収入にまつわる項目を続ける。
まず、「原画と動画の平均年収」比較。
これは「フリーランス」と「フリーランス以外」の収入の比較。
【職種】−【全体】−−【フリーランス】−−−【フリーランス以外】(単位:万円)
原画−−232.5−−−−221.8−−−−−−317.4
動画−−105.9−−−−102.9−−−−−−129.5
フリーランスの方が圧倒的に収入が低いのは、単価仕事が基本だからだろうか。
私はフリーランスだが、報酬形態は月拘束で「一月いくら」という形でギャラをいただいている。フリーランスの原画マンの中にもこうした月拘束で仕事をしている人も少なくない。
項目が前後するが、次に出てくる「生産性」によると、一人が月あたりに上げられる原画の数が、平均で46.5カット。原画の平均単価が「3,942円/1カット」だから、
3,942×46.5=183,303円
183303円×12ヵ月=2,199,636円
上記のフリーランス「221.8万円」とほぼ同額になる。
フリーランスはやはり単価仕事が基本なのだろう。
「フリーランス以外」という種別をどう解釈するかにもよるが、社員が大半ということだろう。それだけ固定給をもらっているから平均もその分高いと思われる。
フリーランスの収入を「1」とした場合、フリーランス以外との比率は、こうなる。
原画 1:1.43
動画 1:1.25
随分な開きだ。
社員なり拘束となるとその分制約もあるので、報酬に差があるのは当然としても、基本的に「単価で食える」「フリーランスで食える」という状態があった上での差であってもらいたい。
不意に演出家としての立場を思い出してしまう。
絵コンテで、簡単な内容のカットをたくさん用意すれば、確かに原画もたくさん数も上がるだろう。コンテ演出の匙加減一つで単価仕事でももっと「食える仕事」になるに違いない。
とはいえ。スタッフの都合で商品を作っているわけでもない。
何といっても、お客を置き忘れるわけにはいかない。
簡単なアニメを作ることは、それこそ「未来を切り売り」することにもつながる。
というのも、上手くない人でも数があげられる内容にしたらしたで、その時の最低レベルがさらに下がるに決まっている。
「ゆとり教育」とやらの成果を考えるといい。
あるいは、脳の活動が不活発な人のレベルに合わせ続ける垂れ流し電波と同じことになる。
そんな安物のアニメ、見たくない人も多いだろうし、作りたくない人だって多いぞ。希望的観測だけど。
お客とスタッフの事情を勘案して、作画内容の難易度の設定をするというのは本当に難しい。
「生産性と時間単価」はどうなっているか。
まず「生産性(概算)」。
【原画】
年収÷カット単価÷12ヶ月=月間カット数
223.3万円÷4000円÷12ヶ月=46.5カット/月
【動画】
年収÷1枚単価÷12ヶ月=月間作画枚数
101.3万円÷200円÷12ヶ月=422.1枚
おや?動画の平均年収「101.3万円」がどこから現れ出でた数字なのかよく分からないぞ。
職種別の平均収入では「動画105.9万円」となっていたが。
原画が月に46.5カット平均。
昔はもっと景気のいい数字が聞かれたが、いまどきのTVシリーズの原画なら「月に50カット弱が関の山だろう」とはよく耳にする。
作画にともなう基本的な労力は昔のアニメの比ではない。
その傾向は動画ではさらに拍車がかかるだろう。昔のアニメの絵に比べれば、一枚あたりの情報量ははるかに増大している。線は多い、影も多い。
その昔は「動画は月に1000枚描いて一人前」と言われたようだが、現在その数字を達成できる人は、よほど動画の能力が高いか、とても簡単な絵柄の仕事の割合を高くしない限り無理ではなかろうか。
それに昔の「月に1000枚」は「美味しいボーナス」が込みの数字だが、現在その「美味しいボーナス」は失われている。
何より動画は制作体制がアナログからデジタルへの移行によって、恩恵どころかさらなる負担が大きく加わっている。デジタル化のしわ寄せはことごとく動画に集まっているといっていい。
第一に、線をきっちりつながなくてはならなくなった。
仕上げがクリックひとつで色を塗れるようにするためである。PC上の彩色において線がつながっていないと、そこから色が漏れてしまうためだ。アナログ時代は、ペイントも手作業なので、線が閉じていなくてもそこは塗り手によって適宜判断されていた。
ということは線をつなぐのは仕上げの仕事であっても不思議ではないのだが、効率を考えれば動画の職分になるのは仕方ない。
動画の線はクリックひとつで引けるものではないのだから、考慮してもらいたい点であった。
第二に、影は動画用紙の裏から塗らなくてはならなくなった。
