2008年1月19日(土曜日)

意外と無邪気



昨日はNHKで「アニ*クリ15」のハイビジョン試写。
「オハヨウ」は今後のハイビジョン対策としての位置づけも担っていた仕事だったので、是非とも大画面でのチェックをしておきたくて、この試写をお願いしていた。
NHK内にある試写室は、小ぶりな映画館を想像していただければよい。そのスクリーンに映すのだから、テレビサイズより遙かに大きい。
「オハヨウ」だけではなく、「アニ*クリ15」全15本を上映するので、他の作品の監督や関係者なども来ておられる。試写に参加した関係者は、全部で30人くらいだろうか。
全部見てもたったの15分なので、通して2回見せてもらった。
上映の結果にはたいへん満足している。
プロジェクターの性能のせいか、横方向の動きがあると走査線が目に付くのが気になったが、画質としては申し分ない。これまで仕事場や自宅のモニタで何度か見ていたが、暗く潰れてしまって不本意に思っていた箇所がすべてクリアに映し出されていた。
思った通りになっていた、といってもいい。たいへん気分がよい。
テレビモニタのサイズでは気づかなかった点も多く、今後の映画制作にとって非常に参考になる試写であった。
ありがとうございます、NHKさま。
試写の後は、打ち上げ。ビールとワインで乾杯し、楽しい一時を過ごさせてもらった。

しかし、皮肉なものである。
「アニ*クリ15」の企画をいただいたのが一昨年の末の頃だったろうか。企画書にはこうあった。
「NHKイメージアッププロジェクト」
不祥事続きのNHKのイメージを少しでも回復するべく、またNHKに馴染みの薄い若者にも届きやすいであろうアニメーションという方法で考えられたのがこの「アニ*クリ15」という企画である。
それが打ち上げの日に世間の話題は「NHK職員によるインサイダー取引事件」である。
さらなるイメージ回復企画が必要であろう。たとえばこんな。
「アニ*クリ365」
さぞや見るのがたいへんだろう。

さて、近頃NOTEBOOKの更新が滞っているのは、ブログに飽きたわけではない。
書きたいことは色々あるのだが、雑文書きに意識が向かなくなっている。
というのも、珍しく絵を描くのが楽しくなっている。
絵を描くことを生業の基本に据えているにもかかわらず、「珍しく楽しい」という話もないのだが、私は年々こういう態度になってきている。
「絵なんか」
いや、もちろん絵を描くことに飽きたことはないし、絵を描く仕事も楽しいのだが、近年の傾向は絵を単なる道具として突き放すことで、絵を描く作業そのものに意識が埋没しないように抑制している。
「監督」という立場上、個人的な楽しみとして絵を描いていては見失うことが多い。
私の意識としては、一絵描きが監督をしているのではなく、監督としての意識を上位において、絵描きはその指示によって作業を実行する、というのが基本的なスタンスである。
もちろん、両者に明解な線引きを与えることなど不可能だが、そのように意識している。
だから敢えて自分の絵を描く技術や能力に対してこう思うことにしてきた。
「なんだこんなもん」
だから、絵を描くことそのものが楽しい、というのは珍しいのである。

最近は自宅で絵を描くこともなければ、パソコンで絵の作業をすることもない。自宅で仕事をするといえば、テキスト仕事だけである。
なのにこの何日か、どうにも仕事をしたくて仕方がない(笑)
勤勉、というのではなく、早く絵を描きたいのである。
無邪気、といったほうが適切であろうか。
仕事場で中途にしていた絵のデータをUSBメモリに入れて自宅に持ち帰り、ついついデータを開いてしまう。開くと、ついつい作業を進めてしまう。子どもみたいだ。
私の日常は、朝起きてコーヒーを飲みながらまずメールのチェック、ネットを閲覧、それから前日の日誌を記し(ボケ防止のために前日を思い出すことにしている)、キーボードを叩くことで脳を起動する。そこで興が乗れば雑文書き、ということになる。
その「雑文書き」が来るはずのスペースを「絵を描く」に奪われているここ数日である。
じゃあ、今日はなぜこうして雑文を書いているかというと、USBメモリを仕事場に忘れてきたからだ。
しかしまぁ、起きていきなり絵の仕事を始めたくなるなどという欲求なんて、20年ぶりくらいではないのか。
まことにもって、稀にみる傾向である。

別にたいした絵を描いているわけではない。
新作のキャラクターデザインをしているだけである。
新作のキャラクターは私以外の人にデザインを頼みたいと思って、これまで突き放した態度でいたのだが、いい加減にビジュアル面をキックオフしないことには進むものも進まなくなるという危惧もあって、自分で手をつけた次第だ。
私が描くと絵が難しくなるという傾向は自覚しているし、私のキャラクターデザインはあまり人好きのするものではないようだ。つまり可愛くない(笑)
しかし、誰かに頼むにしても叩き台がないことには世界観を伝えにくいので、「やむなく」というつもりで手をつけたのだが、これが妙に楽しくなってきてしまったのである。
「しまったのである」という話もないだろうが。
新作に必要なのは、私がこれまで描いたことのないタイプのキャラクターであり絵柄なので、「いつものやり方」が通じない。
「いつものやり方」というのは、言葉を換えれば「得意なやり方」である。
その自分の得意な方法を使えない、というのはまことに不自由である。
不自由だから上手く描けない。全然上手くない。
上手くないので、少しでも上手く描けるように、これまでと違う回路を起動する必要に迫られる。
それが「珍しく楽しい」原因であろう。
慣れたやり方、得意なやり方をしていると、ついつい「お仕事」の濃度が高くなる。
これはこれで楽しいのだが(私は仕事が楽しくなかったことなどほとんどない)、慣れない絵を描くということは一旦「無能」に近いところまで自分が引きずり下ろされることになる。
だからって普段が特に有能というわけではないが、それなりの報酬をいただけるくらいの技術は身につけてはいる。
それを一旦「捨てる」ということは、目の前にとても「恥ずかしい絵」が出来することになるわけで、自分が下手な絵を描いているのはどうしても許せないから、ついつい取り組んでしまうわけだ。
私もけっこう若いな。
うん、悪くない悪くない。

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