すっかり更新が滞っていたのは仕事からの圧力が高まっているせいだ。
忙しくて時間がない、というよりは考えることが多くて雑文を書くための余裕に欠けているのであろう。
更新していなかった分、書くべきことは色々あるのだが、現在「はまっている」ことに絞って書いてみたい。
個人的な「志ん生ブーム」は相変わらずだが、音源に限りがあるし大半は入手してしまったので聞いたことのない音源を手に入れることが難しくなってしまった。講談社DVDBOOKシリーズ「志ん生復活」全13巻も手に入れてしまったので、まとまった全集としては手に入れるべきものはもうない。少々寂しい。
もちろん同じ音源を繰り返し聞いて楽しんでいるのだが、近頃の仕事内容がコンテよりも設定に比重が置かれていたこともあって、別のBGMが必要になった……らしい。自分のこととはいえ、なぜそうなったのかはよく分からない。
ここのところアニソンを聞きながら仕事をしている。
アニソンとは勿論アニメソングのことである。特撮ものも多少含まれるのでアニソンというより「テレビまんが主題歌」といった方がいいかもしれないが、アニソンという言葉は響きが子供らしくて宜しい。
これまで私の音楽の趣味にはなかったものだが、現在すっかりはまっている。
iTunesで好ましい曲だけを集めたプレイリストを作り、これを聞きながら新作『夢みる機械』の設定作業を楽しんでいる。プレイリストは「120曲4.6時間」というかなり馬鹿げたもので、リストには「輝ける未来」という大仰なタイトルを付けてある。
私が聞くアニソンは主に1960年代、せいぜいが70年代初めまでのもので、要するに子供時分に見ていた「懐かしのテレビまんが」の主題歌。これらをずーっと聞いていると、色々な発見があり自分を知るにも時代を知るにも興味深い素材であり、特に新作『夢みる機械』の設定作業にはうってつけなのである。
私が生まれた1963年は『鉄腕アトム』『鉄人28号』『エイトマン』などのテレビアニメが始まった年であり、いわばテレビアニメと一緒に生まれ育ったともいえる。だから、テレビアニメの歴史を音楽的にたどっているとあれこれ再認識できてくる。
たとえば、自分に関する再発見としてはこんなこと。
「そうかぁ……私はやっぱり「虫プロの子」なんだなぁ……」
多くのアニソンを聞いていて、もっとも懐かしさを覚えるのはどうしても虫プロ作品であり、要するに手塚治虫なのである。『鉄腕アトム』『W3』『ジャングル大帝』『悟空の大冒険』『リボンの騎士』……。
そして、虫プロの流れを汲むマッドハウスで現在45歳の私が仕事をしていることに少なくない感動を覚えてしまう。
また改めて認識したということでは、自分は藤子不二雄原作のアニメにまったく思い入れがないということで、これはこれでちょっと意外だった。
『ドラえもん』は見たことがないし、『オバケのQ太郎』『パーマン』なども子供の頃は喜んで見ていたような気がするが、現在それらの主題歌を聴くと何か嫌な気分にさえなってくる。嫌悪というわけではないが、それらドジだけどやたらと陽気な歌詞や曲の根底に、どうも「弱い者」に対する無条件の肯定みたいなものが感じられて懐かしい気分さえ阻害されてくる。
何というか「弱いものは弱いままでいいんだよ」といったような。
確かにそれはそれでいいんだろうけどさ。
「弱い奴は強くなろうとする努力をしていない」というようなことを言ったのは黒澤明だったと思うが、「そりゃまた極端な」とは思いつつ私も自分についてはそう思ってしまう方だ。
だからなのかリストに藤子不二雄は入っていない。
もっとも、藤子不二雄の漫画では「SF短編」で随分勉強させてもらったこともあり、こちらには格別の思い入れがあるが。
アニソンで時代を知るという意味では、こんなようなことだ。
「あの頃、来るべき未来は必ず素晴らしいものであり、希望に溢れた時代だったのだなぁ……」
だからプレイリストの名は「輝ける未来」である。
かつてのテレビまんが主題歌の歌詞を聴いていると、「知恵」「力」「勇気」を身につけた主人公の活躍により「正義」が必ず勝つことになっていて、「悪者」さえやっつければ「希望」に満ちた未来が待っているのであり、それは「科学」が開く未来でもあったことが悲しくなるほどよく分かる。
そして、何よりテレビアニメと共に生まれて45歳にもなった身としては、自分の歳の間にそうした信憑は一切なくなってしまったのだなぁという感慨の方が大きいのである。
「正義なんて言葉は信用できない最たるものだし、輝ける未来なんてまぼろしだったのだなぁ……」
何せ清く正しい科学の少年が巨大なメカやロボットを操って悪者をやっつけて日本中の子どもたちの心を虜にした時代は、いつの間にかメカの操縦者は肥大した自我を身につけてひどくわがままになり、あげくに精神が自壊するようになってしまったのだから。
それが進歩だったのかと思うと笑いたくもなる。
しかし、現在かつて夢見た「輝ける未来」を考えられないからといって、かつての夢に耽溺したいわけでも、単純に懐かしんでアニソンを聞いているわけでもない。きっかけはどうあれ、仕事のための音楽的参考資料というか、かなり実利を目的として聞いている。
というのも、やはり新作『夢みる機械』の世界観と大きく関係している。
『夢みる機械』の舞台を一言にまとめるとこういうイメージである。
「来るはずだった近未来が廃墟となった世界」
ここでいう「来るはずだった近未来」(これは多分、平沢さんによるフレーズだったと記憶している)とは、先の「輝ける未来」と同じで、かつて夢見た未来世界のことである。
もう少し具体的に言えば、アトムがその鉄腕を奮って活躍したような世界、「透明なチューブの中をエアカーが走る」ような未来都市。小松崎茂が描いたような未来世界。
それが実現されて後、何故かすっかり人類がいなくなり、廃墟としてそっくり残されている。それが『夢みる機械』の基本的な舞台である。
つまり、かつての「輝ける未来」を現在の頭で再現しようとすると「廃墟」として描くしかない、ということである。
「子供向け漫画映画」(正しくは「子供向けの振りをした漫画映画」だが)を標榜しておきながら、まったくもって夢があるんだかないんだかよく分からない設定である。
長くなってきたので続きはまた。