1月18日、「π」のダーレン・アロノフスキー監督と対談してきた。
新作「レクイエム・フォー・ドリーム」の宣伝のため来日しているそうで、私が対談するのもその一環。私の方もやっと完成する「千年女優」の良い宣伝機会というつもりで引き受けたわけだ。
「Esquire」という、雑誌での対談である。「エスクァイア」と表記すればよいのであろうか。辞書によると、
「《名》[通例 Esq. で用いて] …殿, …様」
なんだそうな。
私は一度も買ったことのない雑誌だが、その名前や店頭で見かけた表紙のイメージからは何やらちょっと高級そうな気がしたので、多少私も外見を気づかって行こうと思った。が。いかんせん普段着しか持ち合わせていない。多分写真撮影はあるんだろうから、せめて鼻毛くらい切ってみた。へっくしょん。電動鼻毛切りは便利である。
ちなみに対談の掲載は「レクイエム〜」の公開時期に合わせるということで、まだ先らしい。
外苑前で地下鉄を降りて、地図に従ってホテルに着く。が、入り方がよく分からない。何だこのホテルは、不親切な。会員制のホテルだけあって一般ピープルには入りにくく出来ているのか!と憤りさえ感じていたが、実は私が裏口から入っていただけであった。憤ってすまん。
ロビーで「エスクァイア」の編集者の方と合流して取材場所だというダーレン・アロノフスキーが宿泊している部屋に行く。いい部屋に泊まってやがる。売れないアニメ監督ではビジネスホテルが関の山かもしれない。
スケジュールが過密気味のアロノフスキー監督は、この部屋で缶詰になって取材を受けていたようで、やや疲れ気味の上に体長も万全ではないと聞いていた。実際この日、予定の半分で切り上げた取材もあったという。後で聞いたところによると同じ質問ばかりされて疲れたのであろうとのこと。それはよく分かる。分かる分かる。聞く方は初めてでも聞かれる方も初めてとは限らないのだ。ふっと頭をよぎる。
「実写で撮ろうとは思わなかったのか?」
「パーフェクトブルーというタイトルの意味は?」
うるさい。
アロノフスキー監督のこの日の取材予定は、私との対談がこの日の最後だったのだが、私のすぐ前の対談相手が森本(晃司)さんで、意外な場所で馴染みの人に遭遇してちょっと驚いた。吉祥寺の飲み屋ならいざ知らず、こんな会員制のホテルの部屋なんて。
そちらは「コミッカーズ」という雑誌での対談のようで、アロノフスキー監督は疲れ気味にも関わらず、森本さんとの対談は下品な話題で大いに盛り上がったようである。
下品な話題で盛り上がったと聞いては同じことは出来ない。ウンコの話はやめよう。いやそんな話は端からするつもりはないけど、なるべく下品じゃない方で考えることにする。
アロノフスキー監督は31歳の白人、痩身で少し神経が細そうな感じのする男であった。会うなり「ファンだ」といわれても、私としては日本人得意の曖昧な笑顔で答えるくらいしかできない。「ナイストゥミーチュ」
対談後、食事もご一緒させてもらったのだが、彼は肉は食べられず、酒もほとんど飲まずタバコも吸わない。それでアディクション(中毒)を題材にした「レクイエム〜」を撮っているのはちょっと意外なような気もしたが、案外そういうものかしれない。もっともワーカホリックだそうな。共感しよう。
さて以前掲示板でも触れたが、彼は「パーフェクトブルー」の実写化権を買ったと聞いていた。ゆえに私はこの日次の言葉を彼にぶつけるためにこの対談を引き受けたといっても過言ではなかった。
「たとえアニメーションであれ、すでに映像化した作品をさらに映像化しようなど、一体どういう料簡だ!?」
ウソに決まっている。どのくらい本気なのかちょっと聞いてみたかっただけだ。
が。結果としては契約に至らなかったそうな。
