2007年11月20日(火曜日)

かしまし娘



昨日、私の仕事場には不似合いなかしましい声が響いた。
若い娘さんお二人が見学に来られたのである。
もちろん私が青梅街道でナンパしてきたわけではなく、声優志望の若い娘さんである。
彼女たちは私が講師をつとめている専門学校アートカレッジ神戸、声優学科の卒業生であり、先日の「アニクリ」オーディションにも参加してくれた子たちである。わずか1分のためにわざわざ東京から神戸まで足を運んでくれたことがあまりに気の毒だったこともあり、「興味があれば、仕事場見学くらいいつでもいいですよ」と伝えたところ、すぐさまレスポンスがあった次第である。
グズグズせずすぐに行動に移すあたりがたいへん宜しい。
アニメーション制作現場を訪ねるのは初めてだとのこと。私の仕事場にはさして面白いものなど無いが、彼女たちは何を見ても黄色い声を上げる。
「キャー『千年女優』のウチワ!」
「キャー『パプリカ』のコンテ!」
「キャー マロミのぬいぐるみ!」
キャー、その他色々。
二人はたいへん仲の良い友達同士のようで、セットにしておくとひたすら喋っている。
同じフロアで「アニクリ」の原画を担当してくれている鈴木美千代さんが後にこう言った。
「5,6人は来ているんだと思ってた(笑)」
間違いなく2人である。七色の声音を駆使していたわけではない。
声優志望だけあって、声の通りがいいのである。
アフレコ現場などで、休憩中の声優さん同士が話している内容は、少し離れた場所からでもはっきりと聞き取れたりする。
私の仕事場を訪ねてくる方たちはほとんどが制作現場の絵描きや制作だったりするが、こちらの業界の人間の声はまことに通りにくい。つまり、ヒソヒソボソボソ。
会話中頻繁に「エ?」がインサートされる。聞き取りにくいからだ。
彼女たちに言わせると「エ?」と聞き返されるようではいけない、ということになるそうだ。確かに声優業界では聞き取れない言葉などは厳禁なのだろう。
Different places have different customs.(所変われば品変わる)
彼女たちとの会話中、頻繁にインサートしなくてはならないのは「エ?」ではなく次の言葉だった。
「シーッ」

私の仕事場にはアニメーションの仕事を希望する方がおいでになることもあるが、そういう絵描き希望の人にはなにがしか助言めいたことも出来る。しかし、こと声優志望となると私はとりたてて演技に詳しいわけでもないし、一演出家から見た声優の傾向やら、演出家としての希望を述べることくらいしか出来ない。
それに私が登場人物に対して付ける演技はほとんど自己流であるし、私が声優さんに望む演技もあまり「主流」とか「人気」にも縁遠いものなので、あまり役には立たなかろう。
演技に関する本もほとんど読んだことはないが、声優に限らず演技を志す人には大いに参考になるのではないかと思われるのがこの本は。少なくとも私には大いに刺激になった。
『イッセー尾形の人生コーチング』森田雄三・監修、朝山実・文(日経BP社¥1300+税)
イッセー尾形とコンビを組む演出家、森田雄三氏のワークショップのドキュメントである。これが非常に面白い。演技とは縁のない一般の人にとってもたいへん興味深く読める本ではないかと思われるのでお奨め。身近にいる原画マンに貸したところ、たいへん好評だった。
私が最も印象的だったのは、イッセー尾形のこの言葉である。
「感情を込めたりしません」
さすが。
イッセー尾形を「取材する人は、演技中の「気持ちの込め方」を聞きたが」るのだそうで、「その都度、彼(イッセー尾形)は困った表情をしながら」きっぱりとした口調で先の答えを口にするのだとか。
一般に、演技に関わる人は「いかに気持ちを込めるか」「いかに感情移入するか」を重視する傾向にある。私はかねてからそういう傾向だけに偏ることに巨大な不信感があったが、「あの」イッセー尾形の先の言葉に胸が晴れる気がした。
イッセー尾形は、身体の動きや口調など徹底して「外見」にこだわり作り上げるのだそうだ。そして隅々まで再現された外見によって、その内面を見る側が想像することになる。
そうだ。私も強く共感する。
気持ちや感情をどれだけ込めようがそれはたいした問題ではないと私も思う。どれほど一所懸命に描かれた絵だろうが下手なものは下手、と同じである。
結果的にそれがどのように外見に表れるかが問題であって、内面はカラッポであってもかまわないとさえ思う。外見から想定される内面が大事なのであって、「内面在りき」ではない。私はそう思う。
なぜなら「内面在りき」で考える始めると、自分が理解した内面以上のものは表れてこないことになる。だって、内面を把握しちゃってるんだから。
把握されちゃう内面しか持ち合わせないなんて、さぞやつまらない登場人物が出来上がることだろう。

曲がりなりにもアニメーションの原画も「芝居」である筈なのだが、アニメーターの口から芝居の話を聞いたことはほとんどない。話題になるのはは絵と絵の「動かし方」であり、そこに人物を表すための「芝居」は抜け落ちている。実際、これまでに「芝居」が感じられた原画に出合ったことは数少ない。
どうやらアニメーターの多くは、芝居は「演出家の指示」と同義だと思っておられる様子。
馬鹿げた話だ。
アニメーターを志す人にも是非読んで欲しい一冊である。
「気持ちを込める」とか「感情移入する」ことでは届かない領域が書かれていると思われるし、私はこの芝居の考え方に何かとても日本的なアプローチを感じる。

声優志望の娘さんたちにもこの本を強くお薦めするが、それ以外にさして有用なこともお伝え出来ないので、せめてもの記念に「モノ」をお土産として進呈する。
一人の子は、桃井はるこさん(『妄想代理人』マロミ役)と縁があるとのことなのでアメリカで作られたマロミのぬいぐるみを差し上げる。
「マロミの背中に桃井さん宛に何かメッセージを書いてください」
……メッセージね。じゃあ。
「うちの子をよろしく KON」
「うちの子」には「うちの学校の卒業生」と「うちのマロミ」をかけてある。
「ホントに監督が書いたという証拠に、写真撮っていいですか!?」
ああ、いいとも。
マロミを抱えてハイポーズ。カシャッ。
「いいなぁいいなぁ」
もう一人から黄色い声が上がるので、こなたには『千年女優』のノベルティグッズとして作られたウチワを進呈する。
ウチワの骨がポコポコしていて描きにくいが、サインとしてポコポコした千代子を描く。
「私も写真を撮っていいですか!?」
ああ、いいとも。サインしたウチワを構えて、ハイポーズ。カシャッ。
「監督、こんな風に撮れました」
自分の顔なんか別に見たくないってば。
「わぁ、監督、したり顔ですね」
エ?
もう一枚写真を、カシャッ。
「あ、監督、さっきの方がもっとしたり顔でしたね」
エ?
その用法、合ってるのか?(笑)

「したり顔」とは広辞苑によると、
「したり‐がお してやったぞという得意そうな顔つき。ほこりがお」
ということなので、間違ってはいないのかもしれないが、何か違和感がある(笑)
私はもう少しネガティブな文脈で用いられる言葉かと思っていた。
たとえばこんな。
「チンピラアニメ演出家がしたり顔で演技について語るんじゃねぇよ」
とか何とか。
少なくともサイン一枚二枚描いたところでするような顔ではないぞ、したり顔(笑)

彼女たちこそ声優としてブレイクして、早くして欲しいものである「したり顔」。
健闘を祈る。

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