるということは。
これから先もさらに男女の権利が平等にされて行くことは、正しい世の中の流れなのであろう。様々な局面において、平等という錦の御旗の威光と、引き起こされるいびつなせめぎ合いを期待したい。
さてそんなご時世だというのにだ。妙なものを見た。
阿佐ヶ谷の駅から続く通りに中華料理屋がある。まぁまぁ美味しい店である。
その店の前を通り過ぎて違和感を覚えた。つと戻ってみると、その店の窓ガラスに従業員募集の張り紙があった。しっかりと大書してある。
「日本人募集」
いいのだろうか。
男女雇用機会といって騒いでいるというのに「日本人募集」……って。男女の差別とかいう以前の問題ではないのか。
日本にいる外国人の就職を受け入れる会社がなくて苦労しているというのに、中華料理屋がそんなことでよいのだろうか。
これが「日本語が出来る方」「日本国籍を持っている人」などといえば理解もできるのだが、「日本人募集」なのである。どうしても「日本人」が必要なのだ、きっと。
しかし、にわかには想像がつかないのだが、日本人であることが最低限の条件などというものがあり得るのだろうか。謎だ。
あの募集広告がいつまで貼られているのか、今後の行く末を見守るとしよう。