寒い日が続いている。こういうときにこそ地球温暖化の会議を催すのが良かろうに。頭が冷えて宜しいのではないか。
月曜日は、世間では成人式だったそうだが、出社して相変わらず仕事場の構築と本業を少し。
新しい仕事はようやく落ち着いてきた気がするものの、もう一つしっくり来ない。しっくり来るためにはそれだけの時間を必要とするのだろうが、しかし個人的にはこれまで席を置いてきた仕事場の中で最も快適に思える。
実際の場所であれ漫画やアニメーションの画面の中であれ、ディレクションが必要ということなんだろう。以前の仕事場はほとんど他人任せにしたのは大失敗であった。
現実にものを配置したり収納したりすることと、画面のレイアウトには何の違いもないもんだな、と改めて思わされた次第。
火曜日は武蔵野美大レギュラーのゼミ。翌日が提出締め切りだというのに、卒制の状況はかなりまずい。ある女子の弁が象徴している。
「……もうダメかも」
そういわずに最後まであがいてみてください。卒業制作は大学時代の一つの結果ではあるけれど、その制作の体験や結果は今後の糧にもなるのだから最後まで諦めてはいけない。何事も次へのリレーという面がある。
ゼミに出てこない学生の状況がどうなっているのかさっぱり分からないが、指導担当として私も力不足と責任は感じつつ(ゼミに出てこない人は指導できないんだけど)、講評時に何が見られるのか期待と不安がてんこ盛り。
ゼミで完成品を見せてくれたのは一人だけ。だがこれが実にいい作品に仕上がっていた。とても面白く見られる可愛い短編アニメーションである。
一足先にここで評価しておこう。
「たいへん良く出来ました」
さて映画のこと。
近作以外では、去年前半はヒッチコック、後半はクリント・イーストウッド監督作を中心に観ていた。
ヒッチコックは『ハリーの災難』『見知らぬ乗客』『ロープ』『間違えられた男』『サイコ』『めまい』『鳥』『フレンジー』『逃走迷路』『トパーズ』『見知らぬ乗客』『泥棒成金』『知りすぎていた男』の13本。ほとんどは一度観たことがあったが、内容は記憶の彼方だったので初めてのように楽しめた。一昨年の暮れには『裏窓』『北北西に進路を取れ』も観ているので、ちょっとしたヒッチコック特集期間だった。
今さら言うことではないが、サスペンスを視覚化する、一目で分かるようにするって「そういうことだよなぁ」と思わせてくれるのがヒッチコック。
中でも、私にはやはり『鳥』と『サイコ』、それと『泥棒成金』のグレース・ケリーの美貌が絶品。
『泥棒成金』の劇中、ホテルロビーの客がグレース・ケリーに振り返るシーンがあるが、「そりゃそうだよな」と思わせるほどかっこいい。
ちなみにファンタジー映画の佳作『ミリィ 少年は空を飛んだ』で、ミリィと友達がTVで見ているのがこの『泥棒成金』。口づけするケーリー・グラントとグレース・ケリーのバックに、その情熱が爆発するかのように花火が次々と打ち上がる。『ミリィ』では単に引用するだけではなく、その映像がちゃんと伏線になっているのが好ましかった(当たり前のことだけど)。
そう言えば、この「情感の比喩としての花火」は『妄想代理人』最終話で拝借したアイディアでもあった。
クリント・イーストウッド監督の映画はほとんど観たことがなかった。
その昔、『ファイヤーフォックス』とか『ダーティハリー4』などを観て思った。
「……こういうのは、いいや」
だから時が経って後、話題になった映画も観ようという気がしなかったのだが、仕事仲間に薦められて観た『父親たちの星条旗』がとても良かったので、続けて『硫黄島からの手紙』『トゥルー・クライム』『ミスティック・リバー』『目撃』『グラン・トリノ』『チェンジリング』『ミリオン・ダラー・ベイビー』『バード』『ハートブレイク・リッジ』『許されざる者』『スペース・カウボーイ』と計12本観た。
全体に、ベタなハリウッド映画とは一線を画しつつ、アベレージが高く安定している印象で、受け取り方が難しいものも多い。
『父親たちの星条旗』 英雄として晴れ舞台に担がれながらも、虚実の落差に内面が荒れていく若者たちについ感情移入してしまい、泣けた。
『硫黄島からの手紙』 「『父親たちの星条旗』と合わせて観る」ことそのものが面白い。ただ、岩山に穴を掘り巡らして立てこもる日本兵が、まるで現在アメリカが「戦争」をしていると主張する「テロリスト」みたいに見えて仕方なかった。まぁ、そうなんだろうけど。
見えて仕方なかったといえば、主役級の日本人の若者がどうにもたけし軍団の柳ユーレイみたいに見えてしまい、「その方がらしかったのに」とさえ思えて仕方なかった。頭の悪い軍人代表とでもいうべき役の中村獅童は実にはまっていたが、何より良かったのは実は裕木奈江だったんじゃなかろうか。
『ミスティック・リバー』 ラストのパレードのシーンは色々な意味でドキドキさせられる。どう考えればいいのか、複雑な気持ちになる。ショーン・ペン、ティム・ロビンス、ケヴィン・ベーコンがそれぞれ「はまり役」で、演技合戦が見物。特にショーン・ペンの芝居が絶品。
『ミリオン・ダラー・ベイビー』 いい映画を見せていただきました。役者が刻む画面の存在感がたいへん印象的。イーストウッドとモーガン・フリーマン。濃い。
『グラン・トリノ』 これまたいい映画を見せていただきました。年寄りになって尚も変わろうとする在り方が素晴らしい。きっとイーストウッド本人もそういう人なんだろうと思わせてくれる。
「銀残し」のような画面も涼しげでとても心地良い。コントラストは高いが、彩度が低いので目に優しい。目にどぎついばかりのどっかのアニメとは大違いである。
観た範囲のイーストウッドの映画では制作順に『トゥルー・クライム』『ミリオン・ダラー・ベイビー』『グラン・トリノ』と、神父あるいは牧師が重要な局面において登場するが、順にその扱いが変化しているのも興味深い。聖職者に対して「軟化」しているみたいだ。
特に『ミリオン・ダラー・ベイビー』『グラン・トリノ』において顕著なのは、実に判断が難しい決断に際して聖職者が登場する。「この問題を宗教の立場ならどうするんだ?」という突きつけ方で、それを越えて判断せざるを得ないイーストウッドは正に「父性」であり「主人公」なのであろう。
『許されざる者』 アメリカという国の自画像にしか見えないところが面白い。「昔は女子供まで皆殺しにする悪党だったが妻によって改心し、今では子供たちの将来を思いやる老ガンマン(イーストウッド)」、そのかつての相棒は「ネイティブアメリカンを妻に持つ黒人(モーガン・フリーマン)」、対するは「原理主義的正義の保安官(ジーン・ハックマン)」。役者も濃いね、また(笑) これより先に『ミリオン・ダラー・ベイビー』を見ていたので、イーストウッドとモーガン・フリーマンが出て来て、ボクシングでも始めそうな気がしてしまったが。
人物の設定を抜き出すだけでも、アメリカという国を象徴していることがよく分かるのではなかろうか。これまた観た者がどう受け止めるのかを問われる複雑な映画で、そこが何より素晴らしい。イーストウッドの映画にはそういう意味で難しいものが多い気がするし、そこが「ちゃんとした映画」を撮る、撮ろうとしている監督だと思わせる。
割り切れる話ほどつまらないものはない。