2007年12月22日(土曜日)

今年最後の神戸出張



木曜日からレギュラーの神戸出張。
前日までに終わらせるはずだったプロットの仕事がなかなか終わらず、出発直前までかかってしまう。
プロットといっても自分の監督するものではなく、さる筋から依頼されたもの。
随分前から抱えていたにもかかわらず、「オハヨウ」にかかりきりになってしまい、結局12月まで引っ張ってしまった。
関係者の方々、申し訳ありません。
気に入ってもらえれば幸いだが、こればかりは相手のあることゆえ何とも分からない。
結果はどうあれ、仕事に一区切りがつくのは気持ちの良いことだ。
少しばかり気も軽くなって新幹線でビューンッ!

新幹線の中では、頼まれている「コメント」を考える。
ある絵本の帯に載せるコメントである。
送ってもらった原稿データをPCを開いて読む。
「あ……これは……」
うっかり泣きそうになってしまった(笑)
とても素敵な絵本だ。
出版されたら、当ウェブサイトでも是非紹介しよう。
しかし「今 敏」の名前とコメントではこの絵本を推薦するどころか、逆に足を引っ張りかねないのでは……という巨大な懐疑が頭をよぎる。
本当に私で良いのだろうか。
とりあえずコメントは考えたものの、締め切りまで「寝かせる」ことにする。

読みかけていた本を一冊読み終える。
『歴史を精神分析する』岸田秀(中公文庫)
読みたいと思っていた『官僚病の起源』の文庫化。
たいへん興味深くついつい一気に読んでしまう。
官僚の腐敗は、当人たちが所属する「自閉的共同体」に忠実であるが故に起こることであり、身内で高じた仲間意識が組織外に出力されると国民の生命すらないがしろにするような結果を招く、と。
組織の病。
身内の幸福は他人の不幸の上に成り立っている。
よく見かける構図だ。

続いて斉藤環先生の『思春期ポストモダン 成熟はいかにして可能か』(幻冬舎新書)を読む。
う〜ん。そんなに生きづらい世の中なのか、本当に。
どうも実感はないなぁ(笑)
とはいえ、近代社会が成熟するということは(というよりも単純に経済的に成長して余裕が出来るということだと思うが)、その成長や成熟のぶんだけ「個人の未熟さ」を許容できるということになるから、大人になれない、あるいは大人にならない人、子供のままの人が増殖するということか。
豊かな経済が幼形成熟を促進する、と。

ちょっと笑ってしまったのが、海外との言葉の比較。
「学卒後もなお親と同居し、基礎的生活条件を親に依存している未婚者」を日本では「パラサイト・シングル」という和製英語で呼ぶが、韓国では「カンガルー族」、ドイツでは「ホテル・ママ〈ママという名のホテル、の意〉」と呼ぶのだそうな。
「カンガルー族」という言葉はそれほどでもないが、「ホテル・ママ」には実態は分からないがかなり侮蔑的な気配が感じられる。
少なくとも「パラサイト・シングル」という「ライフスタイル」よりは選びたくない感じが伴う。
やっぱり名称は大事だ。
韓国では「長期間ひきこもってゲームしかしないような生活になってしまう」若者をこう呼ぶらしい。
「廃人族」
すごいなぁ(笑) 身も蓋もない言いだ。
そうまで言われたら「なりたくない」と思うのではないか。「廃人族」。
ただの「廃人」ではなく、「族」である。
こうした名称の持つ抑止力はバカに出来ないように思う。
病気でもないのに、働きもせず家族に寄生して生きているような人はこう呼べばいいのだ。
「穀潰し」
広辞苑によると、この言葉の意味は
「食べるだけで何の役にも立たない者。多く、人をののしっていう語。」
そういう意味では、こういう人は会社の中にもいっぱいいそうだが。
罵りの対象とすればそういう人の数も随分減るのではなかろうか。
乱暴な意見だとは思うが、どのような名称をつけるかによって実態も大きく左右されることは間違いないような気がする。
「ワーキング・プア」なんていうから、格差が見えにくいのであってちゃんと言えば宜しいではないか。
「貧乏人」
先日読んだ橋本治の『日本の行く道』にそんな指摘があったような気がするが、名づけによって見えにくくなっていることもさぞや多かろう。
いまとなっては「ローン」が当たり前になってしまったが、昔は「月賦」といった。
もし「げっぷ」という言葉の響きがいまも生き残っていて活力があれば、自己破産やらカード破産なんて随分数が減っていただろうに。
言葉の魔力、侮るべからず。
「敗戦」を「終戦」と言い換えて自己欺瞞を重ねる国においては特に要注意。