動画をスキャナで読み取る際に支障があるので、影のトレス線は色鉛筆(実線は黒の鉛筆)で表に描くが、どこが影面になるのかは動画用紙の裏から色鉛筆で塗ることになった。
つまり、一枚描き上げても表面に見えるのは実線と影のラインのみ。
アナログ時代は、影面も表に塗っていた。だから動画を描き上げると、塗り絵のような「一枚の絵」にはなり得ていた。
この違いは決して小さくないと思う。
裏返して塗る、という手間が増えたのも勿論だが、デジタル化によって絵を描き上げる楽しみも奪われたと言っていいのではないか。これは川尻(善昭)監督も指摘されていたことで、仕事上の満足感(それが些細なものだったとしても総計は決して小さくない)が取り上げられたのはまことに気の毒である。
第三に、先に触れた「美味しいボーナス」だったはずの「透過光」「ダブラシ影」などもなくなった。
収入的に考えるとこれは相当大きな打撃であったろう。
これには少々説明が要する。
アナログ時代では、たとえば作画マニアが大好きな「爆発」、この作画に含まれる「透過光部分(光って見える部分)」は別の動画にする必要があった。撮影時のマスクとして使用するためだ。つまり、100枚を要する爆発があったとして、その中の透過光だけを抜き出して動画にするため、単純に動画枚数は「100+透過光枚数」になる。
すべてに透過光が含まれていれば計200枚になる。
爆発の絵一枚の動画は少々大変でも、そのうちの透過光部分だけを動画にする手間はたいへん小さい。
「ダブラシ影」も同様である。キャラクターの足下などに落ちる影で、背景が半分透けて見えるのがこのダブラシ影で、透過光と同じくそこだけ別の動画にする必要があり、こちらもキャラクター一枚描く手間よりも単純な形の影だけを抜き出して動画にするのは手間が小さい。
キャラの動きがたとえば30枚、そこに手間の少ないダブラシ影が30枚の「ボーナス」として加わるようなものである。
これらの「美味しい動画仕事」はしかしデジタル化によって消滅した。
ダブラシも透過光も、一枚の動画に描き込みで済むようになったためだ。
一枚に描き込まれたダブラシや透過光は、仕上げの段階で分離される。その分、仕上げ職の手間は増えたが、しかしこれは無論手作業ではなく、分離した色面を指定するとコンピュータが一連のファイルから生成してくれる。
動画は相変わらずすべてが手作業である。
さて問題です。次のうち、より肉体に負担がかかるのはどっち?
「10時間マウスをクリックする」
「10時間鉛筆で線を引き続ける」
アニメーションの画面で見られるキャラクターなどの実線は、すべて動画の手作業によって引かれたものだ。
それがアニメの大きな魅力なんじゃないのか?
人によってはそこが萌えを支えているんじゃないのか?
多くのセクションがデジタル化によって作業が軽減され、効率も上昇したが(その分随分と仕事も増えはしたが)、動画だけは恩恵どころか逆に負担が増大したのは理不尽としか言いようがない。
私はとにかく動画が気の毒でならない。
私には動画経験がないという事情が、動画への後ろめたさになっている部分もあるけれど。
アニメーション制作プロセスにおいて、生活する上でもっとも過酷な動画(あるいはその他の部署での新入り期間)を経ずに、業界に横入りをするような格好で仕事をしてきた。
だからアニメーションの仕事で金銭的に理不尽な思いをしたことがない。だからついついしわ寄せの目立つ動画に肩入れしたくなる。アナログ時代は、仕上げも気の毒だったが、パソコンの普及で状況は一変した。
個人的な事情は割り引いたとしても、動画はあまりに理不尽な状況にあり続けていると思うし、デジタル化以後は尚のことそう感じる。
動画はアニメーションの根本を支えている職種なのに、なぜこうまで不当な扱いやしわ寄せを受けなくてはならないのだろう。
なぜそうならないのか。
ま、話は簡単だけどね。
一番人手のかかる部署をわずかでも底上げしたら、予算の編成が大きく変わらざるを得ないからだ。
「昨日までオッケー!なんだから、今日も明日もばっちりオッケー!」
そう思っている人たちの顔がスルスルと浮かんでくる。
そういう連中が厄介な釜の蓋を開けるわけがない。
私は何も動画を特別扱いするべきだといっているのではない。
せめてデジタル化によって恩恵を受けている制作、背景、仕上げ、撮影など他の部署と同じ程度に「食える」ようになって欲しいと願っているだけだ。
さらに根本的なことを言えば、動画というポジションが、原画職への腰掛けとして息を詰めて我慢する段階という認識ではなく、アニメーションの土台を支える一専門職として認識されて欲しいし、一専門職として続けられるだけの、正統な対価が与えられるべきだと思うだけである。