アロノフスキー監督は随分前向きに実現しようとしたようで、具体的な値段の交渉もしていたようだが、「アロノフスキー以外が監督することはない」という条件を盛り込めなかったことなどが原因で契約できなかったらしい。
私としては特に残念でもないが、アロノフスキー監督はなかなか良い人だし私のファンだというし、賢そうな人だし私のファンだというので実写もちょっと見てみたかったような気もした。
「ダーレン、ネタがないならオレが考えてやろうか?」
そんなことは言わない。
彼もすでに次の作品の脚本を進めているようで、その脚本家も一緒に来日していた。アロノフスキー監督のハーバード時代のルームメイト、なんだそうである。「すわホモか!」と邪推が閃光のように頭を走るが、違うらしい。いや別に私はそういう趣味に対する偏見はないので誤解しないでいただきたい。
さて対談である。編集者がとりあえずお題を提供する。
「じゃあ、まず“パーフェクトブルー”について」
何でやねん。「レクイエム〜」の話をしようや。良識を身に付けた大人として私は、今回は相手の新作の宣伝に協力する形で隙あるごとに「千年」の話題に無理矢理つなげる気でいたのに。いいじゃん、もうそんな古い話。
「レクイエム〜」の宣伝担当の方からは「もっと“レクイエム〜”の話を」という目に見えぬ波動を感じる。ちなみにこの「レクイエム〜」の宣伝担当の女性は「パーフェクトブルー」の宣伝でお世話になった方である。そんな縁もあってこの対談である。
縁は他にもあって、「レクイエム〜」と「パーフェクト〜」はまんざら遠い間柄ではない。うちの掲示板の読者の方は覚えておられるかもしれないが、「レクイエム〜」には「パーフェクト〜」に随分影響されたシーンやまるごと真似たカットがある、と以前書いた。
私「“レクイエム〜”にはどこかで見たようなシーンが出てきて、見ていてちょっと気恥ずかしかった(笑)」
ダーレン「あれはオマージュだ」
“オマージュ <1>尊敬。敬意。<2>賛辞。”
おいおい益々いいやつじゃないか、ダーレン。
もっとも顕著なパクリ……いやオマージュの表現は、「パーフェクト〜」で未麻が膝を抱えて湯船に浸かっているところを真俯瞰で映すカット、それに続く水中からのアオリでゴボゴボッと息を吐くカットである。これを「レクイエム〜」では構図も芝居もそのままにジェニファー・コネリーが演じている。
「レクイエム〜」ではまた「赤いドレス」」が重要なモチーフとして登場する。これも「パーフェクト〜」でルミがラストに着る赤い衣装が念頭にあるとのこと。太ってしまった中年女がかつてジャストフィットしていた赤いドレスを無理矢理着た様はまるでルミみたい。
しかしパクリ過……いやオマージュのし過ぎじゃないのか(笑)、ダーレン。
アロノフスキー監督は今でも、というか今だからこそ「パーフェクト〜」を実写でやってみたいと思っているそうな。
聞くところによると最近アメリカではいわゆるアイドル的な存在で売れているグループだかがあるらしい。“なんとかーズ”だったと思うが名前は失念した。
ともかくそういう背景も考えると「今“パーフェクト〜”の実写を作れば絶対受ける」と力説する。アイドル的存在に対して日本ほど免疫のないアメリカでは、まだ彼女たちが「処女かどうか?」が大問題になっているのだとか。
私「日本ではそんな問題は随分前に終わってしまった(笑)現在はもっと歪な形でファンとアイドルの関係が深化している。変態みたいなオタクは沢山いるらしい」
ダ「オタク!!」
「オタク」という言葉にえらく反応するダーレン。
ダ「オタクという言葉が大好きだ。英語でそれに当たるものがない」
確かに「オタク」という単語は「ゲイシャ」「フジヤマ」「スキヤキ」「カラオケ」「ポケモン」に並んで世界で通用する言葉かもしれない。
彼の前作「π」というのが正に「オタク」を扱った映画と言える。
