2009年1月12日(月曜日)

えー……



えー……世間じゃ連休なんだそうで、今日月曜は成人の日だとか。
きっと全国各地で、目立ちたがりの若者が狼藉を働いていることだろう。
やめちまえばいいのに、成人式なんて。

昨日の日曜日は、私も通常通り休み。
午後になる少し前に起き出し、いつもより遅めの一食目をいただく。日曜にはお馴染みの「棒ラーメン」である。肉とネギをたっぷり入れたラーメンが深い満足を運んでくれる。
ブログ用に雑文を書いてのんびりと過ごしていると、関西から急を要するメールが届いた。
劇団TAKE IT EASY!のプロデューサーMさんより、舞台版『千年女優』に関する御依頼で、公演時のパンフレットに掲載する対談原稿のチェックである。
締め切りは翌日19時までとのこと。
公演初日が金曜日に迫っているのだから、よほどお急ぎの様子と推察される。
折良く、雑文を書いていて脳が「テキストモード」になっていた。
メールを受け取った直後からサクサクと自分の発言に修正を加えて、返送する。
対談は舞台版『千年女優』脚本・演出の末満健一氏と今 敏によるもので、昨年11月に氏がマッドハウスにお越しになった際に収録された。収録といっても、対談用に喋ったわけではなかったので、多少心配していたのだが、原稿のまとめ方のおかげもあって、面白く読める仕上がりになっている。
何より肝心の舞台の方も、Mさんによると「公演前特有のドタバタ感はあるものの、すこぶる順調に作品作りが進められて」いるとのことで、初日が益々楽しみになってくる。
不肖、今 敏も各上演後のトークイベントにお邪魔させてもらうことになっており、各回ごとに設定されるテーマを楽しみにしている。

夕方、晩のおかずを買いに出たついでに駅前の本屋に寄って物色する。
「町山智浩の新刊対談本はまだ出てないんだよな……」
などと店内をぼんやりと見て回る、とピカッと視界に飛び込んできたタイトルがあった。
『志ん生、語る。』(岡本和明/アスペクト ¥2,000)
帯の背には「初の演目を初CD化!」の文字。
付録のCDは勿論のこと、家族や弟子、噺家が語る志ん生という内容が面白そうである。
「書籍やDVDなどは必ず複数で買う」という個人的習慣に則り、他に買う物を探すと、
「あ。諸星先生の新刊」
ということで諸星大二郎の新刊『巨人譚』(光文社)、他に文庫2冊なども合わせて購入する。

帰宅して、早速『志ん生、語る。』を読み始めたら、あまりに面白くて寝るまでに読み終えてしまい、ちょっと勿体ない気さえしてしまった。
あとがきによると、この本は『これが志ん生だ!』(全十一巻・三一書房)の月報からの集成だという。
息子であり噺家でもある八代目金原亭馬生や古今亭志ん朝の語る志ん生や、その子供であるがゆえの複雑な問題を抱えながらの噺家修行の話題、名人が語る志ん生など興味は尽きないが、ひどく印象に残ったのは弟子の古今亭志ん橋が語るエピソード。
見出しの「「咄家になるのに、なんでキャッチボールなんかやってるんだ」って言われたことがあります。」というだけでも面白いのだが(他にも古今亭志ん五の「「ウンコがこわくて、いい百姓になれるか」って怒られたことがあるんです。」というのも素晴らしい)、「「えー……」だけの稽古」という件が実にいい。晩年の志ん生である。
長くなるが引用する。

「お前、しゃべってごらん」
「えー……」
「何?」
「えー……」
「駄目だよ」
「駄目ですか?」
「駄目だよ。えーだよ」
「えー」
「違うよ」
「違います? えー」
「駄目。いいや、また明日だ」
結局、その日はそれで終わって、次の日にはまた同じことを繰り返したの。僕が、
「えー、お笑いを一席申し上げます」
と言うと、大師匠が、
「そうじゃあない、えーだよ」
もう、何がなんだかわかんなくなっちゃってね、
「駄目ですか?」
って聞いたら、
「駄目だよ」
僕もだんだん腹が立ってきて
「同じじゃないですか」
って言ったら、
「馬鹿っ、お前はただ『えー』って言ってるから駄目なんだ。〈これからこいつは何をしゃべるのかな?〉ってのがねえじゃねえか。お前はただ『えー』って言ってるだけじゃねえか」
(『志ん生、語る。』P130、131)

実に、いぃぃぃぃぃぃぃ話である、ッて何もそんなに力入れなくたっていいんだが。
アニメーションの演出も見習わなくちゃならない、たいへん奥行きと含蓄のあるエピソードだ。
落語の「えー……」に当たるのはアニメーションでは何かというと、得てして冒頭に使われる「フェードイン」であろうか。
コンテや実作業では「F.I」と略される。真っ黒な画面からだんだん絵が現れてくるというお馴染みの技法である。
私は通常、コンテの最初にはBL画面を置き、その傍らにF.Iと記す。

「お前、コンテを描いてごらん」
「F.I……と」
「何?」
「F.I……」
「駄目だよ」
「駄目ですか?」
「駄目だよ。F.Iだよ」

なんてことになるのだろうか。

「馬鹿っ、お前はただF.Iって書いてるから駄目なんだ。〈これからこいつは何を見せてくれるのかな?〉ってのがねえじゃねえか。お前はただF.Iって書いてるだけじゃねえか」

そんなアニメの師匠がいたらすごいな(笑)
F.Iならば、まぁどう書いたところでF.Iに変わりはないかもしれないが、それを何秒でどういうカーブにするのかによって、当然奥行きや含意は変わるものだし、F.I一つにだってイメージを持たねばならないのは当たりめぇだ、べらぼーめ、略して「あたぼー」である。
真似してみるかな、今度。
「馬鹿っ、お前はシーン頭にただ長っ細い絵ぇ描いて、横にPAN.って書いてるから駄目なんだ。〈これから何を見せてくれるのかな?〉ってのがねえじゃねえか。お前はただ長っ細い絵ぇ描いてるだけじゃねえか」
とかね。
PANだって元の意味が脱落したケースが実に多く見られるから、全然冗談じゃないのである。
肝に銘じよう。

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