新幹線とホテルで随分読書の計が行った。
これで何とか年間予定読書量に達する見込み。
しかし、月10冊読むのが難しいようではあまりに情けない。
来年はもっと読みたいものだ。

明けて金曜日は昼ご飯に「藪そば」。
以前、よく「鴨せいろ」を食べにいった荻窪の「藪そば」(残念ながらいまはすでにない)の系列なんだろうが、味が全然違う。
「何でこんな味?」
何で付け汁がこうも甘いのだろう。
甘い方が美味しいと思う人が日本では大勢をしめているのだろうか。
それともこれが関西風なのか?
まさかとは思うが、どうして関西では美味しい蕎麦に出合えないのだろう。
ラーメンもだけれど。
うどんだけ?

「アートカレッジ神戸」の今回の授業は少しイレギュラー。
「オハヨウ」をネタにお話しするということで、アニメーション学科と声優学科合同の90分が手始め。
用意していたデータの不具合も手伝って、あまり参考になるお話も出来なかったかもしれないが、本作で声の出演を勤めてくれた麻植さんにも協力いただいて何とか終了。
続いて、1年生、2年生をそれぞれ90分。
それぞれの作品が年度内にちゃんと完成するかどうか、それが何より気がかりだ。
2年生は就職活動中の子たちもいるので、心して制作に励んでいただきたい。
今年最後の授業が終わった。
みなさん、良いお年を。
休みの間もちゃんと一人で絵の練習をするように。

授業終了後は、神戸版「オハヨウ」打ち上げ。
東京版の打ち上げは先日済ませたが、神戸スタッフともちゃんと打ち上げを済ませないと、仕事の「切り」がつかず落ち着かないというもの。
単に美味しいものを食べたいだけ、という話もあるが。
今回は三宮にある「あわじ」という焼肉料理店。
http://r.gnavi.co.jp/k539401/
焼肉屋という感じではなく、焼肉割烹といった趣。
新鮮そうな素材を炭火で焼いていただく。
メインの肉はもちろん、少しずつ盛られて出てくる「内臓系」も美味しい。
何より、落ち着いて食べられるのが良い。
「主演女優」さんを囲んで、声優学科の先生とともに「乾杯」。
本当にお疲れさまでした。
私も疲れたよ。

後から広報課長が合流。
課長には申し訳ないが、こちらはちょうどデザートまでいただいたところだったので、次の店に流れることにする。
さて、行きたいと思っていた店がある。
以前、NOTEBOOK「たわけて神戸」で紹介したバー「mishima」。
残念ながらこの店でお気に入りの2階席は満員とのこと。繁盛けっこう。
しかし初めての1階の席も実に快適で、私はウィスキーをいただきつつ、さらに歓談する。
「演技っていうのはさ……」
などと、分かった風なことを言ったかもしれないし、そこまでバカにならなかったかもしれない。
日常における哲学を喋ったような気もするが、話している内容などどうでもいいような気がするほど心地の良い店である。
先月二日続けてきただけの「お客」を、店の方は私を覚えていらしたとのこと。
私は店の方におぼえていただくことが多い。
まぁ、特徴のある外見だし。さながらスタンプみたいなものだ。長髪を後ろに結んで広いおでこにメガネにヒゲ。無駄に背が高いし。
お店のママさん曰く。
「役者さんか何かと思ってました」
そんなわけないでしょ(笑)
口の上手さがこの店に繁盛をもたらすことでしょう。
来月も、是非行きたいと思います。

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