私「“π”はオタクが社会性を獲得して行く話でしょう?」
「まったく違う」と言われたらどうしようかと思いましたが、
ダ「まったくその通りだ」
あの映画で面白いのは天才性を持っていたかもしれないオタクが社会性を獲得することで逆にその才能を失ったかもしれない、という皮肉な点。実際それはよく見られるケースかと思われる。また冒頭、主人公がドアに開けられた小さな穴から外を覗く様や、子供や女性としか、それも薄いコミュニケーションしか取れないあたりは上手くオタクを描いているように思える。
ダ「現在の仕事は?」
私「昨日、“千年女優”という新作の0号試写だった」
ダ「どんな内容?」
私「元女優の婆さんが一代記を語るのだが、そこに彼女がかつて出演した映画の断片がまじってくる。それは遙か中世から近世、近代、現代そして未来までもある男を追いかけて行く女の物語だ」
ダ「面白そうだ。女優の話ということで“サンセット大通り”なんかは意識したか?」
私「いや、意識があったとすれば“スローターハウス5”かな」
ダ「“スローターハウス5”!大好きな映画だ」
そりゃそうだろう。あれが分からないやつは目が節穴だ。
私「ああいう別々な時空間が同時に認識されたり、連続している時間、あるいは他者と自分といった明確な区別が存在しているはずの関係が混沌としてくるような話が好きだ」
ダ「……それは私が次に作ろうとしている映画のテーマに非常に近い」
多分アロノフスキー監督と私の指向が似ているのかもしれないが、こうしたことをテーマとするのは先進国においては同時多発的な傾向に思われる。
ダ「新作の予算はどのくらい?」
私「1億4千万……くらいかな」
ダ「!!アメリカに来てくれたら僕はその10倍以上は軽く集められる。是非やろう」
「軽く」と来たもんだ。「やろう」だとさ。
前作の「π」が制作費6万ドル、約600万円という自主映画に毛の生えたような予算、2作目でその百倍どころかそれ以上の制作費という出世の早さを考えると、確かに「軽く」というのも頷けよう。やるな、ダーレン。
前作の「パーフェクト〜」が一億円、2作目で何とその1.3倍という素晴らしい出世の歩みを考えると我ながら情けなさも感じるが、やはりアメリカと日本の土壌の違いを思わざるを得ない。
私「予算は欲しいな」
ダ「ただし、英語の作品だ」
私「……」
そりゃそうだろうな。しかしこの対談だって通訳越しに交わしているのだ。黒澤の「デルスウザーラ」の例があるとはいえ、言葉がろくに分からないで映画を作れるとは思えない。
私「……セリフ無しにしようかな(笑)」
ダ「サイレントか。音楽だけのアニメーション、それでもいいからやろう」
まったく、アメリカ人は(笑)
しかし必ずしも調子のいい冗談とは言い切れないようだ。
オフレコでちょっと真面目な仕事の話もして、実際、とある仕事をやる気はないか、とも言う。ありがたい話である。もっとちょうだい、オマージュ。
対談後、渋谷のタイ料理屋で一緒に食事をとりながら色々な話をさせてもらったが、例えば「千年」がアメリカで上映される機会があるようなら、
「僕が評論家とか文化人とかに声をかけてスクリーニングをコーディネートしてもいい」
とも言ってくれる。違うな。あまりに状況が違う。逆はあり得ないからなぁ。いくら社交辞令とは言っても私には口に出来ないセリフだ。
なんか情けなくなってきた。オマージュを捧げられてる方が知名度も社会的信用も使える予算も少ないんだから情けない話だ。あああ……食えなくなったらダーレンに仕事をもらおうかな……メールアドレスもらったし……けど社交辞令を信じてバカを見るかもしれないしなぁ……向こうが大売れしちゃったら忘れられてるかもしれないし……頼った挙げ句に言われちゃ叶わないからな…………「?あなたはだーれん?」なんて。
すいません。